episode1 隠者トゥラエルは意表を突かれる
町の小さな八百屋の店先で、中年男がぼんやりと暇を持て余していた。この時間は客も少なく、煙草がわりの紙巻きを噛みながら休憩がてら座っているのがいつもの日課だった。ふうーッと息を吐きながら往来を眺めていると、足を止めた男の存在に気付いた。
「おっ、トゥラエルさん。買い物かね」
「ええ、こんにちは。少し食糧が心許なくてね」
そう答えたのは、顔を白いフードで覆った青年である。
ちらりと覗く顔はまだ若く、にっこりと人の好さそうな顔で笑いかけてくる。男はこの上客に、これみよがしに揉み手をした。彼なりのジョークだった。
「今日はね、新鮮な野菜が入ってるよ。何にしやしょう」
「アカイモとムラサキニンジン、それから……そうだ、何かオススメは入ってるかい?」
「おうよ。ちょいとお待ちを」
指定されたものを袋の中に入れながら、ついでのように話す。
「そうそう。最近、また腰の具合が悪くッてなぁ。薬を出してくれるとありがたいんですがねぇ」
「いいですよ。今度来た時に持ってきましょう。ただ、前にも言ったように飲み過ぎは禁物ですからね」
「わかった、わかった。でも出してくれたらほれ、こいつをいくつかつけておきますよ」
にやっと笑い、片隅においてあったリンゴを手にとる。
「ほう。これは……、立派なリンゴですね。ありがとうございます」
「いつも世話になってるからな」
男は豪快に笑うと、袋の中にリンゴを三個、追加で入れてやった。こうして小さな町で、家業である八百屋として生きていく。男にとってはそれが彼の人生で、ごく普通の日常だった。同じように、世界はこのままいつまでも続くと信じていた。
けれども、トゥラエルにとってはそうではなかった。
*
また、この時が来た。
部屋の中で魔王の宣戦布告を聞いたとき、隠者トゥラエルは小さく顔をあげて、魔力パネルから聞こえてきた声に長い耳を傾け続けた。
魔力パネルは前回――二百年前に現れた勇者が作った、魔石で作られた透明な板だ。かつては魔法使いだけが水晶などで行っていた遠隔会話などを、冒険者でも可能にしたまさに魔法の板。パネルには自分の持つスキルや現在の武具などがひとめでわかる「ステータス」を筆頭に、アイコンと呼ばれるものがある。選択することで様々な機能が使え、相手とやりとりができる会話機能や、文章のやりとりができるものまである。文字がわからずとも、口頭で入力もできる優れものだ。現在は主に冒険者には支給品として配られるほどになった。ステータスは相手の得意技や有用な特技がすぐにわかるし、かなり有用だ。勇者が作っただけあってクエストの確認もできるため、重宝しているらしい。勇者の手を離れた現在でもアップデートが行われているほどである。
しかしその魔力パネルのネットワークの一部を魔王に乗っ取られたようだ。
百年毎に繰り返される魔王と勇者の戦い。
二千年の間、幾度となく繰り返されたこの戦争が、今回も始まろうとしている。今回、二百年の時が掛かったのは、やはり前回の傷跡は大きかったという事だろうか。しかし、それを差し引いてもやはり魔王は蘇ってきた。また戦争は始まるのだ。
「さて……、今回は、どうなるかな……」
トゥラエルは名前すら持たない森の中で、不可視の魔法をかけた塔に住んでいた。銀の長い髪に、長命種特有の長い耳。灰色のローブに身を包み、フードで顔を隠して世間から隠れて暮らす隠者。そのイメージに反して見た目だけは若いままだが、言ってしまえば引きこもりだ。たまに近くの町に出かけては買い物をし、町人たちに乞われては薬を渡すだけの、穏やかな日常。
だがトゥラエルは長い生の中で、何度もこの戦いの行く末を見守ってきた。最初の頃は直接手を貸すこともあったが、いまはこうしてこの戦争を観測するのみである。それを知るのはもはや一部の人間だけで、ほとんどはトゥラエルを気ままな魔法使いぐらいにしか思っていない。
一部の人間からは、かつての賢者としての知恵を求められることもある。時には今世の勇者は誰か知っているのではないかと尋ねられることもある。
しかしそんなものは、何を言ったとしても当たらない占いと同じだ。たとえ占ったとして、言の葉は具体的な名前を紡がない。煩わしさから観測者として振る舞いはじめたのは僥倖だった。彼らは勝手に納得して去っていくからだ。人間というのは勝手なものだ。
「僕が気にすることでもないか」
たとえ戦争が起きても、普段と変わらぬ生活をするだけだ。
ほんの少し、気にかかることが増えただけだ。
この長い年月の間に、トゥラエルの心を揺れ動かすような事は無くなっていた。それがたとえこの世界の有り様を揺るがす大戦争であったとしても。歴史の中で何度も繰り返されてきた、抗いようのない、呪いのようなものであるからだ。
だからトゥラエルは何をするでもなく、その質素で優雅な生活を崩さなかった。
そんな矢先のことだった。
「……ん?」
魔力パネルに奇妙な受信があったのを見つけた。
――魔王の魔力……?
