第9話 第二の事件

 橘さんの依頼は、単純なものだった。

「この漫画を描いた人を突き止めて欲しいの」

 作者の捜索。人捜しという点は「柚月ひな」の調査と似ているが、しかし、橘さんの話は奇妙だった。

 橘さんが見せてくれた漫画は、絵が上手だった。当然、それだけでは奇妙とはいえない。しかし、もう一つの重要な特徴が、その漫画を奇妙たらしめる。

 僕は、その漫画に見覚えがあったのだ。絵柄は見たことがなかったが、しかしその漫画はつい最近読んだことがある。

 すなわち。

「……これ、『高校オカルト部』?」

 そう訊ねた僕に、橘さんは頷いた。彼女が見せた漫画は、「高校オカルト部」だった。正確に言うのならば、絵が上手な「高校オカルト部」だったのだ。

 無論、橘さんの絵ではない。橘さんは自分で認めたように、絵が得意ではない。これ程上手な絵は描けない。

「話もコマ割も画面構成も、何もかも私の『高校オカルト部』と一緒。でも、絵だけが違う。つまりね、私の漫画を読んで、上手な絵で描き直した人がいるの」

 それだけならば、まだ奇妙とは言えない。ただ漫画を描き直しただけだからだ。

 しかし、

「その速さが異常なの。この作者は、あり得ない速さで原稿を仕上げたの!」

 橘さんは夏休みに入ってから、一週間あたり約十ページのペースで投稿していたらしい。しかし、それは一週間で十ページ描いていたわけではない。

「読者を引き留めたいから、なるべく短いスパンで投稿したかったの。でも、そんなに速く原稿を仕上げることはできない。だから私は四月……高校入学と同時に描き始めていたの。前もって描き溜めて、夏休みに一気に投稿したってこと」

 つまり、「高校オカルト部」合計六十ページを、彼女は五ヶ月掛けて描き上げたのだ。それが速いのか遅いのか僕にはわからなかったが、そんなものなのだろう。

「でも、この原稿は違う。私が投稿を始めたのは七月の下旬。そして、この原稿が届けられたのは、八月の下旬。もし、この作者が私の投稿を見てから描き始めたのだとしたら、たった一ヶ月で六十ページを描いたことになるの!」

 その異常性が僕にはわからなかったが、月刊連載の漫画が月に約四十ページであることを考えると、確かに速いのかもしれない。

 しかし。

「でも、漫画ってネームの作業があるよね」

 漫画は、いきなり原稿用紙に描き始めるわけではない。漫画の設計図……簡単な絵でコマ割、構図、台詞……等々を決める作業があるのだ。漫画はネームを先に描き、それを元に清書する。橘さんの言葉が正しいのなら、「高校オカルト部」のネームは四月に完成していたことになる。もし、犯人もそのネームを読んでいたのなら、犯人も五ヶ月掛けて漫画を完成させることができるのだ。しかし、橘さんはかぶりを振った。

「私、作業途中の工程を見られるのが嫌いなの。だから、ネームは誰にも見せてない。それに、描き溜めた原稿だって誰にも見せてない。……私、筆の遅さがコンプレックスだから、あんまり長い時間を掛けたって知られたくなかったの」

 つまり犯人は、漫画の投稿が開始される七月下旬まで「高校オカルト部」を読むことができなかった。一ヶ月で原稿を完成させる他ない。

「確かに、奇妙な事件だね」

 漫画を清書した理由。そしてその速さのトリック。確かに幽霊の仕業と考えたくもなるだろう。しかし、これは紛れもない事件だ。誰かが、意図をもって起こした事件なのだ。

 橘さんは漫研。そして彼女は「柚月ひな」の活動とは違って、漫画の活動は隠していないらしい。別に公言しているわけでもないようなので、久瀬高校の全員が彼女の漫画を知っている訳ではないだろうが、漫研の部員や、彼女の知り合いは、彼女の漫画を知っている。つまり、彼女の漫画をリメイクできる容疑者は少なくない。

 そして、夏休み明けに、漫研の机に原稿が置かれていたという。上手な絵柄で描き直された「高校オカルト部」の原稿が。

「こんなことをした犯人が一体誰なのか。一体なんの目的なのか。そして、どうしてこんなに速いのか。石澤くんに依頼したいのはこの謎の解明なの」

 こうして、僕は橘さんの依頼を引き受けることになったのだった。


 休日を挟み、月曜日。いつも通り部室へと向かうと、一柳さんが既に客を迎えていた。宗谷さんと橘さんだ。

 僕は二人に軽くお辞儀をして、席に着く。「柚月ひな」の一件があったため、橘さんと顔を合わせるのは、少し気まずかった。いや、橘さんだけではない。僕は宗谷さんと話すことも少し躊躇してしまう。

 僕は、「高校オカルト部」をリメイクした犯人が、宗谷さんではないかと疑っている。その理由は単純。彼女が先生に「柚月ひな」の活動を密告し、引退まで追い込んだからだ。この短期間で橘さんに二つの事件が降りかかっている。この二つの事件が無関係だとは思えない。宗谷さんには何か意図があって、二つの事件を引き起こしたのではないか、と考えてしまう。

 とはいえ、根拠は何もない。所詮は疑念に過ぎないのだ。疑念を妄信すること、探偵にあるまじきこと。僕はその疑いを胸にしまう。

 と、その時

「あ、そういえば」

 宗谷さんが僕に話し掛けた。

「石澤くんも依頼のこと聞いたんでしょ? 漫画の事件の話」

「うん。金曜に橘さんから依頼されたよ」

 橘さんに目をやると、彼女は控えめに頷いた。

「奇妙な事件だけど、やっぱり犯人はいると思うから……」

「ま、結羽がそれでいいならいいけどね」

 宗谷さんはそう言ったが、依頼先である一柳さんは少しだけ不服そうな顔をしていた。心霊現象として扱っていたところに僕が首を突っ込んで来たので、冷や水を浴びたような気持ちになったのだろう。

