第7話

 筧の見送りから戻って来た錦野がうーん、と唇を尖らせて悩んだ。


「さて、ボクらはどうしたものかね。筧先輩の話からは犯人に繋がりそうな情報はなかったし。それどころか噂の真偽さえ不明なんだもんなあ」


 美術部員という適材から話を聞けたにも関わらず、進展は無し。何かしら有益な情報を手に入れられると思っていた錦野は、残念な気持ちを取り払うために半ばヤケクソの冗談を放ってみた。


「こうなった以上は、美術部員たちをしらみ潰しに当たるしかないか」


「それで名乗り出る犯人が居るはずないわよ。リスクも高い」


「じゃあ天立嬢には何か策があるの?」


「無いわ。ただ考えるだけ」


 ばっさりと切り捨てるような言葉に、錦野は一層げんなりとした表情になった。捨て猫みたいな顔が鬱陶しくなった里巳は、やれやれといった様子で思考回路を口に出し始める。


「筧先輩の話から、まずは犯人が宮路先生を陥れるメリットを考えましょう」


「そんなの本人に恨みがあるか……あとは部活動の停止とか? そのくらいじゃないか」


「そうね。私もそう思う」


 里巳があまりにあっさりと認めたことに錦野は驚く。そんな珍しい表情を拝む余裕もなく頭を捻っていた少女はこう続けた。


「だけど恨みを買っている人間が宮路先生だけとは限らない」


「つまり……宮路とねんごろな関係と言われている謎の女生徒の方が恨みを買っているって言いたいの?」


 里巳は認めたくないながらも一つ頷いた。怨恨が原因ならば確実に『悪意のある行為』だ。最大限、偶然の産物や意図しない結果を探したい彼女としては好ましい状況ではない。


「だけどそうだとしたら、宮路じゃなくて恨みの対象の名前を公にすれば良いじゃないか」


「錦野。この狭いコミュニティでは、うまく立ち回らないとすぐに悪者になっちゃうのよ」


「え?」


 いつかの滝田の受け売りを話すと、里巳は一呼吸入れてから自らの考えを吐き出していく。


「先輩の話にあったでしょう。大伴っていう三年生に絶望して辞めてしまった生徒が居たって。もしその人物が大伴美羽を恨んでいたとして、それは他学年の生徒にまで噂話になっているのよ。そこで大伴美羽を直接攻撃するような真似をしたら……」


「真っ先にその生徒が疑われるってことか。ボクがその立場なら確実にやらないね」


 彼が唯一“探偵”と認められる生徒の言いたいことがわかり、錦野は照合作業のごとく続けた。


「日頃から煙たがられている宮路の名前を出しておけば疑いの目を避けられるし、おまけに部活動は停止して大伴先輩は作業ができなくなる。コンクールに間に合わなくなったら犯人の思う壷だね」


 里巳は大きく頷いた。


「冴えているね。それも悪意を信じたくない天立嬢にしては、随分と人を疑った見解だ」


「……今回ばかりは、状況からしてそんなこと言ってられないでしょ」


 バツ新聞は宮路や美術部に対して悪影響ばかりを及ぼしている。これで犯人が「悪意はなかった」と言うのなら、どの面が、と厚い皮膚を剥がさないと里巳の気は済まなくなるだろう。


「だけどまだ仮説。これで犯人の目星がついたなんて思わないわ」


「わかっているさ。ボクはさっそく、大伴先輩に纏わる噂話を調査してみるよ」


「よろしく」


 そうして錦野は校内へと繰り出した。



 里巳の推理の途中式だけを頼りにして、錦野は学校中を練り歩いていた。放課後、部活動真っ只中の時間帯であり、廊下には生徒も教師も少ない。

 知り合いの男子生徒とすれ違う。彼は汗だくの生徒はタオルで汗を廊下に落とさないように気を遣っていた。向こうも髪を上げた瞬間に錦野の存在に気付き、空いている方の手を上げる。