先日、復活に際して宣戦布告したのに使われた魔力と同じだ。また何かあるのか。いくら観測者になったといっても、まったく気にしないわけではない。ただ穏やかにあるだけだ。
トゥラエルは置いてあった薬草茶をおもむろに口元につけて、少しだけ目を細めた。
『ねえこれもう始まってる!?』
爆音で響いた声に、口の中から薬草茶が一気に噴き出た。
「げっほ、げほっ! ごはっ!?」
もう少しで喉に逆流してもっと大変な事になるところだった。
いま、いったい何が起きたのかを頭の中で整理しようとした瞬間。
『うるさい、音量を下げろ! さっさとやれ!』
魔王の声まで聞こえてきた。なんなんだ一体。
いや魔王か?
良く似た誰かかもしれない。流れてくる魔力が完全に魔王のソレだが。
『やあやあ。今日も素敵な夜をお過ごしの皆様、こんばんは! 今日から夜のおしゃべり、『深夜同盟』を配信するぞ。お相手は私、アーシャ・ルナベッタと――』
『……なぜこっちを見る?』
『ほら、早く名前言って』
『は?』
『名前!』
『なぜ吾輩まで!?』
『一緒にやるって言ったじゃん! 早く!!』
この声。この魔力。間違えようもない。
『……バルバ・ベルゴォルだ……』
意味が分からなかった。
『この配信は、通信用魔力ネットワークの一部を『お借り』し、こちら独自のネットワークを介在して行われています。みなさま、お手元の魔石パネルや装具類の宝玉で配信そのものや音源の調節ができるぞ。それじゃあ、時間までたっぷり楽しんでいってくれ!』
配信。深夜同盟。
アーシャ・ルナベッタなる少女の声と、つい昨日か一昨日聞いたばかりの魔王の声。
魔王の声は不本意極まりなく、極まりすぎて不機嫌というしかなくなっていた。
頭の中に単語だけたたき込んでも、目の前で起きている事が幻聴かどうか怪しくなる。夢かもしれないと思ったが間違いなく現実だ。
『この配信は魔王城独自の調査ルートを借りて、勇者の動向やニュースなんかを全世界にお届けしていくぞ』
『なぜ吾輩達が集めた情報を人間どもに公開しなくてはならんのだ!?』
『いや、らじおはいしんってそういうものらしいから。それに魔物も聞いてんだからいいじゃん』
『ッ、ぐ、あ、ぬああ……!』
『ほら呻いてないでバルもよろしくって言いなよ。自分の配下も聞いてんだから』
『ええい! こうなったら……、我が配下どもよ! 我が声は聞こえているな? であれば、我が声に応え、人間どもを滅せよ!!』
『意外と本気で言ってんじゃん。ウケる』
怒濤のように声が流れてくる。
トゥラエルはそれを頭の中に留めつつも、何を言えばいいのかさっぱりわからなかった。
「……え、なに?」
本当にそう言うしかなかった。
「……。いや待て、アーシャ・ルナベッタ? 最近どこかでその名前をちらっと見た気が……」
けれども、思い出せない。
それも気になるが、この配信とやらも意味不明すぎて情報量が破綻しそうだった。
――思い出せ僕! というか冷静になれ! こんな事はいままでにも……いや無い! 無いだろ! どう考えても無い! だいたいどうして魔王が自ら自分の手の内をさらけ出すような事をするんだ!? というか、何が起きてるんだ!
――ぶっちゃけ、なにひとつとしてわからない……!
何も推測できない。
こんなことは初めてだ。この二千年の間――いや、それ以前から考えても、きっとはじめての事だ。おそらく、魔王本人でさえも。
『そういうわけで――』
聞こえてきた声にハッとする。
『《深夜同盟》、これから末永くよろしくな!』
それだけ言うと魔力が打ち切られたのか静かになった。トゥラエルはしばらく呆然と、魔力パネルを見ていた。
「……ふ、ふ。ふふふ……!」
我知らずに出てきたのは笑い声だ。
「あはっ、はっはっはっはっは……!」
理解できない事がこんなにも楽しいなんて、思いも寄らなかった。
「これは……、楽しみに聞かないといけないな! あはっ、ははははは……!」
こんなことがあっていいものか。
いや、実際に起きているのだから疑いようもない。今回はいったい、どこに何が転がっていくのだろう。もしかすると――いや、期待はまだしてはいけない。けれども、期待してしまう。この二千年間――いや、二百年前ですら変わらなかった何かが、変わるかもしれないと。
トゥラエルは数日かけ、魔力パネルに文章を打ち込んだ。
*:アーシャさん、バルさん、こんばんは。いつも楽しく拝聴させていただいています。私は小さな森に住むしがない世捨て人です。バルさんに質問です。バルバ・ベルゴォルと名乗っていらっしゃいますが、本当に魔王ご本人様なのでしょうか。ネットワークからは確かに魔王様の魔力を感じており、疑いようのない事実なのは重々承知しておりますが、確認と思ってこうして筆をとらせていただきました。
こうしてトゥラエルの夜十時のお茶の時間に、ひとつの楽しみが生まれた。
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