第4話 沈みゆく街、迫る瘴気
「ごめんなさいね。
激しくせき込みながら大量の血を吐き出すリュードの元へ、黒フードの魔族が歩み寄ってきた。
「あんたがそんなつもりじゃなくても……、もう一人の方はそんなつもりだったようだな」
血反吐を吐きながら、リュードは何とか立ち上がろうとして身体を起こした。
だが、身体が言う事を聞かず、背中から背後の瓦礫にもたれかかるように倒れ込んでしまった。
リュードと五倍以上も質量が違うであろう巨躯の魔族から繰り出された大槌の一撃は、想像を絶する威力を有していた。
そしてさらに、そこに爆裂魔術による魔術的な衝撃までもが加わったのだ。
まともな人間であれば、その一撃で跡形も残らずにばらばらに弾け飛んでいるはずだった。
未だにリュードがまともな人間の形をしているのは、リュードの
ただ、不意打ちを食らったのは完全にリュードのミスだった。
結果的に巨躯の魔族は生きていたとはいえ、リュードはついさっきその首を斬り落としたのだ。
黒衣の女魔族についても、上半身と下半身を真っ二つにした。
普通に考えて、それだけのことをされれば魔族といえども死んでいるわけだし、そもそもリュードは殺す気でやっていた。
そんなリュードの意識が途切れた千載一遇のチャンスを、敵が見逃すはずがない。
リュードが魔族達を殺す気で剣を振るっていたのだから、相手も殺す気で来るのは当然のことだった。
「怪我、治してあげましょうか? さっきも言いましたけど、私は白魔術師ですので……。安心して任せてください」
身動きの取れないリュードの目の前にしゃがみこみ、黒衣の魔族が優しげな声をかけた。
その位置は、完全にリュードの剣の間合いの中だ。
それは、リュードが右手に握りしめた剣を横に振るえば……、今すぐにでもこの女の首を落とすことが出来る距離だった。
「自分は、斬られても死なないという……余裕か?」
「そうですね。ご想像の通り、たとえ首を落とされても私は死にませんよ。たぶん、私を殺すことが出来るのは完成した『斬魔の剣』だけですから」
「……試してみるか?」
「それよりも、腐毒の瘴気が迫っています。
「誰が……、魔族なんかに……」
「人に何か頼みごとをするときは、きちんと頭を下げてお願いをするべきだと思いますよ?」
「……」
その瞬間。
リュードの脳裏には懐かしい光景が浮かび上がってきていた。
そう言えば
『聖女ノエル』
リュードやその兄と共にセントランド王国の擁護院で育った、優しさと強さを持った女性。
ノエルはリュードから見て二つ年上で、いつもどこかお姉さん風を吹かせていた。
リュードがゆっくりと頷いた。
「……頼む」
本来ならば、魔族の世話になどなりたくはない。
だが、ここは戦場だ。
戦場では、生き延びるためならばどんなものでも利用する。
たとえ相手が魔族で、その腹の内が全く見えなかったとしても……
たとえその魔族が、懐かしい
このままでは確実に死ぬという傷を負い、さらには腐毒の瘴気が目前に迫っているという状況の中で、この申し出を受けない理由はなかった。
魔族を殺す。
そのためには、魔族の協力でも何でも受けてやる。
「あ、でも一つだけ約束してください。私があなたを治療している最中は、私を斬らないでくださいね。首斬りで私を殺せるかどうかを試すなら、ちゃんと治療が終わってからにしてください」
そう言って、魔族の女はリュードに近づいて白魔術による治療を開始した。
人間の白魔術師の治療を受けるとき時と同じような、暖かな光がリュード胸の傷口を包み込んだ。
「ああ、わかった」
リュードは、再び頷いた。
最低限、身動きが取れるようになればいい。
魔族の女とのそんな約束を守る気など、リュードには全くなかった。
「あ、今嘘つきましたね。リュードは嘘をつくときにはいつもよりもちょっと無表情になるから、わかりやすいんですよ」
「……えっ?」