「それで、やっぱり犯人がいるの? トリックはわかった?」

 食い気味に宗谷さんが訊ねた。

「いや。まだわからない。そもそも、一ヶ月に六十ページっていうのがどのくらい速いのかわからないし。まだ調査不足かな」

「ふうん。でも、やっぱり私は幽霊の仕業だと思うけどね」

 宗谷さんは「ねー」と一柳さんと微笑み合っている。

 ……まあ、幽霊の仕業ではないとして。漫画を速く仕上げる方法などあるのだろうか。あるとして、どのような方法があり得るだろうか。

 じっと考える。しかし、答えはそう簡単に思い浮かばない。文芸部の部室が少しの間、静寂に包まれた。

 その時、沈黙を打ち破るために何か話題を出そうと思ったのだろうか。一柳さんがいきなり、

「そういえば、宗谷さんってお兄さんが楽器やってるんだよね?」

 と訊ねた。

「え? うん。そうだよ」

 唐突な質問に、宗谷さんは戸惑った様子を見せつつ、答えた。

「瞳には話したんだっけ? お兄ちゃん、大学の時にバンド組んで、ライブとかしてたんだよ。まあ、今は解散しちゃったみたいだけどね」

 そして少し呆れたように言った。

「お兄ちゃんバカでさ、プロデビューするんだってバンド活動にのめり込んじゃって。挙げ句、プロにはなれなくて、大学では単位を落としまくって留年、中退。結構良い大学に入ったのに、今じゃ引きこもりニートだよ」

 その話に笑ったらいいのか、同情したらいいのか、一柳さんは困惑したように微笑み、そして話題を少しずらした。

「宗谷さんも楽器やるの?」

「へ? 私?」

 宗谷さんは笑って手を振った。

「やんない、やんない。楽器はサッパリだし、お兄ちゃんのあんな姿見たら、ねえ」

 一柳さんは少しだけ寂しそうな顔をした。

「でも、プロとかじゃなくても、趣味としてやったら楽しいかもよ」

「まあ、そうかもね。でも、私、他に趣味あるからなぁ」

 そういえば、宗谷さんはラノベ研だと言っていた。音楽とは無縁の趣味を持っているのだ。当然だが、兄妹だからといって同じ趣味を持つわけでもない。

 それにしても、

「そっか、残念」

 一柳さんが落ち込んでいることが不思議ではある。

 少し疑問に思っていると

「あ、そうだ。二人に報告したいことがあったの!」

 宗谷さんがぱん、と小さく手を叩いた。

「『高校オカルト部』についてなんだけど……。ね、結羽」

 そう言うと、宗谷さんは橘さんに目をやった。説明を促すような視線を送っている。橘さんは不本意という様子だったが、渋々口を開けた。

「あのね、描き直された『高校オカルト部』だけど、文化祭で販売する漫研の部誌に掲載することになったの」

「え……」

「奇妙な事件でしょ? だから話題を集めて、部誌の売り上げが伸びるんじゃないかって、他の部員達に頼まれたの」

 描き直された「高校オカルト部」……「新・高校オカルト部」は、夏休み明け、漫研の部室に置かれていたという。当然他の部員も目にしたのだろう。漫研の部員達が、元々「高校オカルト部」を読んでいたというのなら、そのリメイク版に驚いたはずだ。その上、制作速度も速いという。確かに、この奇妙な事件を宣伝すれば、話題となり部誌の売り上げは伸びるかもしれない。

 しかし

「橘さんはそれでいいの?」

「……」

 「新・高校オカルト部」は橘さんの作品というわけではない。原作は橘さんかもしれないが、作画は別人だ。それを漫研の部誌に載せることは、彼女にとって屈辱的なことではないのか。それに、犯人も動機もわかっていないこの漫画は、薄気味悪い。当事者の橘さんにとっては尚更だろう。

「……いいの。私の絵が下手なことくらいわかっているし、もしも上手な絵で描いてくれる人がいるなら、私は嬉しいよ。読者もそっちの方が嬉しいだろうし」

 そうかもしれないが……心なしか彼女の声は落ち込んでいるように思えた。

「じゃ、そろそろ私達部活行くから」

 報告を終えた二人は、席を立った。

「まあ、探偵と霊能力者が協力してくれるなら、どんな真相でも明らかになるよ。きっと」

 宗谷さんは、橘さんを見て微笑んだ。それで橘さんも弱々しい笑顔を作った。

 そして、喧騒の中へと二人は消えていった。


「さて、また事件の依頼をされちゃったね」

 僕は一柳さんに微笑みかける。すると彼女は鬱陶しそうに、そっぽを向いた。

「今回は協力しないよ。絶対に幽霊の仕業なんだから」

「はいはい」

 とはいえ、調査対象は同じ。僕と一柳さんは同じ原稿用紙を二人で覗いた。携帯端末の画面には、橘さんが描いた「高校オカルト部」を表示させ、比較しながら原稿を読む。

 そして改めて、「新・高校オカルト部」を読んで、

「なんというか、読みやすいね」

 二つの漫画は似ている。というより、コマ割、画面構成は基本的に同じだった。違うのはやはり作画だけ。

 それなのに、絵が上手というだけで、漫画全体が整っているように感じた。文字が多く、話が面白くない点は変わらないが、それでも何となく読めてしまう。やはり漫画において絵の技量は大切なのだろう。

