第12話 エピローグ

 文化祭が終わって一週間。二学期の中間試験がもう近いらしい。僕は文芸部の部室で参考書をぼんやりと眺めた。

 学校を彩っていた様々な装飾は、文化祭が終わるや否や、すぐさま撤去されてしまった。授業があるため、当然といえば当然ではあるのだが、生徒達の築き上げたものが一瞬で取り壊されてしまうのは、少しだけ虚しい。

 そして今はもう、すっかり平常通りだ。退屈な放課後に、窓の外から聞こえてくる運動部のかけ声。何もかもが穏やかで、代わり映えのしない風景だ。

 そんな風景を眺めながら、少しだけ文化祭のことを思い出す。

 文化祭では、「新・高校オカルト部」が掲載された部誌を漫研が販売していた。それは宗谷さんが企んだことで、橘さんの漫画を否定することが目的だった。部誌の話題を広め、多くの生徒に正当な評価を下してもらおうとしていたのだ。

 しかし、こうして文化祭から一週間が経ったが、「高校オカルト部」の話題は全く耳に入って来ていない。

 それも当たり前かもしれない。いくら話題になっていようが、漫研の部誌は文化祭の目玉企画ではない。

 噂ほど生徒達の関心を引くことができなかったのだろう。購入した人も少ないかもしれないし、購入したとしても、買ったまま内容を読んでいない可能性もある。所詮は学生の創作物。熱心に読む人はいないのかもしれない。

 とはいえ、さすがに一冊も売れなかったということはないだろう。橘さんの友達は買っただろうし、他の漫研部員の友人も買ったはずだ。噂に興味を持って購入した人だって、勿論いただろう。

 その人々が「高校オカルト部」にどんな評価を下したかはわからない。そしてその評価が橘さんに伝わったのか否かも、定かではない。わざわざ訊ねる気にもならないので、真相は闇の中だ。

 僕は参考書を閉じ、窓の外を眺めた。小さな点みたいな生徒達が、忙しなく校庭を蠢いている。野球に陸上に、テニス。少し離れたところではサッカー部が赤と青のユニフォームに分かれ、ボールを奪い合っている。

 それだけではない。体育館ではバスケにバレー。バドミントンに卓球。そして文化系の部活だって、今まさに校舎の中で活動しているのだ。

 このちっぽけな校舎の中で、様々な活動がひしめき合っている。

 僕は宗谷さんの言葉を思い出す。

「命も人生も賭けられない私達が、叶えられるはずがない。何の目的も無く、ただ将来の安定を図って進学校に真面目に通ってる程度の人間が、その資格を得られるはずがないんだよ」

 その言葉の全てが正しいとは思わない。けれど一理ある。というより、あるべきだと考えてしまう。

 努力は報われて欲しい。だから、人生を賭けて挑んだ人間を差し置いて、ひょいと壁を越えてしまう人がいるなんて信じたくはない。

 しかし、人生を賭けることのできない軟弱者としては、それは残酷な言葉だ。全てを捨てずとも、その資格を得ることができないだろうか。……そう考えてしまうのは我儘なのだろうけれど。

 生徒達を眺めながら、ぼんやりと思う。

 一体何故、彼等は校庭を走り回っているのだろう。プロスポーツ選手になりたいわけでもないだろうに。

 案外、彼等も僕と似ているのかもしれない。今、彼等は部活に打ち込んでいる。それこそ、人生を賭けるかのように、何か大切なことを守るかのように。しかし、それが人生で重要な意味を持つことなど、滅多にないだろう。

 彼等も僕と同じなのだ。今は学校の中で役割を背負う。その役割を守るために、懸命に走り回っている。

 だが、高校を卒業してしまったら、それを失ってしまう。そうなったら、一体僕達はどうなってしまうのだろう。

「本当、どうすればいいんだろうね」

 疲労で顔を歪めているであろう運動部諸君に語りかける。校庭をへいこら走りまわる彼等が、少し微笑ましく見えた。

 そう微笑んだところで

「いや、さすがに失礼か」

 自分の浅ましさに嫌気がさした。

 彼らは、僕とは違う。彼らは今、確かに走っている。そしてそれはきっと、彼らの人生において確かな意味を持つはずだ。直接的に目に見えなくても、それでも確実に、いつか彼らを救う何かになるはずだ。

