第1話 大草原のボッチ犬

 皆さん、こんにちは。

 私の名前は「タツロー」と申します。

 見ての通り、毛艶もよろしく、座る姿も精悍なブルテリアにございます。

 まぁ、私の全身をお見せすることがかなわないのは痛恨の極みにございます。


 さて、私の眼前には、蒼天と大海原のような草原が広がっています。

 所々に、島を思わせるような林のような木の密集した場所が散在し、吹き渡る風にそよぐ草のうねりを見れば、と形容した意味もご理解頂けるかもしれません。

 くどいようですが、この風景もお見せすることがかなわないのは痛恨の極みにございます。


 この草原に身を置き、大きなあくびを一つ付き、ゆっくりと眠りにつく!

 私に与えられた至高の時間であり、前世では願っても得られなかった怠惰な日々がここにはあります。


 もっとも、ほんの数刻前までは『ペット』の地位に甘んじておりました私。

 「この大飯食らいのゴクツブシ!」

 確か、飼い主さんと別れた最後の言葉は、この一言だったと思います。

 首輪を外され、ドッグフードなど食料エサともどもにこの大草原に放り出され、『お野良』に昇格いたしましたのがつい数刻前の朝のことでした。


 くだんの飼い主さんは、週末にでもなれば、「キャンプだ!」「バーベキューだ!」とアウトドアへまっしぐらの豪快なご家族でした。

 当然のことながら、お散歩も率先してくれるという、一般的なワン子にとっては、願ったり叶ったりの有り難い飼い主さんのハズなのです。

 ただ、残念な事に私は生来のインドア派なのでした。

 平日の散歩は程々に、週末などは書斎に籠もり、まったりと読書などが出来るのであれば、文句はございませんでした。


 もっとも、ワン子が書斎に居座り、あまつさえ読書に興じる姿など、誰が想像できるものでしょうか?

 部屋に溢れかえるワン子のムダ毛と泥足の汚れ。

 鼻につくのは、ワン子特有の獣臭いニ・オ・イ。

 そして、ヨダレでベトベトになってしまう被害者ほんたち。

 もはや、皆さんの予想される通り、私は書斎への入室を禁止され、玄関か犬小屋周辺が生活圏と規定されてしまいました。

 書籍にしても、ワケの分からない雑誌が投げ与えられ、正直読む気にもなれません。

 せいぜい引き破って、飼い主さんのご機嫌を取るのが関の山でした。


 そして、諸々の鬱積が飼い主さんに溜まった結果、私は大草原へ放逐される事になったのでした。

 まあ、飼い主さんは多少なりとも粗暴なところもあれば、私を見せびらかしては、世間様に対して色々と自慢気に話しているような方でした。

 私としても、富豪のご令嬢が飼い主であったのならば、もう少し上手く立ち回り、穏やかな犬生じんせいをおくれたのかもしれませんが…まぁ、なってしまったものは仕方ありません。


 さてさて、ここまでくると、どうしようもなく不思議に感じられることがあるのではないかと思います。

 お察しの通り、私の犬生活前せいぜんは、四十歳の独身貴族リーマンでした。

 そう、いわゆる人間からワン子に転生してしまったのです。

 ご丁寧にも生活圏を含めた風景は前世から何一つ変わっておわず、変わった事と言えば、身なりと住処ぐらいだけのようでした。


 とりあえず、もう一眠りしてから、今後の身の振り方について、ぼちぼち考える事にします。

 幸か不幸か、ドッグフードも捨ててくれたおかげで、当座の食事は何とかなりそうです。 

 穏やかな日差しと、草原を渡る温暖な風にも導かれ、私は眠ることにしました。


 さてさて、数刻程過ぎてしまった頃でしょうか。

 ヒヤリとする風が頬をくすぐったところで目が覚めました。

 すると、湿り気の有る嫌なニオイが鼻を突いてきます。

 周囲を見渡せば、いつの間にか曇天が広がり、草原の端では雨が振り始めているような雰囲気になっています。


「お前さん、ここは水浸しになっちゃうよ!

 さっさと逃げなさい。」

 私の後方から走ってきたシェルティが立ち止まって声をかけてくれました。


「何処へ逃げれば良いんでしょうか?」

「付いてきなさい!」

 私の質問に間髪入れず、答えると走り出す彼女。

 ですが、私の周りには命の次に大事なドッグフード達が散らかっています。

(仕方ない!)

 ビーフジャーキの袋を口に咥え、ドッグフードの袋を前足で抱えあげ、で走り出す私。

 彼女は、そんな私の姿を二度見して立ち止まってしまいます。


「私の事は気にしないで!

 急ぎましょう!」

「は、はい!」

 颯爽と…まではいきませんが、とりあえず短いスライドで走る私と、私の声で正気に戻ったのか、彼女も走り出しました。


 私達の前方に、島のような小高い林が見えてきました。

「こっちよ!」

 彼女が檄を飛ばしてきます。


 ポツリポツリと雨も振り始めてきました。

 眼前の林に彼女が飛び込み、遅れること、ようやく私も林に飛び込めました。


 さて、林から草原の方へ振り返ると、雨が降るという生易しい状況ではありません。

 もはや滝のような雨、スコールでした。


 滝のように叩きつける雨に、草原は瞬く間に『大海原』に様変わりしていきました。

 やがて、高台になっている林の足元にもヒタヒタと波が打ち寄せてきます。

 どうやら、私は彼女に助けられたようです。

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