第2話 ネット生活の進展

 そんなネットの世界であれば、それまで彼女も作ることのできなかった人間でも、妄想で彼女を作り上げることができたりする。

 マンガやアニメの主人公をまるでアイドルのように見てしまう、

「二次元」

 という発想に近いのかも知れない。

 そんなネットの世界が普及し始めて、ホームページを作ってあげていた時代に大学生であった遠山金治は、せっかく大学生になったのに、大学でリアルな友達がそんなに作ることはできなかった。

 もちろん、入学してきた時は、

「友達を作りまくるぞ」

 と思っていた。

 実際に、大学のキャンパスに入ると、

「おはよう」

 と言って、挨拶をするだけの相手はかなり増えた。

 しかし、本当の友達というと誰がそうだといえるのかと思うほど、親しい人はいなかった。

 だから、二年生の時、ちょうど流行り出したネットカフェというところに行ってみたいと思い。大学でたまに話をするくらいの知り合いに、ネットカフェについて教えてもらったのだ。

「ネットカフェっていうのは、東京などでは、マンガ喫茶とも言われていて、基本は、パソコンでいろいろできるということと、たくさん置いてあるマンガを自分の席で好きなだけ見れるということなんだ。しかも、他の喫茶店などと違って、何かを注文するというわけではなく、自分のスペースをお金で一定時間借りるというものなんだ。だから、ドリンクなどは、無料なのさ。献血センターなどのように、お金を入れるところにはテープが張ってあったりして、ただ、ボタンを押すところが後はボタンを押すだけという状態になっているから、そこを押して自分の好きなものを注文する。そして、ネットを楽しんだり、マンガを読んだりしながら、ドリンクを飲んで時間を過ごせばいいのさ。場所によっては、出前もできるところがあるので、食事はそこに注文すればいい。他にも、お菓子だったり、カップ麺などは販売しているので、それを席で食べるということもできるんだ」

 と大まかなことは教えてもらえた。

「便利でいいんだな」

 というと、

「そりゃ、そうだよ。それに籍も種類があってね、ボックス席だと、自分のスペースがあるだけで、まわりからはいろいろ見られた李するんだけど、個室というのもあって。リクライニング席だったり、畳が敷いてあって、和室っぽい個室もあるくらいさ。それに通称ネカフェというところから、文字って、寝カフェという人もいるくらいに、宿泊する人もいたりするんだ」

 という。

 確かに。それから数年後、

「派遣切り」

 などという言葉が流行った頃、非正規雇用者の解雇された人が街にあふれた。

「派遣村」

 と呼ばれるようなところで、新年からまるで、災害に躁具した被災者のように、炊き出しが行われたりしたものだった。

 考えてみれば、必要な時だけ安い賃金で働かせ、会社が危なくなると、非正規雇用者から切っていくという社会構造が、悲劇を招いたといえるだろう。

 そもそもの問題は、バブル崩壊にさかのぼるのかも知れない。

 あれだけ、新規事業を開拓すればするほど儲かっていた、簡単な算数を解くような時代だったものが、弾けた瞬間、一気に新規事業部分が焦げ付いてしまい、それまで、

「神話」

 と言われていたことが、一気に崩壊した。

 例えば、

「銀行は絶対に潰れることはない」

 と言われていた。

 社会の常識とまで言われていたものが、過剰融資の焦げ付きで、一気に経営不振に陥ってしまう。

 今までは、社会が不況になれば、銀行が何とかしようとしたものだが、この時は、その銀行が一気に潰れていくという常識外のことが起こったのだった。

「銀行といえども、もう他のところと一緒になって、地盤を固めるという、なりふり構ってはいられない状況になってきた」

 という時代だった。

 それが分かっている人が果たしてどれだけいたというのだろうか?

