第21話 保健室の先生はまだ独身

 「ま!............ずま!」


 誰かに名前を呼ばれている気がした。


 頭がボーッとする。


 手足の先が痺れている感じだ。それに少し寒気がする。


 瞼を開けると、見知らぬ天井が映った。


 「和馬!」


 すると、ぼんやりとする視界の中、見知った人物の顔が映った。


 陽菜だ。


 すごく心配した顔つきで、俺のことを覗き込んでいる。


 どうやら俺は今まで、よくわからないところで寝てしまっていたらしい。


 「ひ......な?」


 「起きたのね?! よかったわぁ!」


 陽菜が俺の胸に顔を埋めて、抱き着いてきた。


 いったい何があったんだろう。


 これではまるで、俺が何か重たい病気で患ったみたいじゃないか。なんかいつの間にかベッドの上で寝てたみたいだし。


 「ここは......」


 と、俺が未だにはっきりしない意識の中、静かにそう呟くと、ベッドの周りを覆うようにして掛けられていたカーテンが、勢いよくシャーッと開かれて、またも見知った人物が現れた。


 「保健室だ」


 「田所......ちゃん」


 「田所“先生”な。“先生”」


 田所 真里。黒髪セミロングでスタイル抜群の三十代女性であり、保健室の先生だ。その身分を示すように、彼女は白衣を纏っている。


 そしてその下には、グラドル顔負けのプロポーションを主張するかのように縦セタを身に着けている。


 彼女のボン・キュッ・ボンのボン・キュッがその輪郭をはっきりと描いていた。


 スタイルだけじゃない。美貌も群を抜いている。故に男子生徒のみならず、男性教師からも注目を浴びる存在となっている。


 が、しかし彼女は未だに独身。


 こんなに美人なのに、だ。


 『なんで独身なんですか?』などと疑問に思っても絶対に聞いちゃいけない。独身にとって身の上話は地雷以外の何ものでもないのだ。


 「高橋、お前ここに運ばれてきた理由わかっか?」


 と、男口調のように強気な言い方をするのは、縦セタ先生だ。


 彼女のこの対応こそがデフォなので、別に機嫌が悪いとかそういうのじゃない。


 見た目とは裏腹に、心の中は全然清楚じゃないのが田所先生なのである。


 「いえ。まだはっきりとしてなくて......何があったんでしょ?」


 「気絶して運ばれてきた」


 気絶?!


 俺が?! なんで?!


 俺が戸惑っていると、陽菜が田所先生が、なにやら机の上に置かれているチャック式のビニール袋を、俺の下へと持ってきた。


 その中には黄色い何かが入っていた。


 これは......


 「卵焼き?」


 若干だが、咀嚼した痕跡のある卵焼きだ。


 一回口に入れて吐き出したと言ったら納得できるだろうか。そんな状態の卵焼きである。


 なぜそれが袋に入れられて見せられているの?


 俺の疑問は深まる一方である。


 「和馬、あんたはこれを食べて気絶したのよ」


 「はい?」


 横に居る陽菜が意味わからないこと言ってきたので、俺は思わず聞き返してしまった。


 そんな俺に言い聞かせるよう、彼女は優しくかつ丁寧に説明してくれた。


 どうやら昼食中に起きた出来事で、あの卵焼きを食べた俺が気を失ったそうだ。


 そしてその卵焼きを作ったのは、俺でも陽菜でもなく、悠莉ちゃんとのこと。


 そこで俺は思い出す。


 なぜ俺が悠莉ちゃんの卵焼きを食べなくてはいけない経緯に至ったのかを。


 「お前、女子が作った卵焼きを食べ比べしてたんだってな」


 と、田所先生が呆れながら言ってきた。


 そう、俺は陽菜と悠莉ちゃんが作った卵焼きをそれぞれ食して、どっちがどの卵焼きを作ったのかを当てるというトチ狂ったイベントをしていた。


 一個目の卵焼きは普通に食べられた。なんなら美味かった。


 でも二個目は違った。


 だってそれを食してから、俺がさっき目を覚ますまでの記憶が無いもん。


 そして言うまでもなく、前者は陽菜が作ってくれたもので、後者は悠莉ちゃんが作ったものである。


 卵焼きで人って気絶すんのか......。


 え、ちょ、は? 俺が気絶したのって、悠莉ちゃんが作った卵焼き食ったせい?


 あんな甘やかすような『あーん♡』してきた子ので?


