第6話 アフターグロウ

 六月も半ば。一段と湿度と気温は増し、夏が本格的にやって来たことを実感した。そのじっとりとした暑さの中、僕達文芸部は部誌を漁っていた。

 その目的は新・七不思議の「その七」だ。一つだけ抜け落ちた七不思議。そこに隠された意図を見つけ出すのだ。

 そして七不思議に関しては、久瀬文集だけが頼りである。だからこそ、遙か昔のバックナンバーを漁っているのだが。

「……ないね」

「そうね」

 二人揃って肩を落とす。

 旧・七不思議に関しては、「沢渡やつね」の後記があった。そのため、彼女が何故、旧・七不思議を作ったのか、その意図を多少は汲むことができた。

 しかし、新・七不思議に関しての記載は一切無い。何故「やつね」を登場させたのか、「その七」はどんな七不思議か、その謎は全くの不明だ。四十六号で新規に作られたくせに、何の紹介も無く突然掲載されている。

「まあ、そう簡単にはわからないよね」

 四十年前の出来事だ。そもそも解けないかもしれない。資料が残っているのなら推理できるが、全ての証拠が失われてしまった可能性も考慮しなければいけないだろう。

 ふう、とため息を吐いて、椅子に深く腰掛ける。手元に視線を集中させていたので、眼球が痛む。少し目を押さえた。

 まだ六月だが、湿気を含んだじっとりとした空気が纏わり付く。扇風機がこちらを向く度にその空気は流されていくが、しかしまた直ぐに熱気が僕を包み込んだ。

「暑いね」

「そうね」

 一柳さんはタオルを頬に当てた。

 新・七不思議に関する後書きが、久瀬文集には載っていない。だからといって諦めるのは尚早だが、しかし次に何を調べるべきか見当がつかない。

「少し、情報を整理しようか」

 僕はノートを取り出し、適当なページを開いた。

「時系列順に、出来事を書き出してみよう」

「そうね。見落としていたことがあるかもしれないし」

 一柳さんは頷くと、僕の隣に座った。彼女と確認を行いながら、簡単に纏めた。


 四十四年前 沢渡やつねが久瀬文集第三十九号で旧・七不思議を制作

 四十三年前 久瀬文集四十一号(夏)、四十二号(冬)を出版

 四十二年前 久瀬文集四十三号(夏)、四十四号(冬)を出版

 四十一年前 久瀬文集第四十六号(冬)にて新・七不思議が掲載


「こんな感じかな」

 鉛筆を置き、一柳さんを見る。彼女はこくりと頷いた。

「旧・七不思議が載っていたのは三十九号だけ。つまり四十号から四十五号は七不思議の掲載がなかったってことね」

「そうだね」

 そして何故か、冬号である四十六号にて七不思議は復活したのだ。「その七」の欠けた、奇妙な七不思議が。誰が、一体何のために。

「ねえ、一柳さん。『新・七不思議には絶対意図がある』って言ってたよね」

「うん」

「その意図について、何か思い当たることはないかな?」

 一柳さんはオカルト好きである。一柳さんならば、新・七不思議を作った生徒の心情を理解できるかもしれない。

「そうね」

 一柳さんは少し考え

「私は推理なんてできないし、論理的な考えでもないかもしれないけれど、でも、憶測くらいならあるの」

 僕のことをじっと見た。

「石澤くん。新・七不思議の舞台ってどこだか覚えてる?」

「えっと、最上階の一番奥、教室、校庭、食堂、図書室、文化棟、だったかな」

「そう。最上階の一番奥は『沢渡やつね』に関係のある部屋だとして、残りの舞台に何か共通点があると思わない?」

「共通点?」

 何かあるだろうか。僕は少し考えて、

「そうだね。どれも七不思議の舞台には適していない、かな」

 教室、と言っても、どの教室かわからないし、校庭や食堂、図書室や文化棟だって広い。怪談にするならば、具体的な場所を指定するべきだ。

 そしてなにより。

「そう。怪談の舞台としては不適切なの。だって、どこも人通りが多いもの」

 一柳さんは言った。教室は当然、校庭、食堂、文化棟だって人は多い。図書室も案外利用者は多く、学習スペースは多くの生徒が勉強に利用しているのだ。

 つまり、新・七不思議の共通点は、「舞台が人で賑わっている」だ。

「それで、その共通点を持った七不思議を制作した意図は、一体何だろう」

 僕が訊ねると、彼女は微笑んだ。

「人通りの多い場所が怪談の舞台になったら、どうなると思う?」

「そりゃあ、話題にはなるかも……」

 そこまで言って、思い至った。人が多い場所で伝播していく怪談。拡散されていく噂……。

「霊の発生条件……」

 思わず、呟く。何度か一柳さんから聞いた話だ。幽霊が現れる為の条件は、二つ。

 一、怨念の存在

 二、噂の拡散

 こくり、と一柳さんは頷いた。

「私は、新・七不思議の目的は、噂を拡散して、最終的に『やつねさん』の霊を発生させることだと思うの」

 確かに「学校の七不思議」は生徒の関心を引く。噂もされるだろう。……しかし。

「でも、一体なんのために霊を発生させるの?」

 「やつねさん」は学校を憎んでいる。そんな彼女の霊を召還するなど、普通では考えられない。まさか、新・七不思議の制作者もこの学校を憎んでいたのだろうか。

 そう思ったが、一柳さんは首を横に振った。

「多分、呪いじゃ無いと思う。だって、新・七不思議の怪談は怖くないものばかりだったでしょ?」

 言われてみればそうだ。この学校に対して、強い恨みが籠もっていたようには思えない。新・七不思議は意図的に優しい怪談になっているのだ。

 だとすれば、新・七不思議は単に「やつねさん」の霊を出現させることが目的、となるが……。

「ますます、理由がわからないな」

 僕は頭を捻った。しかし、一柳さんは平然と言った。

「そう? 明白じゃない?」

「え?」

「だって、霊の発生だよ。太古の昔から望まれていることでしょ?」

「あ……」

 言われてみれば、そうだ。人は昔から冥界を想像し、死者の魂を望んだ。では、その理由は? 目的は?

そんなの、一つしかない。

「……亡くなってしまった人と、もう一度会いたい、ってことか」

 一柳さんは頷いた。死への恐怖。そして愛しい人と死別する恐怖。そんな非情な現実から逃れるため、空想の世界に助けを求めた。それこそがオカルトの根源だろう。

「じゃあ、新・七不思議も」

「ええ。きっと、作者は『やつねさん』と親しく、彼女の死を嘆いた。だから、七不思議を広めることで、彼女にもう一度会おうとした、とか」

 一柳さんは「あくまで、私の想像だけど」と言った。

「……いや、妥当なんじゃない?」

 僕は思わず呟く。新・七不思議が怖くない理由も説明が付く。制作者は怪談や呪いを残したかったわけではない。これは願いだったのだ。

 そして「沢渡やつね」が登場する理由も説明できる。彼女の登場する怪談を広めることで、彼女の霊を発生させることができるのだから。

「よし、とりあえず、その線で考えてみようか」

 僕が言うと、一柳さんは少し驚いた様子だった。

「いいの? 確証は無いよ」

「大丈夫。間違っていたら修正すればいいんだし。今は手がかりが全く無い状態だからね。取り敢えずの仮定が正解ってこともあるかもしれないよ」

「それもそうね」

 さて、新・七不思議は「沢渡やつね」の霊の発生を望んだものだと仮定しよう。そうすることで、残りの謎も解けるだろうか。

 残された謎はあと一つ。新・七不思議の「その七」だ。制作者の意図を汲み、「その七」を推測してみよう。

「新・七不思議は怪談を広めるために作られた。だとすれば、最後の一つは……」

「最後の一つは……?」

「……いや、わからないな」

 僕は頭を抱えた。

「候補はあるんだ。新・七不思議に登場していない、人通りの多い場所はまだあるからね。体育館とかさ。でも、隠す意味がわからないんだ。なんで最後の一つだけ隠したんだろう」

 そこがさっぱりだった。「不明」としたからには、相応の七不思議が入ってくる筈だ。単に「人通りの多い校舎」ではないのかもしれない。

「そうなると、やっぱり手がかりがないね」

「そうね。そもそも、私の仮定が合っているとも限らないし」

 せめて、制作者の後書きが欲しい。裏話でも何でも良い。新・七不思議に関する話を少しでも聞きたい。

 僕は、七不思議の時系列を纏めたノートを見つめた。

「新・七不思議が制作されたのが四十一年前か。当時高校生だった人は、もう六十歳近いね。久瀬高校出身で、六十歳近い人が知り合いに居たら良かったんだけどね」

 僕は肩をすくめた。

「そうね。そんなに都合良く知り合いがいるわけ……」

 そこまで言って、「あ!」と一柳さんは大きな声を上げた。

「な、なに?」

「いるじゃない、一人!」

「え、一柳さん、誰か知ってるの?」

 訊ねると、彼女は呆れたような顔で「石澤くんもよく知っている人よ」と言った。

「あ」

 それで、思い至った。六十歳といえば定年。そして久瀬高校出身で、定年の近い教師が一人いるではないか!

