欠けた悪意にもの申す!

第4話

 美術部顧問、宮路勝臣みやじかつおみと謎の美術部員の不倫記事。エックス新聞を騙る、教師と生徒という禁断の恋を示唆した記事は瞬く間に噂を広げ、日頃フェイクニュースに興味のない人間すら引き込んでいた。

 生徒はもちろん、教師陣もさすがに生徒の悪ふざけとするには看過できないと問題視し始めた。当該の新聞を強制的に取り下げた上で「エックス新聞の発行者は次回から発行をやめるように」と全体連絡が流されたのである。しかし、悪質な噂が簡単に消える訳がない。


「うーん。やられた」


 学内の噂に乏しい里巳がそのことを知ったのは次の登校日、つまり翌週の月曜日だった。その日の放課後、錦野は『開かずの間』の椅子で、スクエア眼鏡の下にある塩顔に深い皺を作っていた。

 全校へ注意が流されたために、今週はエックス新聞の発行を自粛している。恨んでもおかしくない状況であるのにもかかわらず、本人はどこか愉快そうだ。里巳は呆れながら図太い新聞記者を眺めていた。


「匿名性が仇になったと言わざるを得ないね。ボクらはまんまと誰かさんに利用されちゃった訳だ」


「『ら』って、私を巻き込まないでくれる?」


「おっと。これは失敬」


 わざとらしい手刀を里巳はパシッと弾き飛ばした。虚偽報道かつ人権侵害だ。錦野いわく、エックス新聞の犯人探しを始めている人たちも居るらしい。もしも錦野の存在に気づかれたら、彼が今回の犯人にも仕立てあげられるのは間違いなかった。


「こんなことをして何の目的があるのかしら」


「告発って考えるのが妥当だよね。大人を通すと話も面倒なことになる。そういう使い方をしたいなら、エックス新聞は格好のマトだ」


 内容からして錦野の推測は正しいだろう、と里巳は思った。動機はわからないにしても宮路の立場が悪くなったことは間違いない。エックス新聞を標的にしたというよりは「利用した」という錦野の表現が正しいと感じていた。


「記事に書かれた美術部の人の方は特定されたの?」


「いいや、まだだね。だけど部員なんて言っている時点で、どうやったって限られるからなあ。ましてや学校なんて場所じゃ時間の問題も良いところだよ」


 里巳は自分に関係のないことながら表情を落とした。放っておけば確実に自分の関係がないところで燃え上がり、鎮火する。ただし対岸が見えた時、もしかするとそこには宮路や美術部の生徒ら、そして錦野の焼死体が転がっているかもしれない。

 嫌な想像を働かせてしまう里巳に、身の危険が近い男子生徒は敢えて笑ってみせた。


「やっぱり『不倫』のゴシップ記事は思うところがあるかい」


「くだらない質問しないで」


 ピシャリと言われ、錦野は「失礼」と手刀を切った。彼のブラックジョーク癖もこれ以上は手を出せない。


 里巳の両親はどちらも芸能人だった。しかし里巳が小学一年生の頃、幸せだった家庭は脆くも崩れてしまったのである。

 原因は一つの週刊誌に書かれたゴシップ記事だ。母親が男性と歩いているところを写真に撮られ、不倫の疑いをかけられた。ただしその記事に写っていたのはただのマネージャーで、里巳の母親はいかなる業界とも清い関係しか築いていなかった。

 しかし一度報道されてしまったゴシップには、世間がピラニアの如く喰らいつく。誤報の不倫記事によって両親は常に週刊誌記者に追われることとなり、母親は鬱病を患ってやがて自殺した。父親は自責の念に駆られ、逃げるように里巳を母方の祖母に預けてどこかへ雲隠れしてしまった。過酷な過去を持つ里巳にとって、ゴシップ記事は悪の権化そのものである。


 錦野は黒い前髪に隠れた睨み顔を避けるように教室内をうろついた。そのついでに考えをまとめる。


「とりあえず今後の方針を決めたい。エンターテイナーとしては、このままコケにされて終われないと思ってる。犯人を突き止めて、エックス新聞の名誉を取り戻したい」


 エックス新聞を続ける上で、今後似たような犯行が起きれば問題は拡大するばかり。発行の打ち止めすら求められている現状では、発行者は『悪人』のレッテルを剥がせない。

 そして里巳が何より気がかりなのは、もし誰かが錦野の存在を見破った時、彼が学校中のゴシップを知る人間としてあらゆる報復の対象となることだった。彼女からすれば下らない自称エンターテイナーでも、冤罪を受ける道理にはならない。

 無論、そんな心中は口にも出さなければ、浮かんできた泡を割るように消し去った。


「これが事実だとしても、やり口が気に食わない。人を傷つけることをしたなら、相応の報いを受けるべき」


「それじゃ、協力成立ということで」


 錦野が差し出した細い指を、里巳はぷいとそっぽを向いて無視した。これはあくまで彼女が犯人の所業を気に食わないという一点で協力するのである。目覚めを良くするためであり、決して悪趣味なゴシップ好きのためではない。