 あの笑顔の裏に、俺はなんつーもんを食わされたんだ。


 「まさかこんなことになるとは......」


 「それはこっちのセリフだ。高橋、お前、以前も保健室に運ばれたよな。同じく気絶したからっつー理由で」


 と、田所先生が言ってきたので、俺は首肯した。


 忘れもしない記憶である。


 「気絶した原因は覚えてるか?」


 「異性に告白された驚きで気絶しました。気づいたらここに運ばれてましたね」


 「お前、ほんっとなんなん」


 田所先生が生徒に対して、まるでゴミでも見るかのような目つきをして言ってくる。


 「そう言われましても......あのときは自分なんかに告白されるなんて絶対無いと思ってましたから......」


 「だからって気絶すんなよ。なんだよ、異性から告白されて気絶するって。卵焼き食って気絶するって。保健室の先生ナメてる? 暇そうって思ってない?」


 縦セタ先生が苛立っている様子なので、俺は話題を変えるべく切り出した。


 「そ、そういえば、悠莉ちゃんはどこに居るんです?」


 俺がそう聞くと、田所先生が親指を横に立てて、クイッと指差した。


 その方向を見やると、俺の隣のベッドの上で、気絶している女の子が居た。


 悠莉ちゃんだ。


 「え、なんで気を失ってるの、この子。悠莉ちゃんも卵焼き食べたんですか?」


 「いや、中村が半殺しにしてた」


 「半殺しで済ませてあげたのよ」


 おおう......。うちの未来の奥さんはやること怖いな。てか、保健室の先生はなんで黙ってたんだ。止めろよ。


 まぁでも、悠莉ちゃんもいけないから言及しないでおこう。


 ベッドの上で気を失っている悠莉ちゃんは、白目をむいて、口から泡を吹いていた。


 その、なんだ。とてもじゃないが、美少女がしていい顔じゃない。


 思わず、俺の口からそんな心配の声が漏れてしまう。


 「これ、美少女的にマズいだろ......」


 「お前もさっきまで白目向いて泡吹いてたぞ」


 「同じ目に合わせてやったわ」


 すると陽菜がベッドの上で横になっている悠莉ちゃんの下へ行き、近くの花瓶から花を取って、中に入っている水を悠莉ちゃんの顔にぶっかけた。


 「ぶへ?!」


 「起きなさい。処刑の時間よ」


 「十分処刑されたよ......」


 「花瓶の水、ちゃんと補充しとけよ」


 などと、若干一名、無関心にも程があることを口にしている保健室の先生が居るが、今は置いておこう。


 「こ、ここは......」


 「保健室だよ、悠莉ちゃん」


 「あ、先輩」


 悠莉ちゃんは水をかけられて濡れた顔を、自身の袖で拭った後、周囲を見渡して状況を察する。


 俺がベッドの上で座っている様子から、ああ!と言って、手を叩いた。


 「もう。先輩ったら卵焼きが美味しすぎたからって気絶しないでくださいよ♡ お礼は言わなくてもいいですからね」


 「違う。死にかけたんだよ。謝ってほしいくらいだ」


 「またまた〜」


 こいつ......自分が作った卵焼きがどれほどの代物か自覚が無いのか。


 味見とかしなかったのか。


 とてもじゃないが、『どっちの卵焼きが陽菜ちゃんの作った卵焼きでしょ?』などと聞いていいレベルの勝負じゃない。


 どう考えても、最初に食った卵焼きが陽菜のやつ。


 後者は殺人鬼が作ったやつと身体が覚えてしまっている。


 「で、一応聞きますけど、どっちの卵焼きが、陽菜ちゃんが作った方でしょ?」


 ほら来た。


 平然と聞けるとか、もはや正気の沙汰とは思えない。


 「ま、答えは聞かずとも、わかりきってるかもしれませんが♡」


 「死にかけたからね。最初の卵焼きは陽菜。最のが悠莉ちゃん」


 「ああー、やっぱり味に圧倒的な差が出ちゃいましたか〜。美味しすぎる卵焼きだと勝負になりませんね」


 「......。」


 どう育てたらこんな子になるのか、彼女の両親に小一時間ほど問い質したい。


 斯くして、卵焼き当てイベントという、和馬さんの生死を彷徨うトラウマイベントは終わりを迎えた。


 そして後日、とある噂が校内で広まる。


 学校でトップクラスの美少女二人に、和馬さんがお弁当のおかずを食べさせてもらった、という事実が、噂となる過程で尾鰭おひれが付きまくってこうなった。


 高橋 和馬が後輩の美少女二人を食べ比べした、と。


 ヤリチンクソクズ野郎の道のりはまだまだ長そうである。

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