「文芸部顧問、大河原先生!」


「失礼します」

 職員室に到着し、僕達文芸部は扉を開けた。その瞬間、エアコンの涼しい風が頬を撫でた。

「こんにちは、大河原先生」

 一礼をして、その教師に話し掛けた。大河原先生はくつろぐように、机でコーヒーを飲んでいた。

「おお、石澤くん。それに一柳さん。どうかしましたか?」

 顔を上げ、大河原先生は僕達を見つめた。

「大河原先生に質問があるのですが……」

 そこで、僕は少し口籠もった。僕達にとって四十年前なんて、想像もつかない遙か昔だ。「沢渡やつね」の自殺についても、現実の事件だという実感はない。

 しかし大河原先生は違う。その時代を生き、その事件をその目で見てきた。先生にとって「沢渡やつね」の自殺は紛れもなく現実だ。

 そんな先生に、無神経な質問をするなど、許されるのだろうか。

 ……いや、ここで立ち止まるわけにはいかない。どんな結末だろうと、どんな真相だろうと、僕は受け入れると決めたのだ。

 僕は意を決し、先生に尋ねた。

「『沢渡やつね』という人物に心当たりはありませんか」

 先生は少し驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと目を細めた。

「沢渡やつね。懐かしい名前ですね。久瀬文集を読んだのですか?」

 僕と一柳さんは頷いた。

「そうですか……。なら、貴方達の予想の通りですよ。彼女は夏に七不思議を作った。そして同年の冬、彼女は命を絶ったのです」

 自殺。僕の心臓はドキリ、と嫌な軋みの音を上げた。「沢渡やつね」のことは、久瀬文集で読んだだけだ。だから、自殺が実際にあったか否かはわからなかった。直前で思い留まった可能性も、「沢渡やつね」自体が架空の存在である可能性もあった。

 しかし、今、時代の目撃者がはっきりと口にした。「沢渡やつねは自殺した」と。あの恐ろしい七不思議は、冗談でも悪戯でもない。紛れもなく、呪いであり、遺書だったのだ。

 大河原先生は少し俯いた。

「それはもう騒ぎになりましたよ。自殺なんて、当時は特に少なかったのです。私も知った時は大変驚きましたよ。まさか、こんなに身近で人が死ぬなんて。

 今でも鮮明に覚えています。『死』がすぐ隣に存在しているような、今にも私に襲いかかってくるような、そんな恐怖感がありました。人は本当に死んでしまうのかと、実感しましたよ。変ですよね。彼女の死の前にも、親戚の葬式に参加したこともあったのに」

 先生は無意識に手を握りしめているようで、指が甲に食い込んでいた。

「私と年の近い子が、『死』を自ら選ぶなど、そんなことあってはいけない。そう考えました。教育者になって、子供たちが悲しまないように取り組んでいるつもりですが……現実は厳しいですね」

 大河原先生は顔を伏せてしまった。「沢渡やつね」の時代から四十年。「校内暴力」は「いじめ」と名前を変え、現代でも尚、生徒を苦しめている。僕が知らないだけで、今この久瀬高校でいじめがあるかもしれないのだ。

「……すみません。自分のことばかり話してしまいましたね。それで、貴方達は沢渡やつねについて知りたいのですね?」

 大河原先生は平常通りの優しい顔に戻り、僕達に尋ねた。僕は小さく頷いた。

「そうですか。ですが、お役には立てそうにないですね」

「え、それはどうしてですか?」

「実は、私も詳しくは知らないのです。何せ、彼女が亡くなった時、私はまだ中学三年生でしたから。進学先の高校で、人が亡くなった、という話は耳に入ったのですが、しかし詳しいことは何も知りません。口にすることも憚られる話題でしたから、誰も話さなかったのです」

「そうですか……」

 つまり、大河原先生は「沢渡やつね」が亡くなった翌年に入学したのだ。学年が違えば、詳しいことは知らないだろう。

「……あれ?」

 その時、不意に何かが引っかかった。僕達の知っている情報と、どこかで繋がっている気がしてならなかった。

「どうしました?」

 大河原先生が怪訝な顔で僕を見た。

 先生の言葉と似た情報を、僕は既に手にしている。七不思議の謎に迫る、とても大切な情報を、僕はどこかで読んだのだ。

 「沢渡やつね」、翌年、入学……。

「あ!」

 思わず、声を上げる。

 思い出した。旧・七不思議の掲載された久瀬文集第三十九号。そこには「沢渡やつね」の後記も載っていた。

 そして、そこに何と書いてあったか。

 それを思い出しながら僕は言った。

「大河原先生。先生の同級生に、沢渡やつねさんの妹が居たんじゃありませんか?」

 大河原先生は目を見開いた。

 「沢渡やつね」の後書き。そこには「来年、妹が久瀬高校に入学する」と書いてあった。

 そして、大河原先生も「『沢渡やつね』が自殺した翌年に入学した」と言った。ならば、同級生に「沢渡やつね」の妹が居た筈なのだ。

「ええ、いました。沢渡菊子さんと言う方です」

 大河原先生は頷いた。僕は一柳さんと顔を見合わせた。

「先生。沢渡やつねさんが七不思議を作った後、別の誰かが新たに七不思議を制作したんです。その七不思議について、何か知りませんか?」

 それを聞いて、大河原先生は柔らかく笑みを浮かべた。

「ええ、知っていますよ。そして、貴方達の考えている通りです」

「じゃあ、やっぱり!」

「はい。あの七不思議を作ったのは、やつねさんの妹、沢渡菊子さんです」

 新・七不思議を作ったのは、沢渡やつねの妹、沢渡菊子だった。一柳さんの言う通り、新・七不思議には何か意図があると考えざるを得ない。

 先生は懐かしむように目を細めた。

「菊子さんは、とても明るく、誰にでも優しい人でした。暗い過去など感じさせない、どころか、彼女がいるだけでみんな笑顔になったものです」

 そして続けて、先生は七不思議の話を切り出した。

「あれは三年の冬でした。私は文芸部の部長で、引退後も部室に出入りしていたのです。あの日も部室で勉強していました。受験も迫っていましたしね。そんな時でした。菊子さんがやって来たのです。そして部室に入るなり、彼女はこう言いました。『七不思議を考えた。久瀬文集に載せてほしい』とね。

 彼女が書いた七不思議を読んでみると、『やつね』が登場するじゃありませんか。私はすぐに、ただの七不思議じゃないと察しました。きっと何か、願いの込められた鎮魂歌のようなものだと思ったのです。それで掲載することを決めました」

 大河原先生も新・七不思議には意図がある、と考えたようだ。

「先生。新・七不思議は『その七』が欠けています。一体、菊子さんが何を残そうとしていたのか、わかりませんか」

 しかし、大河原先生は首を横に振った。

「そうですね。私も気になって、彼女に訊ねました。『その七が欠けているじゃないか』と。でも、彼女は教えてくれなかったのです。『まだ七番目を載せる時じゃない』と、それだけしか教えてくれませんでした」

 ということは、七番目は自然と消滅してしまった、というわけではないようだ。筆者、沢渡菊子さんは意図的に「その七」を載せなかったのだろう。そこに、何かの願いを託して。

 それにしても

「まだ時じゃない、ですか」

 その時はいつ来るのだろう。その時が来て「その七」が追加された後、一体何が起こるのだろう。

 しかし、これ以上は大河原先生も知らない様子だった。

「貴方達は、菊子さんの願いを、受け継ごうとしているのですね」

 先生は優しく微笑んだ。

「実は、ずっと心残りだったのです。彼女が残した『その七』はわからないまま。挙げ句、どこかのイタズラ好きな生徒のお陰で、全く別の七番目が席を埋めてしまいましたからね」

 ちらり、と先生は職員室の奥を見つめ、微笑んだ。

 かと思うと、今度は僕達を真っ直ぐな瞳で見つめた。

「私はもうそろそろ、定年です。この学校を去らなければなりません。その前にどうか、菊子さんの意思を、見つけてあげてほしいのです。石澤くん。一柳さん。顧問としての頼みです。きっと、七番目を見つけてください。彼女が託した未来を、どうか……」

 僕と一柳さんは少し視線を交し、

「はい、必ず」

 力強く返した。

 大河原先生の話を聞いて、大きな手がかりを得ることができた。新・七不思議は沢渡菊子さんが制作した。「その七」に意図があることは疑う余地もないだろう。

 しかし、まだ情報が足りない。肝心な「意図」に関する手がかりが皆無だ。何か、新たな資料を得ることはできないだろうか。

「大河原先生、一つ訊きたいことがあるのですが」

「何でしょう」

「沢渡菊子さんは、一体何部だったのですか?」

 文芸部に久瀬文集のバックナンバーが残されていたように、彼女の所属していた部活にも、過去に関する資料が残されているかもしれない。

 そして、その予測は当たった。大河原先生はおもむろに口を開けた。

「彼女は、新聞部でした」


 職員室を出て、僕達は新聞部の部室へと向かった。

「まさか、新・七不思議を書いたのが、『沢渡やつね』の妹だったなんてね。でも、これで一柳さんの説が濃厚になったね」

 僕達は、新・七不思議の筆者が「沢渡やつね」と近しい仲だった、と予測した。そして実際、筆者は沢渡やつねの妹、沢渡菊子だった。近しい、なんて言葉では足りない。

 姉の死に直面し、菊子さんは一体何を思っただろう。もう一度会いたいと、そう願ったのではないだろうか。

 そして七不思議の舞台は、全て人の多い場所だ。噂を広め、霊を出現させようとした。一柳さんの予測は理にかなっている。

「あとは、『その七』だけだね」

「そうね」

 そして、その謎の答えが、新聞部に存在しているかもしれない。

 僕達は新聞部の前に到着し、その扉を叩いた。

 突然訪れた僕達を、新聞部の生徒は怪訝な顔で見た。しかし詳しい話をするまでもなく、バックナンバーを渡してくれた。新聞を受け取り、礼をして文芸部の部室へと向かう。

 その途中、一柳さんが僕に言った。

「新・七不思議のルールに則ると、やっぱり体育館が当てはまりそうよね。寧ろ、体育館だけが抜け落ちているのは違和感があると思うの」

 一柳さんの言うことも納得できる。「人の多い場所」が選ばれているのなら、体育館が除外されているのは妙なのだ。文化棟や、食堂が七不思議に選ばれ、体育館が選ばれない理由はあるのだろうか。