 企業もなりふり構ってはいられない。

「リストラ」

 という言葉が流行り出し、人員整理が一番の問題となってくる。

「早期退職者募集」

 であったり、

「窓際」

 などというものは当たり前であり、退職勧告を受けて、出向させられたり、

「リストラリスト」

 に乗ってしまい、他のリスト仲間とともに首を切られる中間管理職がどれだけいたことか。

 家族に、

「会社を首になった」

 とはいえず、公園で一日過ごして、何食わぬ顔で家に帰るなどという情けない状態になった人も少なくはなかった。

 夏の猛暑や冬の極寒では、どうしようもなく、ネットカフェに立ち寄る人もいただろう。

 家に帰ることもできなくなり、ネットカフェで生活する人もいたりした。

 ホームレスになる人も増えただろうし、もうこれ以上のことは文章にするのも、恐ろしいものである。

 そんな時代を何とか乗り越えてきたのだろうが、時代はすっかり変わってしまった。

 元々はどこの会社だったのか分からないくらいに、合併を繰り返し、銀行ですら、五つや六つの会社が一緒になったところも少なくない。

 かつてはライバル会社だったところもあって、

「昨日の敵は今日の友」

 というような状態になっていた。

 もっとも、言葉の意味は少し違うのだろうが、それだけ、世の中は十年ちょっとで、まったく違う世界になってしまったといってもいいだろう。

 ただ、その間に、ネットであったり、携帯電話から、スマホに続く、IT系はかなりの伸びがある。

 プロスポーツ界でも、昔のプロ野球と言えば、鉄道会社、新聞、映画会社などが多かったが、最近では、映画会社などはまったくなくなり、その代わりに、IT関係の会社が増えてきているのが特徴だといえよう。

 ただ、昔のように、

「宣伝効果を見越して」

 というものなのかどうかは分からないところだが、ITが、社会に対していかに表に出てきているかということだけは間違いないようだ。

 ただ、今の世の中でいえることは、

「貧富の差が、あまりにも激しい」

 ということである。

 今までの日本というと、

「好景気と不況を交互に繰り返してきた」

 という歴史があった、

 それも、好景気の方が不況よりも大きかったので、直線にすると景気は伸びてきたのだが、今は不況になれば、その不況が長引くだけで、好景気などというものはない。

 どこかの訳の分からない日本の首相が、自分の名前に見立てるような経済政策を打ち立てたが、その失敗は顕著であり、あたかも、成功した一部だけを宣伝しているので、まるで成功したかのように誘導しているが、決してそんなことはなかった。

 経済政策で少なくとも成功したというのであれば、貧富の差が、明らかに見た目でなくなってきたということが分かり、それをしっかり分析できたところで初めて、

「経済政策の成功」

 と言えるのではないだろうか?

 ネットカフェというところは、でき始めてから、二十年以上が経っているが、もちろん、潰れたところもあるだろうが、さほど形も変えずに、そんなに景気の波に左右されることもなく、他の業種に比べればという意味ではあるが、安定しているのではないだろうか。

 それに、時代とともに、ネットカフェが重宝される時も結構あったりする。特に、派遣切りがあった時もそうであったし、最近の訳の分からない伝染病の時だって、自粛依頼を行うのに、飲食店などは、時短、あるいは、店を閉めるという依頼をしていたが、ネットカフェにおいては、

「そこで生活している人もいるので、締め出すわけにはいかない」

 ということで、物議をかもしたこともあったくらいである。

 遠山金治は、大学一年生の頃、初めてネットカフェに行った。あれは、確か、二十一世紀になって少ししての頃だったと思う。ネットカフェというものが、増え始めた時期であって、初めて行った時は、結構楽しかったのW覚えている。

 ただ、パソコンなども昔のものであり、OSもまだXPすら出ていない頃であり、ネッ友、やっとADSLが普及していた時期だった。

 まだまだ、地区によって、繋がったり、繋がらなかったり、さらには、中継基地から遠いと、ISDNの方がスピードは速いなどと言われていたネットが不安定だった時代である。

 また、これくらいの時期だと、光ケーブルなどもまだまだこれから開発という時期で、言葉だけ知っているという程度だった。

 それに、一番不便に感じたのは、パソコンに、オフィスが入っていないことだった。

 今でこそ会社員が、出張先や出先の近くで仕事をしようと、ネットカフェに入れば、USBメモリを差し込めば、エクセルもワードも使える時代だったのだが、当時のネットカフェのパソコンには、基本的に、ワードもエクセルも入っていないというのが、多かった。

