第3話

 滝田との問答を終え、里巳が今度こそ『開かずの間』に戻ると、そこにはスマートフォンに向かって文章を打ち込む錦野が居た。彼は来週発行のエックス新聞に向けて記事を書いていた。ちなみに鯉ヶ谷高校では生徒が学内で携帯機器を利用することは全面的に禁止されている。無論、それ以上の校則違反を行っている彼にとっては取るに足らない話である。


「現地調査は満足かな。天立嬢」


「そこそこ。滝田先生にも話は聞けたし」


 「それは何より」とスマートフォンを仕舞うと、席に着いた里巳の前に一枚のA4用紙を広げる。怪訝な顔を作った彼女に対して錦野が言った。


「タバコを吸う先生の一覧表さ。口頭で説明すると多過ぎるから、ぜひこの力作に目を通してくれ給え」


 得意げに広げられたのは、エクセル表で作った全教員の名簿だった。力作と呼ぶには、名前の隣に〇‪✕‬があるだけの簡素な資料だが、里巳が呆れ半分で感心するのはその情報収集能力である。‬‬‬‬‬‬


「一体どんなルートを使えば知り得る情報なの」


「自分の足が七割、喜んで協力してくれた滝田先生の活躍が三割ってところかな」


「自分の保身が懸かっているだけあってとても協力的ね。殊勝な心掛けだわ」


 里巳は一覧表をまじまじと見た。四十五人の教員の内、〇印がついているのは三分の一程度だ。基本的に人の顔や名前を覚えていない里巳は、気になっていた教室に関わりのある人物について聞いていく。


「美術部と調理部、それぞれの顧問って誰?」


「やっぱり、気になるのはそこだよね」


 錦野も里巳と同じ推測を抱いていた。彼も既に校舎の構造に目をつけており、タバコが見つかった場所の真上にある教室を疑っていた。


「美術部の宮路みやじ先生も、調理部の北仲きたなか先生も非喫煙者さ。特に、北仲先生は舌が狂うから嫌だって理由付きでね」


「宮路先生っていうのは、四角い強面の人?」


「そうだよ。選択していないのによく知ってるね」


 里巳の性格を知る錦野は物珍しい目で彼女を見た。里巳は「美術室にあった作品を見てたら絡まれたのよ」と主観的な感想を述べる。それを聞いた錦野が納得と同時に笑い出した。


「あの先生は芸術に厳しいからね、良くも悪くも。美術部なんて朝も放課後も休憩無く、みっちり部活をしているよ。通知表の評定を気にするなら美術は選択するべきじゃない、と提言しておく」


「美術部は今日、休みだったみたいだけどね。錦野も被害者?」


「うん、抜かったよ。一学期は三だった」


 五段階評定の中では、提出物と出席に不足が無ければ取れる評価だ。二人して狭い社会における情報の価値を噛み締めたら、錦野が次に用意していた情報を出す。


「それと滝田先生は日常的に車の中で喫煙していたみたいだね」


「本人から聞いたよ。くだらないね。ニコチンに体を蝕まれる前に、首を絞められるなんて」


「それが、蝕んでいるのはニコチンじゃないかもしれないよ」


「え。じゃあタールって言いたいの? それとも一酸化炭素?」


 有害成分を並べる里巳に、錦野は「違う違う」と大袈裟な身振りを交えて否定する。


「ゴシップ好きなボクとしては、滝田先生を嵌めた人間が居るんじゃないかと考えてしまう訳さ」


 錦野が少なからず使う自称を聞き、里巳は辟易とした。

 ゴシップ好き。それが里巳が彼と友達になれない理由だ。里巳は嘘か誠かわからない程度の与太話は好きだが、そこに『誰か』が加わるゴシップは反吐が出るほど嫌いだった。

 しかし面の皮が厚い錦野は、彼女の蔑むような目を無視して言った。


「例えば滝田先生が誰かに恨まれていたとしよう。そして、もしも彼の自家用車内喫煙を見てしまったら、簡単に陥れることができるよね」


 錦野が言いたいのは、つまり件のタバコが意図的に置かれたということだ。正直なところ、里巳も考えなかった訳ではない。計画性のある犯行ならば理由もすぐに納得できる。滝田は別段善人というわけでもないので、誰かから恨まれるくらい人間なら当然だろう。