 そう考えると、やはり「その七」は体育館という気もする。しかし。

「だからといって、隠す理由もわからないんだよね」

 沢渡菊子は七番目に意味を含ませた筈だ。「七番目は体育館です。なぜなら利用者が多いからです」なんて理由である筈がない。

「ねえ、一柳さん。中学校の七不思議ってどんなだった?」

 ふと気になって一柳さんに訊ねた。

「ん? そうね、月並みの怪談だったよ。霊の出るプールとか、音楽室のベートーヴェンが動くとか……ああ、そうね。そのパターンもあるかも」

 一柳さんは、何かに気づいたように考え込んだ。

「そのパターンって?」

「うん、中学の七不思議の七番目を思い出したの。『六つの怪談を知ると、校長が殺しに来る』っていう話だったよ」

「なんだそりゃ」

 僕は思わず苦笑した。しかし、一柳さんは真面目な声で応えた。

「珍しい七番目じゃないよ」

「そうなの?」

「うん。他の六つの不思議を知ったら呪われる、とかね。とにかく、七番目にはそうした『オチ』みたいな怪談になっていることも多いの」

「なるほど」

 確かに、新・七不思議もこちらの路線の方が近い気もする。さすがに「六つの七不思議を知ったら死ぬ」なんて物騒なものではないだろうが、六つのまとめを担う怪談になっているのかもしれない。

 そんなことを考えていると、一柳さんは何か思いついたような様子で、僕に訊ねた。

「沢渡菊子さんは、『まだ時じゃない』って言ったんだよね?」

「うん。そうだね」

「だったら、七番目は『本当に現れた沢渡やつね』なんじゃない?」

「うん?」

「新・七不思議の目的は、噂を拡散して『沢渡やつね』の霊を出現させること、でしょ? その出現自体を七不思議にしたんじゃない? その願いが現実になることを祈って、『その七』に隠した、とか」

「そうか……確かにね」

 その一からその六までの怪談を拡散することによって、「沢渡やつね」を出現させる。「その七」はその結果なのだ。だからこそ「その七」は「本当に現れた沢渡やつね」。一柳さんはそう考えたのだろう。

 それならば、沢渡菊子さんの言葉にも納得ができる。「その時」は「沢渡やつね」が出現するその時、という解釈だ。

「あり得るね」

 六つの謎を手段にし、七つ目に願いを込める。今のところ、一番納得のいく説だ。

「まあ、結局は憶測に過ぎないよね」

 文芸部の部室に到着し、扉を開ける。僕達の手には、過去の新聞。

 沢渡菊子さんは新聞部だった。彼女が書き残した記事の中に、答えはあるのだろうか。とにかく調べる他ない。一柳さんの説が合っているのか、間違っているのか、それもはっきりするだろう。

「よし、じゃあ、始めよう」

 僕達は机に段ボールを置き、中を漁った。


 沢渡菊子さんの書いた記事は、すぐに見つかった。大河原先生の話から、彼女が入学したのは旧・七不思議が制作された次の年だとわかる。つまり、四十三年前だ。そこから三年分、彼女が卒業するまでのバックナンバーを調査すると、彼女の記事が掲載されていたのだ。

「楽しそうな記事を書くね」

 読んでみると、彼女の記事は楽しい学校生活についての記事が多かった。彼女の身近に訪れた些細な幸福や、学校のイベントでの興奮が、彼女自身の経験を通じて、現代の僕達にも鮮明に伝わった。

「菊子さんは学校を楽しんだみたいね」

 彼女の様子は、一柳さんにも伝わったようで、僕達は自然と顔がほころんでいた。……しかし、少し複雑な気持ちにもなる。

 沢渡菊子さんが入学する一年前、久瀬高校ではいじめがあった。そして、そのいじめによって沢渡やつねさんが亡くなっている。

 たった一年。その短い間で、久瀬高校には天国と地獄が存在していた。学年が違えば、雰囲気も違うだろう。しかし同じ久瀬高校の話なのだ。

 僕はもう一度、新聞に目を落とした。体育祭に、文化祭。修学旅行に合唱コンクール。沢渡菊子さんはこの久瀬高校で沢山の思い出を作っている。全ての行事に全力で、仲間達と共に、最高の瞬間を過ごしたようだ。

 記事からは、彼女の心の底からの幸福が伝わった。そこからは、姉を失った悲しみを、微塵も感じなかった。

 しかし僕は、それを薄情だとは思わない。

「菊子さんは、お姉さんの遺言を守ったんだね」

 沢渡やつねさんの遺言。彼女は久瀬文集の後書きに、妹への言葉を載せていた。

「そして、もしも貴方がこれを読んだのなら、私のことなど忘れてください。貴方まで誰かを呪わないでください。ただ、当たり前の日常を、ありのまま受け取ってください。それが、私の唯一の願いです」

 これは、沢渡やつねさんの遺書からの抜粋だ。やつねさんは、妹の幸福を願っていた。自分の死に囚われることなく、幸せな人生を歩んで欲しいと、彼女は願っていたのだ。

 そして、その願いの通り、菊子さんは幸せな高校生活を送ったようだった。やつねさんの亡霊に囚われることなく、幸せな思い出を沢山築いたのだ。

「でも、肝心の七不思議については、言及されていないね」

 一柳さんが新聞とにらめっこしながら、そう言った。確かに、新聞に書かれた記事は、学校についての思い出ばかりで、七不思議に関する内容は見当たらなかった。

「一柳さん。どこまで確認した?」

「沢渡菊子さんが三年になった年の七月号まで。菊子さんは夏に引退したみたいなの。八月号以降、彼女の記事は載っていなかったわ」

「冬号は確認した?」

「いや、していないけど……。言ったでしょ。彼女は夏に引退したって」

 確かに、引退したのは夏なのだろう。だが、七不思議に関する記事があるとしたら、確実に冬号なのだ。

「大河原先生の言葉を思い出して。沢渡菊子さんは、三年の冬に文芸部を訪れて、『久瀬文集に七不思議を載せて欲しい』って依頼したんだよ」

 つまり、彼女が七不思議を制作したのは引退後の冬だ。

「そっか、じゃあ、冬を探せばいいのね」

「うん。久瀬文集の冬号が出版されるのが冬休み明けだから、昔も同じなら、一月号かな」

「これね」

 一柳さんが段ボールから取り出した。それを覗き込む。

「えっと……あ、あった」

 一月号。沢渡菊子さんは既に引退している筈。しかし、そこには菊子さんの記事が載っていた。表題は……

「七不思議について!」

 僕達はその記事をじっと読んだ。


 七不思議について 【著・沢渡菊子】

 こんにちは。三年の沢渡です。もう引退したのですが、最後にこの記事だけ残させてください。

 私は、この久瀬高校でかけがえのない思い出を沢山作りました。愉快な友達に囲まれ、優しい教師に導かれ、楽しい高校生活を送ることができました。

 そんな高校生活を送ることができたのは、姉のおかげでもあると思うのです。

 私の姉は、校内暴力によって自ら命を絶ちました。もう、三年も前の話です。当然、姉を苦しめた生徒は卒業しましたし、私自身、もうこの学校を去らねばなりません。

 ですので、恨みや後悔を残すつもりはございません。

 姉は私に、「学校を楽しめ」と言いました。その願いを、私は叶えることができました。正直、苦しいことや、悲しいこともありました。しかし、今となっては、全てがかけがえのない経験だったと感じます。

 これも全て、家族、友人、先生の支えがあったからだと思います。本当に、感謝しています。そして、姉にも礼を言わなければならないでしょう。これからも見守っていてください。

 さて、表題の話をしましょう。

 姉は私の幸福を願ってくれました。次は私の番です。

 私は、姉に感謝しています。そこで、私は七不思議を制作しました。私の願いを込めた七不思議です。「その七」が欠けているのも願いの一部であり、不備ではありません。奇妙な七不思議ですが、不審に思わないでください。

 私は「その七」を隠しましたが、きっといつか、誰かが見つけてくれるでしょう。姉が満足したのなら、或いは、姉が拒絶したのなら、きたる時は訪れ、久瀬高校七不思議は完全なものとなるのです。

 私は未来に託します。きたる時、きっと貴方が全てを終わりにしてくれるでしょう。(終)


