大団円の意味

森本 晃次

第1話 ネットバーチャル

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年十一月時点のものです。それ以降は未来のお話です。


「ネットバーチャル」

 という書き方をしたが、これは、違和感のある書き方になってしまった。

 そもそも、ネットというものが、バーチャルなので、同じことをもう一度繰り返しているだけで、これだけでは何のことなのか、誰も分からないはずである。

 これは、作者が勝手に作った言葉であり、本来のいいたいことは、

「ネットによる架空恋愛」

 とでもいえばいいのか。

 それを、本当のネットとしての恋愛として捉えると、今はあまりピンとこない人も多いかも知れない。

 ここでいう恋愛というのは、本当の恋愛とは違い、基本的に性的行為が基本である。それも、昔でいうところの

「出会い系」

 というのとも、少し違う。

 いや、行為は違っても、出会い系サイトと呼ばれるところの宣伝に、必ずこのようなものがあったり、逆に、このようなサイトから、出会い系に入れたりというものだったのだ。

 ネットが普及し始めた頃から、今でも続いてはいるが、どこまで流行っているのかは分からない。一種の、

「ネット風俗」

 とでもいえばいいのか、そんなものに嵌っている人も結構いたことだろう。

 ただ今はすたれていても、陰で何とか生き残っているとすれば、今後また流行らないとも限らない。何しろ、ブームや流行というのは、結構繰り返すと言われている、五年周期のものもあれば、十年を超えるくらいの周期のものもある。

「一度人気が出たものは、時代が巡り巡って、また流行り出すものなのだ」

 と言えるのではないだろうか。

 コンセプトカフェなどもそのようである、

 以前に聞いた話では、そのたとえに出てきたのが、

「メイドカフェ」

 であった、

 世紀末くらいから、ネットの普及に伴う形で、ブームがあった。そして、今では形を変えながらも、結構ブームとして残っていたりする。

「大体、五年周期って感じかしら? 店が立て続けにできて、潰れていく。そしてまた出店ラッシュがあるって感じで、だから、五年というと、結構頻繁に思えるわよね」

 と、メイドカフェの店長をしている女の子から聞いた話だった。

 確かに五年を周期というと、店がどんどん下火になっていって、またすぐに出店ラッシュになるということなのか、それとも、出店してから、一年か二年で、ほとんどの店が消えていくということなのか。

 普通に考えれば、怖くて出店などできないものだろう。店を出しても、すぐに客が来なければ閉めることになる。それだけ、自転車操業で、閉め時が早く、見切りをつけないと、ズルズルと深みにはまってしまうということなのかも知れない。

 だが、これだけ出店ラッシュがここまで続くということは、

「ある程度儲けたら、すぐに撤退して、次を探す」

 ということなのだろうか?

 だが、そんな雰囲気も感じられない。どちらかというと、店の雰囲気を見ていると、どう考えても実業家や、商売のうまい人が経営しているようには思えない。

 つまりは、

「とにかく何か店を出したいが、今は、メイドカフェがブームなので、それに乗っかろう」

 という程度のことしか考えられない人が多いということなのだろうか?

 メイドカフェというものは、確かに、潰れては新しくできているような気がする。特に、都会の中で、一部地域に集中しているのは、風景法によるものなのか、それとも、都道府県の条例によるものなのか、さては、そんなものとは関係なく、ただ単に、似たような場所にあるだけなのかであるが、確かに条例のところもあるだろうが、ほとんどは、最後の説ではないだろうか。

 つまりは、

「メイドカフェが潰れて、その跡地に、また違うメイドカフェが入る」

 という形であろうか。

 ただ、ブームと言っても、少しずつ変化していたりする。

 昔のように、

「萌え萌えキュンキュン」

 という店ばかりではなく、客が入りやすいように、あまり派手な店構えではない雰囲気にしてみたり、動物、例えばフクロウだったり、爬虫類だったりというペット系(?)のものを集めてみたりと、かなりヲタクを意識させないような店構えのところも多いだろう。

