第8話 断罪する資格

「それで、話って何?」

 職員室に行き、溝口先生を呼び出した。今は生徒指導室に二人である。僕は先生の目を真っ直ぐ見つめ、言った。

「この前の依頼についてです」

 そう言うと、先生は少し目を見開いた。依頼に進展があったことを察したのだろう。先生は声を高くして

「そう。どんな調子?」

 と訊ねた。

「はい。単刀直入に言って、解決しました」

 それを聞いて、先生はほっと小さく息を吐いた。

「そう、よかったわ。やはり君達に正解だった。礼を言うわ。ありがとう。それで、結局『柚月ひな』が残した証拠は何だったの?」

 僕は、彼女の漫画について説明した。先生は納得したように、二、三度深く頷いた。

「なるほど、背景に描いてしまったのね。それなら学校が特定されても不思議はない」

「はい」

「でも、それだけじゃ『柚月ひな』は特定できないはずでしょ?」

「はい。それについては偶然でした。一柳さんが偶々『柚月ひな』の正体を突き止めたんです」

 先生は少し首を傾げたが、「そう」と納得した。そして先生は躊躇ったように、僕を見た。

「それで……」

 僕には、先生が何を訊ねているのかわかった。僕は小さく頷く。

「はい。彼女には説得を行い、『柚月ひな』としての活動を終わらせることを約束してくれました。これで先生から受けた依頼は解決です」

 久瀬高校の生徒である証拠の発見、「柚月ひな」の特定、そして彼女への説得。僕達が受けた依頼はこれで全てだ。

 先生は満足したように微笑んだ。

「ありがとう。本当に凄いわ。伊達に探偵を名乗っていないわね」

「……」

 その賛辞を受けて、僕は何も言わなかった。

 本来ならばこれで終わりだ。依頼者の要望に全て応え、感謝の言葉を受け取る。何とも探偵冥利に尽きるではないか。

 しかし、まだ終わっていないのだ。確かに依頼は解決した。だが、まだこの事件自体は解決していない。僕は呼吸を整えた。

「先生。これで本当にいいんですか?」

 真っ直ぐ目を見つめ、訊ねる。先生の表情が硬くなった。

「いいって、何が? もう解決したんでしょ?」

「本当に、解決したんですか?」

「だから、何が」

 溝口先生は怪訝な顔で僕を睨んだ。僕は語気を強め、言った。

「だって、ストーカーは既にいるんですよ。メールを送った、『柚月ひな』の正体を追っている人間が!」

「……」

 確かに、彼女の配信を見ても、「久瀬高校」以上の情報は得られない。だから橘さんが特定される可能性は低いだろう。しかし、だからといって、ストーカーは諦めるだろうか。学校を特定しておいて、それで満足するだろうか。

 いや、学校を特定できたのだ。寧ろ、どんな手段を使っても彼女の特定にかかるだろう。

 橘さんは今、充分危険な状態だといえる。それなのに学校側は、そのストーカーの存在を隠そうとしている。橘さんは、怪しいメールのことすら知ることなく、無防備に生活を続ける。学校側の対応はあまりにも杜撰だ。

「先生。あのメールはイタズラじゃなかった。本当だった。ストーカーは実在するんです。メールのこと、『柚月ひな』に教えなくていいんですか? 彼女を守らなくても、いいんですか?」

「……」

 先生は沈黙した。なおも、橘さんに教える気が無いのだろう。では、何故先生は隠そうとするのか。その答えは一つ。

「本当は、ストーカーなんていないんじゃないですか?」

 もし、橘さんにストーカーの存在を伝えてしまえば、大事になる。警察が動く可能性も充分にあり得るだろう。そうなってしまっては、学校は困るのだ。何故なら、ストーカーなど初めからいないからだ。

 大体、考えれば妙な点だらけだ。ストーカー事件の可能性がある依頼を、僕達生徒に任せるだろうか。それに、メールの段階では、「柚月ひな」がこの学校の生徒である確信もなかった。そんなイタズラのようなメールを真面目に受け取り、信じ、僕達に依頼するだろうか。

