第60話 真夏の絶対零度
「ねぇ、和馬さん。何をしているのか、聞かせてくれないかしら?」
「......。」
ご愛読ありがとうございました。
今のうちに俺が伝えておきたい言葉だ。もしかしたら今から俺、死ぬかもしれないから。
現在、球技大会のドッジボールにて、最終戦もとい決勝戦を行っていた俺は、悠莉ちゃんの淫らな範囲攻撃により、身動きが取れない状態に陥っていた。
というのも、それは勃起による行動制限である。平たく言えば、前屈みになって蹲ること。まだ試合中なのに、無防備な状態を晒しているのだ。
そんな状況で、
「ねぇ、無視しないでよ」
今カノに話しかけられてしまったのである。
いや、問い質されたと言ってもいい。尋問の時間に突入しそうだ。
言うまでもなく、試合中の俺に声をかけてきたのは陽菜だ。ポニーテールが愛らしいのだが、今の彼女の冷めきった表情からでは可愛らしさは微塵も感じられない。
必然、周囲も陽菜が醸し出す殺気にも似た空気に当てられて黙り込む。
「き、君、今は試合中............なん、ですが」
すると審判が、この異常事態に割り込んで、試合の続行を試みた。
言葉の途中で敬語になったのは、陽菜が審判の人よりも年下なのにも関わらず、恐怖を抱いてしまったからだろう。
だが俺は審判を応援したい。どうか俺を助けてくれ。
「は? 私は夫と話し合い中なんですけど?」
「ひぃ?! どうぞ続けてください!!」
「......。」
駄目だった。
「和馬さん」
再度、ハイライトを消し去った瞳で、陽菜が床に蹲る俺を見つめてくる。
彼女に何度呼びかけられても、俺は応じることができなかった。何か一言でも間違ってしまえば、待っているのが己の死のような気がして、声を出せなかった。
「和馬さんってば............和馬」
「はいッ!」
一際低いトーンで名前を呼ばれた瞬間、俺はほぼ条件反射の如く、返事をした。
してしまった。
「ねぇ、無視した? 私の声、聞こえてなかった?」
「あ、いや、その......」
「聞こえていたわよね」
「......はい」
陽菜の方を見やれば、彼女の隣に居る桃花ちゃんの顔が真っ青だ。その顔は、『お兄さん、コレはさすがの私でも止められない』と言わんばかりである。
知ってる。だって陽菜の彼氏だから。
「そう。なら聞きたいんだけど、そこで何をしているのかしら?」
「......ドッジボールです」
「ふーん? 私にはあんたがただ蹲っているようにしか見えないわね」
「はは。気のせい――」
「じゃないわよね?」
「じゃないですね」
陽菜さん、さっき審判の人に『俺と会話している』って言ってなかった?
会話が成り立っているようには思えないんですけど。
そんなことを思っていた俺は、諸悪の根源である悠莉ちゃんを見やった。
「......。」
彼女も桃花ちゃん同様、顔を真っ青にしている。おまけに我関せずと顔に書いていた。未だかつて、ここまで無責任な人間はいただろうか。
お前のせいで俺、これから殺されるかもしれないんだが。
俺は眼前のおっぱいJKに深い殺意を覚えた。
「人と話す時は......どこを見るんだっけ、和馬」
「目です」
「それが聞けて安心したわ。間違っても、“胸”なんて言ったら、和馬の和馬をちょん切ってたもの」
「......。」
息子はまだ生きていて良いらしい。
いつの間にか俺の真横に来ていた陽菜が、蹲る俺と目線を合わせるようにして屈み、顔を覗き込んでから囁く。
「ねぇ、勃ってる?」
「立っていません」
俺は即答する。決して嘘ではない。だって俺はイモムシの如く蹲っているのだから。
「そっちの“立ってる”じゃないわ。ち◯この方よ。それくらいわかってるでしょ。私たちの仲じゃない」
だとしてもドストレートすぎやしませんかね。
そして陽菜は俺の背中をバシッと力強く叩いた。
音は大きかったけど、そこまで痛くなかった。
でも心によく響く一撃だった。
「和馬は何をしているのかしら?」
「ドッジボールです」
「敵は?」
「悠莉ちゃんです」
「もう一度聞くわね。敵は?」
「元カノです」
「じゃあ何をすべきか、わかるわよね?」
「はい、倒します」
「聞こえないわ。もう一度」
「倒す! 元カノ倒す! 倒す! 倒す! 倒す! 倒す! ハメ倒――」
「滲み出ちゃいそうだわ」
「倒すッ!!」
バシンッ。またも彼女から一際音が響く喝を背に受け、俺は仁王立ちした。
もう息子は勃っていなかった。
未だにしゃがんだままの陽菜は、俺が急に立ち上がったことで目線的に俺の息子と目が合った。
“息子と目が合った”ってすごい表現だな。息子には目なんて無いのに。
陽菜は満足そうに頷く。
「私ったらいけないわね。和馬さんが他所の女で勃ったのかって疑っちゃったわ。ごめんなさい」
息子に謝らないでくれ。俺の目を見て言ってくれない?
