第6話 名古屋港フラワーガーデン

 7BOXから自宅の部屋に戻った俺は、その場でぶっ倒れそうになるのをなんとかこらえながら、箱一式を押し入れに押し込んだ。押し入れの襖を閉めると同時に限界が訪れ、俺は気を失った。正確に言えば眠りに落ちた。倒れながら寝たのは生まれた初めてだ。夜勤明けの体に、あの体験は拷問ものだったかもしれない。


「…あ・た。あ な た。ちょっと  あなた、起きて」

 目が開かない。かろうじて左目が半分ほど開いた。顔も動かない。リアルに首が回らないという事態を経験した。

「どうしたの、倒れたの?困るわ。すぐに病院行きましょう。立って!だめ?救急車呼ぼうか?」

 俺は俯せのまま口を開け、声を発した。掠れてる

「大 丈 夫 。寝 て た だ け」

「寝てたって、ワイシャツも脱がないで、畳の上にぶっ倒れてるじゃないの。びっくりするじゃない。もー。起きれそう?スイミングのお迎えがあるんだけど」

「分 か っ た。い く よ」

「いくよって、その様子じゃ行けそうもないけど。はー、しょうがない。私が行くわ。今日は寝てなさいよ」

 妻は布団を取り出して俺に掛けた。

「まったく、今日は迎えに行ってってあれほど言っといたのに。もー、やることまだまだあるのに、ほんと使えない!」

 リビングに向かいながら唸る、妻の恨み節が聞こえる。いつものことだ。が、俺は再び眠りに落ちた。相当疲労しているようだ。

 どれだけ寝たんだろう。膀胱を刺激する尿意が限界に達し、目が覚めたようだ。両目を開けたが何も見えない。真っ暗だ。閉じ込められたのか?恐ろしくなって、体を動かそうとした。動かない。焦った。しばらくして両手を畳について、跳びはねるように上体を持ち上げた。よかった。生き埋めにはなってない。荒い息を整え、廊下に面した襖を捜す。手に感触があり横に引いた。

 何時だろう。リビングは和室より明るかった。このご時世、真っ暗闇なんて、そんなにあるもんじゃない。だからさっきはほんとに怖かった。置き時計を見ると午前3時だ。ぶっ倒れたのが何時か分からないが、12時間以上は寝てるだろう。あと2時間半で出勤時間だ。箱で遊びたかったが、時間が無い。2時間ちょっとじゃ無理だ。今からどうしよう。また寝るか?そういえば風呂にも入ってない。こんな夜中にシャワーを浴びるのは近所迷惑かなと思いつつ、やっぱり我慢できずシャワーを浴びた。その後、腹も減ってきたがどうすることもできず、水を飲んで誤魔化しながら朝までじっとしていた。目をつぶりながら大江川緑地公園を思いだしていた。凄い体験だった。また行きたいすぐにでも。うずうずしながら出勤時間を向かえた。

 今日と明日頑張ろう。木曜日には箱の前に座れる。地下鉄の駅に向かいながらそればかり考えていた。いつもの電車に乗り、いつもの乗客をみながら、いつもと違う俺を噛みしめていた。俺は違うんだ、あんたらとは違うんだ。俺には自分を表現できるフィールドがある。想像も付かないワクワクする出来事がこの先、いくらでも押し寄せてくるんだ。我慢していても自然と顔がにやついていく。隣に座ったやつは、さぞや薄気味悪かったろう。朝の六時前からにやにやしながら座っている背広姿のサラリーマンなんて、このおかしなご時世でもなかなかいるもんじゃない。会社についても、仕事なんかそっちのけ。忘れ物はするわ、漢字の誤変換は満載だわ、上司に叱られっぱなしだ。でも、ぜんぜん嫌じゃない。思いだすだけで幸せになるのだ。上司も半ばあきれてる。家に帰り、妻と子供たちを向かえてもどこか上の空。変に思われないように、必死に家事をこなす。ただただ、7BOXが妻に見つかってないか、それだけが、ただ一つのとても重要な問題だった。

 長かった。やっと木曜日だ。子供は先に出た。妻も今玄関の先に消えていった。おっしゃー。ちょっと待て。落ち着け。妻に突っ込まれないように、まず、やることをやれ。洗濯物を干し、洗い物をして、風呂を洗い、掃除機を掛けて、それからだ。すぐにとりかかるんだ。四つのミッションを三十分以内に遂行した俺は、うやうやしく7BOXを取り出し、丁寧にセットした。今日は休みではないが、今から少なくとも4時間は遊べる。フィールド一つはいけるだろう。