 ……あり得ないだろう。

「先生、メールを見せてください。先生の元に届いたという、件のメールを」

 溝口先生は僅かに目を細め、沈黙を続けた。

「見せられないんですか?」

「……今さら見てどうするの?」

「僕が訊いているんです。答えてください」

「……メールは消した。だから、もう無い」

「消した? 犯人に繋がる重要な証拠ですよ? そんな大事なものを消したんですか?」

「……」

 先生は話さない。普段は声を荒げて生徒を指導する癖に、今日に限って沈黙を貫いている。代わりに僕が先生を追及した。

「先生。ストーカーなんて初めからいなかったんです。メールなんて、届いていないんですよ。そもそも、妙だと思いました。背景から学校を特定するなんて、あまり現実的じゃない」

 風景の写真から、実際の場所を特定する技術は既に存在しているらしい。技術に頼らなくとも、知識さえあれば写真の場所を突き止めることは不可能ではない。

 しかし。「柚月ひな」が残した手がかりは、写真ではない。確かに、写真をベースにしたものではあるが、しかし所詮は絵だ。上からなぞった、歪んだ線だ。

 それで機械に検索を掛けても、実際の場所は特定できないだろう。人の目を使っても同じだ。久瀬高校に精通していれば判断可能かもしれないが、しかし学校の外観など、どこも似たようなものだ。あの絵を見て、透写元の写真が久瀬高校だと判断するのは至難の業だろう。

 実際、久瀬高の生徒である僕でさえ、「描かれているのが久瀬高校かもしれない」という意識がなければ気が付かなかったはずだ。

「とにかく、漫画の背景に証拠があったことは事実ですが……しかし、実際にその証拠を見つけた人間は、誰もいないんです」

 ここで、いくつか疑問が出てくる。

「じゃあ、どうして先生はメールが来たなんて、そんな嘘をついたのか。もしメールが届いていないとするなら、何故先生が『柚月ひな』を知っているのか。考えられるとしたら、一つしかありません」

 迂闊な部分があったとはいえ、「柚月ひな」は上手に身元を隠していたと言えるだろう。先生が見つけ出したとは考えられない。であるならば、やはり誰かから教えられたのだ。誰かが「柚月ひな」のことを先生に伝えたのだ。

 ではそれは誰だろう。「柚月ひな」のファンだろうか。ストーカーだろうか。いや、学外の人間が「柚月ひな」の学校を特定したとは考えられない。

「先生。『柚月ひな』のことを先生に教えたのは、宗谷さんですよね」

「……」

 学外でないならば、久瀬高校の生徒ということになる。しかし、「柚月ひな」の視聴者の中に偶然久瀬高校の生徒がいて、その上漫画の背景に気づいた人がいたとは考えられない。

 そして、先ほど橘さんが言っていた。「柚月ひな」のことを知っている人間が一人だけいる、と。それが彼女の友達、宗谷さんだ。

「先生。貴方は宗谷さんに『柚月ひな』のことを聞いたのでしょう? 橘さんが『柚月ひな』としてインターネット上で際どい活動を行っていることを知った。ですが、先生は直接注意することができなかった」

 先生は「校則がインターネットの活動に対応できていないから、指導できない」と言っていたが、そんなことは関係がないだろう。校則が何であれ、生徒が危険な行動をとっていたら注意する。それが教師というものだ。しかし、先生は自分で注意しなかった。できなかったのだ。

「それは、宗谷さんが条件を出したから、ですよね」

 「柚月ひな」の活動を知っているのは、宗谷さんだけ。もしも先生が橘さんに「あなたのU Tubeでの活動を知りました」などと注意したら、先生に教えたのが宗谷さんであることなど、容易にたどり着けるだろう。だから。

「宗谷さんは先生に頼んだ。自分が密告したことを、橘さんに悟られないようにして欲しい、と。悟られないまま、彼女を指導して欲しい、と。違いますか?」

 しかし、先生にとって、それは難しいことだ。「柚月ひな」は証拠をあまり残さなかった。彼女の配信を見ただけでは、彼女の正体が橘さんであることなどわからない。

 だから先生は証拠を求めた。第三者から見ても、彼女の正体が、否、せめて久瀬高校の生徒であることがわかるような証拠を求めたのだ。

「そこで先生は僕達に依頼したんじゃないですか? 彼女の配信に証拠があることを期待して。僕達がそれを見つけ出すことに期待して!」

 もしも彼女の身元が判明するような証拠があれば、宗谷さんの密告を隠すことができる。その証拠を盾に、橘さんを指導できる。

「その為に、嘘のメールをでっち挙げたんです。そして僕達はそのメールを信じ、調査を開始して……証拠を見つけてしまった」

 僕は探偵。謎に対する執着だけは持っている。そしてその執着の結果、遂に証拠を見つけた。見つけてしまった。

 当然、メールの件は橘さんには明かせない。そんなメールは元々届いていなかった。橘さんに伝え、大事になってしまえば、メールの存在が嘘であったことなど、容易に判明してしまう。

