episode0-2

 魔王復活より少し前のこと。


 アーシャ・ルナベッタは自宅のベッドで目を覚ました。少しだけ呻いてから、ぐうっと体を伸ばす。ぐぎぎ、と寝ている間に硬直しきった体がほぐされていく。どうやら寝返りに失敗したらしかった。それでもすぐに動けるのは若さ故か。アーシャはむっくりと起き上がると、ベッドから足を下ろして立ち上がり、再びのびをした。

 着替えを済ませてあくびをしながら部屋から出ると、すぐ目の前のキッチンに向かった。


「おはよー、パパ」


 写真立てに映る笑顔の男に軽く挨拶をしてから、置いてあったヤカンを手にする。近くの樽を開けて、ヤカンを突っ込んで水をくみ上げる。水気を拭いてから、魔力式コンロに乗せて火をつけた。水がお湯になるまでのあいだに、顔を洗うべく洗面所へと向かう。

 外からは朝の光が差し込んでいる。今日もいい日になりそうだった。最近、少しだけ周囲の森が騒がしい気もするが、どこがどう、と具体的には言えない。それでも、なんてことない日常だった。少なくともアーシャにとっては。


 木材で作られた簡素な家の中に、彼女はひとりで住んでいた。

 研究者である父親が死んでからは一人きりだ。アカデミーを卒業した後は王都に居残ってもいいと言っていたが、なんとなくやることもなくて戻ってきたのだ。それに、住んでいる人間がいなければここもあっという間に朽ちてしまうだろうから。


「今日は……えー、いつもと一緒でいっか。卵は無かったっけ……」


 ぶつくさといいながら、キッチンに戻ったアーシャは朝食を作り始めた。面倒なので卵はスクランブルエッグに。そしてベーコンはカリカリに焼いてから、ついでにパンを焼いて軽い朝食を済ませる。ジャムも無くなってきたから、今度買わないといけなかった。


 父親の研究をなんとなく引き継いだアーシャは、いまではこうして少女ながら悠々自適の生活を送るという自堕落さを見せていた。いや、家の近くに研究対象があるから別に遊んで暮らしているわけではない。それに研究対象でありつつ、遺物でもあるから管理人のような気分でもいた。


 その遺物とは、タイジュ=クドーの石碑である。


 タイジュ=クドー。

 二百年前に彗星のごとく現れた勇者だ。百年毎に蘇る魔王幽冥なる忌み仔:バルバ・ベルゴォルをぶッ倒した猛者。ヤベェほどの強さを持ち、現代に連なるいろいろなものを作り出した発想力も常人のそれとは違った、一言で言うと規格外の男である。

 その功績により、コスタズ王国の王位を譲られて、コスタズは「勇者との連合」という意味でコスタズ連合王国になった。本当はクドー王国になる予定が、タイジュ=クドーが辞退したという逸話が残っている。

 石碑自体は小さなもので、剣のような形の石をぶっさしてあるだけの、果たして「本当に石碑か?」と疑いたくなるものである。だがこの石碑、侮れない。

 この場所は、そのタイジュ=クドーと魔王が戦ったと言われている場所なのである。


 ただし現在においてはすっかり忘れ去られ、それこそこの土地でさえずばり《忘れられた大地》とまで名付けられている始末。

 魔王の存在も若干曖昧になって実在が疑われている――もとい、魔王というのは魔物の王ではなく何かの比喩なんじゃないかと考える人間まで出てきた今となっては、その事実を伝えるものはここしかない。

 そしてアーシャ・ルナベッタが――厳密には彼女の父親が――なぜここに居を構えていたのかというと、ひとえに勇者の研究のためと、もうひとつ理由があった。


 小さな飛翔音が聞こえてきたのは、アーシャ・ルナベッタが家の外に出た時だった。


「おっ、今年も来たのかぁ。ギリギリだったのかな?」


 降りてくるフクロウが郵便受けの止まり木にとまったのを見ると、その足から書簡を外した。魔力パネルがそこそこ普及した昨今では、魔力パネルでのやりとりが主流だ。しかしまだフクロウや人力を使っての郵便は使われている。

 フクロウの羽の間にいたずらに指先を入れてからかいつつ、書簡を開ける。

 これが、アーシャ・ルナベッタとその父親が勇者研究を始めた理由でもある。


「あなたが99番目の王位継承者であることを認定します……か。本当にギリギリじゃないか!」


 王家が勇者由来なのもあって、毎年律儀に王位継承権の書簡が送られてくる。これはさすがに魔力パネルでは送られない。

 そう。

 彼女はコスタズ連合王国の王位継承者の一人なのである。それも毎回、「あなたは何番目の王位継承者です」という王家からの通知がギリギリ来るラインだった。しかも継承者といっても、このあたりまで下ってくるとほとんど平民だ。変動もよくある。言い換えれば、ものすごく薄く勇者の血を引いてる、ということなのだ。