「おはようございます、マスター。もっと早く来てください。待ちくたびれました」

「そんな無茶言うなよ。仕事もあるし、家族もいるんだ」

「ええ。でもマスター。7BOXこそがマスターのリアルステージでございます」

「わかってるよ。来れるときは必ず来るから。愛李、怒るなよ。んじゃ、俺をマザーに連れてってくれ」

「了解しました。マスターをマザーの艦橋にお連れします」

モニターから前と同じように光の粒が飛び出して、俺を包む。どきどきしながら俺は目をつむった。意識がどこかに飛んでいく。この感覚、旅立ちの高揚した気持ち、全てが心地よい。気がつくとマザーの艦長席に座っている。両手を少し持ち上げ、ぐっと握った。間違いない。俺は今ここにいる。

「マスター、2回目からは任意のバトルフィールドに侵入できます。モニターをご覧になってくだい」

 モニターには、バトルフィールドの一覧表が表示されていた。一番左に番号、次がフィールド名、次は参加人数だ。フィールドごとに参加上限がちがう。二人しか入れないフィールドもある。その横は備考欄のようだ。なにやら書いてある。

 一つのフィールドで視線が止まった。フィールド名”名古屋港フラワーガーデン”参加人数30名、ユニークアイテム有り、と備考欄に書いてある。現在参加人数は18名。だが、次々と参加者が増えている。

「これだ、フラワーガーデン。ここに決めた」

「了解しました。門(ゲート)、オープン。戦場(バトルフィールド)に進入します」

 これまた前回と変わらず、金色の輪っかがぐーんと拡がっていく

「オールグリーン。戦場に進入しました」

 今回のバトルフィールドは『名古屋港フラワーガーデン』だ。ワイルドフラワーを使った庭園とのこと。種子等によって容易に繁殖でき痩せ地にも耐え、手入れをしなくても美しい花を開花させるものの総称です、とパンフレットに書いてある。今が一年の内で最も見頃だそうだ。確かに色とりどりの花が咲き乱れている。進入した場所はワイルドフラワーの里と呼ばれていて、一眼レフカメラ片手に花を接写する人や、なにやら動画を撮影している人などがいる。プロモーションビデオでも撮っているのか。今地表から3mぐらいの所を飛んでいる。ネモフィラ、ペイントブラシ、チューリップ、ガウラ、シデコブシが今頃咲く花らしい。もちろんブルーボネットも。眼下にワイルドフラワーの絨毯が広がっている。

「マスター。GM(ジーエム:ゲームマスター)からこのフィールドに関するルールが送られてきました。モニターに表示します」

 

【占領マーカーは三カ所、いずれか一つを三分間連続で占拠した者を勝者とする。勝者にはユニークアイテム”希少糖”を与える。同盟を結んだ場合、アイテムは分割し、同盟者全員に公平に分配される。だが総量が増えるわけではない。占領マーカーは偽装されている。制限時間は30分。占領マーカー占拠時間が、制限時間内に3分に達しない場合は時間を延長する。制限時間内に全ての占領マーカーが発見されなくてもゲームは終了する。地形効果が発生する場合有り。プレイヤー用撤退ポータルを発電所放水口にもうける。撤退時のペナルティーは、5ランクレベルダウン。ただし降格後レベルの最下限はレベル1である。この送信を持ってバトルフィールドはロックされ新たなるプレイヤーの参加は認められない。では汝らの前途に幸多きことを】


 30人で三つのマーカを奪い合うというわけか。同盟を組めば有利だが取り分は減ってしまう。しかし、肝心のマーカーが何処にあるか分からない。下手をすれば制限時間内に見つけることすら出来ないという可能性も無きにしも非ず。