 そして、「新・高校オカルト部」を読んで、気づいたことがある。確かに二つの漫画は作画以外が同じだが、絵柄だけが変わっている、というわけではなかったのだ。

「元々は黒髪の男の子が主人公だけど、新しい方は茶髪、かな?」

 橘さんの漫画では、主人公の髪が黒く塗りつぶされていた。しかしもう一方はスクリーントーンによって髪色が表現されていた。

 また、髪型も異なっている。元々はシンプルなストレートだったが、リメイク版ではくせっ毛で、毛先が細かく跳ねている。

 制服も学ランからブレザー。目もつり目から垂れ目に……等々、様々なキャラクターデザインの変更が見られた。

 それは主人公に限った話ではなかった。ヒロインを始め、全ての登場人物のデザインに変更がある。それはリメイクとすら呼べないほど、全く異なるものだった。元々のキャラクターとは乖離しており、面影すら残っていない。デザインのみの話ならば、別作品にも見える。構図やストーリーは同じだというのに、何故デザインだけが変更されているのだろうか。

 その違いは一柳さんも疑問に思ったようで

「なんでキャラデザが違うのかな」

 隣でそう呟いた。

 僕も少しだけ考えてみる。この漫画の一番の特徴は「速さ」だろう。橘さん曰く、この漫画は通常では考えられない程の速さで描かれたそうだ。もしも、キャラクターデザインの変更に、その速さの秘密があるとするならば

「このデザインを描き慣れている、とか」

 漫画を描く人には、手癖、というものがあるらしい。考えずに筆を握ると、自然と描いてしまうキャラクター。一番速く、一番上手に描けるキャラクターが、漫画を描く人の中には存在しているのだ。当たり前の話だが、一度も描いたことが無いようなキャラクターは、作画に時間が掛かるだろう。だから、描き慣れているデザインに変更したのだ。

 と思ったのだが

「どうだろうね。例え手癖だったとしても、くせっ毛は時間掛かると思うけど」

 一柳さんは主人公を指してそう言った。

 確かに、「新・高校オカルト部」における主人公はくせっ毛。毛先の細かさは勿論、髪がうねる様子も複雑だ。これが描けて黒髪ストレートが描けない、などということはないだろう。

「それに、制服も複雑になってるよ。見て。元々の学ランはシンプルなものだけど、リメイク版のブレザーはデザインが細かい。襟はチェック柄で、胸ポケットには紋章の刺繍、そして所々に白のラインが入っている。明らかに学ランを描いた方が、速く仕上がるよ」

「……確かに」

 画力が高いだけではなく、「新・高校オカルト部」はキャラクターデザインも緻密なものが多かった。当然、画面としては豪華になり、漫画の質は高まっている。しかし、速さという面で見れば、明らかに手間だろう。簡略化なら理解できるが、なぜわざわざ複雑にしたのか、さっぱりわからない。

「他に変更された部分はあるのかな」

 今の段階では、キャラクターデザインが変更された理由に、見当もつかない。しかし、他の変更点があれば、そこから理由が判明するかもしれない。

 二つを注意深く比較してみる。それで気づいた。

「あ、背景のデザインも違う」

「本当だ」

 元々の漫画では、久瀬高校をモデルとした校舎が舞台であったが、「新・高校オカルト部」の校舎は別物であった。もっとも、学校の校舎など、どれも似たようなものであるため、大きな違いでもないが。

 そして背景に関して気づいたことがもう一点。元々の漫画に比べると、リメイク版では背景が減っていた。原作では背景が描かれていたのに、真っ白な空間へと変更されているコマがいくつもあったのだ。建造物は複雑で、パースを考慮する必要があるため、その省略は明らかに、作画の速さに貢献するに違いない。

 とはいえ、やはり「新・高校オカルト部」の背景は緻密で正確であり、作画に時間が掛かりそうだ。描く数が減っているとはいえ、一枚の手間を考えれば、大幅な時間短縮は望めそうにない。

 慣れとか、癖とかを考慮した上でも、やはり元の漫画よりも労力が必要であるはずだ。

 僕は他の手がかりを求めて、ページを捲った。そして違和感を覚える。

「あれ、このコマは少し構図が違うね」

 元々の漫画では、向かい合った主人公とヒロインが真横から描かれていた。しかし「新・高校オカルト部」では主人公の斜め後ろからの視点が描かれている。

 注意して見ると、他にも変更が施されているコマは存在していた。必ずしも構図を一致させているわけではないらしい。

 とはいえ、その違いは些細なもので、ストーリーに影響を与えるものではない。ただ視点が変わっているだけなのだ。だから、あまり気にしても仕方がないだろう。

 ……いや、そうだろうか。

 逆に考えれば、何故そんな意味の無い変更をしたのか、不可解だ。構図の変更に関して、その理由が僕には全くわからない。どちらが簡単に描けるのか僕には判断できないし、どちらが演出上優れているのかもわからない。作者なりの拘りがあるのだろうか。

 しかし、拘りの話をするのなら、素人目に見ても、もっと変更するべき点は幾つか見つかる。特に、全てのコマでやや左向きの顔が描かれているページは、些か単調であり、漫画として面白くない。だがそのページに関しては、構図の変更が一切見当たらないのだ。