「……きたる時」

 読み終わり、思わず呟く。確か、稲垣先生も「きたる時」と口にしていた。先生もこの記事を読んでいたのだろう。

 きたる時。一体いつなのだろう。何を意味しているのだろう。「その七」に何を託したのだろう。

 僕達は七不思議の意図は沢渡やつねさんの霊を発生させること、と予想した。しかしそれは正しいのだろうか。「姉が満足したのなら、或いは、姉が拒絶したのなら、きたる時は訪れ、久瀬高校七不思議は完全なものとなるのです」とある。何故やつねさんが菊子さんの願いを拒絶するのだろう。

 ……まさか、七不思議の意図は霊の発生ではないのだろうか……。

 ぼんやりと考えていると、

「重大なヒントがあると思っていたけど、『その七』については、わからないままね。これ以上手がかりがあるとは思えないし」

 記事を見つめながら、一柳さんがぼやいた。

「いや、そんなことはないよ」

 僕は新聞を読み直し、言った。

「見て、ここ」

 僕は記事の後半を指した。「私は『その七』を隠しましたが、きっといつか、誰かが見つけてくれるでしょう」の一文だ。

「ここ。彼女は『その七』を隠したかっただけじゃないんだ。見つけてほしい、って書いてある。つまり、僕達が追加するべき『その七』は明確に存在していて、そして見つけられるようになっている筈なんだ」

「つまり、どこかに必ず答えが載っているってこと?」

「多分ね」

 一柳さんの問いに、僕は頷いた。

 しかし、新しい資料はもう望めないだろう。今までの資料の中に、必ず答えがある筈だ。一体、どこに……。

 僕はとりあえず、新・七不思議が初めて掲載された久瀬文集四十五号に手を伸ばし……いや、確か四十五号には七不思議制作に関する記載は一切存在しなかった。

 可能性があるとすれば、沢渡やつねさんの後書きかもしれない。菊子さんは、やつねさんの後書きを読んでいる。「その七」の着想を、そこから得ていても不思議ではない。

 そう思い、旧・七不思議が掲載されている三十九号に手を伸ばした。

「そこに載っているの?」

「さあ、まだわからない」

 僕は彼女の後書きを読み返すため、目次のページを見た。目次は表紙の裏に書かれている。

「……あれ?」

 そこで唐突な違和感を抱いた。何かが妙だ。目次のページに異変があるわけではない。一ページ目に目次が記されていること自体を、妙に感じたのだ。

 そして、この違和感こそ重大な鍵を握っていると、僕の本能が告げている。ここに、「その七」が眠っている……!

「あ!」

 僕は思わず大きな声を出してしまった。一柳さんがびくり、と僕を見た。

「なに、どうしたの?」

「一柳さん、他の久瀬文集を見せて! 最近の!」

「う、うん」

 彼女は戸惑いながら久瀬文集を鞄から取り出した。彼女愛読の、八十三号。

「二十年前のだけど、いい?」

「うん、ありがとう!」

 そして僕は表紙をめくる。

「……やっぱりだ」

 僕は思わず声が震える。

「何? 何があったの?」

 僕は三十九号と、八十三号を一柳さんに見せた。

「あ……これ」

 僕が開いたページ。それはどちらも一ページ目、つまり表紙の裏だ。三十九号では、そこに目次が載っている。しかし。僕はもう一度、八十三号の表紙の裏を見た。


序文

~この学園に留まった遺志を継いで、この学園を愛する全ての者に捧ぐ~

 果たされることなき無念と屈辱。その怨念を礎に、私達は明日を築く。

 だが、いつか生徒達も、教師達も忘れてしまうのだろう。教訓さえも遠い過去へと追いやられ、また悲劇を繰り返すかもしれない。

 だから、私は久瀬文集を残すのだ。誰の記憶から消えようと、この文集は伝えていく。これは願望であり、供物だ。

 しかし、これは私のエゴイズムかもしれない。彼女の遺志をねじ曲げ、気随な願望を押しつけてしまった。

 だからこそ、私は未来に委ねようと思う。彼女がこれを望まないのならば、きっと、その時が来る筈だ。

 くぎりの数だけ行を成し、愕きの数だけ段を成す。

 六つの子に、未来を託す。


「八十三号では、『序文』が載っているんだ!」

 序文。意味不明で、理解不能な序文。それが、いつからか久瀬文集の表紙の裏に書かれるようになった。

「……この序文、八十三号以外の号にも載ってる!」

 一柳さんは興奮したように言った。では、この序文はいつ、誰が追加したのだろう。僕の推理が正しければ、書いた人は一人しかあり得ないし、追加された号だって一目瞭然だ。

「一柳さん。四十五号を見せて」

 彼女は少し緊張したように頷いた。四十五号。新・七不思議が初めて載った久瀬文集だ。菊子さんが関わった、久瀬文集……。

「……見て」

 一柳さんは表紙を捲り、そのページを開いた。そこに書かれていたのは……

「序文。確かに載っているね」

 他の文集も確認したが、序文が初めて掲載されたのは、四十五号で間違いないようだ。

 久瀬文集第四十五号。新・七不思議が制作され、序文が追加されたのだ。そしてこの内容。間違いない。この序文は、沢渡菊子さんが残したものだ!

「だとすれば」

 一柳さんが僕の顔を覗き込む。

「うん。きっとそうだ。彼女はここに、『その七』を隠したんだ!」

 一体、「その七」はなんだろう。答えはこの序文の中にある。僕はじっと読み返した。そして

「……はは」

 思わず、笑みがこぼれる。

「なんで気づかなかったんだ。こんな、初歩的な暗号に……!」

 探偵として恥ずかしい限りだ! こんな簡単な暗号に気づかないなんて!

 一柳さんは期待を込めた目で僕を見つめた。

「まさか、わかったの?」

「うん。わかったよ。なんてことはない。簡単な暗号だよ」

 僕は、とある一文を指した。

「ここ。序文の中でも特に意味不明だ。つまり、ここが暗号だよ」

 僕が指したのは「くぎりの数だけ行を成し、愕きの数だけ段を成す」の部分だ。

「どういう意味?」

「行と段。これが暗号だとするなら、何か思い浮かばない?」

 一柳さんは少し考え

「そっか、五十音表」

「その通り」

 もしも行と段を指定できるのなら、言葉は紡げる。日本語を使った暗号の鉄板だ。僕は続けて言った。

「くぎり、は恐らく『句切り』、つまり句読点のことだ。そして愕きの数だけ段を成す。つまり、エクスクラメーションマーク……びっくりマークの数が段数だ」

 これが、彼女が残した暗号の解き方だ。

 しかし、一柳さんはまだ合点していないようで、頭を捻った。

「でも、句読点とエクスクラメーションマークって、どこから数えればいいの? 序文にはエクスクラメーションマークなんて見当たらないよ」

「一柳さん。六つの子に未来を託す、だよ」

 そう言うと、彼女は理解したように、手をぽん、と打った。

「新・七不思議ね!」

「ご名答!」

 新・七不思議の「その七」は不明。つまり、六つの怪談が存在している。彼女はその六つの怪談に「その七」を託したのだ。

 僕達は新・七不思議を開いた。


 久瀬高校・七不思議:その一 端の教室

 久瀬高校の最果てに存在する教室をご存じだろうか。最上階の一番奥に存在するその教室には、幽霊が出るという噂がある。その霊の正体とは、「やつねちゃん」なのである!


 久瀬高校・七不思議:その二 教室の霊

 久瀬高校の生徒ならばいずれ目撃するだろう。久瀬高校のどこかの教室に「やつねちゃん」は現れてひっそりと授業を受けているのだ! もしかしたら貴方の教室で!


 久瀬高校・七不思議:その三 校庭

 校庭は様々なことに用いられるがその度に怪奇現象が起こる。点呼の際に必ず一人多いのだ! そしてその正体は「やつねちゃん」なのである!


 久瀬高校・七不思議:その四 食堂

 もうすでに経験済みの生徒もいるかもしれないが、食堂で食事をすると食品が無くなっていることがある! それはきっと「やつねちゃん」が盗んで食べてしまっているのだ! 食事中は、目を離さぬよう気をつけて!


 久瀬高校・七不思議:その五 図書館

 「やつねちゃん」は怪談が好きである。そのため図書館の奥でひっそりと本を読む彼女の姿を目撃した人も多いだろう。おすすめの怪談があったら渡してみよう!


