第34話 山彦か、雄叫びか、通報案件か

 「すぅ......はぁ......」


 澄んだ空気。俺の視界には田舎特有の長閑な景色が広がっていた。人っ子一人いない目の前には広大な畑である。


 この畑で育っているのは白菜。そのほとんどが良い形で、出荷に適したサイズと言えるだろう。


 そんな大地の恵みから生まれた白菜たちを前に、俺は大空へ向かって叫んだ。


 「金玉をしゃぶれぇぇぇぇえええぇぇぇええ!!」


 ......。


 ............。


 ..................。


 「あれ、おかしいな。全然反響しない」


 そもそも山彦って、広大な面積を誇る畑の上でしても返ってくるんだっけ。


 「仕方ない。もっかい試すか――」


 「しないで」


 と、俺が言いかけたところで、我が後頭部に――ゴッ。


 何かとてもつもなく硬く、鈍器のような物をぶつけられた音が響く。


 ブシュッ。俺は盛大に血を吹き出しながら倒れた。


 倒れた先、視界の端に血塗らた鍬が映し出されたことに気づく。


 あの血、俺のだな、うん。


 バタリ。俺は白菜畑の上に倒れ伏した。



******



 「もう。鍬を人の頭に投げつけないでくださいよ、


 「もうじゃない。人んちの畑の上で、なに叫んでるの? 通報されたいの? やるなら中村家でやってよ」


 中村家ならいいんか。


 天気は晴れ。日曜日の今日は清々しいほど天気に恵まれた。世間一般で本日は休日に該当すると思われるのだが、バイト野郎こと和馬さんはバイトをしていた。


 中村家ではなく、西園寺家で。


 「や、やめてくださいよ。発作みたいなものなんですから」


 「発作であんなこと叫ばれたら堪ったもんじゃないよ」


 で、俺と会話しているのは、絶世の美女――西園寺 美咲さんである。


 高身長な上に、黒髪ショートでボーイッシュな容姿は、もしかしたら美男子とも言えるのかもしれない。


 が、それを否定するかのように、彼女のおっぱいは同年代の平均を大きく上回っている。


 大きいのだ。非常に。


 バイト中の俺は作業着姿で、同じく家業を手伝っている彼女も作業着姿である。その作業着の上からでもわかるほど大きい。


 葵さんと比較していいのかわからないけど、おっぱいしか取り柄のない葵さんと同レベルである。


 一言で言ってしまえば、グラビアアイドルが脱兎の如く逃げ出すかのようなプロポーションに加えて整った容姿――それが西園寺 美咲さんである。


 「あともう生徒会長じゃないから。“会長”呼びしないでよ」


 「あ、そうでした。すみません、西さん」


 「いや、そうじゃなくて......」


 「?」


 「......なんでもない」


 美咲さんはなにやら不満そうに抗議を宿した視線を俺に向けてきた。


 で、なぜ俺がこの人を会長と呼んでいたのかというと、それは彼女が、俺が通っている高校の生徒会長だったからだ。


 美咲さんが卒業してから二ヶ月くらい経つけど、まだ俺の中では“西園寺 美咲”が“生徒会長”というイメージがある。


 俺が生徒会長なのにな。


 「ところで会長――じゃなくて、西


 「バイト君、うちのゴリラ共たちをなんて呼んでる?」


 「え? のことですか?」


 “うちのゴリラ共”と言われて、その人物の名が上がるのは変な話だ。言っといてなんだけど。


 ちなみに西園寺家は四人家族。その中でも一家の大黒柱が“健さん”。長男が“達也さん”で、両者ともにゴリラだから、美咲さんから“ゴリラ共”と呼ばれている。


 ここで重要なのは“ゴリラみたいな”ではなく、“ゴリラ”そのものを示すところだろう。


 それくらい、ゴリラしているのが西園寺家の男たちである。


 「うちのは名前呼びなのに、ワタシは苗字なのかい?」


 酷い言われ様。でもあの人たちはゴリラだから仕方ない。


 「でもゴリラって呼んだら、二人とも反応しちゃうじゃないですか」


 「ワタシが言うのもなんだけど、違和感なくゴリラって言えるのすごいよ」


 禿同。でもあの人たちはゴリラだから仕方ない。


 「仮にワタシがゴリラたちと一緒に居たら、ワタシをなんて呼ぶのさ」


 「美咲さん」


 「今は?」


 「西園寺さん」


 「なんで?」


 たしかに。


 言われて思ったが、状況によって呼び方を変えるのは変な話である。


 今まで美咲さんのことを“会長”と呼んでいたが、良い機会だ。これからは美咲さんと呼ぼう。