 構図が変更されるコマと、されないコマ。その違いは何かあるのだろうか。僕は注意して比較する。

 そして決定的とはいえないが、ある程度の傾向は見えてきた。

 変更されているコマは、元々の漫画で二人以上の人物が描かれていることが多かった。そして元の漫画では背景まできちんと描かれている場合が多かったのだ。

 そのことから、変更の理由として、やはり二人の画力の差が考えられるだろう。背景と人物を描く場合、両者を正確に配置する必要がある。しかし橘さんの画力ではパースを整えることが難しく、違和感が生じているのだ。それを「新・高校オカルト部」では正確に描いている。その結果、両者にずれが生じてしまっている。そう考えられないだろうか。

 ……と思ったが、しかし。それは視点が移動している理由にはならない。あおりから俯瞰への変更や、横から後ろへの視点変更は、パースの整理とはあまり関係がないのだ。

 であるならば、やはりこの変更は理解不能だ。それに、一人だけ映っているコマなのに変更されていることもあった。結局、決定的な理由は見当たらない。

 これが今日の調査で判明したことだ。つまり

「つまり石澤くん。何もわからないことがわかったのでしょ?」

 一柳さんが意地悪に笑った。

「だったら、考えられることは一つでしょ? つまりね、これは幽霊の仕業なの」

「幽霊の仕業だったとして、どうして様々な変更があったりなかったりするのさ」

「それは、幽霊の念よ。強い拘りを持った部分は、念によって変更されたの。キャラクターデザインがわかりやすいよ。あれは、幽霊が生前描いてた漫画の登場人物なの。幽霊にとって、思い入れが強いキャラだったのね」

 全く、論理性に欠ける。僕は呆れてもう何も言わなかった。

とはいえ「何もわからないことがわかった」という部分に関しては全くもって彼女の言う通りであり、結局のところ犯人も、動機も、トリックも、何一つわからなかったのである。


 次の日、僕は本格的に調査を開始しようと息巻いていた。そして、調査に向かう途中。

「おや」

 掲示板の前で、何やら困っている男子生徒がいる。片手でポスターを押さえながら、きょろきょろと床に視線を走らせていた。

 恐らく、ポスターを貼ろうとして画鋲か何かを落としたのだろう。近寄って探して見ると、予想通り画鋲が落ちていた。

「はい、どうぞ」

 拾って、彼に渡す。彼は少し驚いたように目を見開いて

「おう、ありがと」

 と受け取った。上履きのラインの色から判断するに、一個上の二年生だろう。

「じゃ、これで」

 僕はその場から去ろうとして……彼が持っているそのポスターが目に入った。

「あ、ラノベ部!」

 思わず声を上げてしまった。彼が貼ろうとしていたポスターは見覚えがあった。二人の男女があおりで描かれている、とても上手な一枚画。ラノベ研のポスターだ。文字の色が以前とは違い、落ち着いている。蛍光色では見辛いと判断し、ポスターを作り直したのだろう。

「あ、うん。ラノベ研だけど……」

 彼は少し困惑したように僕を見た。僕は大声を出したことを少し恥じて、咳払いした。

「失礼。えっと、少し質問があるのですが」

 このポスターの作者が気になる。というのも、この作者と「新・高校オカルト部」の作者が同じではないかと感じたからだ。ラノベ研のポスターも、「新・高校オカルト部」も、絵がとても上手だ。絵柄は少し違う気もするが、しかし同じ人が描いたと言われても納得できる。このポスターを描いた人がわかれば、「新・高校オカルト部」を描いた人も判明するかもしれない。

「いきなりだな」

 その先輩は少し苦笑して

「で、何? 俺にわかることなら、なんなりと」

 と言った。では遠慮なく。

「先輩、このポスターの絵を描いた人は誰ですか?」

 訊ねると、先輩は嬉しそうな顔をして

「ああ、これ? 上手だろ! やっぱ上手な絵だと、注目を集められるんだな!」

 先輩は、「やっぱりイラストを頼んで正解だったな」などと一人でに頷いている。

「えっと、先輩」

「ああ、悪い悪い。これを描いた人、だよな。実は……」

 先輩は少し勿体ぶって、

「なんと、これを描いたのは君と同じ一年生! 宗谷麻里奈さんだよ!」

 確かに、そう言った。

「……宗谷さん」

 思わず呟く。元々怪しいと思っていたが、まさかこのイラストを描いた人間が宗谷さんだったなんて。ならば、「新・高校オカルト部」を描いたのも十中八九宗谷さんだろう。……一体、彼女は何を企んでいるのだろうか。

 いや、その前に少し疑問がある。

「宗谷さんって、ラノベ研ですよね? こんなに絵が上手なのに、どうして漫研に入らなかったんでしょう?」

 この絵は、僕から見たらプロと遜色無い。そしてラノベ研に所属しているあたり、ストーリーを考えるのも好きなのだろう。ならば、ラノベ研ではなく漫研の方が向いているのではないか。そう考えてしまう。

