第5話 イタズラ、或いは……
探偵ができるのは高校生まで。僕はこの久瀬高校で様々な事件に挑むつもりだ。しかし。
「暇だなあ」
事件など、滅多に起こるものではない。それに事件が発生したとして、探偵の出番が必ずあるとも限らない。
そんなわけで、今日もまた平凡な放課後が始まろうとしていた。僕はいつも通り、職員室に鍵を借りに向かった。
「あ、石澤くん!」
鍵の保管庫に向かう途中、先生から呼び止められた。
「現代文、頑張ったねえ!」
「はい?」
「ほら、中間! すごくよかったよ!」
「ああ、ありがとうございます!」
稲垣先生、現国の担当教師である。小柄で背が小さいが、頬は少しふっくらとしている。三十代後半で、笑いじわが印象的な女性だった。
「がんばったんじゃない? 試験勉強」
「いえ、先生の授業がわかりやすかったので」
「まあ、お上手」
稲垣先生はけらけらと笑った。まあ正直、好印象を狙っての言葉だが、あながち嘘というわけでもなかった。
稲垣先生の授業は面白かった。毎回雑学を交えながら文を読み進めるので、その知識と共に記憶に残りやすい。
その上、節ごとに重要な点を書き出し、流れを解説してくれる。そのため要約の力と、文章を素早く把握する力が身につくのだ。
面白く、優しく、面白い授業をする稲垣先生は、生徒の間でも非常に人気に教師だった。
「さすが、文芸部ね。やっぱり文学が好きなの?」
「はあ、いや、まあ」
どうなのだろう。確かにミステリーは好きだけれど、それ以外の本はあまり読んでいない。それで文学が好きと言っていいのかわからなかったので、曖昧に誤魔化した。
「あはは、まあ、そんなもんよね」
しかし稲垣先生は一切気を悪くした様子もなく、また笑っていた。
「これから部活?」
「はい」
「そうなの。なんだか懐かしいわ」
「?」
「ああ、私も久瀬高校出身で、文芸部に所属していたのよ」
「そうだったんですか!」
それは知らなかった、というより想像すらしていなかった。当然だが、先生にだって高校時代はあったのだ。僕達は教師の姿しか知らない。でも、稲垣先生もこの久瀬高校で三年間を過ごし、かけがえのない思い出を作ったのだろう。
「楽しかったわね、あの頃は。文芸部のみんなで一所懸命文集を作ったの。自分の作品が一番面白い筈だって、みんなで競ったものよ。まあ、私のが一番だったけどね」
稲垣先生は懐かしむように目を細め、楽しそうに笑った。稲垣先生はよく笑うけれど、しかし今までには見たことがない笑顔だった。
その笑顔があまりに楽しそうで、
「……今は、楽しくないんですか?」
思わず訊いてしまう。僕は今、楽しい。学校で探偵活動ができて、一柳瞳という好敵手もいる。
それだけではない。学校では同い年の生徒に囲まれ、様々な催し物に参加する。それはとても貴重で、とても楽しい。普段の生活だってそうだ。大人に守られて、行くべき道に従うことは少しだけ窮屈だけれど、しかし安心感に包まれている。
だが、それも高校生までだ。大学に進学するにしろ、就職するにしろ、僕達はぽん、と放り出されてしまう。その上僕は、探偵になるという夢すら失う。探偵ができるのは高校生までなのだから。
それは、今から考えても少しゾッとする。あと三年したら、突然道しるべも、夢も、支えも失ってしまう。その未来は真っ暗に思えて仕方がない。僕はその暗闇が恐ろしい。
「……怖い?」
稲垣先生は、先ほどまでの煌めいた目とは変わり、温もりを含んだ優しい目で微笑んだ。僕は小さく頷いた。
「そうね。正直に言って、確かにあの頃が一番楽しかったかな。特に貴方達を見ているとね、羨ましい、って思うわ。でも戻れない。年もそうだけど、何より、私自身が変わっちゃったから。きっと、戻っても、戻りきれない自分がいるのよ」
それにもう制服も似合わないでしょうし、と先生は冗談めかして言った。
「確かに、高校生の頃に比べると、楽しいことは減ってしまったわ。でもね、勿論辛いことだけじゃなくて、楽しいこともあるよ。それに」
そう言って、先生は僕をじっと見た。
「それに、楽しい時間は減ってしまったけれど、大切な時間は増えるのよ」
「大切な時間?」
「ええ。これからの未来を作る、大切な時間。三年間で、貴方達を立派に巣立たせるための、とても大切な時間。そうして貴方達の成長を見届けることは、とても嬉しいことなのよ」
楽しい、ではなく嬉しい。教育は常に責任が付きまとう。きっと僕達には見えない苦労もあるのだろう。しかし先生はそれを「大切な時間」と言ってくれた。
「だから、今は精一杯楽しみなさい。この三年間でしかできないことを、安心して楽しみなさい」
……先生は、三年経った後の道を示してはくれなかった。僕の目の前に広がる、どうしようもない暗闇を照らすことはしてくれない。……でも
「はい。ありがとうございます」
たとえそこが暗闇であろうと、確かに道があると教えてくれた。そして今はまだ、足下の道が見える。その事実は、僕の不安を和らげるには充分だった。
「じゃあ、部活頑張って! 文芸部のことでも、何か困ったことがあれば訊いてね!」
僕は礼をして、保管庫へと向かった。その足取りは軽かった。