 久瀬高校・七不思議:その六 文化棟

 校舎の向かいに聳える文化棟。その文化棟には「やつねちゃん」の幽霊が出るのだ。彼女は朝夕問わずに、歌を歌ってピアノを弾いて絵を描いている。その霊は度々目撃されている。


 久瀬高校・七不思議:その七 不明


「ちょっと待って石澤くん。『その六』にはびっくりマークが無いよ。五十音表の段、といったら母音でしょ? 母音が無いなんて変だよ」

「……いや、多分大丈夫」

 僕は「その六」を見つめ、そして確信した。

「一柳さん。句読点の数はいくつ?」

「えっと、五、かな。つまり、あ、か、さ、た……な。ナ行ね」

「つまり、子音はN、だね。母音を抜けば?」

「そっか! 『ん』ね!」

「その通り。じゃあ、他も同様に解いていくよ」

 「その一」。句読点四つ、エクスクラメーションマーク一つ。「た」

 「その二」。句読点一つ、エクスクラメーションマーク二つ。「い」

 「その三」。句読点一つ、エクスクラメーションマーク二つ。「い」

 「その四」。句読点二つ、エクスクラメーションマーク三つ。「く」

 「その五」。句読点二つ、エクスクラメーションマーク一つ。「か」

 「その六」。句読点五つ、エクスクラメーションマークゼロ。「ん」

 ……答えは得た。僕達は自然と声を合わせ、口にした。

「……体育館」


 時刻は十時。夕食と風呂を済ませ、自室。ぼんやりと、白い天井を見上げる。

 この数日、僕達文芸部を悩ませてきた、久瀬高校七不思議。その謎を、僕達は遂に解き明かした。

 欠けていた「その七」。その怪談の舞台は体育館であると判明したのだ。これで、新・七不思議の謎は解けた。

 「その七」が体育館であることは、納得のいく結論だった。新・七不思議の舞台は人の多い場所が選ばれていた。体育館は利用頻度が高い施設だ。人も多い。七不思議に選出されたことに、何ら疑問はない。しかし。

「……これで、いいのかな」

 結論は出た。「その七」は体育館で間違いないだろう。僕の推理が間違っており、かつ偶然「体育館」という文字が浮かびあがった、とは考えられない。

 ……しかし、まだ解けていない謎がある。沢渡菊子さんは、何故「その七」を隠したのか。何故、体育館なのか。その謎だけは、不明のままだ。

 恐らく、これ以上探しても資料は出てこないだろう。沢渡菊子さんは暗号を作り、卒業した。七不思議の明確な意図は残していない筈だ。

 では、結論は出ないままだろうか。このまま「その七」に、適当な体育館の怪談を追加して終わりだろうか。

「……違う」

 これで終わって良い筈がない。菊子さんは「その七」に願いを託した、と言っている。その願いを明らかにするまで、終わったとは言えない。ここで放棄したら、探偵失格だ。

 僕はベッドから跳ね起き、鞄を漁った。今まで集めた資料は全て持ち帰った。それを全て取り出し、机の上に並べた。

 まずは新・七不思議。


 久瀬高校・七不思議:その一 端の教室

 久瀬高校の最果てに存在する教室をご存じだろうか。最上階の一番奥に存在するその教室には、幽霊が出るという噂がある。その霊の正体とは、「やつねちゃん」なのである!


 久瀬高校・七不思議:その二 教室の霊

 久瀬高校の生徒ならばいずれ目撃するだろう。久瀬高校のどこかの教室に「やつねちゃん」は現れてひっそりと授業を受けているのだ! もしかしたら貴方の教室で!


 久瀬高校・七不思議:その三 校庭

 校庭は様々なことに用いられるがその度に怪奇現象が起こる。点呼の際に必ず一人多いのだ! そしてその正体は「やつねちゃん」なのである!


 久瀬高校・七不思議:その四 食堂

 もうすでに経験済みの生徒もいるかもしれないが、食堂で食事をすると食品が無くなっていることがある! それはきっと「やつねちゃん」が盗んで食べてしまっているのだ! 食事中は、目を離さぬよう気をつけて!


 久瀬高校・七不思議:その五 図書館

 「やつねちゃん」は怪談が好きである。そのため図書館の奥でひっそりと本を読む彼女の姿を目撃した人も多いだろう。おすすめの怪談があったら渡してみよう!


 久瀬高校・七不思議:その六 文化棟

 校舎の向かいに聳える文化棟。その文化棟には「やつねちゃん」の幽霊が出るのだ。彼女は朝夕問わずに、歌を歌ってピアノを弾いて絵を描いている。その霊は度々目撃されている。


 久瀬高校・七不思議:その七 不明


 次に、沢渡やつねさんの後書き。


 後書き【著・沢渡やつね】

 はじめまして。沢渡やつねです。

 そしてさようなら、になるでしょう。

 私はこの久瀬高校に良い思い出がございません。それどころか、悪い記憶ばかりです。毎日が苦しく、耐えがたいものでした。

 逃げることもできず、ただ、じっと救済を待っていました。思えば、自分で行動を起こさなかったことが、何よりの間違いなのかもしれません。しかし、この苦痛の中「自ら動け」というのはあまりに非道ではありませんか。私は、そんな世でこれ以上生きたいとは思えません。

 そしてついぞ、救いの糸が垂れ下がることは、ありませんでした。

 暗い思い出はもう振り返りたくありません。ここからは、僅かに残った未練について書きましょう。

 まず、文芸部について。私は久瀬高校のことが大嫌いですが、しかし唯一、文芸部は好きでした。私の所為で一人、また一人と部員が減ってしまいましたが、それでも私はあの文芸資料室が好きです。本に囲まれたあの空間だけは、私の心を癒やしてくれました。どうもありがとう。

 次に、妹について。私には妹がおり、きっと来年には久瀬高校に入学して来るでしょう。私は心配です。私の所為で、妹も生きづらさを感じてしまうのではないか、と考えてしまいます。どうか、あの子には魔の手が掛かりませんように。久瀬高校を呪っておいて、なのですが、私はあの子の幸福を願っております。どうか、あの子だけは幸せにしてください。

 そして、もしも貴方がこれを読んだのなら、私のことなど忘れてください。貴方まで誰かを呪わないでください。ただ、当たり前の日常を、ありのまま受け取ってください。それが、私の唯一の願いです。

 貴方の楽しい学校生活を願っています。

 では、さようなら。


 そして沢渡菊子さんの記事。


 七不思議について 【著・沢渡菊子】

 こんにちは。三年の沢渡です。もう引退したのですが、最後にこの記事だけ残させてください。

 私は、この久瀬高校でかけがえのない思い出を、沢山作りました。愉快な友達に囲まれ、優しい教師に導かれ、楽しい高校生活を送ることができました。

 そんな高校生活を送ることができたのは、姉のおかげでもあると思うのです。

 私の姉は、校内暴力によって自ら命を絶ちました。もう、三年も前の話です。当然、姉を苦しめた生徒は卒業しましたし、私自身、もうこの学校を去らねばなりません。

 ですので、恨みや後悔を残すつもりはございません。

 姉は私に、「学校を楽しめ」と言いました。その願いを、私は叶えることができました。正直、苦しいことや、悲しいこともありました。しかし、今となっては、全てがかけがえのない経験だったと感じます。

 これも全て、家族、友人、先生の支えがあったからだと思います。本当に、感謝しています。そして、姉にも礼を言わなければならないでしょう。これからも見守っていてください。

 さて、表題の話をしましょう。

 姉は私の幸福を願ってくれました。次は私の番です。

 私は、姉に感謝しています。そこで、私は七不思議を制作しました。私の願いを込めた七不思議です。「その七」が欠けているのも願いの一部であり、不備ではありません。奇妙な七不思議ですが、不審に思わないでください。

 私は「その七」を隠しましたが、きっといつか、誰かが見つけてくれるでしょう。姉が満足したのなら、或いは、姉が拒絶したのなら、きたる時は訪れ、久瀬高校七不思議は完全なものとなるのです。

 私は未来に託します。きたる時、きっと貴方が全てを終わりにしてくれるでしょう。(終)