 「すみません、変ですよね。美咲さんって呼ばせてもらいます」


 「“さん”?」


 「“様”がよろしいでしょうか? “女王様”。」


 「ふふ、冗談だよ」


 俺が芝居がかった仕草で言うと、それが面白かったのか、美咲さんは先程よりも機嫌を良くしてくれたみたいだ。


 なので俺は話題を戻すことにした。


 「で、美咲さんは最近どうです? 女子大学生――JDの生活は」


 「なんで言い直したの? まぁ、普通かな。特に苦労していることもないし、何か特別楽しいことがあるわけでもない」


 今年の春、JKからJDになった美咲さんだが、どうやら平凡な生活を送っているようだ。


 こっちは生徒会長になってから大変な日々を送っているというのに、なんとも無責任な話である。


 ちなみに美咲さんが通う大学は、葵さんと同じ学校だ。今年受験生の俺が目指している大学でもある。


 「同じ学校だと葵さんを見かけることも多いんですか?」


 「日によってかな? お互い、履修している科目が違うからね。空きコマや昼休憩のときは偶に一緒に過ごすよ」


 「へぇ」


 いいなぁ。葵さんとのイチャラブ学生生活。


 俺はそんなことを思いながら、手にしている収穫用の包丁で、この畑の上で生っている白菜を採った。


 大きさはスーパーで売られているものよりもやや大きめ。以前聞いた話では、丸一個分で三キログラムほどあるらしい。まぁ、ここから外側の葉っぱをもぐので軽くなるわけだが。


 「バイト君はどう? 最近」


 「生徒会長辞めたいです」


 「推薦者に対してはっきり言うね。悲しいよ。申し訳なく思わない?」


 「逆に半ば強引にやらせといて、会長こそ申し訳なく思わないんですか」


 「呼び方」


 「あ、美咲さん」


 癖だな、もはや。


 会長は俺と同じく白菜を収穫して、それを籠に詰めながら言った。


 「あんな好き勝手できる権力があるのに、学生生活を楽しめないなんて勿体ないね」


 美咲さんは生徒会長を独裁者かなんかだと思っているのではなかろうか。


 「目立ちたくないのに、そんな事するわけ――」


 「生徒会長になった際、一つだけ、なんでも好きな校則を作れるとしたら?」


 「女子生徒は登校したらブルマで一日過ごさせます」


 「立派な犯罪予備軍だ」


 だろ。だからこんな男、間違っても生徒会長にしちゃいけなかったんだよ。


 「そもそも俺に生徒会長をやらせたのは、ヤリチン野郎という汚名を払拭させるためですよね?」


 「だね」


 「最近、全然払拭が進んでない気がします。それどころか悪化してる気さえします」


 「と、言うと? 具体的には?」


 「この前、一部の女子生徒は廊下で自分と会うと、回れ右して迂回しましたからね。そのせいで移動教室の授業に遅刻したって苦情が来ましたよ」


 「一日ブルマで過ごさせようと考えていた生徒会長だから仕方ないさ」


 それはそうだけど、俺がヤリチンという事実はどこにもないだろ。童貞なんだからな。童貞って事実が露見されるのも避けたいけど。


 それもこれもあの佐藤 佳奈......副会長のせいである。あと美咲さんも。


 「まぁ、何か生徒会長の職務のことで困ったら言ってよ。アドバイスするからさ」


 「はぁ」


 「それにこれはチャンスでもある」


 と、美咲さんは手に取った白菜の外側の葉っぱをむしり取りながら続けた。


 「ヤリチンクソクズ野郎......そう呼ばれるバイト君だが、それ以前に、そもそも全然青春していないじゃないか」


 「せ、青春?」


 え、なんで青春?


 俺が頭上で疑問符を浮かべていると、彼女はこくりと頷いた。


 「高校に入ってアルバイトばかりしているだろう。葵さんから聞いたけど、休日、どこかへ出かけたことがあまり無いそうだね?」


 「うっ」


 「ふふ。図星かな? 別にそれが悪いと言いたいわけじゃない。学生なんだから、今しかできない楽しみ方もした方がいい、と言いたいだけさ」


 それはそうかもしれないけど......。


 「休日は中村家や西園寺家うちで働いてくれるのは助かる。無理に休めとは言わない。ならもあるとは思わないかい?」


 「“別の楽しみ方”?」


 思わず聞き返してしまった俺に、美咲さんは悪戯な笑みを浮かべて答えた。


 「学校行事イベントさ」

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