 尤も、それが何であるかは、僕にはわからない。わかるはずがない。

 と、そのとき

「こんにちは、石澤くん」

 部室のドアが開き、一柳さんが入って来た。

「やあ、一柳さん。遅かったね」

「うん。ホームルームが長引いちゃって」

 うちの担任話が長いの、と小さく愚痴を漏らした。疲れた、などとぼやきながら腕を回している彼女を見つめ、少し考える。

 一柳さんは、どうなのだろう。

 オカルトの道は是非とも辞めて頂きたいが、小説や、バンドはどうするのだろうか。彼女の歌は良かった。いまだにあの胸の高鳴りは残っていて、一柳さんを見掛ける度、何故だか少し胸が苦しい。

 とはいえ、彼女がプロデビューを狙っているのかはわからない。宗谷さんも言っていたが、それは狭き門だろう。

 と、その時

「何?」

 僕の視線に気づき、一柳さんは訝しげに僕を見た。

「ああ、いや」

 慌てて目を逸らし

「一柳さんは音楽の道を目指しているのかなって」

「ん?」

「ほら、バンドしてたから」

 そう言うと、一柳さんは少し目を見開いて、

「あっは」

 笑った。

「無理無理。プロ目指せる程の実力はないよ」

「そうなの? とても上手だと思ったけど」

 言うと、一柳さんは少し照れたように、そっぽを向いた。

「まあ、頑張ったし、皆も上手だからあんまり卑下はしたくないけど。でも、プロは無理だって」

「そうなんだ」

「それに、もしもなれたとしても、ならないし」

「え、なれるなら、なりたいんじゃないの?」

 訊ねると、彼女は少し考えて

「仕事と趣味は、一緒にしたくないの」

「なるほど」

 あまりにもわかりやすい返答だった。僕は納得してそれ以上は訊かなかった。

しかし、今度は一柳さんが

「でも、小説の方は、どうしようかなって」

 と切り出した。

「?」

 そこで一柳さんは口籠もった。何か言おうとして、そわそわしている。そして、意を決したように、

「あのね」

 と身を乗り出して言った。そして

「……自慢してもいい?」

 やっぱり躊躇ったのか、そう訊ねた。本当は、誰かに言いたいのだろう。

「どうぞ」

 僕が促すと、一柳さんはわざとらしく咳払いをして、

「実は、小説で賞を貰ったの!」

 一柳さんは少し照れくさそうに微笑んだ。

「賞っていっても、地域の小さな賞だから、プロデビューとか出版とかは関係ないんだけどね。でも、私の小説を評価してくれる人がいるって思うと、なんだか嬉しくて。だから、小説家を目指してみようかなって」

 一柳さんは窓の外へと視線を向けた。

「それに、小説家って兼業が普通みたいなの。だから、学校に行きながらとか、仕事しながらとかでも書けると思うの。だったら、目指すだけ目指してみようかなって」

「……そっか」

 僕が受賞おめでとう、と言うと、一柳さんがありがとうと言った。

 一柳さんは賞を取った。小さな賞らしいけど、それでも他の投稿作品と比べて優れていたことに変わりない。

 しかし彼女は人生を賭ける気はないようだ。宗谷さんの言う「将来の安定を図って進学校に真面目に通っている程度の人間」が、それでも他の人の才能を上回ったのだ。これから一柳さんが作家として活躍できるかはまだわからないが、しかし彼女は全てを賭けることなく、小さな賞を取った。

 その事実が、宗谷さんにとって、橘さんにとって、そして僕にとって、希望となるのか絶望となるかは、僕にはまだ、わからない。

 ただ。

「本当に、おめでとう。凄いと思うよ」

 彼女の背中がまた少し遠くに行ってしまったようで、僕は少し切なくなった。

 窓の外からは、相変わらず運動部のかけ声が聞こえてくる。この小さな世界で、僕達は役割を持っている。しかし、その役割はいずれ失われてしまうのだ。

 卒業する時、僕は一柳さんの隣に立てているだろうか。その背中に追いつけているだろうか。

 西日に照らされた一柳さんの笑顔は、日陰者の僕にはあまりに眩しく、ずっと見つめていることはできなかった。

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