 さあて、どうする?まずはどんなプレイヤーがいるのか、そこから始めるか。

「愛李、全プレイヤーを表示できるか」

「現在マスターを含め10名のプレイヤーを確認。それ以外は索敵範囲外です」

「分かった。表示してくれ」

 ずらずらと上から下に向かって表示されたプレイヤー名の中になんと、俺は運がいい。知ってる名前を二つも見つけるなんて。

「愛李、李苑とブラックインパルスにチャット要請」

「了解。その前に、両名よりチャット要請が入りました」

 げ、二人とも素早い。

「つないでくれ。李苑さん、ブラックさん、お元気ですか。ブラックさん省略してゴメン」

「省略オッケイですよ。ホーキングさんこそお元気そうで」

「ほんとー。何処にいらしたんですか?全然会いませんでしたよ。その割にはしっかりレベル上がってる」

 二人のステータスを見ると両名ともレベル6。俺と同じだ。

「何処にって、そんなに箱の中に入れないじゃないですか。仕事とか、家の用事とか」

「ふーん。ホーキングさん、何回ぐらいリアルで戦ったんですか?」

「今日で2回目ですよ」

「えーっ!それじゃたった1回の戦闘でレベル6になったんですかー。ずるい!私なんかもう何回戦ったか憶えてないのに。どんなインチキ使ったんですか!」

「イ、インチキって、そんな」

「ホーキングさん、ほんとに今日で2回目のリアルなんですか」

「え、ええ。そんなにおかしいですか。ブラックさん」

「一回目の戦闘後、現実世界に戻ったとき、何か違和感を感じませんでしたか?」

「いえ、まったく。徹夜明けだったんで、そのままぶっ倒れました」

「なるほど…ではホーキングさんは、7BOX内と現実世界の時間の流れ方が、違うということをご存じないんですね」

「えっ?それってなんですか」

「7BOX内の60分は、現実世界では2分36秒にすぎないんですよ。なんでもゲルフォント定数の逆数にあたるそうで、この世界の時間の流れは現実世界の23分の1だそうです」

「へっ!60分が2分36秒!ってことは…簡単に言うとゲームする時間が満載ありありってことですね」

「そのとおりですよ。だから私も李苑さんも入りっぱなしで。何回かお目にかかりましたよ」

「私なんか、なかなか勝てなくて、レベルダウンも何回も経験してここまでやっと上げたんですよ。ほんとホーキングさんずるい」

 なんてことだ。そんなこと知らなかったぞ。愛李も教えてくれなかった。この二日間のあのじりじりした思いはなんだったんだ。

「でも、一回の戦闘でレベル6とは、尊敬しますよ。ぜひご教授願いたい」

「私も!秘密の独占反対!チート反対!」

 李苑さんからチートという言葉が出るとは驚きだ。もう十分初心者は脱して中級者だ。

「えーと。僕の経験は-」

「マスター!高速で熱源接近。ミサイルです。シールド展開、回避します」

 まったりしたボイチャの時間は終わった。そうだここはリアルステージ、戦場だった。いきなり現実に戻される。一発シールドに喰らった。

「愛李、モニターに状況表示。お二人さん、同盟よろしく。積もる話はあとでしましょう」

「了解。三者同盟復活ですね」

「よろしくお願いしまーす。しっかり援護してくださいね」

 前面のモニターに映し出されたプレイヤー情報をもう一度見る。俺とブラックインパルス、李苑はプレイヤー名が青く表示されている。あと7名は…表示色に変わりは無い。ということは

「愛李、あと7人は同盟なしだな」

「はい、現在確認されてる同盟関係は、私たち3名のみです」

「よっしゃ。お二人さん、戦力集中しましょう。まずはレベル8のFFいきましょう」

「了解です」

「いっけー。みんなで殴っちゃえー」

 俺たちは、周囲10名のプレイヤー中、二番目にレベルの高い”FF”に狙いを定めた。さっき飛んできたミサイルはFFが発射したようだ。ユニットは三つ。タイプは”飛空挺”。一対一なら難しいが、三人であたれば何とかなると思う。それにレベルの高い相手には奇襲が一番。速戦即決だ。ブラックインパルスの6機の戦闘機と李苑の四体のロボットが、それぞれ一隻ずつ飛空挺に襲いかかった。なんか手際がいい。内心ちょっと焦る。

「全機出撃、向かって一番右手の飛空挺に集中攻撃。俺も出る。愛李、残りのプレイヤーの動きを見張れ」

「了解です。プレイヤー”シンコレンジャー”東に向かって離れてゆきます。残る5名は戦闘を開始しました」

 いい感じだ。機先を制したか?FFは俺たちの動きに戸惑っているようだ。まず最初に俺を仕留めようとしたのに、いきなり同盟が結ばれ三対一というハンデ戦を強いられるとは思っても見なかったのだろう。3隻を密集させ守りに入った。が、そのままじゃ袋だたきに遭ってやられるぞ。一気にけりをつける。

 そう思って俺がイータのコクピットで2πラジアンモニターをつけたとき、いきなりモニターが真っ白になった。いや、真っ白というよりは強烈な閃光で視界を奪われたのだ。しかも各システムが麻痺してる。ネッシーが吐く炎を喰らったのと似ている。視界が戻りシステムは復旧した。その間隙を突いて、三隻の飛空挺は縦列編隊で包囲を抜けようとしている。

