第25話 一方的な理不尽は喧嘩とは言わない説

 「いったい私の妹とどんな喧嘩したの......」


 「あいつ、日に日に“重たい女”になってきてるんですよ......」


 「ちょ、私の可愛い妹に向かって重たいとか言わないでよ」


 などと、葵さんが俺のあまりな発言に苦言を呈してきた。


 現在、学校を抜け出して我が家へ帰ってきた俺は、葵さんと一緒にリビングの惨状を見渡していた。


 非常に散らかっているのだ。いや、散らかっているなんてものじゃない。空き巣の被害、もっと言えば、高橋家に何か恨みでもある者が荒らしたかのような有様である。


 が、しかしこの光景はそんな犯罪者が作り出したものじゃない。


 陽菜である。


 僕の彼女である。


 「学校、抜け出してきて大丈夫だったの?」


 先程までは架空の空き巣犯の存在に怯えていた葵さんだが、今は落ち着いていて、隣に立っている俺にそんなことを聞いてくる。


 「いや、マズいですよ。昼休み中だったから目立たずに速攻で抜け出してこれましたが、とりあえず戻らないといけません」


 「そ、その、ごめん......」


 「いえ、葵さんに何もなくてよかったです」


 いや、本当にビビったよ。


 葵さんから急に[たすけて]なんてメッセージ来たから、とりあえず場所を聞いてここまで急いで来たけど、よくよく考えればもっと適切な対応はできたはずだ。


 そう考えると、俺も冷静じゃなかったなと思う。


 まぁ、実際は大したことじゃないから良かったわけだけど。


 いや、この惨状は決して軽んじてはいけないが。


 「ふふ」


 すると葵さんが、何やらクスクスと笑みを浮かべていたことに気づく。


 「?」


 「いや、それにしても帰ってきたときのカズ君、すごく必死だったなぁって」


 「っ?!」


 そう言われて、俺は顔を赤くした。


 「私を心配してきて駆けつけてくれたの、すごく嬉しかったよ」


 そしてまるで太陽のような笑みを浮かべて、葵さんは俺に告げてきた。


 俺は踵を返して、そそくさと来た道を引き返すことにした。


 「あれ? カズ君照れてる?」


 「べ、別に」


 「照れてるでしょ〜。かっわい〜」


 「じゃあ自分は戻りますんで!!」


 誰のせいで苦労して来たと思ってんだか......。


 俺は振り返ること無く、我が家を飛び出した。



 ******



 「で、何があったの?」


 「やっぱり話さないと駄目ですかね?」


 「妹が他所の家にあるソファーに包丁を突き刺した話は、姉として絶対に聞かないといけないと思う」


 ですよね。


 俺は未だにソファーに突き刺さっている包丁を一瞥しながら、そう深く同意した。


 学校を抜け出した俺は、再び学校へ戻った後、色々と先生に叱られはしたが、無事に帰宅することができた。


 家に返ってくると、リビングの惨状は葵さんの手によってほとんど片付けられていた。


 と言っても、彼女がやってくれたのは掃除程度で、言うまでもなく壁の切り傷や、ソファーに突き刺さっている包丁はノータッチである。


 そこら辺は後日、両親に相談の下、解決しようと思う。


 ああ、うちの両親にはなんて言えばいいのだろうか......。


 「カズ君」


 「......アレは昨晩の出来事でした」


 葵さんに名前を呼ばれて催促されたことで、俺は陽菜と何があったのかを語ることにした。



 ******



 「あ」


 それは偶々見つけてしまったものだ。


 アイスキャンディーを食べ終わった俺は、その棒をキッチンにあるゴミ箱へと捨てようとしたのだが、蓋を開けると黒い袋がゴミ箱の中に入っていた。


 それは手のひらサイズほどの大きさで、中が見えない仕様になっているゴミ袋である。


 無論、これを我が家が使用するときはシーンが限られている。


 たとえば母親とかな。


 用途はともかく、うちの両親はしばらく家に帰ってきていない。となると、この中身が見えない小さな黒いゴミ袋を使った人物は他に居る。


 陽菜だ。


 最近は陽菜くらいしかうちに来なかったから、この黒いゴミ袋を使用するのは彼女くらいだろうと察した。


 「......なるほど」


 何が“なるほど”なのか、自分で言っていてもわからないが、それを目にしてしまった俺はそう呟くことしかできなかった。


 そっとゴミ箱の蓋を閉じ、陽菜が近くに居ないか見回す。


 彼女はリビングで本日、取り込んだ衣類を鼻歌交じりに畳んでくれていた。


 微笑ましい光景である。


 「今日は我慢だな」


 俺は彼女に聞こえない程度の声量で、そう呟く。


 女の子が黒いゴミ袋を使う――中身が見えないよう捨てる行為は、つまりは今日がそういう日だということだ。


 和馬さんは変態だが、馬鹿じゃない。それくらいわかる。


 ジェントル和馬さんは、これを察して、本日の陽菜とはエッチな行為をしないことを固く決意した。


 男の俺にはよくわからないけど、こういうことは身体にあまり刺激を与えない方が良いに違いない。


 そう思って俺は自室へ向かった。


 「よいしょっと」


 下半身に纏っている衣類を全て脱ぎ去り、ベッドに寝転ぶ。


 無論、ティッシュボックスも欠かさない。


 その箱の中身が十分にあることを確認した後、俺はスマホを左手に、息子を右手に握った。


 「ぐへへ。今日はこれだな」


 彼女が同じ家に居るのに、オ○ニーに走る彼氏。


 哀しい生き物だろうか。俺はそうは思わない。だって今の彼女に負担かけたくないから。


 だから自分の息子の世話は自分でするのだ。


 え? さっきの『我慢だな』って話、なんだったのかって?


