第70話 ミイラ取りがミイラになる

 「ええ?! 俺が浮気してるって疑われていたの?!」


 夜の静かな家庭菜園にて、雇い主の驚愕の声が響く。


 現在、俺は雇い主に諸々の事情を説明していた。


 中村家女性陣が夜な夜な一人で出かける雇い主を怪しく思い、浮気を疑っていたこと。


 真由美さんが思い詰めていたこと。


 三姉妹が俺を使って、雇い主を尾行させていたこと。


 それらを聞いて、雇い主の顔が真っ青になる。


 「そ、そんな風に思われていたなんて......」


 「そりゃあ夜に飯も食わずに家出て、朝帰ってたら疑いますよ」


 「い、いやでも......俺だよ? 自分で言うのもなんだけど、真由美にべったりの俺が」


 「自分もそう思っていましたが、女ってそういう生き物なんすよ」


 「童貞が女を語ってどうするんだ」


 はっ倒すぞ。


 雇い主は俺の全身黒タイツを頭から足の爪先まで再度見て話を続ける。


 「うーん、とりあえず電話して謝った方がいいよね」


 「甘いですね。直接会って謝った方がいいですよ」


 「え、こういうのは早く安心させた方がいいんじゃないの?」


 「そうですけど、俺の経験上、電話で済ませると却って怒らせてしまう原因になりかねないんですよ」


 「な、なるほど。伊達に三股している男じゃないね」


 はっ倒すぞ。


 雇い主は俺の全身タイツ姿をまた見て話を続ける。


 なんか文句あんなら言えよ。見るだけ見て触れないのが腹立つわ。


 「というか、なんでそんな格好してるの?」


 「やっさんを尾行してるのがバレても正体を隠すためです」


 「あ、ああ。なるほど。にしてもその......もうちょっと他に変装のしようがあったでしょ......」


 「......。」


 末っ子に言ってくれ......。


 雇い主は落ち込んだ様子で伸び切ったうどんを見つめた。


 「はぁ。特に何も言ってこないから、俺のことなんか気にしてないと思ってた」


 「ああー、まぁ、まさか浮気を心配されているとは思いませんよね」


 「ああ。こう言っちゃ悪いけど心外だね。俺が日頃どれだけ家族を愛しているのか、まるで理解してないってことじゃん」


 「逆ギレしないでくださいよ? どっちにしろ、特にでかける理由を話さなかったやっさんが悪いんですから」


 「それはそうだけど......」


 「てか、なんで言わなかったんですか?」


 「うーん。隠しておきたかったわけじゃないけど、ほら、このキャンプグッズを見てよ。無駄遣いしてるって怒られそうじゃん」


 「あ、ああー。俺も男ですから、こういうアウトドアの楽しみ方に惹かれる気持ちはわかります」


 「でしょ! やっぱそうだよね!」


 「でもあの人たちに黙ってたのはマズいっすよ」


 「うっ。そりゃあ聞かれたら話すつもりだったけど......。疑う前にまずは直接聞いてほしいね! 俺の気持ちとしては!」


「わからなくもありませんが」


 「ああー、そう考えるとむしゃくしゃしてきた。こんな変態かスパイかわからない人を送り込んできてさ、酷いもんだよ」


 おい、和馬さんだって好きでこんなことしてんじゃないんだぞ。


 俺が溜息を吐いていると、雇い主はなにやらまた金網の上に鍋焼きうどんを置いた。


 「あの、何してるんですか?」


 「いやなに、高橋君にもキャンプの楽しさを教えてあげようと思ってね」


 「いや、結構ですって。状況わかってますか? 浮気疑われてんですよ? 早く家に帰った方がいいですって」


 「いいのいいの。真由美一筋で生きてきた俺を疑うなんて呆れてものも言えないね」


 え、ええー。早く帰ろうよ。俺も怒られるって......。


 雇い主は俺のためにもう一つあった折り畳み式の椅子を取り出して展開し、俺にそこに座れと言ってくる。


 し、仕方ない。ここは言うこと聞いて、時間をかけて雇い主を説得しよう。


 時間をかけて、ね。


 「あ、そろそろうどん食べられそう。はい、割箸」


