episode2 魔物研究所の一幕
コスタズ連合王国王都、国立魔物研究所――。
レンガ造りの少し古い建物は、普段であれば夕方七時頃にはほとんど全員が帰宅している。夜十時ともなれば、一部屋、二部屋にちらほらと灯りが点いているだけになる時間だ。
そうなると盗賊避けに研究所に泊まり込もうという所員が――たとえ多くても数人いるかどうかという時間のはずだった。だがこのときばかりは、その残っていた人間が全員、上へ下への騒動を巻き起こすことになった。
「所長! 所長!」
バタバタと女が廊下を走る。
普段は消灯されている廊下に明かりが灯っている。他の部屋からも慌てたように所員が顔を出してくる。
女はそんな他の所員を尻目に、そうしてひとつの扉の前にまで来ると、勢いよく扉を叩いた。
「大変です、所長! 《深夜同盟》聞いてます!?」
中からはすぐには返事は無かった。
だが扉を叩き続けていると、怒号が返ってきた。
「うるせぇ! こっちだっていま聞いてるところなんだから黙ってろ!」
若い男の罵声。だがその声は嬉々とした興奮に包まれていた。
部屋の中では、さきほど所長と呼ばれた若い男が自分の魔力パネルにかじりつくようにして聞いていた。眼鏡の奥に光る茶色の目は、眠気など吹っ飛んだかのようにぎらぎらと輝いている。黒髪は薄手のヘアターバンを巻かれているものの、ほとんど手を入れられておらずぐしゃぐしゃだ。笑った口元ではギザギザとした歯が覗いている。
しかし、その笑みもすぐに睨み付けるように変わる。
「ああ、くそっ! 音楽タイムなんか必要ねぇんだ! こりゃ話が戻ったら絶対に別の話題に移ってやがる!」
魔力パネルから聞こえてくるのは、ブレイクタイムに流れる音楽だ。普段であればぼんやりと聞き流すところだが、今日だけはこの音楽が憎い。
その間に扉は勝手に開き、彼を所長と呼んだ女が入ってきた。
「ノーラン所長!」
ノーランと呼ばれた男は、部屋に転がり込んできた女をまったく意に介さなかった。
「クラーケンが魔物じゃないだと? クソッ、もっとそのあたりを詳しく聞かせろ、この魔王がッ!!」
「うわぁ、普通だったら勇者くらいじゃないと言わなさそうな台詞……」
「くッそぉぉ! アーシャもアーシャだ! そこのところをもっと突っ込んで聞け! この阿呆がッ! もっと聞かせろや、クソがぁッ!!」
ノーランは怒りをぶちまけながら机を拳で叩いた。
それからようやく落ち着きを取り戻したように、ふうっと長い息を吐いた。女にもう一度向き直ると、にんまりと笑う。
「だが、この間のアウルベアの時から目を付けておいて良かったなァ、サンカ!」
その頃には他の所員も興奮気味に、扉の前に集合しはじめていた。
思っていることはみんな同じだった。
共通点はただひとつ。
《深夜同盟》を聞いていたかどうか。
「クラーケンが魔物かどうか……、まさかこんなところであっさり答えが出るとは思っていませんでした」
「そういうことだ、諸君!」
ノーランは眼鏡をくいっと指先で引き上げながら叫ぶ。
「いまの配信を聞いていたかね!?」
はい、という返事がする。
「こっちが学会まで立てて一生懸命研究してきたことをだ! 一瞬で答えを出しおって! まったく、こんなに面白いことはない! まさに魔王だな! いや、魔王だからこそ答えられる問題か!」
配信のバルバ・ベルゴォルは偽物だなどとのたまう輩は増えるかもしれないが、もはや本気にはされないだろう。
先日の魔力ネットワークへの魔力逆流事件で、もはや痛いほどにバルバ・ベルゴォルは本物の魔王であると思い知らされてしまった。それなのにいまだに認めない輩がいたら、ただの負け犬の遠吠えに過ぎなくなるだろう。
それを踏まえた上での、神代の話だ。
これはもうクラーケンがどうのこうの言っている場合ではない。
しかも竜の話までついでのようにあっさりしていったものだから、これからの混乱と興奮はなみのものではないだろう。
「学会のクソジジィどもが慌てる顔が目に浮かぶようだ! 遅れに遅れたかつての知識と発想力で、竜は魔物であり倒すべきだなどとのたまったんだぞ! 竜騎士どもが国をあげるどころか垣根さえ越えてクレームつけてたってのにな! なんの根拠も証明もなかった事が明らかになっちまった! そりゃそうだ、一般人からすれば竜も怪物も魔物と同じだ。だがその性質においては明確に違いがあると明らかになったのだ!」
以前、クマは魔物かどうかという議論が突然沸き起こって紛糾したことがある。
クマは人を襲うのだから魔物だと主張した研究者がいたのだ。ほとんどの研究者は馬鹿馬鹿しいと思いながら一笑に付したが、驚いたことにクマ被害の多い地域のある一定の人々の「世論」というものを巻き込んでしまった。あれは学会にとっても忌むべき経験だった。
似たように、答えの出ないものは多々あった。
だが今回は違う。
魔物とは魔王の出現によって強化されるものを言うが、その判断は難しい。
そんな中にあってさえ明確な答えが、魔王という他にない存在によって出された。
「おまけにとんでもない爆弾まで投下していきやがって!」
「えっ、なんでしたっけ?」
「神代だ!!」
勢いよく立ち上がる。
「神代だと! クラーケンは神代の血を引く末裔だと、この魔王はそう言い切ったわけだ!! そりゃ竜だって敵にも味方にもなるわけだ!!」
「つまりこれは、神々の――神代が実在したという決定的な証言に他ならない!」」
これはもはや魔物研究どころの騒ぎではない。
「古代研究の奴らも、こぞって魔王に話させようとするだろう。奴はただの倒すべき敵ではない。我々にとって重要な知識をそなえた黄金の果実だ! 我々とて負けていられん。いいかお前ら、とにかくこいつに魔物の情報を引き出させろ! 魔王が勇者に倒される前に、できる限り吐き出させるんだ!!」
研究者たちの目が爛々と輝いた。
喉から手が出るほどの知識がそこにある。魔王から知識を引き出すというこれまで考えもつかなかった方法として。
それなら――やるしかない。
ノーランは音楽が終わり、再び二人の声がし始めた魔力パネルを手にした。
にんまりと笑う。
「このアーシャとかいう小娘、とんでもないものを引き出したな――」
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