第73話 あ、いたい

 「あー、いってぇー」


 天気は曇り。平日の今日、俺は生徒会室で仕事しながら、そんなことをぼやいていた。球技大会後、生徒会は束の間の休息を得ることになったが、それでも細かな仕事はある。


 例えば、球技大会の振り返りを忘れないうちにやって、次回のイベントの糧にしたり、先生たちから雑事を任されたり、どっかの部活が活動中に学校の備品を壊したら、現場にかけつけないといけなかったり......と色々だ。


 だがまぁそこまでやることが多いわけじゃない。こうして放課後の今に、生徒会室に来て、マイペースに進めるくらいである。


 ちなみにこの生徒会室には俺以外誰もない、そう思っていたときだ。


 不意にドアがノックされる音が聞こえてきて、俺は入口の方を見やる。この部屋に入ってきたのは生徒会役員のヨシヨシと芽衣ちゃんだ。


 「おちゅ......お、お疲れ様です、会長」


 「あれ、会長一人だけですか」


 可愛らしく噛んだのは芽衣ちゃん。特に部活に所属していない彼女は制服姿でこの場にやって来た。


 ヨシヨシは部活の途中なのかわからないが、ジャージ姿で手ぶらだった。ちなみに彼が所属しているのは陸上部である。


 「うん。俺だけ。二人は何しに来たの?」


 と、俺は二人に聞く。本日、生徒会は集まる予定は無いからだ。


 俺? 俺はなんとなくだ。今日の彼女当番の陽菜は友人と遊びに行っちゃったし、やることないから来た、みたいな感じ。


 俺の問いにヨシヨシが俺の後方の窓を指差して答える。


 「今日集まる予定が無かったのはわかってますが、窓が開いていたので気になって......つい」


 「ああ、それで部活中に確認しに来たのか」


 「ええ。前回集まったとき、戸締まりを行ったのは僕なので」


 「それくらい、ラインで聞いてくれればいいのに。暑かったから開けちゃったよ」


 「あと会長に会いたかったから」


 おっと。今、彼はぼそりと聞き捨てならないことを言っていた気がしたが、無視しよう。


 大丈夫、俺はこの学校を卒業すれば、無事に貞操を卒業させずに済むはずだから。


 俺はヨシヨシを他所に、今度は芽衣ちゃんに聞く。


 「芽衣ちゃんは?」


 「私は暇だったのでなんとなく。べ、別に会長に会いに来たとかではないので」


 おい。俺がせっかくヨシヨシのセリフを無視したのに拾うなよ。


 しかもどっかのポニ子を思わせるツンデレなんかしちゃってさ。もう今はやってないけど。


 「そう。特にやることは無いから、帰っても大丈夫だよ。ヨシヨシは部活頑張ってね」


 「そう......ですか。わかりました。部活に戻ります」


 「うんうん」


 「あ、会長」


 「うん?」


 「僕は部活動で夜まで居ます。もしアレでしたら、部長には生徒会の仕事があると言えば小一時間くらい時間を作れますから」


 うーん、“アレ”ってなんだろうね。その一時間でナニする気だろうね。


 大丈夫、指名しないから、早く出てって。


 さっきから鳥肌がやべぇーんだよ。


 「では、僕はこれで。連絡待ってます」


 「「......。」」


 俺らはこの部屋を後にするヨシヨシを見送った。


 怖いよな、人畜無害だと思っていた後輩が、実は野獣だったなんて。


 俺がそんなことを思っていると、芽衣ちゃんが俺のことをじーと見つめていることに気づく。


 「?」


 「い、いえ。特にすることがなければ、勉強してますね。テスト近いので」


 勉強するなら家とか図書室では?


