第69話 こちら、サンマタスパイです、どうぞ

 『こちらイモウトスパイです。父さんが家を出ました。どうぞ』


 「こちらサンマタスパイ。了解。どうぞ」


 ねぇ、なにこれ。なんなの。


 現在、俺――じゃなくて、コードネーム“サンマタスパイ”は、雇い主を尾行するため、中村家の中庭にある物陰に隠れていた。


 今の俺は先日、陽菜から渡された服に着替えていて、頭から爪先まで全身真っ黒なタイツ姿であった。


 ピチピチすぎて、身体のラインがはっきりしてるし、息子もくっきりもっこりだ。


 もちろん、顔も正体がバレないように変装している。口元を隠すマスクとかね。


 こんな奴、公衆の面前に居たら通報待った無しなんだけど、ちゃんと事情はある。


 さっきも言ったように、雇い主を尾行するためだ。


 なんで雇い主を尾行するのかって?


 雇い主に浮気疑惑がかけられているからだ。


 なんで全身タイツ姿かって?


 俺が聞きたいよ。


 「あ、雇い主、マジで私服姿だ。着替えて今からどこ行くってんだ?」


 正直、こんな格好したくない。常軌を逸している。正気の沙汰じゃないよ。


 でも陽菜が、もしものことがあったら、あんたに迷惑かかるから、と言って渡してきたのだ。


 マジな顔して、な。


 もしものときってなんだよ。通報されたときのことかな。


 まぁ、きっとやっさんに見つかっても、正体が俺ということをバレないようにするためなんだろうけど。


 でも俺がこれをその場で着た時、真由美さんがこう言ってきたんだよ。


 『ねぇ、泣き虫さんはふざけてるの?』


 って。


 理不尽すぎんだろ。これを用意して彼氏に着替えさせた娘を叱れよ。


 で、コードネーム“サンマタスパイ”が生まれたってわけ。酷いコードネームがあったもんだ。


 現在進行形で、スマホで連絡を取り合っている千沙も千沙で、自分のことを“イモウトスパイ”とか言ってたし。


 あいつ、ふざけてんのかな。


 「さてと、今日も行くか」


 と、雇い主が独り言をしながら軽トラに乗り込んだ。


 直後、軽トラのエンジンがかかる瞬間を見計らって、俺は物陰から一気に軽トラの荷台に乗り込んだ。


 もちろん、ドシンッ、とか激しく乗り込まない。シュタッと音を殺して乗り込んだのだ。あと運転手の死角も考えて、ルームミラーに写り込まないようへばり付いた。


 俺、意外とスパイの素質ありそう。


 雇い主がドアの窓を閉めた後、ラジオを点けたことを確認してから、通話の続きを試みる。


 「こちら、“サンマタスパイ”。無事にターゲットの車に侵入できた。どうぞ――」


 『あ、ちょ、姉さん! 私のスマホを返してください!』


 『もう! こんなときに何ふざけてるの!』


 『千沙姉、さすがにおふざけが過ぎるわよ』


 ちょ、ここでいつものグダグダは止めてよ。


 和馬さん、下手したら社会的に死ぬかもしれないんだよ。


 『あ、カズ君、聞こえる?』


 「こちら、“サンマタスパ――」


 『もうそれいいから。真面目にやって』


 「あい......」


 くそう。こんな格好してる時点で真面目もくそもねぇよ。


 『カズ君は引き続き、父さんの尾行をお願い。あまりこちらから話しかけないようにするよ。なんだったら通話を切ってもいいから』


 「わかりました。あと念の為、葵さんがスマホを持つのはやめてください。なんか事故りそうで怖いです」


 『し、失礼な』


 でもあんた本当にやりかねないから、念には念を入れるってやつで。


 俺は軽トラに乗りつつ、状況をこまめに報告した。


 「やっさんは今、烏賊草区の農道を走ってる。目的地はまだわからないな」


 『ね。駅とか街に向かっていると思ったわ』


 「あ、一般道に出たけど、すぐに曲がってまた農道に入った」


 『みたいね。一体どこに向かってるのかしら?』


 「......あの、陽菜さん」


 『?』


 「さっきから気になってたんだけど、もしかして俺の現在地知ってんの?」


 『ええ。もちろん』


 いや、なんで知ってんの。


 着替えさせられた黒タイツには、それらしい機械は付いてなかったぞ。


 「え、ちょ、どういうこと?」


 『何が? あんたのスマホのGPSをこっちで見てるだけよ?』


 「......。」


 こいつ、さも当然のように人の現在地を特定してやがったのか。


 「やっさんにも同じことやれよ。そしたら俺がこんな変態みたいな格好しなくても済んだのに......」


 『変態が服を着て歩いているような人がなに言ってんのよ』


 「いやまぁそうだけどさ」


 『そこは否定してくださいよ、兄さん』


 『でも自分の親の現在地を常に把握するって気が引けるよね......。信頼してないって言ってるようなものだし』


 ねぇ。それ、和馬さんを信用してないってこと?