「ああ、そうだよな。俺も疑問に思ってたんだよ」

「何か知ってるんですか?」

 しかし先輩はかぶりを振った。

「いや、知らん。一度訊いたこともあるんだが、はぐらかされた。あんまり話したくないみたいだったから、以降訊くのはやめたんだ」

「それなら仕方無いですね」

 誰にだって訊かれたくないことの一つや二つあるだろう。本人が語りたくないのならば、どうしようもない。

 とはいえ、気になるのも本音だった。事件だとか調査とかは関係なく、これ程の実力を持っているのに、漫研ではないというのは妙、というより勿体ない。

 その視線が伝わったのか、先輩は肩をすくめ

「ま、ラノベ研としては大いに助かるんだがね」

 と笑った。


 ともあれ、重要な情報を手に入れた。ラノベ研に所属している宗谷さんだが、絵の実力は一級だ。彼女ならば、「新・高校オカルト部」を描くことが可能だろう。

 さて、次に向かう場所は決まっている。僕は目当ての場所へと向かおうとして

「あれ?」

「あ、石澤くん」

 一柳さんと出くわした。いや、一柳さんだけではない。

「やっほ、探偵くん。今日も瞳借りてくね」

 一柳さんは四人の女子と共に行動していた。ここ最近、文化祭の準備と言って、度々部室に一柳さんを迎えに来る四人組。

 一柳さんは一歩前に出て、両手を合わせた。

「ごめん、石澤くんなかなか部室に来ないから、伝えられなかった。今日も文化祭の準備あるから、部活休むね」

「うん。構わないよ」

 言いながら、少し不安を覚える。一体何の準備なのだろう。四人組の中には僕のクラスメイトである小西さんもいるのだ。クラス企画の準備でないことは明白だ。

 しかし、一柳さんは一向に教えてくれない。「文化祭関係の用事」と抽象的なことしか言わないのは、恐らく意図してのことだ。彼女は用事の詳細を隠そうとしている。それは何故だろう。一体、何をしているのか。

「そういうことだから。バイバイ」

 四人の内の一人(たしか以前、由香と呼ばれていた)が僕に手を振って廊下を進んだ。他の女子生徒も軽く会釈して通り抜けていく。

 一柳さんは……ちらりと僕を一瞥し、そして目を伏せ、困ったように僕に笑いかけた。そしてそのまま、歩いていく。僕はその背中を見送った。

 憐憫。

 その表情が意味することが、僕にはまだわからない。


「こんにちは」

 その教室の扉を開けると、何か珍しいものを見るように生徒達の視線が僕に向いた。その視線に少しばかりおじけづいたが、僕は一歩踏み出した。

 漫画研究会。事件の中心ともいえる部活動だ。事件の調査のために、僕は漫研を訪ねることにしたのだ。やはり漫画のことは漫研に訊くのが一番手早い。

「はあ、えっと、何か用ですか?」

 一人の男子生徒が立ち上がって、僕に尋ねた。漫研のくせに、なんて言ったら失礼かもしれないが、妙にガタイの良い生徒だった。

「はい。最近漫研で起こった事件について、訊きたいことがあるんです」

 そう言うと事情を察したようで、彼は荷物を纏め出した。

「そういうことなら、部屋を移動しよう。お前の部室でいいか?」

「え、はあ」

 別にここでも構わなかったが、他の部員が作業の邪魔に思うのかもしれない。僕は彼の準備が終わるまで待った。

 なんとなく、漫研の部室を眺めてみる。部員は思っていたよりも少なく、十人も居なかった。文芸部ほどではないが、漫研も存続が危ぶまれているのかもしれない。

文化祭で出す部誌も薄くなるだろう。

 と考えそうになったところで思い直す。橘さんは「新・高校オカルト部」が部誌に載ると言っていた。あれは六十ページもあった。それだけで十分厚みが出るだろう。

 なんて下らないことを考えていると、ふと一人の女子生徒と目が合った。橘さんだ。彼女は少し遠慮がちに腰を浮かせている。僕の調査に加わるべきか迷っているのだろう。

 確かに、この事件の中心人物は橘さんだ。彼女が居た方が良いかもしれない。そう思って声を掛けようとしたところで。

「よし、じゃあ、行こう」

 ガタイの良い男子生徒が立ち上がり、僕の言葉を遮った。

「ああ、えっと」

 それでも橘さんを呼ぼうとして、部室を覗き込む。しかし。

「ほら、行こう。俺は事件の事情を知っている。俺だけで十分だ」

 そして振り返って

「お前等は、ビラ作成を頼む。文化祭まで時間がない。急げよ!」

 そう指示した。思い違いかもしれないが、彼は暗に「二人で話そう」と告げている気がしてならなかった。

 何か事情があるのかもしれない。僕は頷いて、もう部室を覗き込むことはなかった。


「あの、橘さんが居た方が、事情を把握しやすいと思うのですが」

 文芸部の部室に着いてから早速、疑問に思っていたことを口にする。

「だって、事件のことはなるべく客観的に見た方がいいだろう」

「そうですが……」

 尚も不満を露わにする僕に、彼はため息を吐いて苦笑した。

「事件というか、あの漫画についてだよ。あの漫画は客観的に見て下手だ。そして今回の事件はそのことが鍵となっている。だが本人を前にして、正直な意見なんて言えないだろう」

 それもそうか。確かに、橘さん以外からの率直な意見を聞きたい。何だか陰口みたいで、少し心地が悪いけれど、今回ばかりは「高校オカルト部」のあらゆる特徴から目を背ける訳にはいかない。

 目の前の漫研部員が胸を張った。

「それに俺、ちょっとは漫画が上手いんだ。まあ、あくまで漫研部員の中での話だけどな。だから、彼女よりかは正確な判断ができるはずだ。もし不安なら、俺の漫画を見せようか?」

 確かに、漫画の作成に詳しい部員の意見が聞けるなら調査は進むだろう。一応、彼の漫画を見せて貰う。

 思わず笑みが溢れる。その漫画は四ページと比較的短い漫画だったが、それ故にわかりやすく、読みやすい。ジャンルはギャグ漫画であり、短くても満足のいく作品であった。節々にくすりと笑える場面があり、オチも予想外で面白い。