 それは陽菜にシてもらうことに対しての我慢だよ。和馬さんが息子のケアを我慢するはずがない。


 ジェントル和馬さんはジェントルにヌくのである。


 「うひょひょひょ」


 思わず自身の口からキモい吐息が漏れる。


 オカズは陽菜が送ってくれたエッチな画像だ。


 陽菜は「どこでもヒナ」というサービスをしてくれていて、自撮りでエッチな写真を撮っては俺に送ってくれるのである。


 寂しくなったら、いつでもコレを使いなさい、とは陽菜の言だ。


 陽菜は貧乳だけど、それを活かして様々なエロスを写真に収めてくれる。秒でこちらの性癖を歪められたのは言うまでもない。


 そんなムホホな画像で、俺は息子のケアをしようとした。


 が、


 「じー」


 「っ?!」


 視線に気づき、ベッドの上から飛び跳ねた。


 俺の息子もその反動でバロンと飛び跳ねた。


 自室の出入り口を見やる。


 そこには閉め切ったはずの戸の隙間から、こちらを射抜くような視線を向けてくる人物が見えた。


 「陽菜?!」


 陽菜である。


 戸は勢いよく開かれ、陽菜が現れた。


 「ちょ、おま! 覗いてたのか?!」


 俺は慌ててスマホを後ろへ隠した。


 無論、下半身剥き出しの状態で、息子は慇懃にも直立不動を晒している。


 「あんた今何を隠した?!」


 が、陽菜は俺の問いに答えること無く、ずかずかと部屋の中へ入ってきては、そう怒鳴りながら俺に迫ってきた。


 「か、隠してねーよ」


 俺は震えた声で壁際へと後退する。


 そんな俺にかまわず、陽菜は距離をどんどん縮めてきた。


 「嘘! オ○ニーしてたでしょ?!」


 「し、シてねーって!」


 「んなわけないでしょ!! 下半身丸出しじゃない!」


 「こ、これは換気というか――」


 「なんの換気よ!!」


 陽菜は俺が後ろへ隠したスマホを取り上げようと、手を差し伸ばしてきたが、俺はそれを躱して自室を抜け出した。


 逃げるのである。


 彼女が居るのにオ○ニーしてたとか、絶対に許されない行為だ。


 俺だって彼女が目の前でディルド使って楽しんでいたら泣くもん。


 もうバレたけど、どうにかしてこの場から逃げ出さないと、俺と息子に明日は無い。


 そう思ってリビングへ駆け出した俺だが、息子もその走りに合わせて頷くように、その男根くびを上下に振った。


 息子も同意してくれているようだ。


 やがて陽菜がゆらりと俺の部屋から出てきて、ゆっくりとその歩をキッチンへと進めた。


 「あんた......私に飽きたのね......」


 「ひ、陽菜さん?」


 「そうよね。こんな貧相な身体......すぐ飽きるわよね」


 そして彼女はキッチンの収納棚から包丁を取り出して、その刃を見つめだした。


 ちょ、え、怖。


 「いくら私に飽きたからって......自室にこもってオ○ニーするなんて最低よ......」


 「いや、ちょっと待ってくれ――」


 ヒュン、ズド。


 何かが飛来してきて、何かが刺さった音が聞こえた。


 その音がした方へ視線を向けると、どういうことだろうか。