 そして久瀬文集の序文。


序文

~この学園に留まった遺志を継いで、この学園を愛する全ての者に捧ぐ~

 果たされることなき無念と屈辱。その怨念を礎に、私達は明日を築く。

 だが、いつか生徒達も、教師達も忘れてしまうのだろう。教訓さえも遠い過去へと追いやられ、また悲劇を繰り返すかもしれない。

 だから、私は久瀬文集を残すのだ。誰の記憶から消えようと、この文集は伝えていく。これは願望であり、供物だ。

 しかし、これは私のエゴイズムかもしれない。彼女の遺志をねじ曲げ、気随な願望を押しつけてしまった。

 だからこそ、私は未来に委ねようと思う。彼女がこれを望まないのならば、きっと、その時が来る筈だ。

 くぎりの数だけ行を成し、愕きの数だけ段を成す。

 六つの子に、未来を託す。


 そして最後に、少し前に書いた簡易的な年表。そこに、新たな情報を書き込んだ。


 四十四年前 沢渡やつねが久瀬文集第三十九号で旧・七不思議を制作

 四十三年前 久瀬文集四十一号(夏)、四十二号(冬)を出版 沢渡菊子、一年

 四十二年前 久瀬文集四十三号(夏)、四十四号(冬)を出版 沢渡菊子、二年

 四十一年前 久瀬文集第四十六号(冬)にて新・七不思議が掲載 沢渡菊子、三年


 これで、全部だ。

 これ以上の資料は望めない。ここから真実を明らかにしなければいけない。僕は全ての資料を同時に眺めた。

 きっと、答えはここにある。沢渡菊子さんは、未来に託すと言ったのだ。だから、きっと読み解ける。彼女に意図は、ここに残されている筈だ。

「あ……」

 そして、僕は気づいた。

「そうだ。そんな筈ないんだ」

 思わず、呟く。

「やつねさんの霊を出現させるため、なんて、そんな筈ないんだ。七不思議の意図は、別にある……!」

 では、菊子さんの意図は何だったのか。七不思議に、何を込めたのか。

「……そうか」

 こうして、資料を並べてみると、案外理解できるものだ。やつねさんの願い。そして菊子さんの願い。

 僕にはもう、七不思議の意図がわかってしまった。

「……一柳さんの言う通りだ」

 彼女は以前、「この事件は終わっていない」と口にした。全く、大した勘だ。

「確かに、この事件は終わっていない。終わってなかったんだ……!」

 だからこそ、安堵する。今ここで真相を明らかにできたこと。そして全てを終わりにできること。

「……気づけて良かった。謎を解いて、良かった……!」

 胸の前で、ぎゅっと拳を握る。

 四十年。四十年もの間、沢渡やつねさんに掛けられた呪縛を解く時が来た。

 僕は携帯端末を取り出し、一柳さんにメールを打った。

「一柳さん。全ての謎が解けたよ。明日の放課後、関係者を集めて欲しい」


 夏。熱気籠もる部室。使用禁止、処分禁止の机の置かれた、少し不気味なその部屋に、僕達は集まった。

 僕と、一柳さん。そして顧問の大河原先生、元文芸部所属の稲垣先生。計四人だ。

「皆さん、お忙しい中、お集まりいただき、ありがとうございます」

 室内からは錆びた扇風機が風を切る音が聞こえる。もう夏だ。怪談で涼むこの季節。僕はここで、七不思議について話そうと思う。

「皆さんを呼んだ理由は一つです。僕達を長い間悩ませた、七不思議の謎が解けました」

 大河原先生と稲垣先生が顔を見合わせた。

「そうですか。遂に、解けましたか」

 大河原先生はゆっくりと目を閉じ、そして、その後、再び目を開け、僕を真っ直ぐ見つめた。

「では、聞かせてください。新・七不思議は一体何の為に作られたのか。菊子さんは一体何を残したのか」

「はい」

 僕もゆっくりと頷く。もう終わりにしよう。この久瀬高校に残された呪縛を開放する時だ。

「まず、今までの推察の否定から入ります。一柳さん。一柳さんはこの新・七不思議の目的が『やつねの霊を出現させること』って予想したよね? ……していたんです」

 一柳さんに話せば良いのか、先生に話せば良いのか、思案し口籠もっていると、「私達には構わず、話してください」と先生方が言ってくれた。その言葉に甘え、僕は一柳さんに向かって話す。

「でも、その説は多分違う。菊子さんがそんなこと望むなんて、考えられないんだ」

「そう? 亡くなった人に会いたいって思うのは自然な感情だと思うけど」

「うん。菊子さんも、その感情自体は抱いていたと思う。でも、実行に移すとは思えない」

 僕はやつねさんの後書きを取り出した。

「見て、ここ。やつねさんは妹の幸福を願っていた。やつねさんの死に囚われることなく、ありのままの学校生活を楽しんでほしい、って願ったんだ」

 次に、僕は菊子さんの記事を開いた。

「そして、その言葉を受けとって、菊子さんは学校生活を楽しんだ。かけがえのない思い出を作った。もし、菊子さんがやつねさんの思いを受け取ったのなら、寂しいなんて理由で、霊の出現を願ったりはしないんだ。

 彼女は前を向いた。姉の死を嘆いたかもしれない。原因を憎んだかもしれない。でも、それでも前を向いたんだ。そんな菊子さんが、姉の亡霊に囚われて幽霊の発生を望むなんて、そんなことはしない筈だ」

「……」

 彼女は少し目を伏せ、黙った。僕は続けた。

「それに、霊を発生させるにしても、遅いんだ」

「遅い?」

 僕は頷き、自作した年表を取り出した。

「見て。菊子さんが新・七不思議を制作したのは三年生の冬なんだ」

「あ」

 一柳さんは小さく声を漏らした。

「そう。ただでさえ怪談が流行らない冬だ。七不思議を作っても広まりにくい筈だ。その上、数ヶ月後に菊子さんは卒業してしまう」

「……菊子さんが学校にいる内に、やつねさんの霊が発生する可能性は低いってことね」

 僕は頷く。噂がどれだけ広まる必要があるのか、広まった後、どのくらいの期間で霊が発生するのか僕は知らない。だが、卒業を目前にして、霊の発生を望むなど、さすがに無謀だろう。

「以上の点から、菊子さんの願いは『やつねさんの霊に会いたい』じゃないと推理したんだ」

 ここまで、反論や補足がないかを確認する。一柳さんは「確かに石澤くんの言う通りかも」と呟いた。

「でも、だったら菊子さんの願いはなんだったの? 何の為に七不思議を作ったの?」

「そうだね。じゃあ、その謎を解いていこう」

 僕は新・七不思議の書かれたページを開いた。

「まず、僕が疑ったのは舞台だよ。これは、さっきの話にも繋がるんだけど、新・七不思議は『人が多い場所』を選んだわけじゃないと思うんだ」

 僕はオカルト好きの一柳さんを見た。

「ねえ、一柳さん。この間、『人の多い場所を舞台に選べば、噂が広まる』って言っていたけど、本当にそう思う?」

「え?」

「僕は寧ろ、逆効果だと思う。人の多い場所を舞台にしたら、怪談は広まらないんじゃない?」

 怪談とは、不明瞭だから恐ろしいのだ。人通りが少なく、目撃者が少ないからこそ、誰も霊の存在を否定しきれず、リアリティが生まれる。

 人が多い、ということは証人が増えることと同義なのだ。怪談には全く適さない。そして怪談として不適切ならば、噂などされない。怪談は恐ろしいからこそ普及する。

 つまり、新・七不思議は噂を広めたい、という意図はないのだろう。

 一柳さんは「確かに……」と頷いた。

「まあ、そもそもの話をしちゃうと、噂が広まれば霊が発生するなんて理論、菊子さんが知っていたかも疑わしいね」

 僕はオカルトに疎いため、そんな話は聞いたこともなかった。一柳さんから聞くまで知らなかったのだ。

「とにかく、新・七不思議は『人が多いから』という理由で舞台を選んだわけじゃないと思う」

 僕が言い切ると、しかし一柳さんは首を傾げた。

「怪談には適していないけど、実際、選ばれているのは教室、校庭、食堂、図書館、文化棟。人の多い場所ばかりだよ」

 そう。確かに、舞台となっているのは人の多い場所ばかり。しかし、恐らく見方が違うのだ。

「一柳さん。さっき挙げた場所は、どうして人が多いんだと思う?」

「それは、みんなが使う場所だからでしょ?」

「そう。高校生なら、みんな当たり前に使える施設だからだ。特に、教室なんて言うまでもないね」

「でも、それが何? 新・七不思議の舞台に選ばれた理由に関係あるの?」

 関係ある、というより、これが答えだろう。僕はもう一度、菊子さんの記事を見た。ここに、彼女の意思がある。

「……菊子さんは、この学校で沢山の思い出を作った。やつねさんの願いを受け入れて、前を向いた。姉を失った悲しみを超えるほど、楽しい記憶を作った」

 そんな菊子さんは何を望んだのだろう。何を願ったのだろう。

「菊子さんは楽しかったんだよ。幸せに満ちた高校生活を送ることができた。……でも、やつねさんは違う。自分の幸福を誰よりも望んでくれた姉は、高校生活の全てを剥奪されたんだ」

 体育祭。文化祭。合唱発表回。球技大会。修学旅行。芸術鑑賞会。それだけじゃない。普段の授業だって、面倒なテストだって、お友達との放課後だって、部活だって。その全てを奪われたのだ。

 その苦痛は、きっと想像もできないのだろう。僕はまだ入学して間もない。けれど、すでに高校生活が楽しいと感じている。放課後の探偵活動も、一柳さんとの議論も、かけがえのない日常だ。

 そう。学校の中には楽しいことが沢山ある。学校の中でしか味わえない体験が、学校の中でしか築くことができない友情が、学校の中でしか学べない知識が、この久瀬高校に溢れている。

 それは、生徒ならば当たり前に享受できるものだ。宝物だとすら気づけないほど、ありふれたものである筈だ。

 ……しかし、やつねさんはそれを悉く奪われた。

「……卒業に際し、今までの高校生活を振り返って、菊子さんは何を思っただろう。自分の中にある煌めく記憶を眺めて、彼女は何を願っただろう。

 ……その輝きは、菊子さんの姉、やつねさんが手にできなかったものだ。やつねさんが願ってくれたその煌めきを、当のやつねさんは手にできていない。その事実を思い出して、菊子さんが願うことなんて、一つしかないと思う」

 僕は一柳さんの顔を見て、言った。

「菊子さんの願いも、やつねさんと同じだ。彼女は姉に、幸せな高校生活を送って欲しかったんだ」


「……なるほど。この七不思議の舞台は、『久瀬高校』そのものだったのね」

 僕は頷く。教室。校庭。食堂。図書室。文化棟。完全ではないけれど、久瀬高校の主要な施設は網羅している。高校生活で、思い出を残す筈だった施設だ。

「きっと、菊子さんは噂を広めるとか、そんな目的は持ってなかったんだと思う。これは、怪談なんだ。物語なんだ。菊子さんは、七不思議という物語の中に、姉の幸福を祈った。せめて物語の中だけでも、幸福であるように。そう願ったんだ」

 菊子さんは自分の体験したことを、かけがえのない思い出を、やつねさんにも経験して欲しかったのだ。

 だからこそ、菊子さんは七不思議に残した。自分の中で燦然と輝く記憶を。やつねさんの中で、仄かに灯る筈だったアフターグロウを。

 部室に現れるやつねさん。教室の中で授業を受けるやつねさん。校庭の行事に混ざるやつねさん。食堂で昼食を食べるやつねさん。図書館で本を読むやつねさん。文化棟で絵を描き、歌うやつねさん。