「く、イータ出る」

 俺が射出シークエンスに入り、カタパルトを滑っている途中に愛李から入電。

「危険です。マスター機雷が」

 もう遅い。飛び出たとたん、イータは爆発に巻き込まれた。俺はFFが撒き散らかした機雷原に突っ込んでしまったのだ。機体がぶるぶる震える。損傷率11%。やってくれる。

「アルファ。機雷を除去しろ。メガ撃て。みんな射線から離れてくれ。愛李、射線データを二人に送れ」

 FFは強烈な閃光弾を放ったあと、広範囲に機雷を撒き、俺たちの動きを封じた。李苑は真っ先に突っ込んでいたので案の定、機雷に飲まれて動きがとれなくなっていた。俺も似たようなもの。ブラックインパルスは距離を取っていたので機雷原に飲み込まれずにすんだようだ。アルファは2回メガ粒子砲を発射し、球状の機雷原に穴を開けた。その穴に向かって俺と李苑のユニットは移動していく。この球の中から脱出しないと、まずいことになりそうだ。

 「ホーキングさん、李苑さん。僕がFFの頭を押さえます。二人で後ろから攻撃をしてください。二人の移動速度では、FFより先に機雷原を突破するのは無理のようです」

 ブラックインパルスの言うとおりだ。FFの進路上の機雷は移動している。抜け道を作っているのだ。そりゃそうだ、自分が撒いた機雷に当たってやられる間抜けなことはしない。俺や李苑の周りの機雷も今に動き出すに違いない。

「分かった。李苑さん。僕の方に来てくれ。FFの最後尾の飛空挺を集中攻撃しよう」

「了解でーす。こうなったら強行突破あるのみよ。みんなー。私についてきて」

 李苑のユニットはビームを乱射しながら、俺の方に移動を始めた。機雷がばんばん爆発してるが、お構いなしに進んでくる。肝が据わったら女子は強い。ちょっと圧倒される。

 ブラックインパルスが発射したミサイルを、飛空挺から発射された迎撃ミサイルが打ち落とす。二つのミサイルが消滅した場所から、きらきら鈍い光が煙のように拡がっていく。チャフだ。動いていた機雷が止まったり、動きが鈍くなる。ブラックインパルス、おぬしもやるのう。

 第二波のミサイルが飛空挺に向かう。必然的に迎撃ミサイルが発射される。乱打戦だ。お互い命中させることはできないが、結果FFの足は止まった。俺と李苑は合流したユニットから、最後尾の飛空挺に向けてビーム攻撃を開始した。もう少しで全機合流完了だ。火力もどんどん上がっている。しかし、残っている機雷たちが、システマティックに動き始めた。俺と李苑を包み込んでくる。同時に最後尾の飛空挺は回頭し、船首をこちらに向けた。ミサイルを矢継ぎ早に発射してくる。弾幕が濃い。

「もー!さっきからなによ、やりたい放題!いい加減にしないと怒るわよ-!!」

 李苑が叫んだ。ユニット名【アーサー】が先頭に躍り出た。左手に握った盾がぐぐーんと大きくなり、アーサーは完全に盾の陰に隠れた。

「我に続け-!」

 李苑のかけ声とともに四体のユニットは飛空挺に向かって突撃した。ランスロットが弓を放つ。アレキサンダーとユリシーズは剣を振るう。ついに四本の剣が一斉にシールドに突き立てられた。

 たわみ割れてゆくシールド。その間隙に俺の部隊はビームを一斉に放つ。イータは単機突撃し、プラズマソードを飛空挺に突き立てた。勢いよく漏れてくるHeガス(ほんとにヘリウムか?)飛空挺は浮力を失い下降を始めた。真ん中の、たぶんマスターユニットであろう、ちょっとかっこいい飛空挺に狙いを定める。

 飛空挺の両舷から何かが生えだした。機体にそぐわない生物的な動きだ。気持ち悪いぞ。

俺は飛びかかったが、シールドに阻まれた。放たれているビームも突破できない。アーサーたちも飛びかかりシールドを破壊しだしたとき、生えた部分は大きなフィンに変わり、回転を始めた。どんどん回転速度が上がっていく。それに伴って俺たちの周りを風が巻き始めた。風はあっという間につむじとなり、漆黒の竜巻となって俺と李苑のユニットを飲み込んだ。なすがまま、風に翻弄される。何処を飛んでいるのか分からない

