第65話 芽衣の視点 恋のキューピッド

 「はぁ。落ち着いたし、戻ろ」


 私、曽根田 芽衣は体育館の裏で、平常心を取り戻していた。原因は生徒会長、高橋 和馬という男子生徒を意識してしまったことによる動揺だ。


 “VS生徒会”というエキシビションマッチで、私たち生徒会チームはバレーボール競技優勝チームに勝利したのだが、その試合直後、私は試合会場を飛び出してしまった。


 会長だ。会長が全部悪い。なんなの、あの笑顔、ズルいよ......。


 「すぅ......はぁ......すぅ......はぁ」


 私は何度か深呼吸を繰り返した。


 大丈夫。今の私は冷静だ。


 早く皆の所に戻ろう。心配させたら申し訳――。


 「あの、大丈夫ですか?」


 「?!?!」


 私は口から心臓が出そうな思いになった。


 変な声が出そうになるのを既のところで堪え、私は今しがた声をかけてきた方を見やる。


 そこには見るからにこの高校の生徒じゃない様相の女の子が立っていた。


 私服姿で、癖っ毛のない黒髪には一部赤色のインナーカラーがあった。なんて可愛らしい子なんだろう。


 首から下げられた入校許可証が風で靡く様を見て、私は思い出した。


 この人は会長の......高橋 和馬の妹だ。


 たしか名前は..................わ、忘れた。


 「あの......」


 「......。」


 いや、正直わからない。


 中村さんが姉と言っていたような気がしないでもないけど、ちゃんと覚えていない。


 ただ少し前に見た会長とこの人のやり取りを見ると、兄妹のそれだったので、きっと中村さんの姉というのは私の勘違いだ。


 「ほ、保健室行きます?」


 「?!」


 すると、目の前の美少女が私の顔を覗き込むようにして、近づいてきたことに気づく。


 うわ、顔小さッ。目大きい。まつ毛長。肌白......。


 って、そうじゃない!!


 「だ、大丈夫です」


 「そうですか。この距離で話しかけても反応が無かったので、日本語が通じないのかと思いましたよ」


 私はどっからどう見ても日本人だと思うんだけど、私の反応が悪かったからいけないので黙っておく。


 彼女はここに来た理由を話してきた。


 「あなた、兄さんたちの試合が終わったら急に飛び出していったので、心配になってついて来ちゃいました」


 「あ、あはは。心配させたようですみません」


 「なんか大丈夫そうですね」


 私は苦笑しながら考える。


 この人、今“兄さん”と言ったよね。


 やっぱり会長の妹なんだ。


 私は気になったので聞いてみることにした。


 「あ、あの、お名前を聞いても......」


 「? ああ、私は中――高橋 千沙です」


 高橋 千沙。やっぱり会長の妹だ。


 一瞬、“中”って聞こえたけど、言い間違いだろう。


 自分の名前を言い間違えるの?なんて疑問を抱いちゃいけない。世の中、両親の都合で名字が変わることもあるんだから。


 高橋さん......千沙さんが私に聞く。


 「あなたは?」


 「私は曽根田 芽衣です。いつも会長にはお世話になってます」


 私はぺこりと頭を下げる。


 会長の妹ということは、彼より年が下ということかな? だとしたら、私と同い年かそれよりも下?


 あれ、でもさっきオープンキャンパスがどうとか言っていたような......。


 ちゃ、ちゃんと話を聞いておくべきだった。


 すると、千沙さんが思いがけないことを言ってきた。


 「あなた......もしかして常識人ですか?」


 この人は一体何を言い出すんだろうか。


 じょ、常識人って......。


 「え、えーと......」


 「いえ、兄さんの周りに居る人ってその......ヤバい人が多いので」


 そ、それはブーメランなのかな? ツッコむべきかな?


 初対面でそんなことを聞かれるのは、私からしたらこの人も十分そっち寄りな気がする。


 私は苦笑しながら「普通ですよ」と適当な返事をした。千沙さんはそんな私に水の入ったペットボトルを渡してきた。


 どうやら本当に私のことを心配してくれていたらしい。


 さっきヤバい人と認識しそうになったことを、私は心の中で全力で謝った。


 なんて優しい人なんだろう。見ず知らずの人間にここまでするなんて......。


 あ、道徳。


 そうだ。きっとこの人の行いはその二文字が当てはまるだろう。


 優しい所は会長に似ているかな、なんて思いながら、私は彼女からペットボトルを受け取った。


 せっかくの厚意だ。ありがたく受け取ろう。


 そんなことを思いながら、私は水を飲む。


 そして千沙さんからとんでもない言葉を貰う。


 「あ、それ余ったら兄さんに返しといてください」


 「ぶふッ!!」


 ん?!?!?!


 この人、今なんて言った?!


 返す?! 誰に?!


 会長?!