 それもあって父親は勇者研究に没頭し、彼女のダラダラとした日常に繋がっている。


「よーし、確かに受け取った。ありがとなー、こんなところまで」


 アーシャはフクロウの頭を撫でる。フクロウはどこかそわそわとした様子で、どういうわけかそのまま飛び立っていってしまった。


「おっ……? なんだよ、いつもだったら餌の催促するくせに……?」


 なんだかせわしないフクロウを見送りながら、あってもなくても構わない書簡を保管しようと家に戻る。

 とはいえ彼女もただひたすら、遺跡の管理をしながらぐうたらしているわけではない。


「そろそろ論文も書かないとなあー」


 机の奥底に適当にしまい込みながら、だるそうに自分に言い聞かせる。

 タイジュ=クドーが作り上げたものは沢山ある。その発想力がどこからやってきたのかという研究や論文もたくさんあった。生きている間に技術の作成が間に合わずアイデアだけのものもあるため、研究されていないものもある。


「医療系から技術の発展まで、よくやるよ。まあでもいまはやっぱりこれだよなあ。魔力ネットワークを使った、《らじおはいしん》」


 今でこそ魔力ネットワークを使ったクエストボードの確認や、通話機能として存在しているものだが、ある種の資料によると、タイジュ=クドーは《らじおはいしん》と書いているものがある。これは明確には、「音声のみでだらだらとその日のことを話したり、ニュースを読んだり、コメントをもらったり」と書いてある。実はこれは通話機能のように二つの端末同士ではなく、不特定多数に向けて発信するものではないかと思われた。


「不特定多数っていうのがどうにもイメージが湧かないけども……クエストとどう違うんだ」


 アーシャはもう一度外に戻ろうとしたところで、不意に異変に気付いた。

 カタカタと小さく家の中のものが揺れている。


「なんだっ……、地震?」


 その揺れは次第に大きくなり、アーシャはバランスを崩しかけた。


「くっ……!」


 机に手をついたが、次第に机もガタガタと鳴り出した。

 そのうえ突然外が暗くなったかと思うと、ギャアギャアと魔物の声がする。

 そういえばフクロウが慌てて逃げていったのはこの異変を感じ取ったからなのだろうか。まずいぞ、とアーシャは思った。いったい何が起きるというのか。

 その瞬間に忘れられた土地に一閃が走り、地表に這う植物がすべて振り払われた。すべてが耕され、大地が揺れ、幻のように空間そのものが揺らめいた。アーシャは家ごと、それに巻き込まれたのだ。

 凄まじい轟音。暗く落ちて紫紺に染まった空。太陽は永遠に閉ざされ、稲光があちこちで鳴り響く。空にはギャアギャアと空飛ぶ魔物たちが、忌まわしい鬨の声をあげている。やがて大地からは爪のように巨大な岩が隆起して立ち上がり、何か包み込むようにそそり立つ。

 やがてその中心地である場所から、地響きを伴いながら、最初からそうであったかのように城が出現した。

 そしてアーシャは――。


「……止まった?」


 地震が止まったかと思うと、警戒しながら立ち上がる。

 窓の外が妙だ。外は暗いし、なぜか妙なものが見えている。嫌な予感とともに、アーシャはそろそろと家の扉を開け放った。


「はあああああ!?」


 突然の出来事に吹っ飛ぶかと思った。

 外は――どこかの城のようなところの中に繋がっていた。

 というより、突然現れた城に、内部に収納されたのだ。家ごと。

 他の魔物と同じように、その場に居たものはすべて城内に収納された。アーシャもそれに準じたのである。迷惑この上ない。


「えっ……、というか石碑は!? っつーか何してくれやがるんだこの城の主は!?」


 外に出たのにまだ中である。意味がわからない。イライラしてくる。アーシャは怒りにまかせて、現状がどうなっているのか理解しきれなかった。


「というかマジでどこだここは!?」


 どこかにハリケーンに巻き込まれた少女よろしく飛ばされたのかとも思ったが、たぶん違う。それなら城にぶつかっているか、悪しき魔女を家ごと押しつぶしているはずだ。たぶん。

 アーシャはとにかく現状把握のために動き出そうとした。

 ところが。ブーンという音と震えに、アーシャはびくっとした。


「うわーっ!? 今度はなんだ!!」


 魔力パネルが変な音を立てている。慌てて取り出すと、妙な魔力を感じた。


『二百年ぶりだな――人間どもよ』


 聞こえた声に、ハッとする。


「これは……」


 急いで自分の魔力パネルを確認する。

 魔力パネルを《解析》スキルを使って確認する。ネットワークの一部が乗っ取られているのだ。本来なら、その乗っ取り相手に戦慄するところだろう。だがアーシャは違った。


「これは……、間違いなく……。魔力ネットワークを使った、不特定多数への《配信》……!」


 それはまさに。擬似的かもしれないものの、《らじおはいしん》そのものだ。


『人間どもよ、恐れよ、ひれ伏せ、互いの存亡を賭けた戦争の始まりだ!』

「これが解析できたのなら、おそらく……!」


 もはや言っていることなどどうでもよかった。

 こいつがやっていることは、らじおはいしんそのものなのだ。


「くそっ、これがわかれば……!」

『そうだなぁ、もしこの魔王城に最初にたどり着けた者が居たのならば、そいつの願いをなんでも叶えてやろうか』

「……」


 迷っている暇はなかった。

 こんなチャンスは二度とない。

 そして少女の足は、たったいま配信を終えた魔王の間へとまっすぐに進んだ。

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