第16話 書道とケチャップ

 「わ?! すごいクマじゃん! 大丈夫?!」


 「あら本当ね」


 現在、朝食の時間を迎えた俺は、千沙と一緒に居た東の家を出て、他の皆が居る南の家にやってきてた。


 玄関からお邪魔し、そのまま食卓の場へと向かうと、朝の挨拶そっち退けで、葵さんと陽菜から心配の声が上がった。


 葵さんは部屋着姿だが、陽菜はその上からエプロンを纏っている。


 「はは。大丈夫ですよ、いつものことです」


 俺は先程まで千沙と一緒にゲームをしていたのだが、途中からエッチなことに走ってしまったので、一睡もできなかった。


 ここに来る道中で鏡を見なかったから、自分がどんな顔をしているのかわからないが、二人の反応を見るに相当なものなんだろう。


 「はぁ。ったくあの子は......」


 「高橋君、妹だからって甘やかすことないよ。時には厳しく接することも兄の務めだからね?」


 呆れ顔の真由美さんに、俺に注意を促す雇い主。


 ただ四人には悪いけど、エッチなことに走っちゃった俺にも非があるので、全部が全部千沙のせいという訳でもなかった。


 無論、皆さんに事実を伝えるわけにもいかない。


 朝食に出てくるソーセージを直視できなくなる。


 「そんなんで大丈夫かしら?」


 と、心配そうに言ってきたのは陽菜だ。


 彼女は俺の下へやってきて、見るからに調子の悪そうな俺の顔にぺたぺたと手を当てて、熱が無いかなどを看ていた。


 そんな彼女の言う“今日の営業”とは......


 「もちゃんとやるよ。安心してくれ」


 俺は陽菜の頭をぽんぽんと擦ってから、食卓の席に着く。


 そう、中村家はただの農家ではないのだ。


 いや、普通の農家のお仕事の基準はわからないが、それでも中村家は作物の栽培とは他に、別の仕事をしている。


 それは直売店の経営だ。


 週三日。午後の数時間だけだが、中村家で育てた作物を地域特産品として売っている。


 そのため、中村家は客のニーズに合わせて、旬の野菜を多品種少量生産で作っているのだ。


 今は春だから、春キャベツとか人参とか里芋など色々な野菜を販売している。それらをお手頃な価格で商品棚に並べると、あら不思議、客が次々に手に取ってレジに並ぶではないか。


 そう、それこそが中村家直売店の強みである。


 旬の野菜を周辺のスーパーには負けない価格で売るのだ。お陰様で野菜だけしか売ってない直売店が繁盛しちゃうのなんの。


 「無理しなくていいのよぉ?」


 「大丈夫ですって。働かせてください」


 真由美さんが心配してくるが、俺は引き下がらずにそう言うと、陽菜がぽんと手を叩いて、とある提案をしてきた。


 「そうだわ! 朝からお疲れの和馬に元気が出るおまじないをしてあげる!」


 などと、なにやら陽菜の発言が不穏なものに聞こえてくるのは俺だけだろうか。


 心配になった俺は葵さんを見やると、彼女は『ふふ、心配しすぎだよ』と軽くあしらってきた。


 そうこうして食卓の席に着いた俺の前に置かれた朝食は、美味しそうなオムレツであった。


 むらが無く綺麗な黄色一色のオムレツである。できたてホカホカで、朝にも関わらず食欲をそそられてしまった。


 そんな黄色一色のオムレツの完成は、その身に掛けられるケチャップによって成されるだろう。


 しかし俺の目の前にあるオムレツはケチャップが掛けられていない。


 このまま食べろということだろうか?


 「えっと、食べていい?」


 俺が手を合わせながらそう言うと、陽菜がウインクをして『だーめ♡』と告げてきた。


 なにその可愛いの。殺す気か。


 陽菜の可愛さに思わず胸がキュンとなってしまった俺は、ケチャップを手にした彼女が次に取った行動に驚く。


 「元気になーれ、萌え萌えキュン♡」


 黄色一色のオムレツに、『だんなさま♡』の六文字がケチャップによって描かれていた。


 めっちゃ綺麗な字だ。


 そんな陽菜の可愛さの暴力に、俺は思わず、


 「ぐはッ!」


 口からケチャップを吐き出してしまった。


 「カズ君?!」


 「くッ。陽菜の可愛さに死にかけました......」


 「どういうこと?!」


 こういうことだよッ!!


 俺は内心で意味不明な逆ギレをしつつ、陽菜に問う。


 「お前......なんてエゲつないことを朝からしやがる......」


 「ふふ、気に入ってくれたようで嬉しいわ」


 「こんなの勿体なくて食べられないよ。持ち帰って家宝にしていいですか?」


 「腐るからさっさと食べなさい。またいつでも作ってあげるから」


 「マジ? この完成度をまた? ケチャップで字書くの上手すぎじゃね?」


 「なんのために書道八段取ったと思ってるのよ」


 誰もケチャップで字を書くために、書道で段位を取ろうとは思わないよ。


 俺は内心でそうツッコみつつ、手にしたスプーンでオムレツを掬った。


 そのままそれを口の中に運び、悶える。


 「んー! 美味い! 世界一美味い! 結婚してくれ!」


 「もう! 大袈裟ね!」


 などと、俺の褒め言葉にデレデレな陽菜は、エプロンのポケットから婚姻届をサッと取り出して、さり気なくテーブルの上に置いてきた。


 俺はそれを丁寧に折りたたんで、ズボンのポケットにサッと仕舞い込んだ。


 後で捨てておこう。


 冗談で軽口を言った俺が悪いけど、オムレツで将来の奥さんを決められないよ。


 「あ、そうだわ。和馬が喜びそうだし、今度メイド服着てあげる」


 「え、マジ?!」


 「ええ。と言っても、私のサイズにあった既製品は無さそうだから、作り直さないといけないと思うけど」


 お前、スペック高すぎじゃね? そう言えば、陽菜は依然、将来理想のお嫁さんになりたいから、家事スキルはカンストさせたとか言ってたな。


 料理、洗濯、掃除、裁縫などなど家事スキルをこの年齢でカンストさせるとは。


 どういった基準でカンストと自己評価したのかわからないが、彼女がその気になれば何でもできるので非常に頼りになる。


 その反面、勉学などろくに手を付けてこなかったからか、学校の定期試験は大体の教科で毎回赤点ギリギリだ。


 「で、あんたはどんな感じのメイド服が好みなの?」


 「というと?」


 「清楚な感じのメイド服か、ちょっと露出多めのメイド服か、とか」


 「うーん、ご両親が居る手前、素直に頼めないから、清楚な感じのメイド服かな」


 「十分素直よ。わかったわ、露出多めの方ね」


 と、陽菜と会話を交わしたところで、雇い主が俺の首を締め上げてきた。


 大好きな娘と変態彼氏がイチャイチャしていると、こうして雇い主が横槍を入れてくるのが常だ。


 そんなこんなで中村家一同(次女抜き)とバイト野郎は賑やかな直売店の営業準備を始めるのであった。

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