 さらに、メイドカフェも増えてくると、その店ごとに特徴があったりする。

「食事のおいしいお店」

 であったり、

「紅茶の種類が豊富で、イギリス風のお店をコンセプトにしてみたり」

 そう、メイドカフェというのは、コンセプトカフェなのだ。

 特に面白いお店がある。

 メイドカフェというわけではなく、コンセプトカフェというお店である。ただ、コンセプトカフェというものが、サブカルチャーと結びついてくることで、

「広義の意味で、メイドカフェと同じ立ち位置」

 と言われるようになっているとも聞いている。

 そのお店は、できてから、五年とちょっとくらいであるが、お店としては、

「医療施設を模した造り」

 になっている。

 メニューも、医薬品を模していたり、出てくる容器も、膿盆だったり、ビーカーだったりと、いかにも医療施設系である。

 しかし、本当のこのお店のコンセプトはそうではない。

 このお店というのは、

「喫茶、ギャラリー」

 となっている、

 つまりは、喫茶店でありながら、壁は一部の場所を開放し、

「作品を発表したいと思っている芸術家に、場所を提供する」

 ということである。

 特に最近では、(昔からかも知れないが)絵を描く人が増えていて、

「どこかに場所があれば、発表したい」

 と思っている人も少なくはないだろう。

 そんな人たちのために、会場を提供しているということである。

 街中にもギャラリーっぽいところはあるが、なかなか喫茶店と一緒になっているようなところも少なかったりする。そういう意味で、喫茶店を利用する人と、さらには、サブカルーに興味を持っている人が募る場所として注目していると、結構見てくれる人も多かったりする。

 そして、さらに、

「自分も発表したい」

 という人が増えてくると、賑わいを示すというものだ。

 経営がうまくいっているかどうかは定かではないが、作品を発表したいと思っている人、さらに、芸術家と親しくなりたいなどと思っている人にとっては、実に貴重な場所だといえるであろう。

 ただ、一度、例の世界的な訳の分からない伝染病によって、世界経済が混乱していた頃、一度、

「閉店を考えている」

 という告知を出すと、

「店を救済する」

 という意味で、ネットで盛り上がったり、クラウドファンディングにも参加する人が結構いたりして、その時の閉店は思いとどまったようだった。

 それだけ、サブカルチャーに興味のある人が多いということでもあり、コンセプトカフェもバカにするものではないだろう。

「二十一世紀というのは、そんな時代なのかも知れない」

 と感じた。

 そして、二十一世紀に入ると、世紀末から続く、ネットの普及、さらには、携帯電話の爆発的な普及によって、バーチャルでいろいろなことができるようになった。

 最初は、ホームページの文化であり、いろいろなプロバイダーが、ホームページのエリアを契約者に貸し出して、ホームページを作れる環境を与えてくれていた。

 あまり詳しくない人は、自分でホームページを作るということをしないだろう。

 というよりも、ホームおえーじというのは、それぞれにコンセプトというものが必要である。

 ホームページ作成というのも、方法はいくつかあり、一つは、ホームページの作成ソフトを、電器屋さんで買ってきて、それを元に作成するという方法、もう一つは、ホームページ用の言語を勉強し、自分の作りたいものを、自由に作成するという方法。もう一つは、プロバイダーが持っているホームページのテンプレートを使って、部品をリンクする形で作成するという三つの方法が、一般的だろう。

 それぞれに、メリットデメリットが存在する。

 例えば、一つ目は、自由に作ることはできるが、お金がどうしてもかかってしまう。二つ目も自由に作ることはできて、お金はかからないが、言語の勉強から始めなければならず、とにかく時間がかかってしまう。

 三つ目は、お金はかからないし、簡易にできるので、時間もかからない。しかし、自分が作りたいと思っているものが本当にできるかというのは疑問である。

 ホームページを作るというのは、一種の、

「個性の発表」

 と言ってもいいだろう。

 自分の好きなもの、あるいは芸術的なものを嗜好していて、それを発表したいと思っている人が作るものではないだろうか。

 そうなると、最後のものは、

「自分の作品を発表する」

 という意味では少し難しい。

 掲示板や日記くらいはあっても、そこに、果たして画像が張り付けられるかどうかも難しい。特に、画像のように、領域の大きなものは、当時のように個人に割り当てられる領域は結構少なかった。それを思えば、実践的ではない。

