3 君と未来と『かけがえのないもの』(2)

 晴香と話しているこの時間。ずっと続けばいいのにと思った。しかし、この願いは叶わなかった。思わぬ出来事で。


 玄関で話していると、突然大声が聞こえた。雄叫びにも聞こえる声を上げながら、大人の男が走ってきた。よく見るとその男は刃物を持っている。気でも狂っているかの様だった。


 俺は晴香の方を見た。晴香は青ざめた顔でその男を見ていた。

「逃げて!私が何とかするから!」

 すぐに晴香はそう言った。まるでこの時が来るのが分かっていたかの様に。

「お前を置いて逃げれるわけないだろ!」

「ダメなの!でないと朔也が……。朔也が死ぬの!」

 ……俺が死ぬ。何でそんな知ってるかの様に言うんだよ。そう思っている間に、男はナイフを持ってがむしゃらに突っ込んでくる。


「ダメっ!」

 呆然と立ち尽くす俺の前に、晴香が両手を広げて立ちはだかった。


 男が叫びながら勢いを付けて晴香の胸にナイフを突き刺すのを、俺はただ見守ることしか出来なかった。


「晴香っ!」

 目の前で倒れる晴香を俺は支える。男は我に返ったかのように、その場から逃げ出した。


「ああ……。良かった……。朔也が生きてる……。」

「バカ野郎!それ以上喋るな!」

「えへへ……。私頑張ったんだよ……。朔也のために……。」

 なんだよその言い方。まるで俺が死ぬのが初めてじゃない言い方じゃないか。俺はそう思った。


(……そうか。)

 俺は分かった。この残酷な事実に。朝見たあれは夢じゃなかったんだ。俺が何回も死んでいること。そして、それを晴香は何度も見ていること。しかも目の前で。何度挑戦しても、何回も俺は死んでいたんだ。自分を情けなく思った。そして後悔した。とても深く。底知れないほどに。


「今すぐ救急車を……。」

 そう言ってスマホを取り出そうとする俺の手を、晴香の血の付いた手が震えながら止めた。俺の手を触る晴香の手は冷たく、それでいて仄かに温かった。

「ごめんね……。多分私は助からない……。だからもういいよ……。」

 頭では分かっていた。でも信じたくなかった。ナイフは胸に深く刺さっているし、足元の血はいまだに広がっている。晴香がもう助からないことは目に見えている。それでも晴香に何かしてあげたかった。


「ごめん……。晴香ばっかりに無理をさせて……。」

 俺はそう言うしかなかった。晴香に労いの言葉を掛けること。それが何もしてあげられなかった俺が出来る、唯一の行動だった。


「――バレちゃったか……。でもいいの……。私が勝手にやったことだから……。」

 前が霞む。晴香の顔が見えない。艶のある茶髪が。僅かに生気が残っている目が。俺は泣いていた。涙が止まらなかった。


「私ね……。朔也が他の子と付き合うって聞いたとき……。朔也のこと嫉妬してたんだ……。だからこれは……。私に対する神様の罰なの……。」

 彼女は咳込みながらそう言った。重すぎる。罰にしてはあまりにも。しかも晴香は罰を受ける必要はない。だって――。


「――俺は、お前が一番好きなんだよ。晴香。」

 今分かった。多分、俺は好きなんだ。晴香のことが。俺にとっての、かけがえのない存在。それが晴香なんだ。


「……え?じゃあ私……。今まで勘違いしてたってこと……?」

「……そういうことだな。」

 改めて自分を情けなく思った。どうして今までの俺は気づかなかったんだろう。この気持ちに。もっと早く気づいてれば、晴香は苦しまずに済んだはずだ。なのに俺は……。俺は顔を拭うと、今度は晴香が泣いていた。


「……私の青春は、こんなに甘かったんだ……。」

 そう言う彼女に、俺は晴香に、

「……ありがとな。俺を守ってくれて。」

 そう言って抱きしめた。


「……うん。」

 晴香の涙が、俺の肩を濡らした。

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