第6話

 翌日の放課後、里巳は『開かずの間』の外扉を畳んだ人差し指で叩いた。合図はノック五回。できるだけ素早く行うと、重い鉄製扉はすぐに開いた。

 手招きで誘われた中には錦野の他にもう一人生徒が居た。里巳と同様にセーラー服を着ていることから鯉ヶ谷高校の女子生徒だということはすぐにわかる。加えて髪をかなり長めに伸ばしており、耳より高い位置でツインテールに結いていた。

 首や体型が全体的に細身で、唇には自然ではない赤みがある。その上には華奢な小鼻と、付け睫毛でぱっちりと見える二重瞼。校則に引っ掛かりそうな水色のシュシュとルーズソックスで全体的に派手である。アニメのキャラクターみたいだな、と里巳は感じた。

 少女は睨むように里巳を見ている。番犬みたく今にも唸り出しそうなほどで、不躾な威嚇をしているようだった。


「……誰」


「昨日言っていたお客様さ」


 錦野は足りない説明だけを残して機嫌の悪い少女の近くへ寄った。


かけい先輩。彼女が天立嬢……優秀な探偵です」


「探偵になった覚えはないわよ」


 不十分の次は不本意な評価に文句を言う。錦野がどう思おうが勝手だが「天立里巳は探偵」などという嘘八百が広まるのはよろしくない。もう二言三言は苦言を呈そうとしたところ、ガタン、と机が鳴った。

 筧と呼ばれた少女は椅子から立ち上がると、勝ち気そうな吊り目をぐいぐいと里巳に近づける。


「なるほど、あんたがあたしの疫病神ってわけ。見た目通り地味臭いオーラが出てるわね」


「何ですか、突然」


 失礼な物言いを失礼とも思わず、女子生徒は胸を反らして二つの髪の束を揺らした。


「あたしは二年の筧華波かなみ。敬意を持ちなさい、後輩」


 無論、名前を聞いたところで里巳が知る由もない。ハテナマークを浮かべる彼女の性格をよく知る錦野が補足した。


「彼女はね、以前美術部の作品に『タバコ』を描いていた唯一の生徒なんだ」


 そんな短い説明だけで、里巳はなるほどと得心する。美術部でアテのある生徒とは、つまり『タバコの件で脅迫することができる生徒』ということだったのだ。

 犯人を公にしないという里巳との約束を守りつつ、自らの利益になるように情報を一〇〇パーセント利用する。記者の狡猾さには、さしもの里巳でさえ脱帽ものである。

 さて、そういう経緯ならば筧が最初から好戦的なのも納得の話だ。里巳は目の前の鬼面と嫌々向き合った。


「あんたがタバコのポイ捨てを見抜いたんですってね。ほんっとに面倒なことしてくれたわ。おかげでこんな男に脅される羽目になったし……」


「弱味に漬け込まれてついてくる他なかった、と。哀れですね、先輩の癖に」


 里巳がこれ見よがしに前髪の下に悪どい笑顔を作ると、筧は「はあ!?」と声を荒らげる。舌戦になればどちらが勝利するかは一目瞭然であった。ゆえに錦野が大袈裟に割って入る。


「ちょっとちょっと。喧嘩させるために呼んだんじゃないってば」


 女子二人が錦野を挟んで睨み合い、あたかも修羅場のような光景になった。ただし里巳の方には正妻も凌駕してしまいそうな余裕綽々の笑みが浮かんでいる。無論、ニヤついた目は長い前髪のせいで見えてはいないのだが。


「筧先輩には美術部の状況を教えてもらおうと思ってね。要はインタビューさ」


「よくもまあヌケヌケと……! タレコミしなかったら滝田先生に全部バラすって言ってきやがった癖に」


「ボクも現状とても危うい橋を渡っているので、必ず約束は守りますよ。お互いにこうして秘密を握り合っているんですから信用してください」


 唸る少女は錦野を睨み続けた。里巳からすれば損得勘定で動く錦野にしかバレていないだけマシではなかろうかとも思ったのだが、そんな風に動ける人間の方が稀だとも知っている。