 「あ、すみません。いただいちゃっていいんですか?」


 「いいよ。まだたくさんあるからね」


 「では......いただきます」


 時間をかけて説得すればいい。


 「うお!! うめぇ!」


 「でしょう? 家で食べるのとまた違う美味しさがあるんだよね〜」


 『プシッ』


 「あ、やっさん、ビール飲んじゃうんですか」


 「これがキャンプする本当の目的だよ(笑)」


 そう、時間をかけて。


 「このナイフなんでも切れますね! 太い木も切れるし! 楽しい!!」


 「はは。無人島に何か一つ持っていけるとしたら、ナイフという回答が多い理由わかった?」


 時間をかけて。うん。


 俺はミイラ取りがミイラになることを体現するのであった。



 *******

 〜千沙の視点〜

 *******



 「兄さんからの連絡が......途絶えました」


 「うそ......」


 「そんな......」


 私たち三姉妹は、お父さんの浮気を疑って、サンマタスパイこと兄さんを尾行役として送り込んだのですが、その兄さんから連絡が来なくなりました。


 姉さんが焦燥に満ちた声で言います。


 「か、カズ君から連絡無いって......電話切ったってこと?」


 「わかりません。なんか言葉の途中で切れた感じでした」


 「電池が切れたってことかしら?」


 かもしれませんね......。


 兄さんのスマホのGPSを見れば、道の途中で止まっているので、スマホの電源を切ったか、電池が切れたか、将又GPSの機能をオフにしたのか、のどれかな気がします。


 が、ここで病んだお母さんが口を開きます。お母さんの瞳は全てに絶望したかのように虚ろでした。


 「泣き虫さんもあの人に唆されたってことよ。尾行に気づかれてね」


 「「「え゛」」」


 「あの人は浮気じゃなくて、きっとエッチなお店に通ってたんだわ。それで泣き虫さんの存在に気づいて、口止めとして一緒にそのお店に入って行ったのよ」


 「そ、そんな! カズ君は未成年だよ!」


 「で、ですが兄さんの見た目はガタイの良さもあって、やや大人びて見えますから、店に入ることはできるかもしれません」


 すると陽菜がお母さんと同じく、光を失った瞳で言ってきました。


 「和馬がえっちなお店に? はは。なにそれ。笑えないんですけど。私が居るのに、そういうお店に入るってどういう了見かしら」


 「「ひっ」」


 末っ子のただならぬ殺気に、私と姉さんは互いに抱き合いました。


 こ、怖......。お母さんの血を濃く受け継いでますよ、この子。


 「ど、どうしよ。千沙、試しに電話してよ」


 「え、こっちから電話するんですか? 当初の予定通り尾行してて、このまま通話を続けるのはよくないって思った兄さんが通話を切ったのかもしれませんよ?」


 「たしかに作戦が水の泡になる可能性もあるけど......カズ君がえっちなお店に行っている方が心配だよ」


 「す、少しは兄さんを信じましょうよ。あの兄さんですよ?」


 「あのカズ君だからだよ!」


 ひ、酷い言われ様。それを兄さんが聞いたら泣きますよ......。


 お父さんを疑うだけではなく、兄さんまで疑い始めるなんてどうかしてます。


 私は兄さんに限ってそんなことするはず無いと思っていますが、姉さんや陽菜はすごく不安そうにしてますし、お母さんは包丁を手にしてますし......。


 うぇ?!! 包丁?!


 「ちょ、お母さん!! なんで包丁なんか持ってるんですか!!」


 「止めないで、千沙。お母さんはあの人のをちょん切らないと気が済まないの」


 「待って! 陽菜も何持ってるの?! その鋏を置いて!」


 「止めないで、葵姉。私は和馬の和馬をちょん切らないと気がすまないの」


 ああもう! 兄さん、早く帰ってきてください!!

 

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