「だとしたらみみっちい犯人だね。堂々と告発してやれば良いのに」


「勧善懲悪なんてのは、今どき創作の中でしか流行らないさ。天立嬢は偶然買い物に行ったスーパーで万引き犯を見つけたとして、堂々と本人に注意するかい?」


 里巳は言葉に詰まる。度胸なんてものは持ち合わせていない里巳は、万引きの現場を目撃したところで、せいぜい店員に告げ口をするくらいまでしか行動に移せない。

 ただし、机上に空論の言葉を並べるだけならば少しは抵抗できる自信があった。


「そうだとしても、錦野の仮説よりも筋の通る道があるかもしれない」


 事実とわかるまでは、ゴシップ思想に負けたくない。だからこそ里巳は『悪意のない可能性』を考える。

 仮に「タバコを落としてしまう」という事故が起きた時、その場に居たらどうするか。まずは回収手段を考えるはずだがそうはならなかった。

 単に本人が気づかなかっただけなのか。しかし校内でタバコを吸うことは「悪いこと」だ。人智が及ばないほどの間抜けでない限り、揉み消せる悪事は放って置かない。滝田の言い分が良い例だ。

 つまりタバコを落としたのは故意であり、回収できなかった・・・・・・事情を持つ人間が犯人である。里巳は熟考の末にそんな結論に至り、錦野に尋ねた。


「錦野。美術部に知り合いって居る?」


「うん、居るよ」


 顔の広い錦野は即答する。里巳は彼の人脈を信用して言った。


「じゃあ、その人たちが現在進行形で取り組んでいる『テーマ』を調査して来て。あとついでに、美術部に朝の部活動があったのかも。ああ、もちろん先週の金曜日ね」


「何か思いついたね?」


「間違ってたら恥ずかしいから、確信があるまでは言わない」


 里巳は「頼み事をしているのに良いご身分だ」と心の中だけで自嘲すると、ぷいと顔を背けた。対して錦野は、嫌な顔一つ作らずに二つ返事で引き受ける。


「はいはい、オッケーですよ。明日の放課後には情報を持ってくるからね。期待しているよ」



 翌日、里巳は今週になってから都合二度目の『開かずの間』を訪れた。生徒の帰り時間が変わるテスト期間以外は殆ど毎日教室を開けている錦野が、待ち侘びた様子で話し出す。


「美術部は今、女子部員しか居ないみたいだよ。朝の活動はほぼ毎日あり。先週の金曜日もね。こっちがお手製の部員名簿。それでこっちが……」


 里巳は、錦野が先に提示した努力の結晶には目もくれず、彼が出しかけていた小さなメモ用紙をぶんどった。そちらには全員分の作品のタイトルが書いてあるが、それすらも里巳にとってはさほど重要ではない。彼女が知りたかったのは、メモ用紙の最後に走り書きで記された『大人』という共通テーマだった。


「やっぱり」


 里巳が一人で納得するので、錦野は呆れそうな気持ちを隠しながらわざとらしく腰を折った。


「カンの鈍いボクにもわかるように説明をくださいませ、天立お嬢様」


「錦野は、大人と言われたら何が思い浮かぶ?」


「大人? うーん……汚職、贈賄……あ、情報偽造とか」


 ゴシップ脳が、と里巳は心の中だけで罵った。話を打ち切ってやろうかとも思ったが、情報を集めたのは殆ど錦野なので、それに免じて話してやることにした。


「普通に考えたら仕事や家庭、あとは自分の夢なんかを思い浮かべる人が多いと思う。それはそうとして、絵を描くのに『大人』というテーマを与えられたら、わかりやすくするために、それを象徴するような要素を含めるのが妥当だと思わない?」