「マスター。ユニットの飛行は困難です。風に逆らわないでください。風に乗って脱出するルートを計算し、誘導します。マザー主導のオートパイロットに切り替えてください」

「わかった。愛李、頼む」

 マザーがはじき出したルートに従って、俺たちは竜巻から脱出できた。李苑もぶじ脱出したようだ。竜巻は消え去り、三隻の飛空挺も消えた。逃げられた。

「ホーキングさん、李苑さん。よかった。無事のようですね」

「ええ、何とか大丈夫です」

「私もまだまだ大丈夫ですよ」

「たしかに。李苑さんは相変わらず突撃一本ですね。そのタフさに感服します」

「女は度胸です」

 二人の会話を聞きながら、心の中にじわっと負の感情が染み出す。ちっくしょう、こんなはずでは。

「ホーキングさん。周りの戦闘はとりあえず無視して、マーカー捜しに向かいましょう」

「そ、そうですね。そうしましょう」

 俺は苦虫をかみつぶしながらそう答えた。口の中に黒い苦い味が拡がっていく。ん?なぜだ。苦虫をかみつぶすというのは悔しさを表す慣用句の一つであって、本当に苦虫という虫をかみつぶしているのではない。しかし、今、実際に俺の口の中で苦い変な味覚が拡がっているのだ。

「るっぷ」

 俺は胃の中の消化物が、食道を逆流してくるのを感知した。あわてて口を押さえる。喉の奥でかろうじて逆流を止め、愛李に指示を出す。

「ガンマを索敵モードで飛ばせ。東にフルスピード。ブラックさん、北を。李苑さん、南を頼みます」

「了解」

「わっかりましたー」

「愛李、マザーの全センサーを使ってフィールドの情報を拾え。マザー主導のオートパイロット解除。ガンマ以外マザーの回りに展開しろ」

 周りで行われていたプレイヤーたちの戦闘はまだ続いていた。プレイヤーの数は3名になりレベルは4,4,5。乱入したい気持ちが首をもたげたが、目的を見失ってはいけない。目をつぶり首を振った。目を開けだら視界が回り、頭が痛くなった。これは…乗り物酔いだ。昔、長島でバイキングにのったとき以来だ。俺はイータに酔ったのだ。なんてこった。

「フィールド東部と南部にて戦闘確認。プレイヤー数は東部2,3名。南部6,7名と思われます。マーカー発見報告はありません」

 イータは静かに等速直線運動をしている。俺が酔ったのを知っているようだ。こんな状態で、東区にあるドーム球場1個半分の面積の中から1平方センチメートル程の、しかも偽装されているマーカーをどうやって捜せというんだ。制限時間は20分を切った。考えれば考えるほど気持ちが悪い。だんだん腹も立ってきた。

「マスター。GMより3件のメールが入りました。表示します」

 はー?メール。なんだそれ。ふざけんな。

【件名:ゴータマ・シッダールタ】

【件名:草地の足】

【件名:仰げば緑の十字架】

 これは、これは、いったい…

「ホーキングさん。メール見ましたか!これはヒントですよ。ゴータマ・シッダールタ、釈迦ですね」

「釈迦、釈迦とフラワーガーデン…そうか、そうに違いない。ブラックさん睡蓮ですね」

「僕もそう思います。すぐに水辺に向かいましょう」

「よし、李苑さんもフィールド中央にある橋に向かってください」

「はーい。向かいまーす」

 トピアリーガーデンを越えたガンマが映像を送ってきた。庭園中央に架かる橋を映し出してる。小川のせせらぎのような水の流れは西から東に続き、この辺りでは池のようだ。しかし今の俺には内海のように見える。三河湾だ。水辺に生きる植物が咲き誇る。うわ、糸トンボだ。見たのは何十年ぶりだろう。子供の頃はそこら中に飛んでいたのに。ちょっと感激したところ、それを蹴っ飛ばす愛李の声。

「マスター。花の谷の東に六体のユニット確認。池を泳いでます。プレイヤー名:シンコレンジャー。ユニットレベル29,28」

 さっき戦闘を避け、東に離れていったやつだ。

「こちらも視界に捉えた。睡蓮の花に向かっている。攻撃する」

 ブラックインパルスは上空から、睡蓮の花を調べるシンコレンジャーたちにミサイルを発射した。レンジャーたちはミサイルを打ち落としたり、水に潜ってかわしたりしながら、睡蓮の探索を続けている。攻撃をまったく苦にしてない。

「うーん。手強い」

 ブラックはつぶやく。レベル差がありすぎるか。

「ブラックさんを援護だ。全機最大戦速。いくぞ」

 俺の部隊も速度を上げ戦闘区域に向かう。イータの加速に胃が唸る。我慢しろ。視界にブラックとシンコのユニットが見えたとき、愛李から入電。

「東から小型ユニット多数接近」

 おじゃまUFOか?

