第4話 リアルステージ

 四日続いた夜勤が終わり帰途につく。七時を回った街は本格的に動き始めている。あと三十分もすれば朝の渋滞が始まる。ホントみなさん、大変だ。俺は世間一般と行動時間がズレているので、渋滞や地下鉄のラッシュに巻き込まれることはない。朝日を浴びて妙なハイテンションになりながら車を走らせる。休みの朝は特にこうだ。眠たいはずなのに眠気が吹き飛ぶ。今日は休みなんだ、何かすることはないか?ただ帰って寝るだけじゃあまりにもったいない。あまりにも悲しいじゃないか。

 高揚する気持ちと反比例して、予定は何もない。ポーんと一日だけ休みがあっても、夜勤明けの平日になにをするというのだ。家族はみんな出払う。俺も今はナチュラルハイでも、十時頃になると薬が切れたようにフラフラになってぶっ倒れそうになる。明日はシフトが変わって朝出勤だ。何でいつも休み明けは、朝から出勤なんだ。明日の今頃はもう会社にいるんだぞ。今から何時間、非拘束時間があるんだ?休みであって休みでない公休日ってどうよ?!

 …だが、今日の公休日はちょっと違う。帰ると『箱』が待っている。愛李の声を聞かなくては。もう三日も聞いてない。妻が買ってきたコーヒー豆で点てたブラックコーヒーを飲みまくって、起きまくらなくては。今日は徹昼(てつひる)だ。予定のある休みってイイね!

 子供たちとエレベーター前ですれ違った。にこっと笑いながら行ってきますの挨拶を交わす。子供は可愛い。でも最近ろくに口をきいてない。玄関を開けて部屋に入ると妻が鏡の前で身支度をしている。おかえり、ただいまの挨拶は素っ気ない。あるだけましか。

 俺は茶碗にご飯を盛りながら朝食の準備をする。おかずは納豆ワンパック。

「洗濯物、お願いね」

 そう言って妻は出て行った。いつものすれ違い。

 扉が閉まると猛然とご飯を掻き込んだ。洗面所に向かい歯を磨き、コーヒーメーカーから一杯、ホットコーヒーをマグカップに入れた。四日ぶりに【7BOX】の前に座る。コーヒーをすすりながらスイッチを入れた。

「マスター、おはようございます。マスターの帰還を愛李、心待ちにしておりました」

 そうか、ありがとう。君だけだ。俺を待っててくれるのは。

「これから7BOXのリアルステージに向かう前に、少々準備をしていただきます。ひとつはユニークユニットの設定、もう一つはマスターユニットの作成です」

 お?またなんか強くなるのか。

「ユニークユニットとは特別な能力を持つユニットです。今あるユニットの内一つを選び、特別な力を付与します。強力な武装でもよろしいですし、ユニットのパラメーターの大幅なアップなどで結構です。マスターユニットとはその言葉通りマスターの為のユニットです。これはマスター専用の機体となります。他のユニットを遙かに凌ぐスペックを持ちます。ではまず、ユニークユニットの設定から始めましょう」

 ふーん。実戦前の補給ってやつか。でも俺専用の機体?どういうことだ。

「マスター、どのユニットにユニーク属性を付与しますか?」

 おお、話が先に進んでるね。ついて行かないと。うーんそうだな。戦闘を振り返ってみて感じたが、雑魚キャラを一掃するマップ兵器がないので、それを導入することにする。

「よし、アルファにマップ兵器を持たせる。タテ、ヨコ10ヘックスぐらいを射程に持つ武器を作ってくれ」

「了解しました。拡散荷電粒子砲もしくは、他面制圧連装ミサイルどちらがよろしいですか?それともマスターに何か案でもございますか?」

 そうだな、月並みだがやっぱメガビーム砲でしょ。

「んじゃ、拡散荷電粒子砲でお願いします。」

「わかりました。早期の試射を行われることをお勧めします。次にマスターユニットの作成に移ります。ユニットタイプの選択から始めてください」

 これは、いままでのユニット作成と同じ要領だ。他のユニットと同じタイプでいいだろう。それそれっと…お!なんかすごくパラメーター高いな。レベル1にしてこのスペックとは。

