FOREIGN BODY
八重垣みのる
第1話 早朝の起床
リンリンと鳴る、携帯式ダイヤル電話の音で目が覚めた。
窓辺に置いてあるデジタル時計に目を向ける。その数字は、ぼんやりと四時半であることを示していた。窓の外は、早朝の薄明りという感じだった。
それからベッドの中から手を伸ばして、サイドデスクの上で鳴いている電話を取った。
「もしもし?」
「ああ、ウチだよ、シャンクだ」
聞きなじみのある声だった。
「こんな、朝早くにどうしたんだ?」
そうは言ったものの、おそらく緊急事態だろうことは、想像に難くなかった。
「それがだね、急ぎで納品書を用意してほしいんだ」
「ああ、わかった。いくつ?」
「そうだね、五、六枚ってとこだ。なるべく急ぎで」
「わかった。朝食はどうだい?」
「うん、オーケー。こっちで準備しておこうか?」
「頼むよ」
納品書とは、そのままの意味ではない。隠語だ。どうにも事態は切迫しているらしい。
もうじきこのアパートの部屋に治安局の捜査員が五、六人で乗り込んでくるはずだ。
電話を切ってベッドから抜け出る。
それから、二段ベッドの上段を覗き込んだ。シェーリーは、いつもみたいに、大きな尻尾を抱えて身体を丸めるようにして眠っている。
心地よさそうに寝ている彼女を起こすのは忍びないが、時間がない。
「シェーリー、今日は早めの起床になるよ」
彼女の肩を軽く揺さぶってから、荷物の支度にかかった。
ベッド下から大きなトランクを引っ張り出す。それから、部屋に張ってある紐に干してある衣類を、片っ端から取って雑に放り込んでいく。
持ち物は最小限だ。身の回りのものは、二人合わせて、この大きなトランク二つだけ。それから僕は、この携帯電話と持ち運び式コンピュータのおまけつき。
「ねぇ、こんな朝早くにどうしたの?」
「非常事態だ。ここを出ないとマズい」
上半身を起こしたシェーリーは、ため息を漏らした。
「引っ越しってことね。この部屋はずいぶん気に入っていたのに……」
「しょうがない。まさか当局がこんなに早く嗅ぎつけるなんて、思ってもみなかった」
「この街は鼻が利く連中が多いってことね」
それから、彼女のお気に入りの服とズボンを彼女に投げて渡す。
僕のほうは、自分の外出用の衣服を身に着ける。ズボンには作り物の大きな尻尾がくっついていて、ニット帽には同じく、精巧な作り物のケモノ耳がついている。
僕は正真正銘の人間なのだが、この街の大多数の住人はそうではない。そして、この世界は地球にあるのでもない。ここは獣人だらけの世界だ。この世界に来て、もう何年も過ごしているような気がする。
言うならば、僕は異世界に転生してしまった人間、というわけだった。
それからシャワールームに飛んで入って、ブラシやらタオル、コップとかの日用品を掴んで戻る。またしても雑にトランクに放り込む。
キッチンの道具や部屋の家具は、そもそも備え付けだからそのままにしておく。サイドデスクの引き出しからは、わずかばかりの現金、日用の雑貨をひっつかんで荷物の隙間に押し込む。
それから窓を開け、下の様子を見た。まだ陽は上っていない、薄明りの街。ぼんやりと赤茶色の第二衛星が低いところにいるのが見える。表の通りに動く者の姿は無いようだ。
窓の外には頼りない格子状の細い通路と、非常階段が連なっている。ここは九階建てアパートメントの七階。
試しに空き瓶を落としてやった。数秒後、地面で大きなをたてて割れた。どこかで窓が開くような音はしたが、それっきりだった。
「よかった、外まで見張りはいないようだ」
「どこから逃げる?」
彼女は慣れたようすで、自分の荷物をまとめ終えていた。
「屋上から、隣のアパートメントに移って、途中から隣の建物の屋上を伝って逃げよう」
この世界で、人間は、マイノリティで異端者という扱いを受けることがほとんどだった。奇異な視線を向けられるならマシなほうで、地域によっては、迫害の対象となることもあった。