「お、錦野じゃん」


「おっすー」


 トレードマーク代わりのメガネの位置を直し、にこやかに軽い挨拶を交わすのを忘れない。

 錦野の鯉ヶ谷高校に関する情報の源は、生徒や先生など広い人脈から成り立っている。他人の敷居を跨ぐことが得意な彼は、クラスの垣根を越えて様々なグループに顔を出し、聖徳太子のような耳であらゆる話を集めている。

 さらに他学年の者であっても、委員会や学校行事の実行役員等々へ積極的に参加することで人脈を広げた。もっと言えばSNS上での繋がりもある。

 友達の定義は人それぞれだが、錦野は「友達百人できるかな?」と歌われたら鼻で笑い返すことができる人物であった。


「……お」


 鯉ヶ谷高校一人ツアー、もとい巡回を続ける錦野の目に知り合いの姿が飛び込んだ。そこは一階の下駄箱前。掲示板に新たな貼り紙を貼っている男子生徒が居たのだ。男子生徒は面長で天然パーマの髪を短く揃えており、ニンジンみたいな顔をしている。

 掲示板は生徒たちにとって、現在最もセンシティブな場所なのだが、それでも生徒が不審に思われないことには明確な理由があった。


大藪おおやぶ先輩。こんにちは」


「おや、のぼりクン。久し振りだね」


 大藪信也は二年生で新聞部の現部長だった。十年以上の歴史がある学内新聞『鯉ヶ谷新聞』を運営しており、また“探偵”を自称していた。その理由は、今年に入って彗星のごとく現れた競合相手の存在に起因している。


「どうですか。新聞部はエックス新聞の発行者を見つけられましたか?」


「残念ながらまだなんだよ……だけどね! 奴は必ず捕まえるよ。じゃないと錦野先輩に顔向けできないからね」


 錦野が入学する二年前、兄の朝陽あさひは鯉ヶ谷高校の新聞部で部長を務めていた。大藪は入学当初に朝陽から色々と教わっており、彼を尊敬していた。

 だからこそ弟である幟も新聞部に誘われたのだが、彼はエックス新聞という独自路線を貫きたいがために断った。もちろん大藪はそんな事情を知る由もない。


「そう言えば大藪先輩。今エックス新聞は何やら大きなネタを掴んだみたいじゃないですか。新聞部はどうなんですか」


「宮路先生の話だろう? それについては、一つ面白い情報を持っているんだよ」


「へぇ」


「宮路先生が記事の出た日から休んでいるのは知っているか? 最初は都合が悪くて早退でもしたんじゃないかって思っていたけど、そもそも出勤していなかったそうじゃないか」


 錦野は持して先輩からの長話を待つ。その程度であれば把握しているので興味のない顔を隠すのが大変だった。大藪は生意気な後輩の心中を察することなく「そしてね……」とニンジンみたいな輪郭に親指と人差し指の間の水かきを添え、たっぷりと勿体つけてから言った。


「何でも宮路先生に見舞いに行った生徒が居るそうだよ。それも一回だけじゃなくて複数回ね。オレたちはその人物こそ、エックス新聞が言うところの謎の美術部員――ひいてはエックス新聞の発行者だと推測している」


 この情報には錦野も「ほうほう」と声を漏らし、すかさず脳内にメモを残した。つまり新聞部の推論としては、宮路と男女の関係にある女子生徒が心配してお見舞いに行ったということになる。錦野の中にあるバツ新聞の『告発』の信用度バロメーターがぐん、と伸びた。

 しかしどうしてエックス新聞の発行者と直接結び付くのだろうか。錦野は間違った推論がどのようにして導かれたか聞こうと思ったが、尋ねる前には大藪が喋り出していた。


「なにせ話が話なだけに宮路先生個人への攻撃にしか見えないからね。女子生徒が本人ならば、自分が巻き込まれない形で宮路先生だけを告発した理由もわかるというものだろう?」


「なるほど、一理ありますね」


 真の発行者である錦野からすれば虚実であることは確定しているのだが、一般の生徒の目にはそんな風に映っているのかと新たな学びを得た気分であった。

 次いで大藪は握り拳を震わせて怒りを滲ませ――その大袈裟な身振り手振りが彼のデフォルトでもある――後輩へと決意を語る。


「今回のエックス新聞の所業は同業者としてあまりに見過ごせない。エックス新聞は都市伝説的なニュースばかり取り扱う姿勢が見えていたから良かったが、人の名前を出すのに『噂レベル』じゃあ、あまりにもおざなりだ」