「このユニット凄いな。めちゃくちゃ強いぞ。チートだぞ、これ」

「当たり前でございます。マスターご自身が搭乗される機体です。そこら辺の量産機と一緒にしてもらっては困ります。愛李が心を込めてカスタマイズしました。あとはファイナルショットを決めていただくだけでよろしいかと思います」

「ファイナルショット?」

「必殺技でございます」

「あーなるほど。そういうことか。うーん。射撃系はさっきアルファに持たせたからなー。よし、近距離系で。ごっつい剣がほしいな」

「わかりました。サイコブレードをファイナルショットといたします。この剣はマスターの精神力を具現化した物です。威力はマスター次第でございます。抜いてみなければ解りませんね」

 おいおい、そんな行き当たりばったりな必殺技ってありかよ。

「これで準備は整いました。いつでも出撃できます。マスター。ご命令を」

 俺はマグカップを口に運んだ。ホットコーヒーが喉元をすぎてゆく。その後フーッと深く息を吐いた。

「よし、行こう出撃だ!」

「では、まいります」

 モニター画面がモザイク状に変化している。まるでデジタルズームだ。そして次にズームアウトしていくと、アニメ調ではない、とてつもなくリアルな愛李の顔が、画面いっぱいに広がっていた。リアルどころか人の顔そのものだ。

「おお、アニメから実写版に移行ですか」

「はい、マスター。本当のステージの始まりです。こちらをご覧ください」

 モニターがうっすらと光りを放ち始めた。蛍の光のように柔らかい。細かな光の粒が画面からはらはらと飛び出してきた。俺はその美しいとも言える、光の粒の舞う様に見入っていた。光の粒は数を増していった。そして俺を包み込むように回りに拡がっていった。夜勤明けも手伝ってか、ぼーっとしていた俺だが、ふと我に返った。何が起こってるんだ?画面の中では相変わらず愛李がにっこり微笑んでいる。

「愛李、これはいったい、うっ!」

 言葉に詰まった。目の前に光の粒が迫ってきたと思ったら、瞳の中に入ってきたのだ。一瞬目の前が光で満たされ何も見えなくなる。俺は思わず後ずさる。しかし、光の粒はどんどん瞳に向かって突っ込んでくる。たまらなくなって目を閉じた。ところが閉じた瞼の上から容赦なく光は入り込んでくる。視界が光に奪われる。いや、目を閉じているからもとから視界などないのだが。

 体が奇妙な感覚に襲われ始めた。手足を感じることが出来なくなっていく。俺の体自体を感じることが出来ない。

「うう、うーわーぁ」

 俺はパニックに陥って叫んだ。しかしその声もすぐに出なくなった。意識がどこか遠くへ跳んでいくような…


 左手の人差し指と中指辺りが暖かい。最初に感じたのこれだった。ゆっくりと目を開け、左手を見ると飲みかけのコーヒーがマグカップに入っていた。

 あ、まだあるんだと思いながら顔を前方に向けた。青い。その青いのがシネコン並みの巨大なスクリーンだと気づくまでしばらくかかった。

 周りを見る。俺は椅子に座っていた。パネルに囲まれている。そこには見覚えのある画面が写し出されていた。五体のユニットのステータス画面だ。

「マスター、ご気分はどうですか?まだ優れませんか?」

 びくっとして俺は声のした左の方に顔を向ける。そこには愛李が立っていた。どんな顔をして俺は愛李を見ていたのだろう。

「マスター、そんな顔をして愛李を見ないでください。解ってはいますが、やっぱり傷つきます」

 斜め下に視線をそらし、左手を口に添えた愛李はとても悲しそうだ。しかし、俺はそれどころではない。愛李から視線をそらさず、マグカップを口に運びコーヒーを一口飲んだ。温かい液体が口の中に拡がり喉元を通り過ぎていく。このコーヒーはさっきまで部屋で飲んでいた物だ。俺はついさっきまで、自分の家の部屋の中にいたはずだ。では、ここは?。