そしてさらに厄介なのは、別の世界から転生してきた人間の存在を、当局が知っているということだ。
転生してきた人間の持ち物や知識を、“異常テクノロジー”や“異常情報”として、理由は知れないが、とてつもなく警戒している。そして、それらは絶対的な収容の対象となっている。
ところで、シェーリーは、地球でいうところのアカギツネみたいな動物を連想させる風貌をしている。
彼女は、この世界の生態研究を行っていたらしいが、人間たちだけで構成された、あるコミュニティと接触を図ろうとしたがゆえに、職場を追放されたのだとか。まあ、彼女はときどき大げさに話をすることもあるから、全部は信じてない。
ただ今は、違法まがいの探偵業をしながら、異世界……もとい地球の技術や知識について調査している。
僕と彼女が出会ったのは、全くの偶然だった。ただ、彼女と最初に出会わなければ、僕は今頃、のたれ死にしていたか、当局の収容所にでも入れられていたことだろう。
自分の荷物をまとめ終えたとき、ドアベルが鳴った。
それからドアを叩く音と、「朝早くから失礼します! 市のインフラ局です。こちらで漏電の疑いがあり、点検に来ました」という声が聞こえた。
なんという演技だ! こんな早朝に点検などなどあるものか!
それにこの街では、そんな気前の良い行政サービスなど、聞いたことすらない。
「シェーリー?」
彼女はもうすでに、自分の荷物を持って窓の外に出て行っていた。
時間は稼いでおいたほうがいい。そう思った。
「はい? なんです?」玄関に向かって、なるべく眠そうな声で答えてやる。
「点検ですよ。ドアを開けてください!」
「ああ? こんな朝っぱらから? ちょっと待ってくれ」
それから僕も自分の荷物を掴んで屋上へ向かった。
すぐ隣に建つアパートメントは、見た目の色こそ違うものの、建物としてはほぼ同じ造りで、屋上には頼りない感じの避難梯子がかけ渡してある。
シェーリーは自分の荷物を持って軽々と渡っていく。
僕もあとにつづいて、多少危なっかしくもなんとか渡る。
そうして隣のアパートメントを降りていき、途中の窓からさらに隣の建物の屋上へ、そうしてそれをいくつか繰り返して、薄汚れた裏通りを小走りで進んだ。
遠くでパトカーのサイレンが聞こえたような気もしたが、とにかく追手がくる気配はなかった。
大通りから一つ裏通りに面した、とある家にやっとのことでたどり着いた。
そこが、シャンクの家だ。
家といっても上等なところではない。もとはガレージだった建物を無理くり家にしたような感じだ。こんな街のど真ん中で、きれいな庭付きの家なんて、手に入ることなど叶いっこなかった。
「無事に切り抜けると思ってたよ」
シャンクはそういって出迎えてくれた。
彼は、小柄な身体に丸くて小さな耳、灰色の体毛、切れそうなほどに細くて長い尻尾……地球でいえば、ネズミを思わせるような風貌の中年男だ。ただ、その冴えない見た目とは裏腹に、エンジニアとしての能力は一級だ。
キッチンテーブルには大きな無線機が二台並んでいて、雑音混じりのやり取りが垂れ流しになっていた。
「あら、シャンク、また無線の盗聴に熱心なの?」シェーリーはあくびをこらえながら言った。
「盗聴じゃないさ。傍受っていうんだ」
「どっちも一緒でしょ?」
「傍受ならば、犯罪にならないんだよ」
「とにかく、シャンク、今朝は助かった。礼を言うよ」
「だろう?」
「私は、ぐっすりいい眠りだったのに起こされて不愉快よ」
「治安局に連行されるよりはマシだろう。無線を聞いていたけど、部屋に強行突入したみたいだぞ、連中は」
「ほんとうに? あとで大家さんに謝罪の手紙を書かなきゃ」
「まあまあ、とにかく。朝食にはありつけるのかな?」
「もちろんだとも」
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