 と思ってしまったが、人が何か物事に集中できる空間とは人によって様々だ。


 家じゃやる気スイッチ入らなくて勉強が進まないとか、図書室は静かだが、テスト期間が近づくに連れ、この時期はそれなりに人が居て集中できないとか。


 そう考えると、生徒会室って穴場だよな。


 俺は見た目と性格に反して勉強熱心な後輩に対し、笑顔で頷いて答えた。


 「そっか。何かわからないことあったら聞いてね? 一応、そこそこ成績良いから、芽依ちゃんの力になれると思うよ」


 「っ?! そ、そういうのやめてください」


 「あ、はい」


 一丁前に先輩面したのがいけなかったのだろうか。芽衣ちゃんはやや赤面するほどお怒りでいらっしゃる。


 ということで、俺らは生徒会室でそれぞれの作業に入った。


 しばらくして、俺は半ば口癖となってしまったことを言ってしまう。


 「いて」


 「?」


 芽衣ちゃんが同じ空間に居るというのに、つい指先に走った痛みで俺は彼女の勉強の邪魔をしてしまった。


 俺は苦笑しながら言う。


 「いや、ちょっとひょう疽になっちゃってさ」


 「“ひょう疽”?」


 と単語の意味を知らなかったようなので、俺は彼女に左手の中指を見せる。


 俺の中指の先端部分は熟したトマトのように赤く腫れて炎症している。そしてその一部、皮膚が茹でた枝豆の如く綺麗な緑色になっていた。うん、農家らしい表現できて嬉しい。


 芽衣ちゃんが俺のその指を見て目を見開く。


 「うわ、なんか気色悪い色ですね......。あ、会長が気色悪いって言ってるわけじゃありませんので」


 うん、わかってる。


 「これ、ひょう疽って言ってさ。指先を何かの拍子に傷つけちゃって、その傷口から細菌が入ると、こうして緑色の膿ができちゃうんだ」


 「な、なるほど」


 「これが地味に痛くてさー」


 ひょう疽になることは偶にある。昔、同じくひょう疽になったときに親に聞いたら、針かなんかで傷口に刺して膿を出した後に、薬塗れば大丈夫だよ、と言われたので、それ通りにしたらすぐに治った。


 でもそのときは親にやってもらったのだ。針を指先に刺して、そこに溜まった膿を出してもらったのは。


 今回も親にやってもらいたいとこだが、生憎と両親は単身赴任で家に居ないし、陽菜ママが俺んちに来るのは夜遅くだから、それまで我慢しないといけない。


 「針で刺して膿を出さないといけないんですか?」


 「うーん。膿を出した方が早く治った気がするんだよね。今朝から薬を塗ることしかしてないけど、まだ痛いし」


 「たしかに痛そうですね。保健室に行けばいいじゃないですか」


 「やだよ。田所ちゃんにやらせたら、絶対日頃の恨みで弄ばれる」


 「ど、独身女性をからかうからですよ......」


 どうしたものかと困っていたら、芽衣ちゃんがバッグからごそごそと何かを取り出して、それを俺の方へと持ってきた。可愛らしいデザインの小さな四角いポーチだ。


 「なにそれ? ナプキンを入れるやつ?」


 「会長ってナチュラルにセクハラしますよね......」


 ご、ごめんて。免疫無い人にはキツいの忘れてた。


 芽衣ちゃんはそのポーチの中から色々と取り出して机の上に広げ、ポーチよりも小さなケースを手にとって、その中から裁縫用の針を取り出した。


 え、針?


 「は、針なんか持ち歩いているの?」


 「ええ。あると便利ですよ」


 あ、ああー。


 そう言えば以前、俺は陽菜が外出する際、コンドームを持ち歩いていることを知った。本人に事情を聞くと、「和馬がエッチしたくなったら、すぐにできるように」とのこと。


 なんて彼氏思いな彼女なんだろう。


 でも悲しきかな。そのコンドームには小さな、そう、部屋の明りに照らしてやっとわかるような小さな穴が開いていたのだ。


 おかしいね。俺が知ってるコンドームには穴なんて開いてないのに。


 本人から事情は聞かなかった。色々と察しちゃって、怖くて聞けなかったのだ。


 で、そんな陽菜のバッグの中には、裁縫セットもあった。


 なるほどね。うん。


 俺は芽衣ちゃんが針を持ち歩く理由を聞かないようにした。


 「会長、私がその膿を出して上げます」


 「え゛」

 

 「自分でやるのが怖かったんですよね。なら私がやってあげます」


 え、ええー。


 でもまぁ、一応、塗り薬と絆創膏はあるからできないことはないな。


 なんか芽衣ちゃんもやる気になってるし。


 ということで、俺は彼女の厚意に甘えて、金玉に溜まった精液を出してもらうことになった。


 じゃなくて!!


 指先に溜まった膿を出してもらうこと!


 言い間違いじゃ済まされないレベルの内心セクハラしちゃったよ。でも今日のセクハラノルマが足りてないのが悪いよね。うん。

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