「これじゃあ、仕事にならない」

 という人も多かったが、何しろ当時は、USBメモリなどもなく、記憶媒体というと、CDしかなかった頃なのだ。

 かろうじてフロッピーはあったかも知れないが、ほとんどデータが入らないフロッピーでは、保存に適しているわけではなかったのだ。

 そんな時代からネットカフェを使っていると、昔が懐かしかったりする。

 そもそもネットカフェを使っていた時代というのは、まだパソコンを購入する前で、初めてパソコンを触ったといってもいい時期だった。

 キーボードの位置もよく分からず、戸惑っていた時代が懐かしい。

 パソコンを買う前の半年くらいはネットカフェに通ったであろうか、ちょうどそのネットカフェでは、ネットカフェの中の、LANで、チャットができるという面白いことをやっていた。

 もちろん、ブラウザを使ってのものだったので、同じ屋根の下に相手がいると思いと結構楽しかったりしたものだ。

 当たり前のことだが、自分がどのブースにいるかということを誰にも教えていないので、誰も気づかない。

「そのうちに教えてくれるかも?」

 という思いもあったが、なかなか誰も教えてくれるはずもない。

 それを思うと、楽しかったのだ。

 そのうちに、ブラウザの本当のチャットをするようになると、今度は本当に皆遠くなので、それはそれで興奮する気持ちになった。

 それぞれのご当地の話も聞けるのだから楽しい。

 しかも、チャットにはいくつもの部屋があり、地域別、年齢別、さらには趣味別と、どこに入ってもいいのだから楽しかった。

 年齢別で、三十代となっていても、まだ十代の自分が入っても、

「出ていけ」

 などと言われることなく、却って、

「おお、十代か。新鮮でいいよな」

 と言って、話の輪の中に入れてもらえるというのは、相手が見えないということもあって、ネットの醍醐味だと思うことで、本当に楽しいという感覚だったのだ。

 最初の頃のネットは本当に楽しかった。最終電車に間に合わないということで、チャットをやめて、帰宅するのだが、皆、

「また明日」

 と言ってくれる。

「明日のまた同じ時間に入ってみよう」

 と思うのも当然のことであり、

「ネットカフェをまた楽しみに、明日を頑張ろう」

 と思うのだった。

 ただ、何と言っても、あくまでもバーシャルである。その怖さをその時はまったく気づいていなかったのだ。

「とにかく楽しければいい」

 と思っていて、高校時代に、

「たくさん大学に入ったら友達を作って、大学生活を謳歌するんだ」

 と思っていたのは、今は昔という感覚だった。

 中学時代、高校時代と暗かった遠山少年は、

「大学に入れば、とにかく友達をたくさん作って、暗かった自分を明るくしたい」

 という思いが強かった。

 確かに、大学に入った時は、パットまわりが明るくなった気がした。友達もたくさんできてきたのだが、しかし、

「何かが違う」

 と感じるようになったのは、一体いつが最初だったのだろうか?