「後は生徒間の問題にしてしまえば、事件は解決です。先生の影を匂わせることなく、つまり宗谷さんの密告を疑わせることなく、間接的に安全な指導ができる」

 教師が橘さんを指導することは難しく、何とか僕達に指導を任せる必要があった。何故ならば、単に「石澤くんから聞きました。危険な配信をやめなさい」と、教師が伝えることは簡単だが、その場合「推理好きの石澤が全ての謎を解き明かしたのに、何故か教師に密告した」という奇妙な状況が発生してしまう。それは僕の姿勢とは乖離しており、あまり親しくない橘さんでも疑問に思うだろう。

 かといって「誰かは言えませんが、匿名の生徒から聞きました」と橘さんに伝えたら、当然橘さんは宗谷さんを疑うだろう。どのみち、宗谷さんへの疑念が生まれてしまう可能性がある。だから教師側は、橘さんに対して無関係を装う必要があるのだ。

 何より、宗谷さんの密告を隠蔽する上で、僕は絶好の人材だったのだ。何故なら僕は探偵。今まで多くの謎を解き明かし、多くの事件に首を突っ込んできた。他者から見たら、僕がどんな謎に首を突っ込んでも、そんな情報を手にしていても、納得してしまうだろう。

 僕が「柚月ひな」という配信者の存在を知っていても、漫画の背景に注目して学校を特定しても、何ら違和感が無いように見えるだろう。事実、橘さんを追及した時も、僕が「柚月ひな」を知っていた理由に関して、あまり疑われなかった。

「もしも僕達が『柚月ひな』が橘さんであることにたどり着けなかったとしても、久瀬高校の生徒であることさえ特定できれば、容疑者はかなり絞られる。後は『声でわかりました』とか、適当な証拠をでっち挙げてしまえばいい。適当な理由で彼女は納得するはずです」

 その場合、僕達が指導することはできず、少なからず先生が介入することになってしまうが、「石澤は学校を特定することには成功したが、個人の特定は叶わず、あとは教師に任せた」という構図が成り立つ。やはり、宗谷さんの密告を隠蔽することができるだろう。

 僕は溝口先生を正面から睨んだ。

「まとめましょう。まず、先生は宗谷さんの密告により、橘結羽が『柚月ひな』の活動を行っていることを知った。ですが、直接橘さんを指導すれば、宗谷さんの告げ口が発覚してしまい、宗谷さんと橘さんの関係は悪化してしまう。だから、『柚月ひな』が橘さんである証拠を見つけ出す必要があった。しかし、簡単には見つかりません。そこで、僕達に頼んだんです。僕達なら、何か証拠を見つけ出すはずだと期待して。そしてその期待通り、僕達は証拠を見つけ出した。そして正体が橘さんであることも突き止めてしまった。後は説得を僕達に任せることで、教師の関与を隠した。それによって、橘さんは宗谷さんの密告を疑うことなく、『柚月ひな』の活動を辞める。これが事件の真相です」


 溝口先生は目を伏せ、そのまま黙った。

「沈黙は肯定と受け取りますよ」

 そこまで言って、溝口先生は重い口を開けた。

「それが、一番穏便に済む方法だったの」

 ため息を吐き、続けた。

「『柚月ひな』の活動は辞めさせなければならなかった。でも、指導はできなかった。彼女の活動を知っているのは宗谷さんだけ。間違い無く、宗谷さんの告げ口が発覚してしまう。だから、貴方達に依頼した。そして思惑通り、証拠は見つかり、指導は完了。全て貴方の推理通り」

 あまりにも淡々と語るその口調に、思わず拳を固く握る。何故、ここまで澄ましていられるのか。

「先生、僕の推理が正しいと言うのなら……先生、わかっているんですか!」

 前のめりに、先生に詰め寄る。

「先生は、僕達を利用したんですよ! 目的の為に、僕達を騙した! 答えがあるのかもわからない難題を押しつけて、自分たちは責任から逃れた!」

「ええ。でも、初めから言っていたはず。答えがあるかはわからない。そして説得は貴方達に任せる。最初からそう言っていたの。確かに隠蔽も嘘もあったけれど、貴方達に課した依頼は、何も変わっていないでしょ?」