 まるで、普通の高校生みたいな、そんな物語。

「これが、新・七不思議の意味だよ」

 言って、しばらく静寂が訪れる。

「……ねえ、石澤くん。噂が広まれば、霊は現れるの」

 一柳さんは自分にも確かめるように呟いた。

「菊子さんは意図していなかったかもしれないけれど、この七不思議を広めれば、やつねさんの霊は現れると思うの。菊子さんの願いの通り、この学校で思い出を作ることができるかもしれない!」

 一柳さんは少し顔をほころばせ、言った。菊子さんの思いを知って、温かい気持ちになったのだろう。それは僕も同じだった。姉妹の愛に、僕は感動した。だから、できることならば菊子さんの願いだって、叶えてあげたい。

 ……だけど。

「いいや。無駄だよ。噂を広めても、やつねさんの霊は現れない」

 僕は断言した。

「……ちょっと、こんな時にリアリストにならなくてもいいでしょ。大体、霊の存在を否定できる証拠でもあるの?」

 一柳さんが恨がましく、僕を睨んだ。だけれど、そうではない。僕が言いたいことは、違う。

「……幽霊の存在を信じたとして、それでもやっぱり不可能なんだ。だって、だって。新・七不思議はあくまで願望だから。やつねさんが過ごせなかった場所だから! 彼女は、そこになんの感情も残していないんだ……!」

「あ……」

 一柳さん曰く、霊の発生条件は二つ。一つ、霊の噂を拡散すること。二つ、そこに怨念が存在すること……。

「彼女が怨念を残した場所は、もう決まっている。旧・七不思議の舞台だよ。そこにはやつねさんの怨念はあるだろうね。でも、新・七不思議の舞台には、ないんだ。新・七不思議をどれだけ広めても、そこにやつねさんの念は残っていないから霧散してしまう」

「……でも、旧・七不思議の舞台じゃなくても、念が残っているかもしれないでしょ?」

 確かに、そうだ。それに、見方を変えてしまえば、「やつねさんの怨念は久瀬高校にある」と広く捉えることも可能だ。オカルトには詳しくないので明確な条件はわからないが、或いはやつねさんの霊を発生させることも可能かもしれない。

 ……しかし。

 僕はふと先生方を見た。すると、僕と同じことを考えているのか、苦い顔をしている。僕は小さくため息を吐いた。

「……それでもやっぱり、噂を広めるべきじゃないよ」

「どうして?」

「……だって、霊として久瀬高校に縛り付けられるなんて、やつねさんが望む筈がないんだ」

「え?」

「よく考えてみてよ。やつねさんは、どうして旧・七不思議なんか作ったのか」

「それは、いじめがあったからでしょ?」

「そうだね。じゃあ、どうして、彼女は加害者を呪わなかったの? 暴力を振るった張本人を呪わなかったのは、どうしてだと思う?」

 一柳さんは呆気にとられた様な顔をした。

「七不思議を使って、呪いを広めて、加害者を呪おうとしたんでしょ?」

「どうかな。だって、加害者だって学生だよ。三年経てば卒業だ。その後は、単に学校に呪いが残ってしまう」

「……じゃあ、どうしてだと思うの?」

「簡単だよ」

 僕は、その残酷な真実を、彼女に叩きつけた。

「彼女が呪ったのは、初めからこの学校だったんだ」

 加害者本人ではなく、その加害者を生み出したこの学校を。どうしようもない絶望へと自分を叩き落とした、教育機関というシステムそのものを呪ったのだ。

「彼女の後書きにも書かれているけど、彼女はこの学校が大嫌いだった。呪いを残すほど、憎かったんだ」

「そんな……」

「その憎き久瀬高校に、死してなお魂が縛られることを、果たして彼女は望むかな。この久瀬高校に独りぼっちの記憶を作ることを、彼女は幸福に感じるのかな。……僕が思うに、それはあり得ないよ。そんなこと、やつねさんは望む筈がない」

「……」

 はっきり言って、菊子さんの願いは、お節介というものだろう。誰も、そんなことは望んでいない。

「……じゃあ、菊子さんの願いは無駄だったの? 彼女の思いは、どこにも届かないの?」

 一柳さんが小さく呟いた。

 ……確かに、新・七不思議はお節介だ。自己満足と呼ぶこともできるだろう。

 しかし、だからと言って、その願いは全て無駄だったのだろうか。自己満足なごっこ遊びだと、悪趣味なイタズラだと、そんな言葉で踏みにじってしまっていいのだろうか。

 ……それは、嫌だった。

 確かに、新・七不思議は取り下げるべき呪縛だろう。間違った願いだろう。

 しかし、純粋な願いでもある。乱暴な言葉で汚していい筈がない。これは尊い願いだ。

 そして、これほどの思いが込められたモノは、ごっこ遊びとも、イタズラとも呼ばない。それは、儀式と呼ぶのではないだろうか。

「……二つ。可能性がある」

 僕は呟いた。その場の全員が、僕を見た。

「一つ目。七不思議の『その一』」

 僕は久瀬文集第三十九号、つまりやつねさんが七不思議を残した号を開いた。そこには、彼女の後書きが載っている。

「見て。彼女の後書きを」

 机の上に開かれたそれを、全員が覗き込んだ。


【沢渡やつねの後記より抜粋】

「まず、文芸部について。私は久瀬高校のことが大嫌いですが、しかし唯一、文芸部は好きでした。私の所為で一人、また一人と部員が減ってしまいましたが、それでも私はあの文芸資料室が好きです。本に囲まれたあの空間だけは、私の心を癒やしてくれました。どうもありがとう」


 僕は、彼女の文芸部への思いを指した。

「確かに、沢渡やつねさんは久瀬高校が大嫌いだった。呪いを残す程、憎んでいた。だけど、それでも好きな場所があったんだ。地獄のような久瀬高校だけど、唯一心安まる教室があった。それこそ、文芸部部室だよ。文芸資料室だ」

 その文を見て、一柳さんは目を細めた。

「そっか……。文芸部。ちゃんと、彼女が安心できる場所が、久瀬高校にもあったのね」

「うん。だから、『文芸部の部室に現れる霊』なら、広めてもいいんだと思う」

 きっと、文芸部の部室なら、彼女の心も落ち着く筈だから。

 と、一柳さんはハッとしたように言った。

「いえ、待って、石澤くん。新・七不思議の舞台に、文芸部の部室はないよ」

 そう。現在の七不思議「その一」は「最上階の一番奥にある教室」だ。旧校舎ではそこが文芸部の部室だった。しかし、現在は違う。現在の「その一」の舞台は、ただの物置だ。

「だから、変えよう。元に戻そう」

「え?」

「校舎の建て替えで歪んでしまった七不思議を、元に戻すんだ。『最上階の一番奥にある教室』じゃなくて、『文芸部の部室』に書き換えよう。やつねさんを、安心できる場所に戻してあげよう」

 これが四十年後を生きる僕達にできる精一杯。七不思議を書き換えることが、菊子さんの願いを叶える唯一の手段だ。

 一柳さんは笑顔を作った。

「そうね。うん。きっと、まだ間に合うよね。書き換えよう」

 ……正直、今更文芸部に呼んだところで、やつねさんが喜ぶかはわからない。いくら文芸部を気に入っていたからといって、死後、召還されることを望むだろうか。

 それはわからない。……だけど、少なくともこれだけは断言できる。

「うん。きっと、やつねさんも菊子さんの願いを知ったら喜ぶと思うよ」

 現在の部室が、彼女にとって落ち着く場所であるなら、幸いだ。


「それで、石澤くん。可能性は二つあるって言ったよね。二つ目は、何?」

 一柳さんが僕の顔を覗き込んだ。そう。可能性は二つ。もう一つだけ、実現可能な菊子さんの願いが存在するのだ。そして、その二つ目の可能性こそ、最も菊子さんが願っていたことであり、そして、やつねさんを開放する手段なのだ。

「さっき、『久瀬高校に囚われることを、やつねさんは望まない』って言ったけど、そんなこと、菊子さんだって気づいていたと思うんだ。たとえ物語の中だとしても、久瀬高に姉の魂を縛るのは、残酷なことかもしれないって悟っていたんだよ」

「え?」

「ほら、菊子さんの記事と、久瀬文集の序文を見て。菊子さんは、やつねさんが願いを拒否するかもしれないって考えていたんだ。エゴイスティックな願望だと、薄々気づいていたんだ。だからこそ、『きたる時』を用意したんだよ」

