第2話
お姉さんの用事を先に済ませて、ようやく私たちが百貨店の九階の例の広場までたどり着いた頃には、時計の針は既に三時をまわっていた。
私は前の夜なかなか寝付けず、おまけに慣れない街なかをあちこち連れ回されたものだからすっかりくたびれていたが、そんな疲れも彼女の前に立つや一瞬で吹き飛んでしまい、沸き立つような喜びに息をするのも忘れてしばし彼女に見入っていた。
昼間に見る彼女は夜の姿よりもみずみずしく生命に溢れていて、それがすらりと伸びた手足のたおやかさをより際立たせていた。隣で芽依ちゃんのお姉さんが「へえ、これがその絵なの」と呟いたのも、ほとんど耳に入ってこなかった。
改めてその場に身を置いてみると、広場は実に彼女で満たされていて、いま私が吸いこんだ空気もまた彼女に満ちているということが感覚でわかった。彼女の存在が、この広場とレストラン街を支配しているのだ。だからここでは誰もが、
「ねえ、写真撮ったげようか」
ふいに横から声をかけられて、私は顔から歓喜を放射させて頷いた。私のその勢いに、お姉さんは笑った口元を少しひきつらせて眩しそうな顔をした。
じゃあこの辺に立って、とカメラを構えて私をフレームに収めようとするお姉さんに、そうではなくあの絵だけを撮ってほしいと慌てて懇願する。お姉さんはなるほどという顔であたりを見回すと、上の階の吹き抜けの窓のところまであがって、絵を正面に捉えるアングルから撮影をしてくれた。
おまけにその足ですぐ隣の家電量販店まで寄って、L判サイズで写真印刷までしてくれた。私は感謝の気持ちでほとんど泣きそうになっていた。涙目で写真を胸におし抱く私に、そんなにその絵が好きなのね、でも確かになんだか不思議な色気のある絵だよねえと、お姉さんは呑気そうに笑った。
私は絵の中の彼女に「ケティ」という名前をつけた。本当のところどういう名前なのかはわからないし、そもそもあの絵に題名がついているのかさえ定かではないが、とにかく私が彼女に呼びかける時はその名前を使うことにしたのだ。
写真は万一にも汚さないよう、丁寧にラミネート加工を施した。世の中には写真を元にポスターとかグッズとかを作ってくれるサービスもあるらしかったが、手続き的にも金銭的にも小学生にはハードルが高く、断念した。
私はケティの写真を持ち歩き、夜もベッドの中で長いことその写真を眺めてから眠りについた。心が常にぽかぽかしたものに包まれて、本気で何かを好きになるとこんなにも世界は輝きだすのかと驚いてしまう。充実感がすごい。
そういえばクラスにもアニメのキャラクターに入れ込んでカバンやらペンケースやらひととおり揃えている子がいたなあと、何人か顔を思い浮かべる。ただ私の場合、そういうのよりかは、ひとりの時にケティの写真を取り出してじっと眺めている方がよかった。そうしていると、たまに写真越しにケティと心が通い合っているような感覚を覚えることがあるのだ。
次はいったいいつ彼女の元に行けるだろう。百貨店のある街までは快速電車で二十分ほどで着くので、駅までの道のりを勘定に入れても、休日なら親に内緒で行って帰ってくることもできなくはない。
しかし私は基本的に小心者で、おまけに嘘をつくのが下手だった。友達と遊ぶと言っておいて、もし親がばったり外でその子と出くわしでもしたら。さりとて友達に口裏合わせをお願いするのも、それはそれで面倒なことになりそうな気がした。少なくとも芽依ちゃんは、私が電車に乗ると言ったら一緒についてくるだろう。
悶々と頭を抱える私だったが、その機会は意外に早くやってきた。父は仕事で休日出勤、母と妹は保護者ぐるみのピクニックがあるとかで、私一人が留守番をすることになったのだ。
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