 皆が笑い出し、

「遅れてはいけない」

 ということで、必死に笑いに乗っかっていると、急にまわりが冷めてしまったにもかかわらず、それを分からずに、自分だけが大声で笑っているというような感覚である。

 しかも、冷めさせたのが自分であるということをその時は分からずに、後から誰かに、

「今だからいうけど」

 と言って聞かされたりすると、ショックが結構大きい。

「今だからって、何なんだよ」

 と言いたいが、それを言えないほどの自己嫌悪が襲ってくるのだった。

 次第に夏休みになるにかけて、その思いがどんどん強くなると、自分が大学でも浮いてしまい、

「やっちまった」

 という思いが強くなってきた。

 ここからの挽回は結構難しいような気がしてきて、

「大学に入っても結局何も変わらないんだ」

 という思いが強くなり、大学に行くのも一時期嫌になるくらいであった。

 そんな時見つけたのが、ネットというものだった。

 ネットが、遠山には救世主に見えた。せっかく大学生活をエンジョイしようと思っていたのに、失敗してしまった自分に対して、救済を用意してくれている世の中を感じ、

「本当に自分のために世の中って回っているんだ」

 と、勝手に思い込んだりもしたものだった。

 完全な思い込みなのだが、世の中をどのように楽しめばいいのかということを、知る由もなかった。

 とにかく、目の前のことで楽しいことがあればそれだけでよかった。

 ただ一つ言えることは、

「大学時代に友達とうまくいっていたとしても、結局、最後はあまり変わらない人生だったに違いない」

 という思いがあることだった。

 大学時代というものは、後から思い出すと、

「友達関係に溺れてしまって、我を忘れ、勉強もせずに、バイトもしないことで、社会勉強もできていないと、結局、後悔するのは自分だけなのだ」

 ということになるだけだった。

 おかげで、大学時代に対しての後悔をすることはなかったが、ネット依存という状況に嵌りかけてしまったことは、否めない。

「どっちがましだったのだろう?」

 と後になって考えたが、そもそも、

「マシ?」

 という考えを起こしたこと自体が救いようのないものであり、どうしようもない感覚だったということだろう。

 救世主に見えたネットというのも、年齢も二十歳を過ぎてくると、嫌でもその後の人生のことを考えなければいけなくなってくる。

 気が付けば、成績も最悪で、取得単位もほとんど取得できていなくて、

「下手をすれば、卒業も危ないぞ」

 と言われるくらいまでになっていた。

 何とか卒業はできたが、それから数十年経っても、まだその時のことを悪夢として定期的に見るくらいなので、どれだけ悲惨だったかということを思い出させるのである。

 今までも成績が悪かったことはあったが、大学のs乙業の時ほど危ないと思ったことはない。

受験も経験して、あの時も精神的にはかなりまいっていたはずなのに、後から夢に出てくることはあまりなかった。それよりも、大学卒業の時の方が恐ろしかったのは、

「大学は卒業してあたり前」

 という風潮があるからだった。

 外国の場合は日本と違って、

「入学する時よりも卒業する時の方が難しい」

 と言われている。

 だから、日本の大学を卒業できずに留年したりするというのは、あまり恰好のいいことではなく、しかも、せっかく内定した会社もダメだということになる。

 翌年の就活にも大きなマイナスであることは間違いなく、せっかくこれまでうまくいってきた人生が音を立てて崩れていくのを感じたからだ。

 それでも、一年、二年生の頃には、そんなことになるなど想像もしていなかったので、結構遊んでいた。

 バイトも適当にしながら、そのバイト代でパソコンを買った。今のようにノートパソコンを買ったわけではなく、デスクトップのパソコンである。

 しかも、液晶ではなく、ブラウン管を使った端末だ。

 お値段も結構なもので、プリンターなどの周辺機器を合わせて、二十万くらいしたような気がする。

 それでも、領域的には小さなものだった。今では信じられないほどの領域の小ささで、

 ディスクがすべてで、数ギガがいいところだった。今ではUSBメモリに収まるほどであった。

 それを思えばパソコンの普及、発展というものはすごいものである。

 何か新しく爆発的な発明があったというわけではない。それなのに、パソコン、携帯電話から変わったスマホなどとの連携や、細かいマイナーチェンジなどを繰り返して、次第に普及しているというところであろうか。

 前のような、チャットやメッセンジャーを使う人はほとんどいない。パソコンは、どちらかというと、仕事で使うという程度で、若者は、スマホばかりで済ませている。

 交流にしても、LINEで済ませたり、電話代はかけ放題にしていても、LINEで済ませるのだから、面白いものだ。

「背広を着たいい大人が、今は通勤電車などの中で、スマホばかりいじっているが、一体何をしているんだろう?」

 と思ったりもしている。

 昔だったら、つり革を片手に、もう片方で新聞をうまく折りたたんで読んでいたという光景が多かったが。その新聞も、スマホのネットでニュースは見れるので、スマホを見ている人の中には、ニュースをチェックしている人も結構いるだろう。

 しかし、それ以外の人は、SNSと呼ばれる、交流サイトを使って、いろいろ情報を仕入れている人もいるだろうし、ゲームに熱中している人もいることだろう。

 ゲームというのも、オンラインゲームが主流なので、SNS感覚でゲームをしているのではないかと思うと、本当に、

「大の大人が何をやっているんだ」

 と感じてしまうのだ。

 チャットをしたりしてネットで楽しんでいた時代が、社会人になると懐かしい。

 しかし、ネットで仲良くなって、交流をするというのは、ある程度寿命があるのではないかと思うようになった。

「三年が一区切りで、いいところではないだろうか?」

 と感じるのだが、それは、

「チャットから、メッセンジャー、そして、オフ会と、どんどん仲良くなるうちにリアルに近づいていくと、他のネット仲間との確執が問題になってきたりすることで、ぎこちなくなり。元いたチャットの仲間との関係がぎくしゃくしてくるような気がする」