「ああ、それで『タバコ』と繋がるわけか」


 そう、と里巳が頷いた。そして『開かずの間』の窓際まで歩き、指先で慎重にカーテンを覗いた。


「美術室からは駐車場が見える。このテーマを決めた生徒は、そこから滝田先生を見ていたのよ」


 里巳の説明を聞いて、錦野は「なるほど」と言いながら手を打った。


「喫煙に慣れた人の姿勢や表情を観察していたんだね。だけどタバコの詳しい形は小さ過ぎてわからない。だからタバコだけはどうにか本物を持って来た。そういうことだね」


 錦野の補足に、里巳は再び頷いた。そしてそこから想像できる事態について言及する。


「多分、宮路先生に見つかりかけたんでしょうね。だからつい、美術室から放り投げて捨ててしまった」


「確かに、あの先生に見つかったら大変なことになりそうだもんね」


 里巳の頭には、四角くエラのある輪郭に角が生えた般若の顔が浮かんでいた。美術室を少し覗いただけの彼女に対して、あたかも警備員のような態度を取った宮路のことである。もしあの先生の前で問題行動を起こしたら……と思うと、里巳は以前のように毅然とした態度をしていられる自信はなかった。


「他の生徒は指摘しなかったのかな。それとも居なかった?」


「あの場所で、それも一人だけで絵を描く時間を取るのは難しい気がするわ。だから多分だけど、共犯……というか犯人隠匿ってところでしょうね」


「単独犯の可能性はないと?」


「犯人が完全に単独である可能性があるとすれば、美術室が空いている、かつ宮路先生の監視外でなければならないわ。そんなタイミングが平日の金曜日にあるはずない」


「金曜日より前なら、自力で回収できちゃうしね」


 里巳は頷いた。木曜日の放課後に捨てたのならば回収するタイミングが作れるはずなので、タバコはその朝に捨てられたばかりの物だったということになる。だからこそ美術部が朝に部活動を行っていることが一つの確証になった。


「だから犯人は部活のメンバーに頼んで、教室にタバコを持ち運んだって推理になるわけか……ちなみに宮路先生が共犯って可能性は?」


「教育者がやって良いかどうかは置いておくとして……それなら自分が吸っていることにして回収すれば済む話よ」


 里巳の答えに、錦野は「それもそうか」と納得した。


「滝田先生が駐車場でタバコを吸っていることを知っていれば、犯人に疑いがかかるよりも早く先生が疑われると判断できる。そのまま雲隠れしてしまえば、噂は一人歩きしていずれ消えていくわ」


 犯人としては問題にしないために吸い殻を回収したかったことだろう。しかし『回収できない理由があった』と仮定することで、里巳は今回の推理にたどり着いた。錦野が思い浮かべたゴシップ思想への抵抗としては十分過ぎる成果と言える。もちろん、滝田に容疑がかかるとわかっていながら名乗り出なかったのが悪意と言ってしまえばそれまでなのだが。

 少なくとも自称ゴシップ好きの鼻を明かすことくらいはできただろう。里巳はそれで一旦の満足とすることにした。


「じゃあタバコを描いた生徒が、喫煙の犯人ってことか」


「タバコを吸っているとは限らないわよ。だって吸いかけのタバコの形を知りたいだけなら、火をつけるだけで良いもの」


「どうかな。煙の立つ感じまで見たければ、その場で吸ってもおかしくないよ」


「火がついたままのタバコを机の上に置けないでしょ。教室に臭いも残るし。多分、一度火をつけて、途中で消火した物を持って来たのよ。その時に吸っていたかどうかまではわからないけどね」