 咳き込む私を心配しながら、千沙さんが言う。


 「だ、大丈夫ですか?」


 「けほッ。だ、大丈夫です。それよりこの水って......」


 「え? 兄さんのですけど」


 会長のかぁ......。


 なぜ会長の飲みかけのペットボトルを千沙さんが......。などと私の疑問に気づいた彼女が事情を語った。


 「兄さんに試合前、喉が渇いたので水を貰ったんですよ。本当はばっちぃから嫌だったのですが、ここの高校、どこに自販機があるのかわからなかったので」


 「さ、さいですか......」


 私は今しがた口を付けたペットボトルをじっと見つめた。


 か、会長と関節きしゅ......キスしちゃった。


 千沙さんは私に聞いてきた。


 「帰る前に、兄さんに一言言おうと思うんですが......なんか体育館からぞろぞろと生徒たちが出ていっていますね」


 千沙さんが体育館の方を見やると、彼女の言う通り、生徒たちは自分たちの教室に戻るため、体育館から出ていく様子が見受けられた。


 私は彼女に答える。


 「もう球技大会も終わりましたし、皆さん教室に戻って帰る支度でもするんでしょう」


 「ほう。ちなみに兄さんも教室へ?」


 「いえ、会長はおそらく生徒会室かと。後処理とかありますから」


 「なるほど。では生徒会室に行きますか。案内してください」


 「え゛」


 「? 何か問題でも?」


 千沙さんが小首を傾げて私に聞いてくる。


 入校許可証もあるし、問題は無いと思うけど......私も生徒会室に行かないと駄目なのかな?


 会長には競技が終わったら、そのまま教室戻っていいよ、と言われてるのに、用もなく行くのはちょっと......。


 いや、千沙さんを送り届ける目的があるか。


 私は千沙さんを生徒会室に案内することにした。


 生徒会室に着いた私たちは、数回ノックした後、「入ります」と中に居る人に向けて告げてから入室する。


 生徒会室には案の定、会長が居た。


 「あれ、芽衣ちゃん? どうしたの?」


 「っ......」


 か、会長が格好良く見えてしまう!!


 会長ってあんなに格好良かったっけ?!


 か、顔は好みじゃにゃいはずにゃのにぃ!!


 すると、私の背後からひょこっと顔を出した千沙さんが、会長に挨拶する。


 「ども。可愛い妹です」


 「げ。お前、まだ居たのか」


 「げってなんですか。失礼な兄ですね」


 千沙さんの姿を見て色々と察したのか、会長が私に言ってくる。


 「千沙にここを案内しろって脅されたのか。ごめんね? うちの妹が迷惑かけちゃって」


 「い、いえ、別に......」


 「脅されたなんて人聞きの悪い。普通にお願いしたんですよ」


 「あ、体調は大丈夫? 試合終わったらどこかに行ったから、何かあったのかなって思って、さっき保健室行っちゃったよ」


 な?! わ、私を心配して保健室に?!


 その後、会長が「おかげでヨシヨシと遭遇したよ、あはは」と乾いた笑いをしていたけど、どうでもよかった。


 か、会長、優しい......。


 すると千沙さんが手にしていたペットボトルを会長に渡した。


 あのペットボトルは道中、千沙さんがもう一度飲みたいと言ってきたので、私が彼女に返した代物だ。


 「これ、返します」


 「ああ、そう言えばお前に渡してたな」


 「兄さんの味がしました」


 「おま! 芽衣ちゃんに誤解されるようなこと言うなよ!!」


 か、会長の味......。


 自然と会長のペットボトルの口に視線が行ってしまう。


 ペットボトルを受け取った会長は、中身の残りが僅かだと思ったのか、飲み干そうと蓋を開けた。


 思わず声が漏れてしまう。


 「あ」


 「「?」」


 私の声を聞いて会長は飲むのを止めたが、私は「な、なんでもありません」と言うと、彼はペットボトルに口を付けた。


 そのままペットボトルが空になるまで傾けた会長は......なんか格好良かった。


 少し湿った男の人の肌。Tシャツから見える腕の筋肉。上下に動く喉仏。


 ああ............素敵。


 思わず見惚れていると、千沙さんが言う。


 「では私はこれで」


 「おう。ちなみに葵さんたちはもう帰ったぞ」


 「な?! 私を置いて帰ったんですか?!」


 「逆だ。いつものお前のことを考えて、『千沙だし、先に帰っているよね、千沙だし』って言ってた」


 「私のことを何だと思ってるんですか!!」


 「道徳を知らない妹」


 「きー!」


 ほ、本当に仲が良い兄妹だ。でも置いて行かれるなんて可哀想。千沙さんはすごく優しい人なのに。


 お怒りのまま生徒会室を出ていった千沙さんを他所に、会長は生徒会室に残って後処理の続きをしていた。


 本当はせっかくここに来た私も手伝うべきなんだけど......。


 「ち、千沙さん!」


 私は思わず廊下を駆けて、千沙さんに声を掛けていた。


 千沙さんが振り返る。


 「? どうしました?」


 私は確信した。


 本当は踏み入ってはいけない恋で、すぐに諦めなければならない恋なんだけど、きっとこれは何かの縁で、


 私は千沙さんに告げた。


 「お、お近づきの印に、私とL○NE交換してくれませんか!!」


 略奪愛。


 絶対にしちゃいけないことってわかってても、叶わない恋だとしても、それでも私は会長が卒業するまで、自分の気持ちをぶつけたいと思った。

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