「タイプ。艦載機。ガンマ映像拡大。これは、アメリカ海軍次期主力艦載機F-35C。土壌加温フラワーガーデン南の水面上にユニット確認。プレイヤー名:楽毅。前回遭遇時とユニット数、種類変わらず。レベル31」

 31?レベルが上がってる。二つも。

「楽毅の機動艦隊及び、艦載機より多数の熱源。戦艦大和、駆逐艦フォルバンが砲撃開始」

 モニターに大和が放った砲弾の着弾予測地点が表示された。シンコレンジャーたちが群がっている、睡蓮の花だ。

「ブラックさん。ちょっと様子みよう。突っ込むとやばい」

 赤い睡蓮の花の回りに連続して水柱が立ち上る。六人のレンジャーたちは、たまらず水の中に飛び込んだ。ミサイルも着弾し、楽毅の艦砲射撃は勢いを増ばかりだ。あの砲弾の雨のなかで、果たして無事でいられるのか。

 睡蓮の上空に突如として、光り輝く門が現れた。その門が開き、中から六体の猛獣ロボが飛び出してきた。ロボたちは猛然と水柱の中に突っ込み、水中に消えた。しばらくして少し離れた水面から空に飛び出し、V字編隊を組んだ。ああ、そうくるのか。定番だな。

「獣王合体ドマドール!」

 かけ声が響く。六体のロボは合体し、巨大ロボット”ドマドール”になった。剣を振り抜き、大きく振り回す。飛んできたミサイルは、すべて破壊される。シンコもやる。ドマドールはボディから光を放ちながら、睡蓮の花に降り立った。

「シンコレンジャーが占領マーカーに乗りました。カウントダウン始まります」

 マーカーの一つが睡蓮の花だと気づいたまではよかったが、遅かった。先をこされ、奪回したくとも、高レベルプレイヤー達の争いに割り込めない。艦載機と艦砲射撃の中でドマドールはよく耐えている。光がドマドールを包み、ダメージを受け付けないかのようだ。このマーカーはシンコレンジャーの手に落ちたか。

 東に燦めきが灯り、一直線に光の帯が伸びてきた。帯はドマドールを飲み込む。そうか、楽毅にはこれがあった。光の帯が消えるとともに、ドマドールを包んでいた光も消えた。よろめいている。が、まだマーカーの上に乗っている。剣を振り回す力も残っている。F-35Cから放たれたミサイルは、ドマドールには届かない。

「あと30秒、29.28…」

 占領目前だったドマドールの右足が、突然、爆風とともに吹き飛んだ。片足でケンケンしているドマドールに、ここぞとばかりミサイルが撃ち込まれる。剣を花につき、踏ん張ってはいるが、虫の息だ。ヒューンという音とともに、三発の砲弾が飛んでくる。正確にドマドールに着弾、ボロボロになった巨大ロボは花から落ちた。

「マスター。シンコレンジャーはマーカーを占領できませんでした。どういたしますか」

 東の海からゆっくりと、5隻の機動艦隊がやってくる。まさしく空母打撃群と呼ぶにふさわしい。その占領マーカーに乗る者は、楽毅以外には有り得ないのだと、静かに語っている。邪魔する者は容赦しないと、強烈な圧力を放っている。一機のF-35Cが睡蓮の花に降り立った。