 確かに、そうだ。しかし。

「それでも、僕達を騙した。規律と風紀を重んじるべき大人が、生徒の規範を示すべき大人が、嘘を吐いたんです! そして証拠を無理矢理でっちあげさせた!」

「ええ。そのお陰で橘さんを指導することができた」

 尚も、冷静な様子で先生は言った。僕は奥歯を噛み締めた。

「……先生。貴方は生徒指導の教員です。ですが、その資格があるんですか? 生徒を騙して、利用して。そんな大人が、説教なんてできるんですか?」

 もしも、先生が初めから全ての真相を話していてくれたのなら、僕も素直に協力していたかもしれない。宗谷さんが自分の密告を隠したい理由も、それでも教師が橘さんを指導しなければいけないことも、理解できる。

 しかし先生は、一方的に僕達を利用した。探偵という特徴を悪用して、生徒を軽視した。それが、無性に苛立つ。

 先生は僕の目を見つめ、そしてふと逸らした。

「……自分の判断が間違っていたとは思わない。でも、貴方達を利用したことは、申し訳ないと思っている。貴方達の使命感と正義感を搾取した」

「……」

「確かに、石澤くんの言う通り、私に生徒を指導する資格なんてないかもしれない。いえ、私だけじゃない。大人だからといって、教師だからといって、立派な人間とは限らない。自分の保身の為に他人を利用するし、責任からは逃れようと必死。そんな大人ばかりよ」

 でもね、と先生は、淡々と語る。

「それでも、教師は生徒を導く必要があるの。私達がどれだけ未熟でも、正しくなくても、それでも正しさを教えなきゃいけないの。資格を持つ持たざるに関わらず、ルールと規範は、語り手が誰であろうと、いつだって正しいのだから」

 溝口先生は普段と変わらない様子だった。無表情で、冷静で、淡泊だ。

 だが、その表情に、些末な哀愁を感じ取ったのは、気のせいだろうか。

「橘さんには、活動を辞めさせなければならなかった。人気者になりたいからといって、自分自身を売るなんて方法、彼女には取らせてはいけなかった。……その選択には、彼女はまだ若すぎる」

 その呟きを聞き届け、僕は進路指導室を出て行った。


 進路指導室の前で、深く息を吐く。あれほど頭を支配していた苛立ちは、いつの間にか消え去っていた。残っているのは、後味の悪さだけだ。

 僕は自分に正当性があって、絶対の正義の下、先生を断罪できると思っていた。実際、溝口先生は間違ったことをしたと思う。

 ……しかし、結局僕も、教師という絶対の存在の弱みにつけ込んで、憂さを晴らしたかっただけなのかもしれない。

 溝口先生は、これからも淡々と、冷酷に生徒を指導するだろう。時には、誰かを利用して。

 僕は日の差す廊下を歩き出す。

 今の僕には、一体誰が悪いのか、わからなかった。きっと暫く結論は出ないだろう。

 やはり、探偵は断罪することなどできない。ただ謎を解くことしかできないのだ。

そして

「まだ、謎は残っている」

 一人、呟く。探偵の仕事は残っている。今の僕には、何が正しくて何が間違っているかはわからないけれど、いま目の前にある謎を解くことだけは、きっと正しいのだと思う。

 僕の目の前には、二つの謎が残っている。

 一つ目。それは宗谷さんについてだ。彼女は、先生に橘さんの活動のことを伝え、指導を求めた。しかし、それは少し妙に感じる。友達の秘密を教師に教えてしまったことに、違和感を覚えるのだ。確かに「柚月ひな」の活動は危険であり、友達ならば止めたくなるだろう。だが、正体を入念に消そうとするその姿勢が、何か怪しい。純粋な心配による行動ではないと、僕の直感が告げている。

 二つ目。それは橘さんの依頼だ。彼女は今、また別の事件に巻き込まれている。「柚月ひな」の調査と時を同じくして、別の事件が発生していたのだ。これは、果たして偶然だろうか。この二つの事件は、繋がっている予感がしてならない。

 僕は謎を抱え、部室へと向かう。僕は探偵。学生限定の夢を追う者。卒業後の目標など無い者。この謎を解いた先に何が待っているのかはわからない。けれど、解くことしか僕にはできないのだ。

 廊下は装飾で埋め尽くされていた。あちこちから弾む喧騒が響いてくる。文化祭はもう近い。

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