 と思えたのだ。

 そこに、男女あれば、恋愛感情が芽生えたり、親友だと思っていた人に、ちょっとした裏切りだと感じることをされたような気がしたり、ネットにおいて、一度、疑心暗鬼委になってしまyと、なかなかうまく交流していけなくなってしまう。

 リアルな交流に限界を感じ、ネットに走ったのに、今度はネットに限界を感じるようになると、

「またリアルに戻るのか?」

 と考えるようになると、どうしていいのか分からなくなることだって、十分にあるのだった。

 ネットでの友達が、本当にバーチャルであることを知ったのは、ネットで話をしている相手に恋愛感情を抱いてしまったことだった。

「相手も自分に好意を抱いてくれている」

 そんな思いが自分をおかしくしたような気がする。

 リアルでは恋人もできない遠山は、

「ネットでなら、愛し合うことができるかも知れない」

 と真剣に思っていた。

 特に、ネットで仲良くなった人というのは、自分よりも少し年上の人だった。まだ未成年である自分よりも十歳ほど年上の、そろそろ三十を迎えるという人で、既婚者だったのだ。

「私は、二十五歳までに結婚したので、もっと、恋愛とかしたかったなって後悔しているのよ」

 と言っていた。

 実際に結婚した年齢は、二十四歳だったというが、結婚適齢期と言ってもおかしくはないので、決して早すぎるというわけではない。

 しかも、遠山はまだ未成年だったので、その年齢は未経験だ。

「今から五年後の未来なんて、想像できない」

 と、自分が二十四歳になった時のことを想像もできなかった。

 それに、男女の違いだってある。今までに女性と付き合ったこともない遠山に、そんな気遣いができるわけもなかった。

「僕、今まで女の子と付き合ったことないんです」

 と、そのバーチャルの女に言った。

 彼女は、ハンドルネームを「あゆ」と言った。自分も相手に名前で呼ばれた時、ドキドキするだろうということで、ハンドルネームを「よしひこ」と告げていた。

 チャットをしている時から、お互いに意識をしていたような気がする。遠山にしても、彼女の「あゆ」というハンドルネームに憧れのようなものを持っていた。

 最初こそ、彼女が既婚者だと分かると、少し盛り上がりかけてきた気持ちが一度冷めてしまったが、途中からまた戻ってきた。

 だが、その思いがもう一度再燃してきたのは、メッセンジャーで話すようになってからのことだった。

 彼女が、

「ホームページを作りたいと思っているんだけど、なかなか難しくて」

 と言い出したことがきっかけだった。

「じゃあ、僕も作ろうと思っているので、自分のができたら、手伝ってあげよう」

 ということになった。

 それまで、ホームページ作成をしてはみたかったし、勉強もしたかったが、それ以上にチャットをする方がその時は面白かった。

 しかし、この時のあゆとの約束で、それまで中途半端な気持ちだったホームページ作成への意欲が湧いてきたのだ。

「ホームページ作成がこんなにも楽しいなんて」

 という思いと、

「想像以上に難しい」

 というところがあった。

 HTMLという言語は、簡単に作れて、簡単にテストができる。しかし、言語は命令通りにしか動かないのは、他の言語と同じだが、

「どこが悪いから動かないのか?」

 ということを教えてはくれなかった。

 一つ単語が間違っていたり、文章が足りなかったりするだけで、画面が真っ白になってしまって、何も映らないのだ。

 どこが悪くてそうなっているのか分からない。それを調べるには、

「ホームページの作り方」

 などという本を見たりすることで、理解しなければいけないのだが、これが結構難しかったりする。

 一週間くらい、ほぼほぼホームページの研究をして、やっと形になってきた。一回コツをつかんでしまうと、デザインさえしっかりできていれば、そこから先は結構早かった。数日で、ホームページが出来上がったのだ。

 それをアップして、ホームページとして公開したものをあゆに教えると、

「すごいじゃない。本当にできたんだ。ソフトも使わず、自分独自の作品を作れるなんて、本当にすごいわ」

 と言ってくれた。

 その時点で、遠山は有頂天になっていた。

「褒めてもらえて嬉しいよ」

 というと、

「本当に知り敢えてよかった」

 と、あゆは言った。

 メッセンジャーによる文字だけの会話だったが、有頂天になっている遠山は、もう文字だけでは我慢できなくなっていた。

「声が聴きたいな」

 と思い切っていってみたのだった。

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