「まったくですね」


 自分が責められている気のない錦野は平然と言ってのけた。無論、大藪は目の前の男子生徒がエックス新聞の発行者であることなど知る由もないので、ここには居ない謎の人物に矛先が向いている。


「くれぐれもオフレコで頼むぜ。エックス新聞の発行者にバレたらトンズラされるかもしれないからね。他ならぬ幟クンだから話したんだ」


 錦野は、大藪が人を信じやすく、そして勝手に喋りたがる癖があることを知っていた。錦野朝陽の弟というだけで疑いもしないのは記者としてどうなのかと甚だ不安を感じていたが、それでも自分と違って捻くれ者でない大藪の元には多くの情報通がやってくる。錦野は彼の人柄、その一点において大藪を評価していた。


「錦野先輩から受け継いだこの新聞部と鯉ヶ谷新聞。守っていくためにも今が正念場だ! この事件、オレたち新聞部が必ず解決してみせるとお兄さんにも伝えておいてくれ!」


「わかりました。頑張ってください」


 揚々と去って行く大藪の背に手を振ると、錦野は静かに息を吐いた。彼がいくら鈍いと思っていても、正体がバレないために油断が許されない状況は精神を擦り減らす。


「……ま、自称探偵が犯人ってのは無さそうかな」


 大藪が今回の件でエックス新聞の発行者を容疑者として挙げているように、錦野の視点からも疑いの余地があるのが新聞部だった。

 新聞部はエックス新聞を目の敵にしている。それもそのはず、錦野は初回の発行からしばらくの間、新聞部の発行するマンネリ化した『鯉ヶ谷新聞』の隣に、これ見よがしに貼っておいたのだ。そうしたことで新聞部はもちろん、日頃学内新聞を読む人間たちの話題をかっ攫った。エックス新聞の初動は彼らを踏み台にしたからこそ成り立っている。

 しかし錦野としては利用価値のあった存在なだけで、感謝の対象にはならないと判断している。寧ろ新聞部がエックス新聞を『宣戦布告』と受け取ったことで“探偵”と“犯人”の対立構図を作り出すことができた。結果的には学内新聞の認知度も上がったのだ。大藪が言った鯉ヶ谷新聞を守るという信念が続いているのは、皮肉にも錦野の手腕があったからに他ならなかった。


「欲を言えば、“犯人”じゃなくて“怪盗”にして頂きたいけどね」


 鮮やかに知名度を盗んだエックス新聞は、薄汚い泥棒ではなく、怪盗。兄である朝陽が携わった新聞を残したいという思いは、何も新聞部だけが抱く気持ちではなかった。


「さて、ボクも探さなくっちゃね。エセ探偵よりもずうっと優秀な探偵がお待ちだ」


 本人は認めていなかろうが、錦野の中で里巳は、誰よりも可能性を追求する力に長けている。悪意をうかがい、そして悪意のない可能性を探求する。これ以上、彼女に与える称号として相応しいものがあろうか。

 だからこそ錦野の仕事は、少しでも多くの情報を掻き集めることである。事象を繋げて真実を見つけるのは、嘘ばかりを書く彼にとって実は苦手な分野なのだ。

 そうして人一倍周囲に気をかけていると、いつもと違う雰囲気を感じ取った。それは特別教室棟の二階で、首を左右に振っている時だった。


「……錦野幟の観察眼は誤魔化せないよ、有名人さん」


 暗いままの美術室で動く影があった。大柄な女子生徒の姿に、錦野は見覚えがある。入学してからというもの、全校集会では壇上に上がる彼女の姿をよく見たから。

 日頃、美術室は必ずと言って良いほど部活動で電気を点けている。しかし宮路が居ないここ数日は授業以外で利用されていないはずだ。

 有益な話は見逃さない。守銭奴も顔負けの執着心は、明かりを消した美術室で大伴美羽が作業をしていることを見つけ出していた。

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