吾輩は犬になってしまった

たんぜべ なた。

物語のはじめに

 梅雨はあまり好きではありません。

 ジメジメと身体にまとわりつく生暖かい空気は発汗を促してきて、どうにも気持ち良いものではありません。

 外を見上げれば、灰色の曇天。

 目線を下げると、雨傘をさして歩く人、カッパを着て走る自転車なども心なしか落ち着きがない様に見えてしまいます。

 行き交う自動車も、セカセカと先を急ぐように走り、水たまりでは激しい水しぶきが上がっています。

 灰色のヨウカンのように建ち並ぶビルと、セメントやアスファルトに覆われた地面は、見上げた曇天と同じような景色です。

 辛うじて、雨傘やカッパ、自動車が彩りを与えてくれるのですが、それでもなお灰色は眼前に広がっています。


 昔から梅雨といえば、曇天の空は変わりませんが、そのお膝元では、田園の中から小気味良く聞こえてくるのは、カエルの鳴き声合唱、田んぼの稲を眺めれば、小さなカタツムリがゆったりと葉の上を散歩しています。

 緑色の水田を渡る風は湿気を帯びていましたが、決して不快になるような熱気までは孕んでいません。

 行き交う人々も何処かゆったりしており、出逢えば世間話の一つや二つに花を咲かせ、三々五々に別れていきます。


 今、私が立っているこの場所は、閑静な住宅街の外れに位置し、通勤通学者で賑わう大通りに面した喫茶店です。

 前述の『のどかな自然』からは乖離したところに建っています。


 そんな中、店の窓際へ紫陽花アジサイのポットを置いていく、カスミさんとミユキちゃん。

 味気なかった通りに添えられた赤紫の花々。

 それを眺めるように立ち止まる通行人。

 ほんの小さな静寂と、僅かな憩いが広がります。

 

 本日もペット同伴喫茶『DAWAN』の開店です。


 店内の白いテーブルにも小さな紫陽花アジサイのポットが置かれ、赤紫の花がテーブルの白さを引き立てます。

 窓と反対側にあるカウンターテーブルの奥では、タケシさんがコーヒーカップやカップ皿の準備に余念がありません。

 玄関から一番離れた黒い書斎机では、連れの書斎椅子に座り、愛用のタブレットを操作しているタツローさん。

 そして、書斎机に乗り掛かり、眠そうな顔をしているのはナイトさん。

 その書斎机の横、タツローさんの傍ではミカさんが立って、何やらタツローさんに話しかけています。


 さて、ここまでの文章を一見しますと、極々平凡な喫茶店の開店直後の風景のようにも見えるのですが…。


 「ワンっ!」

 一声吠えて、書斎机から玄関へ向かって走り出すシェルティミカ

 シェルティミカの吠え声に反応して、タブレット画面から視線を玄関へ移すブルテリアタツロー

 書斎机の上で、ぬいぐるみのように動かなかったホーランドロップナイトも耳をそば立て、玄関の方に関心を向けています。

 

 「「「いらっしゃいませ~!」」」

 テーブルを拭いていたカスミさんとミユキちゃん、そしてカウンターテーブル越しにタケシさんが来客に声をかけています。

 

 そう、ここはペット同伴喫茶店の『DAWAN』、人間の店員だけではなく、まで居るのです。


 おもむろにブルテリアタツローが、こちらに視線を向けてきました。

 

 「やぁ、皆さんこんにちは。

  わたくし、タツローと申します。」

 流暢な日本語は、彼の操作するタブレットから聞こえてきます。


 「良ければ、この喫茶店の馴れ初めについてお話しましょう。」

 ニッコリ顔のブルテリアタツロー

 いつの間にか、足元にはシェルティミカが擦り寄り、ホーランドロップナイトまでもが、書斎机の端までにじり寄ってきています。


 「では、しばしの物語にお付き合い下さい。」

 タブレットからは荘厳なコーラスの歌声までもが流れ出し、辺りを見渡せば、タケシさんとカスミさん、ミユキちゃんに先程来店されたお客さんまでが揃って苦笑しています。

 どうやら、とんでもないイベントに巻き込まれたようですね。

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