少し遅くなってしまったが、一柳さんはまだ来ていなかった。ホームルームが長引いているのだろう。
僕は鍵を開け、部室へと入った。
「稲垣先生もこの部室に来てたのかな」
いや、違うか。稲垣先生の口調から、当時の文芸部は多くの部員がいた筈だ。今の部室は少し狭い。久瀬高校が改築した正確な年はわからないが、先生の頃はまだ旧校舎だった筈だ。
僕は部室の中心に置かれた長机に荷物を置き、席に着いた。ふと目をやると、久瀬文集が机の上に置かれているのが見えた。一柳さんが愛読しているものだ。
最近は依頼もなく暇なので、何気なく久瀬文集を手に取った。一柳さんは七不思議のページしか読まないけれど、当然、それ以外の文章も載っている。僕は表紙を捲った。表紙の裏に、こんな文が載っていた。
序文
~この学園に留まった遺志を継いで、この学園を愛する全ての者に捧ぐ~
果たされることなき無念と屈辱。その怨念を礎に、私達は明日を築く。
だが、いつか生徒達も、教師達も忘れてしまうのだろう。教訓さえも遠い過去へと追いやられ、また悲劇を繰り返すかもしれない。
だから、私は久瀬文集を残すのだ。誰の記憶から消えようと、この文集は伝えていく。これは願望であり、供物だ。
しかし、これは私のエゴイズムかもしれない。彼女の遺志をねじ曲げ、気随な願望を押しつけてしまった。
だからこそ、私は未来に委ねようと思う。彼女がこれを望まないのならば、きっと、その時が来る筈だ。
くぎりの数だけ行を成し、愕きの数だけ段を成す。
六つの子に、未来を託す。
この文章を読み、初めに浮かんだ感想は
「……なんだこれ」
だった。まったく妙な序文だ。妙、というより意味不明。
序文とは著作の意図を書き記すものだ。その趣旨から外れている、とは言わない。だがこれは少々、抽象的過ぎる。結局、「遺志」も「彼女」も何のことだかわからない。
まあ、恐らくは何かの序文に影響を受け、格好を付けたのだろう。そう思った。
そして何となく、その部員の書いた作品を読みたくなった。意地悪な目で、ページを捲る。
しかし。
「ふむ」
ざっと文集の中身に目を通したところ、むずかしい言葉を無駄に弄んだような作品は見当たらなかった。序文を書いた生徒は、本文には寄稿しなかったのだろうか。
まあ、どうでもいいことだ。僕は大して気にせず、作品をじっくりと読むことにした。本文の最初から丁寧にページを捲っていく。
「……おお」
思わず息が漏れた。「学生の書いたものだ」と少しだけ侮っていたが、なかなか面白い。複数の作品が載っていたが、どれも読みやすく、それでいて多彩な表現がされている。読んでいて楽しい文集だった。
話も良かった。意外でありながら、心地良い結末が用意されており、感心してしまう。これを、本当に高校生が書いたのだろうか。
稲垣先生が「昔は多くの部員がいて、互いに競っていた」と言っていたことを思い出した。競争の中で、洗練された故の結果だろうか。
夢中になってページを捲る。
文集と言っても、それほど分厚くはなかった。参加人数こそ多いが、一つ一つの作品は短編であり、読むのにそれ程時間は要さなかった。
そして久瀬文集の終盤に差し掛かったところで、夏の特集「久瀬高校七不思議」のページが目に入った。
このページだけはよく知っている。一柳さんが愛して止まない怪談だ。自分が通う学校の怪談。オカルト好きの一柳さんが興味を持つのも必然だろう。
僕はこのページを何度も見せられているため、少しだけウンザリして、よく読まずに紙に手を掛けた。
「いや、待てよ」
七不思議のページを飛ばそうとして、ふと思い留まる。そういえば、久瀬高校七不思議には妙な点が多かった。
普通、七不思議はそれぞれが独立した怪談である。しかし久瀬高校の七不思議では、少なくとも「その一」と「その六」と「その七」に「やつね」という少女が登場しているのだ。
そしてその内容も妙だった。「その一」と「その六」の内容は「幽霊が現れる」というものなのだ。「呪われる」だとか、「冥界に連れて行かれる」といった恐怖を煽るような文言がまるで見当たらない。
そして、この違和感は今日になって強まった。僕は今日、初めて久瀬文集を読み、その手腕を知った。夏の文集ということもあり、当然ホラーを題材とした作品だってあった。そして、その作品はとても恐ろしいものだったのだ。
迫り来る恐怖に、リアリティのある心理描写。正体不明の恐怖に囲まれる場面では、正直鳥肌が立った。太陽が照っている昼間だというのに、一人ぼっちの教室が少しだけ心許ない。
それなのに。なぜ七不思議「その一」と「その六」はこれ程に適当なのか。
「……」
僕は捲りかけた手を戻し、七不思議のページを見つめた。僕はオカルトに興味がない。しかし、七不思議を残した人間の意図、というミステリーには俄然興味が湧いてきた。
このページを一柳さんから見せられることは多いが、きちんと読んだことはない。僕はまだ七不思議を完全に把握していないのだ。僕は一つずつ、七不思議を読んだ。
久瀬高校・七不思議:その一 端の教室
久瀬高校の最果てに存在する教室をご存じだろうか。最上階の一番奥に存在するその教室には、幽霊が出るという噂がある。その霊の正体とは、「やつねちゃん」なのである!