 二人はどちらともなく、これ以上は根拠も無い推論だと断じた。


「何にせよ犯人は美術部でタバコを描いている生徒ってわけだ。これで滝田先生を助けられるね」


「でもそれじゃあ、この作品を描いている生徒だけが確実に責められるよ。もし真剣に作品に取り組んでいただけなら、さすがに可哀想」


 滝田に対して明確な悪意があったのかまではわからない。ただし犯人として吊り上げようものなら、その生徒は他の美術部からも切り捨てられてしまう可能性も考えられる。

 里巳としては、悪意があったなら粛清されるべきだとも思う。しかし確証が無いのに責め立てるべきではない。報道は事実に基づいていなければ許されなのだ。

 そんな心配を察した錦野は、妙案を思いついたとばかりに言った。


「何も真犯人を挙げることだけが解決法じゃないさ。ボクらの目的は滝田先生に恩を売ることなんだから」



 週を跨ぎ、再び月曜日がやってきた。先週に引き続き生徒たちが集まった下駄箱前の掲示板にはエックス新聞の最新号が貼り出されている。そのトップ記事には『噂の真相!? 飛来する吸い殻の謎!』という見出しとともに、あのタバコの吸い殻事件に関する情報が書かれていた。


『かつて在籍していた不良生徒たちがタバコの吸い殻を屋上に残したままにしてある。噂の吸い殻は秋風が運んだだけのゴミであり、教師たちの早とちりの可能性も?』


 無論、この記事だけでは滝田の疑いは晴れない。しかしその日の内に、本当に屋上で数本の吸い殻が発見された。日頃は立ち入り禁止の場所だが、エックス新聞を見た生徒が興味本位で立ち入ったところ、ちょうど特別教室棟の裏に落ちてもおかしくない位置にあったのだ。

 当然、たまたま書いた記事が運良く本当だった訳ではない。錦野と滝田は結託し、金曜日の内に本物の吸い殻を風で飛ばないであろうギリギリの位置に残したのだ。

 ゴシップ性が失われたことで『屋上のタバコ』は噂としての価値は低下した上、校則違反者まで出してしまった訳だが、それこそが里巳たちの狙いだった。


「助かったよ、天立」


 エックス新聞が更新されてから数日後、滝田は脈絡もなく里巳に言った。もちろん彼女はタバコの一件を思い出す。言い訳ができるようになった滝田は堂々と教壇に立てるようになり、また職員室の居心地も戻ったようであった。

 里巳は長い前髪の下で、目の前の教師に向かって満面の笑みを作った。


「とんでもない。これからも、あの教室の番人をお願いします」

 滝田からは苦笑いの声が響く。笑いつつそれ以上を言わなかったのは、公に言えない彼なりの了承だった。


「おかげで車の中で吸えなくなっちまったけどな。わざわざ後部座席に座って吸ってたのにさ」


 里巳は「え?」と声を漏らした。特別教室棟の窓からであれば車内の行動がある程度は把握できてしまうことはわかっている。しかし後部座席となればどうだろう。窓を越し、運転席を越してまで行動がわかるものなのだろうか。


「どうかしたのか?」


「あ……いえ。良いじゃないですか。誰を乗せるかわからないんですから、車くらいは臭くない方が良いですよ」


「え、やっぱり俺ってタバコ臭いの?」


 悪事を気にしている人間だからシトラスの香水をふんだんに使っているのだろう。里巳はそう思いながら、柑橘の先にある苦味を嗅ぎつける存在に驚きながら言った。


「女性の嗅覚は男性よりもずっと鋭いって話ですから」


 美術部の観察眼か、はたまた熱情故か。里巳としてはどちらでも良いが、痛い目を見たのだから、滝田にはぜひルールに誠実に過ごして欲しいと思った。

 滝田は「肝に銘じておくよ」と言って、どこかの教室へ向かった。


 月末の期末考査が終わり、二学期の憂いが無くなった十二月初週。月曜日にしか更新されないはずのエックス新聞が『号外』と銘打った記事を出した。

 その内容は、美術部顧問である宮路と、美術部の生徒の誰かが肉体関係にあるという下世話なものだった。

 里巳は二つの驚きに見舞われていた。まず、里巳はもちろん、錦野にも覚えのない話だったこと。そして宮路は、結婚か婚約かはわからないにしても指輪をしていたからだ。


 名指しの不倫ゴシップ記事は、瞬く間に鯉ヶ谷高校の全生徒へと知れ渡った。

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