 錦野はそんな反応を予想していたように苦笑をこぼしてから言った。


「さあて。本格的な調査を始めたいと思うわけだけども、天立嬢。何か手掛かりはある?」


「あるわけないでしょ」


「そう思って、ボクは少し情報を集めておいたよ。とは言っても核心的なことは何も掴めていないんだけどさ」


 さしもの錦野だって手がかりが無ければ情報収集にも手こずる。里巳もそこを責めるつもりはないが、いくらか不機嫌にされた分の働きはしてもらわないと割に合わないというものだ。


「簡単におさらいしよう。偽エックス新聞――便宜上『バツ新聞』とでもしておこう――は、期末テストのあった十一月の週末。つまり先週の金曜日の朝に、エックス新聞の号外を名乗って発行されていた」


「……その刑事ドラマテイスト、ずっと続くの?」


「もちろん」


「はあ。『バツ新聞』とかいう絶妙にダサいセンスは置いておいて、区別は必要だからそれで良いわ」


 拘るポイントでもなかったので、里巳は何かを諦める気持ちで承諾した。正直なところ、彼女は『エックス新聞』という名前もそれほど好いてはいない。

 内心でそんな風に小馬鹿にされているとは露とも知らない錦野が自慢のネーミングセンスで話を進める。


「突然のバツ新聞では、美術部顧問である宮路と謎の教え子の不倫関係が示唆された。立ちどころに鯉ヶ谷高校の全生徒および教師たちに広まって、今に至る」


「重要なことが抜けてるわ。エックス新聞の発行者は犯人とされ、今に至る、よ」


 無礼を承知で目の前で話す男へと人差し指を向けると、錦野は「それな」と言いながら自分の人差し指を里巳に向けてお気楽な同意を示した。


「ボクらが……じゃないな。ボクが犯人ではないと証明するためには、この悪質な新聞記者――バツ新聞だから犯人を『バツ』としておこう。こいつを見つけて自白させる必要がある」


 里巳が言葉の途中で錦野を睨んだのは、安直なセンスではなく「私の名前を巻き込むな」という圧をかけるためである。エックス新聞はあくまで錦野単独のコンテンツだ。どれだけ記事を提供しても、里巳のスタンスはずっと変わらなかった。

 錦野は言葉選びに気をつけながら話を進める。


「エックス新聞はボクが家で管理している原本と、校内掲示板に貼り出しているコピーしか存在しない。今までに紛失が起きたこともないから、フォントや記事の書き方を真似ることができた犯人は十中八九この学校に居る。一学年は一二〇人だから、全校生徒三六〇人。プラス教師五〇人以上――のべ四〇〇人以上の容疑者の中にね」


「随分と広い規模ね。目眩がする」

 ましてや犯人が単独である確証もない。彼らが立たされている現状が、一介の高校生に与えられる局面としては常軌を逸していることを再確認する。里巳は端整な顔で天を仰いだ。


「現状はそんな感じかな」


「ねえ。手っ取り早い方法は取れないの?」


「手っ取り早い方法、と言うと?」


「宮路先生を直撃するのよ。犯人に心当たりはないかって」


 現状において最も危うい立場に居るのは宮路だ。記事の真偽はともかくとして、犯人を野放しにすることはないのではないか。もしそうなら進んで協力してくれる可能性もある。里巳は思考を放棄できる手段を試しに言ってみたが、案の定、錦野に否定される。


「それをしたら、ボクがエックス新聞の発行者だって言っているようなものじゃないか。もしバツに知られでもしたら、今度はそれをネタにされちゃうかもしれないだろ」


「そうかしら。犯人がエックス新聞を乗っ取ろうとしているのならともかく、今回は告発が目的って意見で一致したじゃない。それでも駄目?」


「リスクヘッジって言葉、知らない訳じゃないでしょ……あと、もう一つ明確な理由がそれを妨げている。宮路先生はおあつらえ向きに、先週の金曜日から休んでいるんだ。噂じゃ、何でも怪我をしたとかってさ」


「何よ。まるで自分が悪いことを自覚しているみたいじゃない」


 この状況で、それも報道当日から休みとは出来過ぎている。実際のところはともかくとして、話を聞きたい宮路が休みでは捜査が難しくなるのは目に見えていた。


「なかなか進展しないのも宮路先生の不登校が大きな理由でね。伴って美術部も活動していないみたいなんだ。まあ、あんな記事が出た手前、生徒同士も顔を合わせにくいとは思うけど」


「言い振りからして、他に情報は集まってないの?」


「残念ながら」


 錦野は申し訳なさそうにかぶりを振った。

 学校中がエックス新聞の話題には敏感だ。その中で情報を探るように動くことはリスクが大きくなる。普段以上の行動が取れずに悶々とする気持ちは彼自身が一番抱えていた。


「何はともあれ、美術部内の情報が欲しいわね。宮路先生とアヤシイ関係の人間が居たかどうかを探れないことには、外野からどうのこうの言っても仕方ないわ」


「ボクもそう思うよ。だから、一つアテを見繕っているんだ」


「アテ?」


 里巳は錦野の顔を見てとてつもなく嫌そうな顔を作った。なぜならその表情があまりにも悪徳なパパラッチと似ていたからである。


「明日、いつも通りこの教室に来てよ。お客様を一名、ご招待しようと思ってね」

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