 しかし、プロバイダーによっては、フリーであっても、

「領域無制限」

 というところもあった。

 ただし、そのようなサイトは、利益を出すために、どうしても、広告収入が大切であり、サイトを開いた瞬間、広告がたくさんポップアップしてくるという問題もあった。

 ポップアップに関しては、パソコンのOSが進化していくうちに、

「ポップアップブロック」

 のような機能が、ブラウザにできたことで解消はされたが、皮肉なことに、その頃には、ホームページのブームは去ってしまっていた。

 話は逸れたが、ホームページを作るのに、一つ目も二つ目も基本は同じである。ソフトを使ったとしても、基本的に最低限覚えておかなければいけない言語くらいは存在する。

 そういう意味では、ソフトを使わずに作っている人は、

「他の人の作成している言語のソースを、必要なところだけコピーして、利用する」

 という方法もある。

 実は一番これが楽だったりもする。確かにソフトは、いろいろな機能があって楽ではあるが、基本はすべて一からになる。そういう意味で、コンセプトとなる画像やテキストファイルができあがっていれば、それを、HTML形式にしておいて、リンクを張ることで、発表した作品に飛ぶことができる。

 つまり、ホームページというのは、トップページを作っておけば、そこから、掲示板や日記、そして、友達サイトの紹介や、自分のコンセプトになる作品の発表ページと、それぞれのメニューをトップページに作っておいて、そこからリンクで飛べるようにするということが基本なのだ。

 それを分かっていれば、言語の種類も知れている。そういう意味でも、お金のかからないという利点もある二つ目が一番いいのではないかと思う人も結構いるような気がする。

 その時も感じたのだが、

「結構、絵やマンガを描く人って多いんだな」

 と思った。

 ホームページを作る人というのは、友達との交流という人が一番多いとは思うが、実際に自分の作品を公表する人も結構いる。

 その中で一番多いのは、絵を描いている人が結構いるのだ。

 そんな人は、自分の作品をアイコンにしたり、ボタンにしたり、バナーにしたりしていた。

 友達が、

「ホームページを作りたい」

 と言ってくれば、その人のために、自分の作品で、バナーやボタン、アイコンを提供するというような交流も行われていて、結構、お互いにいいものができたりするのだった。

 ホームページのブームというと、ちょうど、世紀末から、世紀を超える数年くらいではなかっただろうか。

 途中から、違うものが流行り出して、次第にホームページというものが、すたれていったような気がする。

 もちろん、会社や公共の宣伝に使われている企業のホームページが消えるようなことはなかったが、個人で作成するホームページはピーク時は短く、さらに、あっという間に次のものにとって代わられたという形になってしまったのは、今から考えても寂しい限りであった。

 登場してきたのは、

「ブログ」

 と呼ばれるもので、基本的には、日記というものである。

 一つのサイトが不特定多数に、日記を書くスペースを与える。そして、それぞれを検索できるようにして、コミュニケーションを深めてもらうというものである。

 しいていえば、

「ブログという大きなホームページがあって、個人個人の日記が、コンテンツになっているというイメージ」

 である。

 つまりは、コンセプトは交流であり、その手段として、日記を利用するというものだ。

 ホームページを舞台に活躍してきたネット民と呼ばれる人たちが、簡単にブログに乗り換えることができたのだろうか?

 あくまでも、自分の作品をアップするということを目的にしていた人にとっては、許容しがたいものである。

「自分の作品を発表できなければ、ネットの意味がない」

 と思う人もたくさんいただろう。

 確かに、交流目的で、プロバイダーのホームページのテンプレートで作成していた人にとっては、ブログはさほど変わりのないものなので、違和感はないだろうが、あくまでも、コンセプトを作品発表だと思っている人には、ブログは許容できないのではないだろうか。

 それを機会にネットから遠ざかっていく人も少なくはないだろうし、実際に、

「仕事以外ではパソコンを使わなくなった」

 という人も少なくはない。

 このブログの時代もさほど長くはなかったような気がする。

 それこそ、数年の命で、それ以降出てきたのが、ツイッターと呼ばれる、

「つぶやき」

 であった。

 これは今でも残っていて、いや、発展しているといってもいいかも知れない。

 さらに、趣旨が少し離れるかも知れないが、動画の背信という、

「ユーチューブ」

 なるものが出てきた。

 しかも、このユーチューブは、これ自体が金儲けになるということで、視聴回数を争うために、警察沙汰になることも少なくはなく、

「迷惑ユーチューバ―」

 や、本当の犯罪者を生んだりしたのも、一つの時代の象徴だといえるのだろうか。

 また、ホームページが流行っていた時代、チャットがブームだったというのは、皆知っているだろうか。

 チャットというと、一つのホームページから、それぞれの集団、例えば年齢別、地域別、さらには、趣味別、などというコンセプトごとに部屋があり。そこに入室する形で、会話ができるというものだった。