 とは言えいつ逃げ出してもおかしくはない。里巳はさっさと聞くべきことを聞くことにした。


「宮路先生と美術部生徒の関係は本当なんですか?」


「何で疫病神の後輩に答えてやらなくちゃならないのよ」


 そっぽを向く年長に対して錦野が耳打ちする。


「筧先輩、言ったでしょう。彼女が探偵なんです。天立嬢の質問に答えてもらわないと、約束は果たせませんよ」


 筧が露骨に嫌そうな顔を作った。里巳が「だから探偵じゃない」と心に浮かんだツッコミを放つ間もなく、錦野は筧に聞き直す。


「もう一度聞きます。宮路先生と美術部生徒の間に男女の関係はあったんですか?」


「知らないわよ。正直、噂に聞いたこともなかったわ」


 ぷいと顔を背けた筧に対して、今度は里巳が尋ねる。


「じゃあ、宮路先生に好意を寄せている生徒とかは?」


「あんな几帳面オヤジが好きなヤツ居るわけないでしょ。そりゃ、アンタみたいに根暗そうな生徒が密かに慕ってたって言うなら別だけど」


「錦野。この人、使い物にならないよ」


「何ですって!?」


 わざと言い方を悪くする天立と、叩けば鳴く筧の間に再び錦野が入る。「はいはい。だから喧嘩しないで」と、詰め寄ろうとする筧をブロックしながら言った。


「天立嬢の質問に答えが見つかることが近道だったであろうことは間違いないけど、ボク的に知りたいのは美術部内の関係なんだよね」


 女子二人が怪訝な顔を作ったので、錦野はしかめっ面の方に尋ねた。


「筧先輩。美術部の生徒たちは仲が良いですか?」


「別に特別良くもなければ悪くもないわ。仲が良い友達同士も居れば、一人で黙々とやってる生徒も居る。宮路が時々ガンを飛ばしにくるから活動自体は真面目だしね。それが不倫してたって言うならとんだ笑い者だけど」


 「ふうん」と錦野が顎に手を添えて呟いた。何かを考えている様子に、里巳は尋ねる。


「それを知ってどうにかなるの?」


「覚えていないかい、天立嬢。タバコの件の時、きみは推理で言っていたじゃないか。『タバコを持って来た生徒と美術部員は共犯の可能性が高い』って」


「言ったような、いないような……」


 いかんせん彼女の脳内の記憶スペースは二学期の期末試験の方に割り当てられていた。既に終わった事件とも呼べない問題には興味すら無くしていたのである。

 ただし当事者はそういう訳にもいかない。筧は後輩の底知れなさに顔を青くした。


「……そんなことまでバレてたの?」


 錦野は「今の反応で確証になりました」と嫌味っぽく言った。そして里巳の見えない顔が僅かに歪む。


「やっぱりタバコのことは宮路先生以外の部員たちが知っていたんだ……じゃあ滝田先生に罪を擦り付けようとしたのもわざとだったんですか」


「わざとなんかじゃないわ!」


 筧は叫ぶように言った。錦野はここが『開かずの間』であることを知らせるように人差し指を立てて「しーっ」と顔を寄せる。筧はかあっと荒ぶった心を深呼吸で抑えると、込み上げてきた罪悪感に邪魔されながも二人に答えた。


「他の子たちが言ったのよ。あんなの誰の物かわかる訳ないんだから、そのままにしておけば有耶無耶になるって。でも……」


「誰かさんがポンコツ推理を言いふらしたせいで疑惑が広まっちゃった、ってところですね。それなら良かったです」


「何がどう良かったのよ」


 錦野の話によれば、滝田が疑われる原因になったのは探偵を自称する生徒という話だった。里巳はそのことをちゃんと覚えていて、筧にカマをかけたのだ。


「もしあなた方が『滝田先生が犯人になる』とわかって吸い殻を放置したなら、美術部員たち全員に滝田先生に対する悪意があったということになります。そうだったとしたら、私はあなたを好意的に見ることはできなかったので」


「既に好意的に見られているとは思わないけど」


「それは先輩の態度のせいです」


 筧は、う、と細い喉に言葉を詰まらせる。


「……でも、そうよね。よく考えればあんたが滝田先生の無実を証明してくれたんだもんね」


 思い直したように里巳へと向き直ると、筧は結った髪を肩の前に落とした。


「ありがとう。あたし一生、先生に顔向けできないところだった。そしたら、あたし……」


 その先は言わず、顔を赤らめている。

 ポイ捨て犯は滝田のことが好きである。これはタバコの一件ののちに里巳が錦野に語った憶測だった。二階の美術部の窓から駐車場は見えても、後部座席に座って喫煙していた滝田の様子までは殆ど見えない。

 無論、美術部としての観察眼が良かったという可能性も捨て切れないが、そこまでの執念を発揮するのは並大抵の感情では測れないのではないか――これが里巳の分析であった。

 それを聞いていた錦野は「しめた」と思い、彼女の推理に対する全面的な信頼とある程度のリスクを承知で筧へ接触した。結果は見事、筧を『開かずの間』に連れ出すに至り、あまつさえ口封じまで確約している。