 自信に満ちた態度が多少鼻につくが、確かに実力はあるようだ。

「面白かったです」

「それはなによりだ」

 彼は一礼して応えた。

「おっと、自己紹介がまだだったな。俺は山崎。漫研の部長だ。よろしく」

 上履きのラインは二年生を示している。三年生はもう引退したのだろう。

「はい。よろしくお願いします」

 山崎先輩ならば「高校オカルト部」を、ある程度正確な目線で評価してくれるだろう。僕には気づけないことにも目をつけられるかもしれない。

 僕は真相に近づけることに期待して、早速山崎先輩に尋ねた。

「じゃあ、いきなりですけど、『新・高校オカルト部』……リメイクされた『高校オカルト部』が漫研に届けられた時のことを教えてください」

 先輩は頷き、

「ああ、いいよ。って、言ってもそんなに話すことはないと思うけどな。あれは夏休みが終わって、学校が始まった日のことだった。放課後、部室に向かったら原稿用紙が机の上に置かれていたんだ。いつ、誰が置いていったのかはわからない。まあ、それだけだよ」

「……なるほど」

 それでは犯人を特定することは難しいかもしれない。しかし、疑問がある。

「部室に鍵は掛かっていなかったんですか?」

 訊ねると、先輩は肩をすくめた。

「ああ。毎日職員室に鍵を借りに行くのも面倒だろ? 夏休み中も毎日活動してたから、そのまま開けっぱなしだったんだ。まあ、盗まれて困るようなものも何もないしな」

「……はあ」

 確かに、校舎の入り口に鍵が掛かっているのだ。部室の鍵は掛けなくてもいいのかもしれない。なんて思っていると

「でもま、その所為で事件が起こっちゃったんだけどな」

 そうでした。何も盗まれることはなかったけれど、「新・高校オカルト部」が置かれてしまったのだ。文芸部はこれからも戸締まりをしっかりしましょう。

「ちなみに、犯人の姿を見た人はいますか?」

「いないって。本当に、いつ誰が置いたのかわからないんだ。まあ、すぐに調査でもしていれば目撃情報を手に入れられたのかもしれないが、俺達は初め、部員の誰かが置いたものだと思ってたんだよ。勝手に読むのも悪いと思っていたから、内容も知らなかったし」

「それで、誰も置いてないことが判明して、読んでみたら『高校オカルト部』と同じ内容が載っていた、ってことですか」

 先輩はこくりと頷いた。漫研部員は橘さんの漫画を知っている。「新・高校オカルト部」を読んで、それはもう驚いたことだろう。

 それにしても、漫研の部室は鍵が掛かっていなかった。誰でも入れる状況だったのだ。犯人を特定することは難しいだろう。

 ならば、動機とトリックを突き止める方が先かもしれない。そう考え、「新・高校オカルト部」に残された謎を思い出す。そうだ、あの漫画には謎がある。あり得ない程の速さで描かれたという、謎が……。


 山崎先輩は「新・高校オカルト部」についての事情は概ね把握しているようだった。橘さんの漫画が元になっていること、そして本来五ヶ月で描かれた漫画を、たったの一ヶ月で描き上げたこと。

 橘さんの話を聞いている限り、それはとても速いようであった。しかし、それがどれ程速いのか僕にはわからない。橘さんにとって速いだけで、他の部員にとってはそうでもないのかもしれない。その辺りから確認するべきだろう。

「あの、山崎先輩。『新・高校オカルト部』が一ヶ月で描かれたことはご存じですよね」

「ああ、知ってるよ」

「そこで質問なのですが、一ヶ月で六十ページ描くのは、やっぱり不可能なんですか?」

 橘さんの口ぶりから、相当速いのだと思っていた。

しかし、山崎先輩は少し首を捻って

「まあ、速いよ。確かに速い。俺には絶対無理な速さだ。でも、全員に不可能かって訊かれると、断言はできないな」

 思いの外、慎重な評価を下した。

「そもそも、筆の速さは人によって大幅に変わるんだ。だから中には、恐ろしく速い人だっている。これはプロの話になるが、一ヶ月に五百ページ描いている人だっているんだよ」

「五百ページ!」

 思わず声を上げる。それを聞いてしまうと、六十ページなど余裕に思えてしまう。先輩は苦笑して言った。

「まあ、その人は漫画の帝王だから、流石に例外だけどな。とにかく、絶対に不可能って訳じゃないんだ」

「でも、月刊誌に掲載されている作品でも一ヶ月に四十ページくらいですよ」

「それはネームを含めた時間だよ。本来、作画よりもネームに時間を掛ける人が多いんだ。作画だけなら、一ヶ月六十ページくらいプロなら描けるんじゃないか?」

「そうなんですか」

 それでは、やはり一ヶ月六十ページというのは、漫画を描く人にとっては造作のないことなのだろうか。

 と思っていると

「なんて色々言ったが、まあ、実際は無理だと思うよ」

 先輩は肩をすくめた。

「不可能ではないって言葉を取り消すつもりはないが、それはあくまでプロの話だ。職業として道を極めた人にしか成し得ない代物だよ。一端の高校生には、無理なんじゃないかな。それに、夏休みとはいえ俺達は学生。課題だってある。そんな中で、プロと同じ量を同じペースで描くなんて、やっぱり無茶だろう」

「漫画の天才がうちの学校にいて、一瞬で描き上げた可能性は……」

「まあ、可能性の話をするなら、そりゃあ、あり得るだろうな。でもまあ、それは漫研の部長としては信じたくないわな」

 先輩は困ったように笑った。しかし、先輩の話も尤もだ。久瀬高校は一応進学校である。その為、夏期休暇中の課題の量も多かった。あの課題と漫画を両立することは困難だろう。