 ホームページと違い、リアルで全国、いや、全世界どこからでもアクセスできて、文字で会話できるという画期的なものがあったのだ。

 そこで仲良くなった人たちが、またホームページでつながるというのが、この時代の醍醐味であり、地域のよっては、リアルでも会ったりして、いわゆる。。

「オフ会」

 というものが実現したりしていた。

 今から思えば、

「この頃が一番懐かしい」

 と思っている人も結構いるだろう。

 チャットをしていると、全国いろいろなところの人と知り合いになれる。さらに、

「ホームページを作りたいと思うんだけど」

 という話を聞くと、

「一緒に作ろうか?」

 ということで、親密になるが、ただ、その会話を皆が一緒のチャットではなかなかできない、

 そのために、ちょうどその頃には、パソコンで、メッセンジャーというものができていた。

 今でも活用されているものであるが、要するにお互いにツーショットでリアルに会話ができるというもので、ファイルの送信もできたりするので、実に便利がよかった。

 今では、スマホの中にある、LINEのようなものになるのだろうが、メッセンジャーを使うと、他の何も知らない第三者に個人情報を知られることもないのだ。

 第三者の中には善意の人ばかりではなく、悪意の第三者もたくさんいるだろう。ネットの世界では、悪意の人の方が圧倒的に多いのかも知れない。

 いや、目立つのが悪意の人なので、悪意ばかりに見えるが、本当は善意の人も結構いるのだろう。

 本当にいろいろな人がいたものだった。

 一番多かったのは、皆との交流を目的にする人だろうが、コンセプトがしっかりしている人であれば、絵を描く人、写真を撮って、それをアップする人、いわゆる旅行記のようなものにする人、その人たちの中には結構老人もいたりして、

「老後の人生設計の一部」

 とばかりに、ホームページを作成し、自分の人生の集大成のようなものにしたいと思っている人もいることだろう。

 何しろ、フリーで作ることできる。

 ただ、写真などの画像ともなると、どうしても有料のサイトになるだろうが、有料であっても、それなりに、サービスも行き届いていたり、検索に掛かりやすいような仕掛けもあったりする。

 今のユーチューブなどに見られる、

「いいね」

 というのが、昔のホームページでいえば、アクセスカウンターの数字だったりするのだ。

 だから、昔のホームページには、必ずと言っていいほど、アクセスカウンターがついている。

 累計に、一か月単位。そして一日単位と三つを表示するような仕掛けもあったり、管理人にだけ分かるような、閲覧履歴を見ることもできる。

 つまりは、そこのサイトから来たのかということであったり、IPが分かったりするのだった。

 また、アクセスカウンターと一口に言っても、その集計方法にはいろいろある。

 誰であっても、このサイトを開いた場合に、必ずカウントするというもの。この場合は、更新ボタンを押したり、違うコンテンツを開いただけで、カウントされるものがあったりする。

 また、もう一つは、前に入った人のIPを覚えていて、同じ人が何度もアクセスしても、カウントされないというものだ。

 この場合は他の人がアクセスすると、その人にカウントされ、次の瞬間自分が見れば、カウンターが一つ以上増える形でカウントされたりする。

 もう一つとしては、入ったIPをすべて覚えていて、ある一定の時間、例えば六時間の間にアクセスすれば、カウントしないというものである。その時は最初に入ってから六時間が経過した時点で、記憶は解除されるので、カウントし、またそこから六時間という仕掛けである。

 この三つが、カウンターの計算方法なのだろうが、一番信憑性があるのが、三つ目であろう。

 一番カウンターとしてあてにならないのが、最初のもので、下手をすれば、あっという間に一万アクセスを超えたりするというものである。

 二番目のやつは、信憑性がありそうだが、あくまでも、カウンターの上がる上がらないは、他人任せであり、一人他人が入っただけで、前の人のアクセスの記憶がクリアになるというのも、どうかと思う。