 調子良さそうに口を開こうとした錦野の肩を里巳が小突き、話を進める。


「みなまで言わなくて結構ですよ、先輩。それよりも、今回の件について協力してくださると助かります」


「美術部のみんなには言わないでよ」


「もちろんです。元よりそういう約束ですから」


 薄い胸を張った学ランを睨む筧。鋭い視線の矛先が四角いメガネに変わったので、里巳は自ら改めて話を聞くことにした。


「美術部は今、どういう状況なんですか?」


「部活動もやってないから正確にはわからないけど、普段話す人たちは迷惑って思ってるくらいで、至って普通ね。噂の宮路の女っていうのは、パッと見居なそうだけど」


 今度は素直に答えを貰い、ふむ、と相槌を打った。まずは候補を絞るため、隣で同様に考えている男子生徒へ尋ねる。


「錦野。美術部の人数は全部で何人なの?」


「一年が四人、二年が筧先輩含めて五人。そして三年生が三人で、計十二人だね」


 すらすらと羅列された情報に筧が「キモッ」とあからさまに引いた。錦野の情報収集力は慣れていない人間には毒だった。

 そこで里巳が気になったことがあった。


「美術部はまだ三年生が活動しているんですか?」


「ええ、そうよ。次のコンクールが最後で、ようやく受験勉強に集中するみたい」


「結構な過密スケジュールですね。運動部の早いところじゃ、夏前に終わったって話はザラに聞きましたけど」


 錦野が言った通り、部活動は大会の敗戦等をタイミングに三年生が引退する場合が多い。鯉ヶ谷高校は特別強豪である部活もないので、十一月のこの頃には多くの三年生が受験勉強に身を投じていた。


「さっき言っていた、先輩がよく話す人たちというのは?」


「二年生全員ね。みんな一年の時から宮路のことをうるさいって毛嫌いしてたから、いつの間にかそういう関係になってるなんて思えないけど」


 さっきの口振りから、里巳と錦野も大方の予想はついていた。


「ってかさ。あの記事ってそもそもマジなの? そこのパパラッチ男が書いていないのは信じるとして、宮路を嫌いな誰かがテキトーな噂を流したとか」


「その可能性も探っています。先輩の話を聞く限りでは、宮路先生はあまり人に好かれるタイプではないみたいですから」


 里巳が自分のことを棚に上げて言うので、錦野は目の前の先輩に「こういう子なんです」とアイコンタクトを投げた。やや納得気味の様子を見せた筧は、そこには言及せずに別の愚痴を言い放つ。


「正直困るのよね。じきに作品を完成させないといけないのに、美術室をまともに使わせてもらえないのは」


「他の場所では描けないんですか。家とか」


「当たり前じゃない! ただでさえ大きい紙だし、持ち運んでいたらシワだらけになっちゃうわ。それに画材を毎日乾かす時間も要るから、学校以外じゃ全然できないのよ」


 悲しき現状を話すと、錦野が失礼を承知で言う。


「こう言っちゃなんだけど、うちの美術部の活動は凄く真面目ですね。他校とかだと結構サボりの巣窟になってるって聞くのに」


「他はともかく、うちには宮路が居るし……それと、三年の先輩に凄い人が居るのもあるわね」


「あ。それってもしかして、大伴美羽おおともみはね先輩ですか」


 錦野が唐突に出した名前は、里巳には覚えがなかった。「有名人?」と尋ねると、彼はこう答えた。


「ほら、全校集会でよく賞状を貰っている人さ」


 そう言われても、クラスメイトでさえ大して関心のない里巳だ。別学年の生徒なんて知るはずもなく顔は浮かばない。錦野が説明を入れようとすると、今度は筧が意気揚々と語り出した。


「大伴先輩は真面目にやっている人の筆を折ってしまうくらいの才能がある人よ。実際、三年生の部員の中には彼女との差に絶望して辞めちゃった生徒も居るって噂。ま、あたしが入学する前の話だからホントかどうかは知らないけど」


「凄い逸話ですね」


 他人への興味が薄い里巳でさえ感心した。噂好きの錦野は「調べてみる価値がありそうだな」とワクワク顔だ。

 里巳は嫌味でも何でもなく、至って素直に聞いた。


「先輩は諦めたりしなかったんですか」


「あたしはそこまで本気でやってる訳じゃないからね。中学時代からの友達が高校でも続けるって言ったから入っただけ」


 筧は続けて「だから宮路の熱血指導は性に合わないのよね」と愚痴った。校則違反気味の恰好がそれを物語っているようで、里巳と錦野は各々深く納得したのである。


「どう、天立嬢」


 一頻り話し終わり、錦野が期待に染まる目で里巳を見た。


「どうって言われてもね……」


 しかし証言からすると筧は『バツ新聞』の件とは縁遠いようだ。核心的な情報は見当たらず、強いて言うならば美術部の中に協力者ができたことが今日一番の成果である。


「とりあえず今聞きたいことは粗方聞けました。また何かあったら呼び出しさせてもらいますね。どうせ部活動もしばらく無いでしょうし」


「良い性格してるわね、あんた」


「よく言われます」


 皮肉を受け流す後輩に、筧は何かを諦めた。この天立という少女は頭が回るし、見た目以上に堂々としている。口喧嘩は分が悪い。


「ま、解決してくれるなら何でも良いわ。じゃああたしは帰るわね」


「あ、お帰りはこちらから。安全なところまでお連れしますね」


「学校の中でしょ、ここ」


「そういう建前です」


 安全確認をしたいのは錦野の方だった。『開かずの間』の利用が露見したら偽新聞を探っている場合ではないからである。

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