第3話 沈みゆく街、死に向かう世界
この世界は死に向かっている。
触れた物に『死』と『異形への変貌』をもたらす『腐毒の瘴気』は、遥かな昔からこの世界を覆っていた。
ただし、古くは海の向こう側を覆い隠すのみであったその霧は、いつしか大陸のいたるところで発生するようになっていた。
そして、人間や魔族。動植物や魔物たちの生活圏を脅かし、どんどんと狭めていったのだった。
そんな折、セントランド王国のとある予言者団体がある一つの予言を公表した。
「魔族の王『魔王』を殺せば、世界を侵食する『腐毒の瘴気』は消え果てるだろう」
それまでの人間と魔族との関係は、一言でいえば『不干渉』だった。
だが、この予言を皮切りに各地で人間の軍が興り、各国が魔王討伐へと乗り出した。
元々、腐毒の瘴気の侵食により数少ない正常な土地をめぐって牽制しあっていた各国は、様々な思惑を胸に秘めながらも『魔族』と『魔王』を共通の敵として団結したのだった。
そして、セントランド国王よって「勇者」の称号を与えられた若者により、やがて魔王は討伐された。
勇者、及びそのパーティーのメンバーたちはその命と引き換えに魔王討伐を成し遂げたのだった。
だが、それでも世界から『腐毒の瘴気』は消えなかった。
変わらずに続く『腐毒の瘴気』の脅威に晒されながら、魔王という共通の敵を失った人間達は、やがて残り少ない清浄な土地を巡って苛烈な戦争を繰り広げるようになっていく。
そうして瞬く間に、セントランド王国を含む三つの国が滅亡した。
だまし、殺し、奪い、正義を掲げる。
仲間思いの悪党が人助けをして死んでいき、それをあざ笑う君主たちが多くを手に入れる。
そしてそんな君主や領主たちでさえも、腐毒の瘴気が迫れば土地や住処を捨てて隣地へと逃れるより他にない。
ここは腐毒の瘴気に侵された、ゆっくりと死に向かう世界。
ただ……
そんな、世界でも……
人々は確かに生きていた。
人間も、魔族も、動物も魔物も植物も、確かに生きていた
→→→
「待ってください。私に争う意思はありません」
深くかぶった黒いフードの隙間から、透き通った耳触りの良い声で魔族の女が言い放つ。
「あんたには無くても、俺にはあるんだよ」
そう言って走る速度を緩めず、リュードはそのまま女に向かって剣を振るった。
「はぁ……、酷い人ですね」
身体を真っ二つにしたつもりだったのだが、斬れたのは女の腕だけだった。
ひじから先だけの白い腕が、黒衣の袖口と共にボトリと地面に落ちる。
「相手の意見を丸々無視するそういう姿勢、本当によくないと思いますよ? 私には、争う意思はありませんよ。……ほら」
再びそう言って、魔族の女が
「っ!」
天に向かって掲げられたのは、今しがたリュードが斬り落としたはずの右手を含む
リュードは思わず、地面に落ちた斬り落としたはずの腕を確認した。
だが腕は、変わらずその場に転がっていた。
斬り落とされた腕の傷口が、白く変色している。
何らかの魔術の力だろうか?