「楽毅が占領マーカーに乗りました。カウントダウン始まります」

 俺とブラックインパルスは、ただ見ているしかなかった。なんて強さだ。レベル以上の強さを楽毅から感じる。こんなに強くなれるのか。俺は。

「うわー、ちょっと無理っぽいかも。ホーキングさん、ブラックインパルスさん、次捜しましょうよー」

 李苑の声で我に返った。

「そう、そうですね。ブラックさん次、捜しましょう」

「そうしましょう。相手が悪い。タイマン連勝記録更新中の”波動艦隊”が相手では逃げても恥ずかしくはない」

「へっ?”波動艦隊”」

「間違いないですよ。いま14連勝中なはず」

 タイマンか。すごいな。楽毅の艦隊を見ていると、ふつふつと心に湧き上がるものがある。楽毅の声が聞きたくなった。

「楽毅さん。おはようございます。ホーキングです」

「おおー。お久しぶり。もう慣れた?」

「いえ実は、この前楽毅さんと一緒に戦ったあと、ずっと入れなかったんで」

「そーか。乗り物酔いしてない?」

「はは、してます」

「慣れるまで大変だからねー。体に気をつけて、たくさん入りなよ」

「ええ、そうします。楽毅さん、波動艦隊って呼ばれてるんですか?」

「なんか、みんなが勝手にそう呼び出してね。呼ぶなとも言えないし」

「俺もいつか、二つ名でよばれてみせますよ」

「お、いいね。待ってるよ」

「それじゃ、失礼します」

 俺たちはその場から立ち去った。楽毅はゆうゆうマーカーを占領した。東の方でも戦闘はあったはず。愛李の報告によると2,3名のプレイヤーが戦っていたはずだ。楽毅以外のプレイヤーが現れなかったと言うことは、東部の戦闘を制したのは楽毅だったと言うことだろう。圧勝したんだ。ほんとに強い。俺も強くなりたい。ゲロ吐いてる場合じゃない!

「残るは【草地の足】と【仰げば緑の十字架】ですが、お二人、何か心当たりありませんか?ずーっと考えてるんですけど、さっぱり見当がつきません。水辺にはもう無いと思うので、もといた場所に戻ってみますか」

 ブラックの問いに返答したいが、返す言葉がない。俺もまったくだ。

「草地の足はさっぱり。仰げば十字架ってこの施設の中に、キリスト教的なものは無かったはず。草や木でできた十字架は…ないなー」

「仰げば、仰げば…仰げば上を見る。うーん。僕はいつも飛んでいるので上には空しかない」

「普通の人が仰げば十字架が見えるのかな?それって視線を上に持って行くってことですよね…ん?」

「どうかしました?李苑さん」

「勘違いかもしれないけど、仰げば十字架ありました。緑の」

「えーっ。どこどこ」

「ここに来る前に通った南方面に、西洋風の家を模した建物があったんですよ。その家の上のあたりにに天窓らしき物があって窓枠が十字で緑でした」

「行ってみる価値はありそうですね。李苑さん、案内してください。ブラックさんいきましょう」

「行きましょう。まだ戦闘行為は続いているみたいだ。見つかってないはず」

 三者同盟は李苑の案内に従い進んだ。日本・テキサス友好の庭とファミリーガーデンの間に、その家のような建物があった。家というより一枚の壁だ。東西の面が家のようになっている。東面に丸い天窓が有り十字の枠が施されている。緑色だ。正面に向かったが何もない。十字架の裏に回ることができる。あったー!いつもの占領マーカーだ。

「これは乗れないぞ。愛李、どうすればいい」

「マーカーに接触すれば問題ありません」

 そんなに簡単なことか。悩んで損した。

「ホーキングさん。他のプレイヤーに気づかれたようだ。早く占領しよう。僕は食い止める方に回るよ」

「私も。ホーキングさん、3分間よろしく。絶対誰も近づけないから」

「分かった。イプシロン、マーカーに接触しろ。全機イプシロンを守り通せ」

「イプシロン、マーカーに接触。カウントダウン開始。180秒、179,178…」

 周りで戦闘を行っていた5人のプレイヤー達は戦闘行為を中止し、三者同盟に攻撃目標を切り替えた。レベルは10が一人、7が一人、6が三人。何となくいけそうな気がするが、甘いかな?

 ブラックはさっきと同じようにチャフ入りのミサイルを発射し、相手の動きに制限を掛けた。李苑はアーサーが持つ盾を船に変えた。四体のユニットは魔法の船に乗り込み一斉に弓矢を構える。放たれた矢は相手ユニットに確実にヒットする。ブラックのユニットの内、一機の戦闘機が一撃離脱戦法をとり、相手ユニットの間を駆け抜ける。あのシルエットはF-22ラプターか。二人の動きに迷いがない。できることを確実にやり続けるという意志を感じる。

 俺はといえば、麾下のユニットに命令を出すのが精一杯で、自分自身は全く動けていなかった。イータは中距離からのビーム射撃に終始し、その攻撃も効果があるのか無いのかわからない。少し機敏な動きをすると、吐き気と頭痛がぶり返す。コクピットの中は酸っぱい臭いが充満している。俺と楽毅の会話を聞いていたのだろう。ブラックと李苑は俺をカバーしながら戦っていた。戦況が芳しくなくなっていく。そんなとき、思わぬ助け船がやってきた。