 先程まで陽菜が手にしていた包丁がソファーに突き刺さっているではないか。


 俺はその光景に、己の死を察してしまった。息子も黙り込むように項垂れてしまった。


 「......。」


 「あの、陽菜、さん。これには深い訳がありまして、話聞いてくれますか?」


 陽菜からの返事は無い。


 代わりに彼女の手には次弾と言わんばかりに、別の包丁が握られている。


 陽菜はハイライトを消し去った瞳に涙を浮かばせながら、ゆらゆらとリビングの方へやってきた。


 そこからは......一方的な虐殺が始まった。



 *****



 「ということが、昨晩ありまして......」


 「もうほんっとすごいよ。なんていうか......すごい」


 俺が語ったことに対して、葵さんはボキャ貧な感想を述べていた。


 呆れを通り越して関心していると言った面持ちである。うん、俺もすごいと思うよ。


 「そ、それで、陽菜とはちゃんと仲直りできたんだよね?」


 と、一転して心配そうな顔つきで聞いてくる葵さんに、俺は一つ頷いてから答えた。


 「はい。......俺が目を覚ましたときは、陽菜に馬乗りにされて、ボコボコにされてたときでしたね」


 「お、おおう......」


 「俺の上に居た陽菜が、奪い取ったスマホを確認して安堵の息を漏らしてました。『なんだ、私に飽きたんじゃないのね♡』って」


 「そ、そう......」


 「それから諦めた俺は全て洗いざらい話しました」


 ゴミ箱で発見しちゃった物のこと。陽菜には負担をかけまいと自慰行為に走ったこと。陽菜が居るのに、彼女のエッチな画像でヌこうとしたこと。


 陽菜は俺の事情を聞いて涙を流していた。


 そこまで私のことを思ってくれていたのね、と。


 結局はジェントル和馬さんが我慢できなくてオ○ニーしたのがいけないんだけど、陽菜は自分のことを大切に思っている上でのオ○ニーだと捉えてくれたみたい。


 オ○ニーして感動されるという摩訶不思議な話である。


 で、なんで部屋が荒れたままだったのかというと、陽菜と仲直りするために時間を費やしていたら、いつの間にか寝てしまったのでたる。


 翌朝、二人一緒に遅刻ギリギリで起きてしまったから、片付ける時間が無かったというオチとなった。


 「そ、そう......。相変わらず仲がよろしくて安心したよ」


 「仲の良さとは別のベクトルが働いている気がしますが......。あいつ、本当に思い込み激しくなってきてますよ」


 「ま、まぁ、それほどカズ君のことが好きってことだし、うん」


 「なんであんなに重たくなってしまったんでしょうか......」


 「ちょ、だから重たい女とか言わないでよ。うちの末っ子をなんだと思ってるの」


 「ド淫乱ロリサキュバス」


 「......。」


 葵さんが何か抗議したそうに俺をジト目で睨むが、何も言えない様子を見るに、彼女も少なからず妹に対してそんな印象を抱いているのだろう。


 俺は葵さんとこの部屋を片付けることにしたのであった。

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