「では、やはり何らかのトリックを使ったのでしょうか」

「そうだなぁ」

 先輩は「新・高校オカルト部」の原稿に顔を近づけ、睨み付けた。そして

「あ」

「何か気づきました?」

「ああ、ここ見てくれ」

 先輩はページ上部のコマを指し

「ここのコマと」

 次に下部のコマを指し

「ここのコマを比較してくれ」

「はあ」

 指示通り、二つのコマを比べてみる。どちらも、やや左を向いた主人公が描かれていた。絵は上手だが、構図自体は元の「高校オカルト部」を引き継いでおり、味気ないコマとなっている。

「まあ、似ていますね」

「似ているだけか? ほら、もっとよく見ろ」

「って言われても」

 先輩に言われて、目を凝らして見る。細かい所も見落とさないように。

「あ」

 そこで、気づいた。その二つのコマは似ているのではない。

「同じだ!」

 筆の使い方。線の入り方。影をつける為の細かな一本一本に至るまで、全く一緒であった。

 先輩は満足気に頷いた。

「そう、このコマはコピー&ペーストで複製されたものなんだ」

 確かに、コピーできるのならば、作画の時間は短縮されるだろう。一つ描いてしまえば、後は貼り付けるだけだ。手の込んだ作画を、いくらでも増やすことができる。

「でも、漫画のコピーってそんなに簡単にできるものなんですか?」

 先輩が指し示した二つのコマは中身が同じだったが、外枠の大きさや形には微妙な違いがあった。その条件下で、コピーを簡単に行えるものなのだろうか。

 先輩は軽く頷いた。

「ああ、多分簡単だよ。この原稿は恐らくデジタル環境で描かれたものだ」

「デジタル環境?」

「まあ、パソコン上で描かれたって感じかな。レイヤーって言ってわかるか? パソコンで描くと、レイヤーごとに分けることが可能だから、コピーは簡単だと思うよ」

「えっと? レイヤー?」

「まあ、キャラはキャラ、背景は背景、外枠は外枠……って感じで、個別に分けることができるんだ。それぞれを透明なアクリル板に描いて、重ねてるってイメージかな。だから、まあ、つまりコピーしたい部分だけを選択できるってことだ」

「えっと、外枠や背景に関係なく、キャラをコピーできるってことですか?」

「ま、そんな感じだ。後は複製したい部分をペンで囲めば、それでもうコピーが完了するんだよ」

 詳しいことはわからないが、話を聞いた感じ、複製は難しい訳ではないようだ。

「じゃあ、複製を繰り返せば、速く漫画を描くことができますよね」

 では、一ヶ月で六十ページを描き上げたトリックは、コピー&ペースト、ということだろうか。

 しかし。

「そう思って確認したんだが。ううむ」

 山崎先輩は首を捻った。

「確かに、コピペを駆使すればかなり時間を短縮できるはずだ。だが、『新・高校オカルト部』を見た感じ、同じコマはあんまり見当たらないんだよな。殆どのコマは複製じゃなくて、きちんと描かれたものだ」

「じゃあ」

 先輩は肩をすくめた。

「一ヶ月で六十ページとかいう驚異的な速さの理由には、残念ながらなり得ないかな」


「でも、俺はトリックなんぞより、動機が気になるがね」

 速さの謎に頭を抱えていると、山崎先輩がぽつりと呟いた。

「動機ですか?」

「ああ。この作者が何を考えているのか、俺には皆目見当もつかないよ」

 先輩は原稿用紙をとん、と指で叩いた。

「トリックが見当たらない以上、これを一ヶ月で描いた人間がいるんだろう。まあ、あり得ない話じゃない。でも、やっぱり信じられないんだ。だって、筆がどんなに速かろうと、漫画の帝王だろうと、六十ページを描くには時間と手間が掛かる。その労力を、よりによって、この漫画に注ぐかな」

 ……確かに。「高校オカルト部」は出来が悪い。その清書の為に貴重な夏休みを捧げるなんて、少し妙だ。

「作画を綺麗にする動機は『もっと上手な絵で読みたい』だろう。原作と作画が別れている漫画だって似たようなもんだ。だけど、『高校オカルト部』を読んで、六十ページ描き上げてしまう程の情熱が駆り立てられるかな。あれはどう見たって、初心者の漫画だよ」

「初心者の漫画、ですか?」

「ああ。あれは初心者にありがちな構図なんだ。会話が主体になってしまって、絵に動きを付けられないんだよ。結果、顔を写しただけの、似たようなコマばかりが並んでしまうんだ」

 確かに、「高校オカルト部」には文字が多かった。状況の説明を絵で行わず、会話で済ませてしまう。だから絵としては、話し手の顔を写す他無く、左向きの顔が多くなっていたのだ。あの単調なコマにも、原因があったのか。

「こういう構図の乱用に、描き手は案外気づかない。頭の中でストーリーが構築されているから、勝手に場面を補完してしまうんだ。でも、読み手は違う。漫画の不備にはいつだって敏感だ。だからおかしいんだ。『高校オカルト部』のリメイクを描いた人間は、一体あの漫画の何に見惚れたんだろうな」

 もう一度、二人で原稿用紙を覗き込む。やはり「新・高校オカルト部」の絵は上手だった。その上、丁寧で細かい。決して雑な線ではなく、強弱を意識した美しい線だ。

 やはり、これを一ヶ月で描き上げたなど無理があるだろう。それに、夏休みを捧げるに値しない漫画が原作だ。一体、何が狙いなのだろう。

 ……ここで、犯人を宗谷さんだと仮定してみよう。宗谷さんは「柚月ひな」の活動を先生に密告し、引退に追い込んだ。つまり、宗谷さんは橘さんの活動を快く思っていない。そして「高校オカルト部」の作者は橘さんだ。