「上空に敵進入ポータル出現。ユニットでます。UMAタイプ、ネッシー三体を確認」

 ここに来てシステムキャラが乱入してきた。簡単に占領はさせないつもりで登場したんだろうが、今の状況では少し遅い。三体のネッシーは、近くのプレイヤーユニットに襲いかかった。三者同盟にとっては思わぬ援軍だ。オペレーターのカウントダウンは続く。

「13,12,11,残り10秒、9,8,7…」

 三者同盟はついに占領マーカーを墜とした。モニターに【緑の十字架占領】の文字が流れる。しばらくすると【草地の足占領】の文字も流れてきた。

「やったー!やりましたね、ホーキングさん、李苑さん」

「ほんとうれしー。やったー。私たち最強コンビですね。すごい」

「ありがとう。お二人のおかげで勝てました」

「最後まで気を抜かないで行きましょうね。うれしくってよく失敗しちゃうから」

「そうですね。無事に戻ってこそ勝利です」

 二人の言う言葉がほんとに的を得ている。俺とブラック、李苑との間になにやらレベル以外の差を感じる。そう、この世界を戦い抜いてきたという経験の差をひしひしと感じる。

「マスターGMよりメッセージが届きました。表示します」


【全ての占領マーカーは陥落した。諸君らの奮闘に賛辞を送る。先程諸君らが出現した場所の近くに、退出ポータルを設けた。速やかに帰還されたし】


 俺はレーダーを見ながら二人に相談した。

「この近くにポータルがあるが、ネッシーはいるわ、プレイヤーはいるわで、近づくのが難しい。ちょっと遠いけど、ワイルドフラワーの里まで戻って、そこのポータルを使いませんか?」

「異議なし」

「私も賛成。んじゃ善は急げー」

 李苑のかけ声とともに俺たち三人は、最大巡航速度で北西に向かって走り出し、戦闘領域を離脱した。

「退出ポータルを確認。直線航路を取ります。ポータルに向かって移動してくるプレイヤーを発見。プレイヤー名“シルキー”ユニットは1体」

 シルキーだって。これまた懐かしい名前だ。喜んでいるとシルキーから音声チャットの要請があった。

「あーら。お久しぶり。お間抜け三人組じゃないの。今日もドジったのかしら?」

 李苑が口を開いた。

「何言ってるのよ。私たちマーカーを占領したわ。あなたこそ今日はミスったんじゃないの?」

「ほほ、あたしがドジなんて踏む分けないじゃない。ちゃんとお宝はゲットしたわよ。あんた達と違って、あたしは一人でゲットしたのよ。群れるしか能が無い弱虫と一緒にしないでほしいわ」

「弱虫ですって!何処見て行ってるのよ」

「あんた達を見て言ってるのよ。文句ある!そんなにあたしと殺りたいの。それとも犯れたいの?アーッハッハ」

 しゃべり方がおネエに替わってる。変な凄味も出てきた。モニターに映ったハイパーアリスは高笑いをしていた。薄いピンクのブリブリドレスを着たとても可愛い姿とは裏腹に、その笑い声は空寒いものであった。レベルは12。いけるか…やっぱり無理だ。悔しいが勝ち目がない。

「今日の所は勘弁してあげるわ。今度会ったら、きつーくお仕置きしてあげるからね。あ、メンドくさいから、三人いっぺんに来てね。それじゃお先」

 ハイパーアリスはポータルの中に消えていった。

「ほんと、今度会ったらぎったぎたにしてやる!」

「たしかに、ボコボコにしましょう」

「しましょう!それまで鍛えておきます」

「そうね、わたしももっと鍛えてレベルアップするわ。ホーキングさん、ブラックインパルスさん。今日はとても楽しかった。またご一緒お願いしまーす」

「了解」

「ええ。ぜひご一緒させてください」

「それじゃ、お先に失礼しまーす」

「私も、ホーキングさん、さようなら」

「お二人さん、ありがとう」

 ポータルに消えていく二人を見る俺の目に強い光が浮かぶ。悠長なことはしてられない、もっともっと強くならなければ。この世界で生き残れない。俺がいかに緩いか思い知らされた一戦だった。

「愛李、外の世界では何分経過したことになるんだ?」

「はい、約1分20秒ほどです」

「なるほど…。ってことは出勤時間まで、まだまだ時間はあるって事だな」

「そのとおりです」

「よし!レベル上げだ。つぎのフィールドに向かうぞ」

「了解です。マスター」

 まずは乗り物酔いから克服しなければ。

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