「私は白魔術師ですので、千切れた腕を再生するのくらいのことはお手の物です」
「そんな超魔術……、聞いたことがないぞ」
先ほどの爆裂魔術を扱う巨躯といい、ほんの数秒で腕を丸ごと再生するこの女といい、人間の世界ではそうそうあり得ないような超魔術を扱う。
リュードはこれまでに何体もの魔族を殺してきたが、多少魔術に長けているところはあってもここまでずば抜けてという印象ではなかった。
こいつらは、何かが違う。
最大限の警戒心を持ちながら剣を構えなおしたリュードの後ろに、先ほどの巨躯の魔族が音もなくのっそりと立ちはだかった。
大きな影が落ちてきて、リュードは再び奴が起き上がったことを知ったのだった。
巨躯の魔族は、斬り落としたはずの頭を再び胴体の上に乗せ、腹の傷もすでに塞がっているようだった。
「お前もか……」
リュードの前方には黒フードの魔族、後方には巨躯の魔族。
リュードはこの二人に挟み込まれるような位置取りとなっていた。
「私と、その女とは違う」
「違わないだろ? どっちも相当な化け物だ」
「酷いですね。女性を捕まえて『化け物』だなんて……」
「お前の方は、間違いなく化け物だ」
巨軀の魔族が、黒フードの魔族に向かってそう言って。
「あら、あなたまでそんな酷いことを言うんですか? そんな酷いことを言う人には、もうニ度とイチゴジャムを作ってあげないですよ」
「むっ……それは困る。ならば今のは撤回しよう」
聞くに堪えない二人の魔族のやり取りに、リュードは殺意をみなぎらせていた。
黒フードから身をひるがえし、巨躯の魔族の方へ斬りかかる。
……と見せかけて再び反転し、一瞬で距離を詰めて黒フードの胴を横薙ぎ切り裂いた
黒フードの上半身と下半身が真っ二つになり、その両方が地面に転がった。
さすがにこれで死ぬだろう。
リュードはそう思い、巨躯の魔族に向かって剣を構え直した。
「この場合、再生はどちらからになると思いますか?」
足元から、そんな声がした。
それは未だに生きているらしい、黒フードの魔族の声だ。
「……上半身だろうな。そちらの方の質量が大きい」
「そうなると、大事なところが裸になってしまいますね」
「その辺の布で適当に隠せ。もしかして、見られるなら上の方がよかったのか? それは私への当てつけか?」
「うーん。本当は、どっちも別に構わないんですよね。実際はそんなことどうでもいいんですよ」
そんなことを言う黒フードの上半身から、ミチミチと音を立てて下半身が生えてきた。
これはもう、白魔術とか、回復力とか、そういう次元の話ではなかった。
再生能力。それもとんでもないレベルの代物だ。
再び五体満足となった黒フードは、裸の下半身を隠しもせずに、その場にゆっくりと立ち上がった。
黒いローブの上半身から、すらりと伸びた白い脚が伸びている。
「ところで、人間さん。いつまでもここにいていいんですか? この広場は、もうすぐ腐毒の瘴気に囲まれてしまいますよ? そうなれば、あなたは死んでしまいますよ?」
「なに?」
目の前の魔族から、リュードは思わず一瞬だけ視線をそらした。
そんなリュードの視線の先に、いつの間にか紫色のどんよりとした霧が迫っていた。
そして、リュードが視線をそらした一瞬のスキを突き、巨躯の魔族が槌を振るったのだった。
→→→
「っ!」
リュードはその一撃をかわし切れず、鎚の直撃を受けた。
インパクトの瞬間に発動した爆裂魔術によって、リュードは全身を焼かれながら激しく弾き飛ばされていった。
「テンペストさん。今のはルール違反ではないですか?」
「殺し合いにルールなどあるか?」
「どんな場所にも、一定の規律というものが存在します。それは、最低限の礼儀作法と言い変えても良いものだと思います。あなたも騎士の端くれであったのなら、そういったことをキチンと踏まえて行動するべきか思いますよ」
「なら、こういうのはどうだ? さっきそいつは、話をしてる最中の私の頭を、話の途中でいきなり斬り落とした。私とそいつの殺し合いには、ルールなんてものは存在しない。というルールは、私とそいつの間では共通認識だった。きっとそのはずだ」
黒フードの魔族は、すこしだけ考えるそぶりを見せた。
そして、すぐに大きくうなずいた。
「……そうですか。それなら、仕方がないですね。これで多少の溜飲は下がったかと思いますので、私はあの人に治療を施しに行ってきます。テンペストさんは、そこで
「ふん、了解した。だがノエル、あの男には気を付けろ。見る限りは完成には程遠い状況のようだが……、もし完成した斬魔の剣で斬られたら、お前といえど殺されてしまうかもしれないぞ」
「ええ、だからこそ。私はあの人を死なせたくないんですよ。あの人なら、その時が来たら私のことをちゃんとに殺してくれそうな気がするんです。それに……たぶん『ノエル』の知り合いです」
そう言って、ノエルと呼ばれた魔族の女は、弾き飛ばされたリュードの元へと歩み寄っていった。
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