「でも、普段からわりと無表情だから……それが分かるのは私とライルだけだったんですけどね」
「嘘……、だろ……」
一瞬、リュードすべての感覚が消えた。
目の前が真っ暗になり、自分の肉の焼ける匂いも、どこからともなく聞こえていた叫び声も全て消え失せた。
次に視界が戻った時。
黒いフードの奥から、どこか見覚えのある顔がリュードを見つめていた。
だが、その女は完全な魔族の特徴を有しており、リュードの記憶の中のその人とは根本的に違うものなのだった。
→→→
治療を続ける黒フードの後ろに、一人の男が音もなく降り立った。
先ほどリュードを置いて逃げていった小隊の『リーダー』と呼ばれていた男だ。
男は、無言のまま抜刀と同時に黒衣の魔族の首筋に向けて剣を薙ぎ払う。
鋭い切っ先が風を切り、わずかな風切り音がリュードの耳に響いた。
ギィィィィィン
鋭い金属音をさせて、リーダーの剣が止まる。
その剣を止めたのは、リュードの剣だった。
「あら、ありがとうございます。でも、首を斬られても治療は続けられますので、別に大丈夫だったんですよ」
「……新人。てめぇ何のつもりだ!?」
リーダーが地面を蹴り、一気にリュード達から距離をとった。
黒衣の女は背後の喧騒を意に介さず、引き続きリュードの傷の治療を続けている。
「リーダー、なんで戻ってきた?」
「ふんっ、てめぇがあの魔族に潰されておっ
「優しい人ですね。もしそれが本当なら、ここで私に斬りかかるのは大失敗ですよ。……本当は彼を助けに来たんでしょう?」
「うるせぇっ! わかってんならおとなしく死ねやっ!」
リーダーから投げ放たれた短剣が、黒衣の女の首を貫いた。
喉を後ろから前へと貫通した短剣を、女が前側から力任せに引き抜いた。
大量の血飛沫が舞い、その大部分がリュードの身体に降りかかる。
血の匂い。温かさ。それは本物だった。
だが、舞い散った血液は瞬く間に白い結晶に変わっていき、喉の傷口はやはり瞬く間に塞がっていった。
先ほどリュードが斬り落としたこの女の腕や下半身も、いつの間にか今の血液と同じような白い結晶へと変貌していた。
「ノエル。瘴気に囲まれたぞ」
リーダーを背後から素手で床にたたきつけながら、巨躯の魔族が姿を現した。
「テンペストさん。もう少しであなたが付けた傷の治療が終わりますので、その辺で時間をつぶして待っていてください。……って、もしかして他にも治療する人が増えちゃいましたか?」
「いや、こちらは手加減しておいた。そいつは手加減ができるような相手じゃなかったがな」
リーダーは巨躯の魔族の手で地面に押さえつけられながら、必死にもがいていた。
「死にたくなければ、少しおとなしくしてろ」
巨躯の魔族はそのままリーダーの身体を広場の中央の方へと投げ捨てた。
広場の中央には、
そこへ、リーダーがドスンと背中から落下した。
「さて、終わりましたよ。私の首、斬ってみますか?」
「お前は……?」
「残念ながら、私は聖女ノエルではありませんよ。見てわかる通り……、魔族ですから」
女は両方の手で人差し指を立て、おどけたような仕草で「ツノ」を表すジェスチャーをした。
「そんなことよりも、すでに腐毒の瘴気にとり囲まれたこの場所からどうやって逃げるのか……、それを真剣に考えてみた方がいいかと思いますよ」
周囲の濃霧の中からは、ヒタヒタという複数の足音と共に時折苦し気なうめき声が漏れ聞こえてくる。
それは、腐毒の瘴気に巻かれた生物の断末魔か、もしくはすでに変わってしまった者達の、死してなお続く怨嗟の声か。
「あれ、わたしの首……斬らないんですか? それじゃあ一時休戦という事でよろしいですかね?」
巨躯の魔族から受け取った小さな布を下半身に巻き付けて、心なしか楽し気に、ステップを踏むような足取りで黒フードの魔族は広場の中央に向かって歩き出した。
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