 やつねさんが満足した時、或いは拒否した時、「きたる時」は訪れる。つまり、やつねさんの意思によって、彼女は久瀬高校から離れることができるのだ。

 僕達は「その一」の舞台を文芸部の部室に書き換えるが、しかし、今後永久に文芸部に閉じ込めるわけにもいかないだろう。

 その逃げ道を、菊子さんは用意した。やつねさんが久瀬高校から成仏できるように、可能性を未来に託した。

「……じゃあ、その『きたる時』って一体何? 菊子さんは、一体何を未来に託したの?」

 一柳さんが訊ねる。

「きたる時」。それはきっと、僕達にも訪れる。いつか時は満ちるのだ。

「ねえ、一柳さん。菊子さんが一番願っていたことって何だと思う? この学校で、一番経験して欲しかったことは、何だと思う?」

 僕は問い掛ける。これからの三年間、久瀬高校で経験するであろう様々な行事に思いを馳せながら。

「そうね」と考え込み、一柳さんが口を開いた。

「やっぱり、イベントじゃない? やつねさんは文芸部だったから、文化祭? いえ、修学旅行もありえるのかな」

 そしてまた少し考え、

「いえ、普段の授業かも。高校で送る日常こそ、かけがえのない思い出になると思う」

 どちらも、理にかなっている。仲間と作り上げるイベントも、当たり前に過ぎていく日常も、きっといつかは宝物になるのだろう。だが。

「多分、どっちでもないよ」

 僕は首を横に振った。一柳さんは怪訝そうな顔で僕を見た。

「じゃあ、石澤くんは何だと思うの? 菊子さんが望んでいたことは、何だと思うの?」

 やつねさんの悔恨。

 菊子さんの願い。

 やつねさんが一番経験したかったこと。菊子さんが一番願ったこと。三年間という、長いようで、あっという間に過ぎていく高校生活。その中で一番大切な行事。

「一柳さん。僕達はこの久瀬高校で、数え切れないほどの思い出を残すだろうね。沢山のことを学んで、沢山の仲間を作るんだ。

 ……でも、そんな日々は永遠には続かない。沢山の思い出と共に、僕達は久瀬高校を去らなきゃいけない。学校を飛び出して、社会に羽ばたかなきゃいけないんだ」

 それは、とても悲しいことだ。寂しいことだ。

 楽しいイベントも、退屈な授業も、教室の中の些細なお喋りも、本気で打ち込む部活動も、教師とのちょっぴり緊張する会話も、わくわくする学校探検も、他学年にお邪魔する時のドキドキも、学校の七不思議も、下駄箱のラブレターも、修学旅行の夜に交す秘密の話も、それがバレた時の大目玉も、纏まらない合唱発表会も、放課後の補習も。何もかもが三年で終わりだ。

 学生時代限定の探偵も、あと三年で終わる。僕は探偵を止めなきゃいけないし、一柳さんとの対決も終わってしまう。

 僕はまだ一年生だけど、その事実を思うと少し悲しくなる。まだ入学して間もないけれど、僕は高校生活が楽しくて仕方ない。

 だからこそ、高校生活を手放すことがとても惜しい。できるなら、僕はこのまま久瀬高校でずっと探偵をしていたい。一柳さんと、充実した放課後を繰り返したい。

 けれど、それは叶わない。時間は残酷に、僕達を押し流していく。僕は探偵ではなくなるし、高校生でもなくなる。

 では、そうなった時の僕は、全ての価値を失うだろうか。探偵でも、高校生でもなくなってしまった僕は無個性になって、量産型の人間だと言われてしまうだろうか。つまらない人間になったと、今の僕は未来の僕を笑うだろうか。

 ……それはきっと違う。

「僕達が高校に入学したのは、思い出を作るためじゃない。……その思い出を胸に、立派な人間になるためだ。ちゃんと大人になるためだ。高校生という個性を失っても無個性にならないように、皆と同じ授業を受けても量産型にならないように、僕達はこの久瀬高校で学ぶんだ。

 そして、それこそ菊子さんの願望だと思う。久瀬高校から飛び出して、一人の人間として羽ばたく。それが、菊子さんが願っていた、やつねさんの姿じゃないかな」

 それは、現実には叶わなかったことだ。だからこそ、七不思議の世界で実現しようとしたのではないか。

「そして高校には、羽ばたくための儀式があるよね。自分の翼で飛ぶ力。自分で道を決める力。仲間と協力する力。苦難を乗り越える力。その全てを、高校で身につけたって証明する、高校最後の式典が」

「あ……」

 一柳さんは軽く口元を押さえた。そう、それこそが菊子さんが残した最後の七不思議。

「そして、その式典の会場は『体育館』だ」

 幸か不幸か、体育館は旧・七不思議の舞台でもある。体育館には、やつねさんの念が確かに存在している。つまり、霊の発生条件は満たしている。「その七」の怪談を、現実にできる。

 僕は紙にペンを走らせた。

「菊子さんが残した『その七』を書くなら、こうじゃないかな」

 僕は、全員に見えるように、紙を差し出した。

「……そうね。これで、やっと『きたる時』が訪れるのね。やつねさんは、久瀬高校を巣立つことができるのね」

 僕は頷いた。約四十年。膨大な時間、やつねさんを引き留めてしまった。その間、やつねさんは何を思っていただろう。彼女は、満足しただろうか。それとも拒否したのだろうか。

 いずれにせよ、「きたる時」は今。もう、充分だろう。

 僕は自分の書いた文字を見た。

 これで、巣立ちだ。開放だ。菊子さんの願いは四十年の時を超え、成就する。

「久瀬高校・七不思議:その七 体育館。『卒業するやつね』」


 かくして、全ての謎は解けた。菊子さんの願いも、「その七」の内容も。

 しかし、解いただけでは終わらない。終われない。僕達にはまだ、やるべきことが残っている。

「先生達を集めたのは、他でもありません。この七不思議の制作を許して欲しいのです」

 僕は先生達を見た。

「まず、稲垣先生」

 「その七」は長い間不明だった。しかし、約二十年前、稲垣先生達により、新たな「その七」が追加されてしまった。それはイタズラであったが、しかし、稲垣先生達の青春が詰まっていることも、また事実である。

「先生達が作った『その七』を、体育館の怪談に変更したいと思います。それを、許してください」

 僕が言うと、稲垣先生は苦笑した。

「当然よ。元々、申し訳無く思っていたの。私も七不思議の起源を少し調べていたから、『その七』に、何かの意図があることは予想できた。だから、勝手に変えてしまったことが、少し気がかりだったの。『その七』を石澤くんが明らかにしてくれて、私は本当に嬉しい。石澤くん。是非、『その七』を、元の形に直してあげて」

「……はい!」

 そして、次は稲垣先生、大河原先生の二人を見た。

「先生。死者が登場する七不思議の制作を、どうか許してください。実在した生徒の名を、七不思議に残すことを許してくれませんか」

 七不思議は菊子さんが残した願いだ。しかし七不思議だけを見れば、死者を弄んでいる、と解釈されても仕方がない。

 だからこそ、教師の許可が必要だ。単なる好奇心ではなく、菊子さんの願いを叶えるための七不思議であることを、教師に認めて欲しいのだ。

「顔を上げてください」

 大河原先生の優しい声が聞こえた。

「許可など、出すまでもありません。……元々は、久瀬高校が一人の生徒を救わなかったことが、全ての始まりです。石澤くん。やつねさんを、久瀬高校から卒業させてあげてください」

「……はい」

 これで、七不思議を作ることができる。

 変更点は二つ。

 「その一」の舞台を、文芸部の部室に移す。

 「その七」を、卒業式に参加するやつねさんの怪談に書き直す。

 菊子さんの願いの通り、やつねさんを文芸部に呼ぶ。しかし、それは今年いっぱいだ。今年度の卒業式、彼女にも巣立ってもらおう。それまでに、噂を広めなければならない。噂を広め、怪談を実現しなくてはならない。

「そして、その七不思議を久瀬文集に載せるのが、私達の仕事ね」

 僕は頷く。久瀬文集の締め切りも近づいている。何を書いたら良いか迷っていたが、しかし、これで内容は決まった。さて、これからは少し忙しくなるだろう。なにせ、夏号出版まで時間が無い。

「でも、いいの? 石澤くん」

 その時、一柳さんが僕に尋ねた。

「何が?」

「何がって、『その一』のこと。『その一』の本当の舞台は文芸部の部室でしょ。つまり、ここよ」

 そう。文芸部の部室はここ、つまり僕達の部室だ。

「石澤くんって、ほら、心霊が苦手じゃなかった?」

 確かに、ホラーは苦手だ。その霊が善か悪かは関係なく、オカルトがこの部室に充満していると考えただけで、鳥肌が立つ。

 だが。

「旧・七不思議『その一』」

「え?」

「やつねさんが残した七不思議。その一番目を思い出して」


 久瀬高校七不思議:その一 文芸部

 最上階の一番奥に存在する教室。沢山の本棚に囲まれたその教室に、「やつね」の霊は現れる。「やつね」は文芸資料室で自殺した少女の霊である。その部室にある本を、全部読むことが夢だったが、それは叶わない。心残りを残した彼女は、死後も部室で本を読み続ける。


 旧・七不思議は理不尽な呪いが多数だった。しかし、「その一」だけは違う。憎しみから出た呪いではない。これは、愛である。

 まったく、以前の僕達は愚かだった。探偵事務所だの、霊能事務所だの、そんなことばかり考えていた。だけれども、乗っ取る必要などなかったのだ。僕達はもう、そんなバカなことは考えない。

 だって初めからここは僕達の居場所で

「僕達は文芸部なんだから」

 ならば、怖くない。彼女もまた、文芸部を愛する者なのだ。

「だから、きっと大丈夫だよ。それに、ほら」

 僕は、部室の隅に目をやった。全く、一体誰が残したのやら。僕は自然と笑顔になった。

「ちょうど、人間には使えない机と椅子が一組、残されているしね。一人くらい、歓迎するよ」

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