 しかし、それでも、

「のべ何人が見たのか?」

 ということであれば、信憑性がありそうに思うが、三つ目にはかなわないだろう。

 ホームページにおいての命綱であり、その評価に値するものとすれば、アクセスカウンターが一番であろう。そう思うと、その計算方法をシビアに考えるのも当たり前のことで、慎重に選ぶ必要もあるが、最初から決まっているような気もする。

「あまり、カウントが一気に上がるのも困るが、まったく動かないのも困る」

 という意味で、

「前半が最初の計算方法、後半が二番目と考えると、やはり、最後の方法が一番の信憑性を感じる」

 と言っていいだろう。

 さて、そんなホームページを一緒に作ろうとして、チャットで仲良くなった人とメッセンジャーで会話をするようになると、次第に、メッセンジャーで会話をする人も増えてくる。そうなると、

「チャットで話をするというのも、何か面倒臭い気もするな」

 という感覚になるのではないだろうか。

 確かに世間話をするという思いと、新しい友達を作りたいという思いであれば、オープンチャットの方がいいのだろうが、そうでなければ、メッセンジャーが楽でいいに決まっている。

 だが、なかなかオープンチャットから抜けられない自分がいた。やはりそれは、

「今日はどんな人が新しく入ってくるかな?」

 という思いがあるからである。

 自分もそうだったが、最初に入ってきた人は、ある意味、迷い込んだような感覚で、漂流者のように思える。

 完全に、先住民の皆さんにいろいろ教えてもらいながら、感謝する。

 先住民も感謝をされて嬉しくないわけもない。自分がベテランになったかのように感じるのも、悪くないものだ。

 特に、自分が最初に迷い込んだ時はどうだっただろう?

 話しかけてくれて、いろいろ教えてくれる人が、まるで神様のように思えなかっただろうか?

 何でも知っていて、自分が知らないことを教えてもらえる。

 しかも、当時はネットというと、やっと流行り出した頃で、まだまだ未知のことが多かった時代。

 それをいろいろ知っているというだけで、

「この人すごいんだ」

 と、感じたのが、まるで昨日のことのようではないか。

 それが今では、ホームページを自分で作れるくらいにまでなったなど、自分でも信じられないくらいである。

 新しい人がネットに入ってくると、自分は先生であり、そんな時、他にたくさん人がいないことを願っていた。なぜなら、主導権を握った人が、その人にとっての、

「先生」

 になるからだ。

 しかし、これも難しいところで、ネットに入ってきた人は、次また自分と一緒になれるかどうか分からない。その人が二回目に入った時、もっと自分よりも詳しい人であって、その人からいろいろ教わることで、立場が逆転してしまわないとも限らない。

 もっとも、簡単に師匠を変えてしまうような人は、

「そんな相手から師匠と思われるのも、心外だ」

 というくらいに、思えていれば、変なショックは受けないで済む。

 しかし、ショックを受けるというのは、ネットの世界の中にいると、避けては通れないもので、そんな苦労も知らずに生きていると、何かがあった時に、立ち直れないということだってあるだろう。

 しかも、現実世界とは明らかに違う世界である。

 そもそも、ネットに迷い込んだといっても、ネットに入り込むだけの何らかの理由があるからであって、一番の理由は、現実世界に対して失望してしまったりしたことが原因だったりすることもあるのではないだろうか。

 だから、ネットの世界で優しくされたり、悩みを聞いてもらえたりすることが気持ちよくて、その居心地の良さから、どんどんネットに嵌っていくのだろう。

 何といっても、ネットでは顔が見えるわけでも、誰なのかということも分からない。

 だから、チャットなどで話ながら、

「この人はこういう人なんだ」

 と自分で妄想し、勝手にその人を自分で作り上げる。

 そんな状態で、実際にどんな顔をしているのかということを知ってしまうと、ひょっとすると、失望してしまうかも知れない。

 しかし、人によっては逆に、

「自分の想像と違っていた場合は、その人が自分の想像よりも数段上だったことで、妄想ができなかったのだ」

 というポジティブな考え方になってしまって、

「妄想が違っても、それはそれで楽しい」

 と感じるネットの世界から離れられなくなっていくものなのだろう。

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