「愛李、ここは何処なんだ。なぜお前はそんな格好をしてつっ立つているんだ?」

「マスター、ここはマザーの艦橋にある司令室です。マスターが座っている席は艦長席です」

「マザーって、そんな。ゲームの話を真面目にするな!」

「私を見てもそう言えますか?マスター」

 目の前に立っている愛李は確かに、リアルに、今ここに存在している事象だった。椅子から立ち上がりゆっくりと回りを見回す。前方の下の方に、愛李のような格好をした女の子たちが座っている。それぞれモニターを見ながら、なにやら作業をしている。結構広い空間だ。前方のスクリーンまでは7~8mはあろうか。よくあるアニメの戦艦のブリッジそのもだ。

「マスター。改めて申し上げます。7BOXのリアルステージへようこそ。不肖愛李、心を込めてマスターにお仕えいたします」

 この言葉を聞くのは二度目だ。

「出撃の命令はすでに承っております。ただいまよりマザーを発進させます」

 愛李は俺の前に空いている席に着いた。他の女の子たちよりたくさんのパネルに囲まれている。

「マスター。おかけになってください」

 俺は黙って席に着いた。

「門(ゲート)、オープン。戦場(バトルフィールド)に進入します」

 愛李(あいり)がいつもの落ち着いた抑揚で報告する。目の前に広がるスクリーンに、小さな金色(こんじき)の輪っかが生じたかと思うと、ぐーんと半径が広がっていく。体が椅子に押しつけられる。本当に動いているのか?とてつもなく精巧に作られたシミュレーターじゃないのか。心に湧いた疑問に目の前のスクリーンが答える。

「オールグリーン。戦場に進入しました」

 報告と同時にスクリーンが上下左右に広がっていく。ただでさえ大きなスクリーンが今や俺の回り一杯に広がって、360°まるでプラネタリウムだ。が、映し出されているのは星じゃない。前方に緑色の壁が見える。下は、アスファルトか。おい、このままじゃ緑の壁に突っ込むぞ。

「前方の障害物を乗り越えます。上昇して衝突を回避、その後下降し、地上30cmの高度で停止。マスターの指示を待ちます」

 緑の壁がザーっと下に下がっていく。壁の上に出ると向こうに何本も木が立ち並んでいる。地面には草がびっしり生えていた。

「本艦、座標○○、○○、□□にて停止。現在敵影なし。」

 愛李の報告も上の空、立ち上がって俺は回りを見渡した。全天球に展開されたスクリーン。後ろにはさっき乗り越えた緑の壁。

「…今、乗り越えた壁は何だ?」

「植物界、被子植物門、双子葉植物網、ツツジ目、ツツジ科、ツツジ属に属するつつじであると思われます」

「…分かった。それでここは何処なんだ」

「今回の指定バトルフィールド。名古屋市南区、大絵川緑地おおえがわりょくちです」

「大絵川緑地…だって」

「外に出て肉眼で確認されますか?マスター」

「外、外だって。ちょちょっと待て。どういう意味だ。何がどうなってるんだ。だいたい今俺が立ってるこの場所、この空間自体がまったく理解できない。それに愛李、お前は二次元のアニメキャラだろ。どうして、なにがいったい」

「マスター。先程ご説明したとおり、マスターはリアルステージにステップアップされました。ここからが7BOXの真のステージでございます。空駈けるユニットを駆り、他のプレイヤーとの戦いに勝ち抜き、戦場で生き残らなければなりません。後戻りは出来ません。不肖オペレーター愛李、いついかなる時もマスターの下僕にございます」

「俺が立っているここは…」

「先程も申し上げたとおり、マスターが作成された、マザーの艦橋です」

 前頭葉がフル回転してオーバーヒートを起こしてる。俺はただ立ち尽くしていた。

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