 ま、まぁいい。別に陽菜に知られたって何も問題は無いしな。


 すると、軽トラはとある場所へと入っていった。


 周りには外灯も無く、軽トラの灯りだけを頼りにやって来た場所は......空き地だ。


 どっかの店とか、誰かの家とかじゃない。


 空き地だ(二回目)。


 その空き地は人目のつかないような場所にあって、今は夜だけど日中はそこまで日当たりが良いって程でもない場所である。なんせ周りには植木とか少し高めの雑木があるからな。


 あれ、てかここ、一回来たことあるような......。


 あ、そうだ。雇い主が管理している雇い主専用の家庭菜園だ。


 農家が家庭菜園を持ってる?とは変な話かもしれないが、実はそのまんまの意味である。


 中村家は各人、家庭菜園を所有しているのだ。市場に出す野菜とは別に、ね。なぜそれぞれ家庭菜園を所有しているのかは、今は置いておこう。


 人によって管理している畑の面積は違うけど、ここは家庭菜園さながらの規模で、六畳間程度だった。


 「これは一体どういうことだ......」


 全く意味がわからない。


 とりあえず、彼女たちに状況を知らせようとスマホに語りかける。


 「なぁ、雇い主が向かった場所なんだが......あ」


 そこで俺はあることに気づき、間の抜けた声を漏らす。


 スマホのバッテリーが切れていたのだ。


 「......。」


 今日、夜、急に呼び出すんだもん。充電してこなかったよ。


 あと陽菜が設定した、リアルタイムでこちらのGPSを特定する機能も中々バッテリーを消費すると思うし。


 うん、俺のせいじゃない。


 「よいしょっと」


 「っ?!」


 雇い主が軽トラの灯りを点けたまま中から出てきたので、俺は慌てて荷台から降りて、軽トラの下へ忍び込んだ。


 スパイっていうか忍者かな、俺。サンマタニンジャ。結局、“三股”か。


 雇い主は俺の存在に気づいた様子も無く、鼻歌交じりに何かの準備に取り掛かった。


 俺はそんな中年野郎を、軽トラの下から観察する。


 ............中年を観察してる時間が人生の中でいっちばん無駄だな。貴重な青春時代に何をしているんだろう、俺は。


 無性に死にたくなるから、冷静に自分を見つめ直すのはやめよう。


 雇い主は自分専用の家庭菜園の隣にある簡易的な造りの物置小屋から、次々にいろんな道具を取り出していった。


 それらを広げ、流れるように作業を進めていく。


 やがて完成したのは――テントだ。


 雇い主はテントの手前にコンクリートブロックを二つ設置し、上に金網を置いて、ブロックの間に火を起こした。それから金網の上に市販の鍋焼きうどんを置いた。


 待つこと数分、雇い主はアウトドア用の折り畳み式の椅子の上に座ってうどんができるのを待っていた。


 時間が来て、雇い主は割り箸を手にしてそのうどんを食べる。


 ちゅるちゅる、ちゅるちゅる、ちゅるちゅると。


 そして雇い主は一つ熱のある息を吐いて、キラキラした目で夜空に浮かぶ星星を見つめる。


 「最高......」


 俺はブチギレた。


 ぬるり。軽トラの下から這い出た俺の姿に気づいた雇い主が驚く。


 「ひぃやぁぁあ! うぇ?! 何?! お化け?! 高橋君?!」


 そら目の前に全身黒タイツの大男が急に現れたら驚くよな。


 でもそんなテンパった中でも、目の前の変質者に対して当てずっぽうで“高橋君”と言うのもどうかと思う。


 普段、雇い主が俺のことをどんな目で見ているのか思い知ったよ。


 俺は口を開く。


 「やっさん、俺です」


 「え?!」


 俺はマスクを取って、明るい場所へ向い、正体を晒した。


 雇い主は開いた口が塞がらないと言った様子で、俺を見つめている。


 しかし彼は目をぱちくりさせながらも言った。


 「へ、変態だぁ......」


 「......。」


 俺は雇い主の下まで向かって、中年のほっぺを抓った。


 「いはい痛いッ!!」


 「あの、あんた何してんすか」


 俺が抓るのを止めると、涙目の中年は頬を擦りながら言う。


 「な、何って、見ての通りキャンプだけど......」


 「......ここ最近、これをやってたんですか?」


 「? うん。これが意外と楽しくてさ。友人に進められてやってみたんだけど、まさかハマっちゃうとはね〜」


 「......。」


 俺は天を仰ぐのであった。

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