それから陽菜は退場して、俺は近くに落ちていた、まだこちらの陣地にあるボールを拾い上げる。
そして宣言する。
「さぁ、試合再開だ」
「「「......。」」」
俺の言葉に、誰も何も言えなかった。
******
「残ったのは安田君と悠莉ちゃんだけか」
「くそ! 高橋先輩たった一人で俺ら以外倒すなんて」
「さすがヤリチンクソクズ野郎ですね......」
そのあだ名は関係無いだろ。
ドッジボールは終盤に差し掛かり、こちらは外野に最低限の人を残して全員生き残っている。陰キャこと清水君も復活した。彼に襲わせたのだ。弱そうな女子を背後から、な。
もちろん裕二にも。あいつはフェイントとか使いまくってたのが酷く印象的だった。
おかげで皆ドン引きしちゃってる。
別に俺らは普通にドッジボールをしているだけなんだけどな。強姦魔を発見した時みたいな視線を向けてくるのはなぜだろうか。
和馬さんが居るからかな。だとしたら泣きそう。
で、敵は安田君と悠莉ちゃんの二名だけとなった。
隣に居る裕二は安田君に問う。
「後輩く〜ん、潔くその首を差し出したらどうだ?」
続いて他のチームメイトも。
「和馬さんに逆らうからそうなんだよッ」
「ぎゃははは! 違いねぇ!」
「おらおら! 謝罪するときは土下座だろ!! 和馬さんの前でしろよ!」
俺を巻き込むな。
こちらのチームの面々はまるで人が変わったように、それこそ世紀末かのようにオラオラ系を出しちゃってる。最初、こっちが不利だったときは大人しかったのにな。
無論、あの陰キャの清水君も、
「安田ァ! 誠意を見せろッ! 誠意を!! だからてめぇは次期エース止まりなんだよ! 次期ッ!!」
この有り様だ。
手にしているボールをよだれ塗れの舌で舐めていたのだ。
きったなッ。
そんな彼は大衆の前で勃◯した様を晒したからか、一皮剥けてしまった。
いや、一皮どころじゃないな。陰キャのくせに、野球部の次期エース安田君をいじり倒してやがる。
裕二が凶悪な笑みを浮かべながら告げる。
「へへ。にしても和馬さんには頭が上がらねぇぜ。まだ生きている安田の目の前で、あの
※これはドッジボールです。
あと俺が寝盗るみたいに言うのやめてくれないかな。そもそも安田君と悠莉ちゃんは付き合ってないし。
「そりゃあいい!! さっすが和馬さんだぜ!」
「安田ァ! てめぇはその辺でシコっててもいいぜぇ!!」
「「ぎゃははは!」」
こ、こいつら......。
そしてそんな中、安田君が俺を睨みながら言う。
その目はまだ闘志を滾らせていた。
「俺が謝れば......土下座すれば、悠莉ちゃんは見逃してくれるんですね」
※これはドッジボールです。
おいやめろよ、お前がそれ言ったら俺が悪者みたいになるじゃん。
和馬さんは何もしてないよ。普通にドッジボールしてただけだよ。なんで集団レイプ開始一分前みたいになってんの。
が、俺がそんなことを考えていると、安田君が両手を地に着けた。
俺が安田君の行為を止めようとしたら、トンッと彼の肩にボールが当てられた。
「「「......。」」」
場が静まり返る。
皆がさっきまでボールを持っていた清水を見やった。
清水の手にはボールが無かった。
清水がガッツポーズを決める。
「っしゃあー!」
「やったぜ! 楽にあの安田を倒した!」
「和馬さんの手腕にかかれば当たり前よ!」
おう......。後輩相手になんて奴らだ......。
それに俺が土下座させたかのように言うなよ......。
『ピッ』
「つ、“次は終点、愛駅”チーム、一名アウト」
「安田君ッ!」
「くそッ。ずるいにも程があるだろ!!」
安田君は悪態を吐きながら外野へと向かった。
そして残り一名となった悠莉ちゃんを囲むように、俺のチームメイトが輪を作った。まるで怯える少女を逃さんと言わんばかりに、周りに群がっている。
悠莉ちゃんは肩を震わせて、顔を真っ青にしていた。
いや、そこ相手陣地だぞ。なに普通に踏み入ってんだ。
裕二が下卑た笑みを浮かべた。
「へッ。これからどうなるか、わかってんだろうな?」
「ひッ」
他の連中も裕二に続いた。
「あんなに挑発してきたんだ。ヤラれる覚悟くらいしてんだろ」
「ささ。最初は和馬さんからでっせ。俺らは後で愉しませていただきます(笑)」
「ケ◯穴確定な」
清水君に至っては本当にこの場でち◯こを出しかねない雰囲気だから怖い。
悠莉ちゃんは俺に向かって土下座してきた。
「ゆ、許してください! なんでもしますから!」
「......。」
これは......ドッジボールなんだけどな。
俺はそう思いながら、虚空を見つめるのであった。
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