第8話 沈みゆく街、二人の約束

森の中の野営地。

ノエルとテンペストが、クセルの街に突入する数日前から拠点としていた小さな洞穴にて。


テンペストとリーダーを除く四人が焚火を囲み、各々無言で火を見つめていた。


テンペストとリーダーはクセルの街が見える丘へと、現在の街の様子を確認しに向かった。


街を飲み込んだ腐毒の瘴気は、おそらくはそのまま浸食を停止するだろうというのがノエルの予測であった。

だが、それでも腐毒の瘴気の動向に対しては最大限の警戒をもってあたるべきだというテンペストの言葉で、そういう事に決まった。


人間の少年と魔族の少女は互いにもたれ合うようにして寄り添い合い、いつしかそのまま眠ってしまっていた。


「この子たちにとっては人間だとか魔族だとか、そういうことはあまり関係がないんでしょうね」


独り言のように、誰にともなく放たれたそんなノエルの言葉。

だが、ノエルの前で起きている者がリュードしかいない以上、それはリュードに聞かせるために放たれたものであることは間違いなかった。


「……」


リュードは、すぐには答えなかった。

シンとした静けさの中に、パチパチと薪の爆ぜる音が耳に響く。


「あなたが魔族を殺したいというのは聞きました。そして、ノエルであってノエルでないこの私に対して、とてつもない戸惑いを覚えているという事もわかっています。でも、残念ながら今の私が何者かは、私にもわからないんですよ」


「それは、さっきも聞いた」


「ええ、今の私は勇者ライルや聖女ノエルの遺志を継ぎ、腐毒の瘴気を晴らして海の向こう側を見たいと考えています。でも、その意志が本当に自分自身の物なのか、そのことに私自身ですら自信が持てないんです。もしかしたら、明日の朝には突然に別のことを思いついて、今までとは全く違う意思のもとに全く違う事をし始めるかもしれない。私は、そんな自分が少しだけ恐ろしいんですよ。リュード……、今の私はリュードの目から見てどのくらい『ノエル』に見えますか?」


魔族の赤い瞳が、焚き火の炎を写してさらに真っ赤に燃えていた。

その瞳の色は、明らかに生前のノエルのものとは異なっている。


それでもリュードは、なぜかその瞳を懐かしく感じた。

そして、そんな自分に戸惑いを覚えていた。

いつかどこかで、こんな光景を見た覚えすらもしてきてしまう。


「お前には、間違いなくノエルの面影があると思う。でも、やっぱり俺にもわからない。今のお前は、ノエルだったら絶対にしないようなことも、平然とした顔でしている」


「そうなんですか? ……例えば、それはどんなことですか?」


ノエルが、興味深そうに身を乗り出した。

その瞳がキラキラと子供のように輝き、まっすぐにリュードのことを見つめていた。


「そうだな……。ノエルは、白魔術師のくせに血を見ると卒倒するようなやつだった。間違っても自分で自分の腕を引きちぎって平然としていられるようなやつじゃない」


「あはは、流石に一年もこの身体でいるとなれてしまいますよ。あんなのは、まだまだ優しい方ですよ」


「……あと、羞恥心も凄まじかった。養護院にいる時、俺が間違って着替えを見てしまった時には……、見たのは下着姿だけだったのに、その後の一週間まったく口をきいてもらえず目も合わせてもらえなかった」


「下着姿……だけ・・?」


不意に、ノエルの声が低くなった。

パチパチとはぜる焚き火の向こうから、ちょっと目を細めてリュードのことを睨みつけている。


「あ、いや……」


「冗談ですよ。記憶を辿れば、確かにいつかそんなことがあったような気がします。ただ、今更特に恥ずかしいというような感情もありません。今となっては、なんでそんなことに腹を立てていたのかもよくわかりません。だからきっと、やはり私は『ノエル』ではないんでしょうね」


一転して、ノエルは少し遠い目をしながらそう言った。


「でも俺は……、今はもうそんなことはどうでもいいと思うことにした」


「と、言いますと?」


「俺にはお前が分からない。お前にもお前が分からない。だからもう、それについて考えるのは止めにした方がいいのかもしれない」


「何も考えずに、ただの魔族としてこの私を殺すために剣を振るうということですか?」


「そうじゃない。俺は……俺の心に従いたい。俺はかつて、兄さんやノエルと約束したんだ。二人が道の半ばで倒れた時には、俺がその遺志を引き継ぐって……。だから、お前が何者であろうと関係ない。お前に瘴気を払う力がある以上、俺はその力を利用してこの世界から瘴気を晴らす。お前にもその気があるのならばそれでいい。だが、もしお前にその気がなくなったのならば……その時は殺す」


「ふふっ、それは怖いですね」


「ああ……。だから、なるべく長く、そのまま……『瘴気を払いたいノエル』『海の向こう側に憧れるノエル』のままでいて欲しい」


そのリュードの言葉を聞いたノエルが、目を細め、下唇を噛み締めながら笑った。


「そうですか。じゃあ、いったんはこの私で……、私はこのままでもいいんですね?」


「ああ」


さらに細められた赤い瞳に映る炎が、不意に雫となってポタリと床にこぼれ落ちた。


「……え?」


ノエルは戸惑った声を上げながら、その瞳を手で拭った。

ノエルが拭ったそばから、さらにひと雫、そしてふた雫、涙が落ちる。


「……あれ? なんでしょうねこれ。よくわかりませんね」


その涙は、しばらくの間流れ続けていた。


「あはは、なんか変ですね」


そうして、ノエルはしばらく涙と格闘していた。

やがて涙がおさまると、ノエルは顔を上げて微笑んだ。


「それじゃあリュード。私から、あなたに一つお願いをしてもいいですか? 聖女ノエルでも、魔王でもなく、今のこの私として……、あなたに大切なお願いをしたいんです」


「なんだ?」


「もし、私が今の私でなくなってしまった時。もし、そんな時が来たら……、どうかあなたの剣で私を殺してください。でも、それまでは……、存在する全ての脅威から私を護ってくれませんか? あなたにその願いを聞き入れてもらえるのなら、今のこの私は、この世界から瘴気を払うため、全力で瘴気に立ち向かうことを……あなたに誓います」


「……わかった」


「ありがとうございます。約束ですよ」


「ああ、約束だ」


「そうですね。リュードなら、その時になったらちゃんと私を殺してくれそうです」


そう言って笑ったノエルの笑顔は、リュードの知るノエルの物とは少し違って見えた。


そうして、ここからリュードとノエルの旅が始まった。

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勇者が魔王を倒しても、平和にならなかった世界にて 3人目のどっぺる @doppel_no3

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