 宗谷さんが犯人だとすると、動機はどうなるだろう。

「……犯人は、自分の絵の上手さを見せつけたかった、とか」

 比較実験の鉄則。比較部以外の条件は揃えなければならない。だからこそ、構図やコマ割、ストーリーは変更せず、絵だけ変えたのだ。

 しかし先輩は頭を捻った。

「どうかな。絵の善し悪しなんて、同じ構図で比較するまでもなくわかるだろ。いや、寧ろ複雑な構図で上手な絵を描いた方が効果的だ。……それに、もし俺が実力を見せつけたいんだったら、一から全部描くね。何しろ、『高校オカルト部』は褒めるべき点が無い。ちょっと工夫すれば、絵だけじゃなく、全てにおいて上回れるさ」

「……」

 散々な物言いだが、先輩の言う通りだ。画力の高さを示すだけならば、他にも方法はある。そもそも六十ページも描く必要がない。

「犯人は一体、何を考えているんだ」

 思わず呟く。

 動機も、トリックも、何も分からない。不出来な漫画の作画を、圧倒的な画力で描き直した理由。それは一体何だろう。

 考えていると、山崎先輩は何気なく呟いた。

「初めは、とんでもない部員が来たのかと思って焦ったよ。何せあんなに絵が上手いんだ。漫画自体、きっと面白いんだろうって思っちゃうじゃないか。でも、期待半分、焦り半分で読んでみたらあれだ。俺は正直、失望したね」

「……」

 その冷たい言葉が何故か、嫌に耳に響いた。


 山崎先輩が帰り、部室に一人。あちらこちらから、生徒の声や楽器の音色が聞こえてくる。文化祭が近いからだろう。もう今週の金曜日に迫っているのだ。まだ先だろうなんて思っていたら、目前に迫っているのだから不思議である。

 文芸部は準備ができている。元々文集を販売するだけだ。一柳さんが文集を編集、印刷した時点でやるべきことは終わっている。

 他の部はどうなのだろう。漫研はまだ終わっていない様子だった。先ほど部室を訪れた時、ビラ作成に追われていたのだ。しかし、さすがに部誌は完成しているだろう。今日はまだ火曜なので、多分間に合うはずだ。

 そしてラノベ研は……。

 僕は鞄から一冊の冊子を取り出した。タイトルはクゼノベル。ラノベ研の文集だ。先ほど漫研に行く前に、ラノベ研を訪れて文集を貰ったのだ。

 ラノベ研の部誌は厚みがあり、装丁も上等なものだった。業者に頼んだのだろう。僕は艶のある表紙を捲り、宗谷さんの名前を探した。本名は載っていないけれど、本人から聞いたペンネームはすぐに見つかった。

 彼女の作品は超常能力バトルものだった。超常能力に目覚めた少年少女達が、世界に蠢く陰謀との戦いに巻き込まれていく、という内容で、ライトノベルらしいと言えるだろう。

 彼女は連載作品を載せているようで、文化祭用のクゼノベルでは、敵組織の幹部との戦闘が行われていた。それ以前の内容が把握できないため詳しいことはわからないが、設定やストーリーには力が込められているように思えた。幹部の圧倒的な力に対する打開は見事と言えるだろう。

 端的に言えば、面白かった。だが、面白いからこそ疑問が残る。

「なんで漫画じゃないんだろう」

 異能バトルは視覚的に派手だ。漫画で描けるのならば、漫画の方が良いに決まっている。そして宗谷さんは、それを成し得るだけの技量がある。何故、小説なのだろう。

 僕は「新・高校オカルト部」の原稿を見る。もし、彼女が一ヶ月で六十ページも描けるのならば、この漫画に時間を費やすのではなく、自分の漫画を描くべきだ。

 机の上に手がかりを並べていく。「高校オカルト部」。「新・高校オカルト部」。クゼノベル。これで全てだ。僕はここから推理を行わなければならない。

 ……これで、本当に真相へと至れるのだろうか。僕は今まで得た情報を、頭の中で整理した。

 橘さんが、初心者らしい不出来な漫画を描いたこと。

 その漫画を、誰かが上手な絵で描き直したこと。

 その描き直しが、たったの一ヶ月で行われたこと。

 構図は殆ど変更されていなかったこと。

 キャラクターを始め、様々なデザインが変更されていたこと。

 一部のコマがコピー&ペーストで複製されていたこと。

 宗谷さんは絵が上手であること。

 宗谷さんは現在ラノベ研で、小説を書いていること。

 宗谷さんが橘さんのU Tubeでの活動を、先生に教えたこと。

 「新・高校オカルト部」は漫研の部誌に掲載され、文化祭で販売されること。

 ……僕が今手にしている手がかりはこんなものだろうか。ここから、全ての答えを導き出す。何故、犯人は「高校オカルト部」を描き直したのか。一体、どうやって一ヶ月で描き上げたのか。

 得た情報、証言者達の言葉を一つ一つ思い出していく。

 そして、

『だったら、考えられることは一つでしょ? つまりね、これは幽霊の仕業なの』

 最後に何故か、一柳さんの言葉を思い出した。

『それは、幽霊の念よ。強い拘りを持った部分は、念によって変更されたの。キャラクターデザインがわかりやすいよ。あれは……』

「……馬鹿馬鹿しい」

 推理の邪魔だ。僕は努めて彼女の言葉を忘れようとして

「……!」

 ふと、思いついた。

「そうか。そういうことだったんだ」

 思わず、顔を上げた。現在は五時。完全下校時刻まであと一時間。まだ、犯人は学校に残っているだろうか。僕は夕日が鋭く照らす廊下を駆け出した。学校はまだ、文化祭の準備で色めき立っている。

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