久瀬高校・七不思議:その二 教室の霊
久瀬高校の生徒ならばいずれ目撃するだろう。久瀬高校のどこかの教室に「やつねちゃん」は現れてひっそりと授業を受けているのだ! もしかしたら貴方の教室で!
久瀬高校・七不思議:その三 校庭
校庭は様々なことに用いられるがその度に怪奇現象が起こる。点呼の際に必ず一人多いのだ! そしてその正体は「やつねちゃん」なのである!
久瀬高校・七不思議:その四 食堂
もうすでに経験済みの生徒もいるかもしれないが、食堂で食事をすると食品が無くなっていることがある! それはきっと「やつねちゃん」が盗んで食べてしまっているのだ! 食事中は、目を離さぬよう気をつけて!
久瀬高校・七不思議:その五 図書館
「やつねちゃん」は怪談が好きである。そのため図書館の奥でひっそりと本を読む彼女の姿を目撃した人も多いだろう。おすすめの怪談があったら渡してみよう!
久瀬高校・七不思議:その六 文化棟
校舎の向かいに聳える文化棟。その文化棟には「やつねちゃん」の幽霊が出るのだ。彼女は朝夕問わずに、歌を歌ってピアノを弾いて絵を描いている。その霊は度々目撃されている。
久瀬高校・七不思議:その七 存在しない最上階
放課後に一人で三階へ行くと奇妙なことが起こる。三階は最上階の筈なのに、登りの階段がそこにあるのだ。階段には「やつねちゃん」という少女が立っており、「上に行こう」と誘われる。その階段は随分長く、終わりが見えない。それでも「やつねちゃん」に手を引かれるまま上っていくと、階段の終わりが見え、存在しないはずの四階へと到着する。……そして振り返ると階段はなく、そしてそこは……冥界なのだ。
「……やっぱり、変だ」
怖くない怪談は「その一」と「その六」だけではなかった。「その七」以外の全てが、全く怖くない。まるで絵本の世界だ。反面、その七では急に怖くなっている。
もしも怖くない七不思議で統一されていたのなら、まだ納得はできるが、しかし何故その七だけが異質なのだろう。
そう考えている時、部室の扉が開いた。一柳さんだ。
「あれ、石澤くん。何読んでるの?」
そういうと彼女は本を覗き込んだ。僕は思わず
「げ」
という声を漏らした。僕が開いているページは七不思議の特集。それを確認した一柳さんは目を輝かせた。
「い、石澤くん! ついにオカルトの素晴らしさに気づいてくれたんだ!」
「違うって」
僕は呆れてかぶりを振った。
「違うの? じゃあ、なんで七不思議を見てるの?」
「うん、なんか奇妙じゃない? この七不思議」
僕は七不思議を読んで感じた妙な点を一柳さんに話した。まあ、オカルト好きの一柳さんにこんなことを話しても、大して興味を持ってくれないのだろうけれど。
と、思っていた。しかし
「確かに、私も少し気になっていたの」
彼女は少し真面目な顔になった。予想とは違う反応に、思わず驚く。
「珍しいね。作り手が残した謎には興味を示さないと思ってた。これはミステリーの領域でしょ?」
「うん。でも、気になることは気になるよ」
一柳さんは冊子を手に取り、七不思議を眺めた。
「ねえ、石澤くん。久瀬文集のバックナンバーって、どのくらいあると思う?」
「え?」
久瀬高校は七十年の歴史がある。そして少なくとも稲垣先生が高校生だった頃には文集はあった筈だ。そこから考えると、
「五十年とか、六十年分とかはあるんじゃない?」
一柳さんは裏表紙を僕に見せた。
「私がいつも読んでるこの久瀬文集は、二十二年前のものなの。そして、第八十三号」
確か、久瀬文集は夏と冬に出版される。一年で二号。
「約六十年前から文集が発行されている計算だね」
僕が言うと、しかし彼女は首を横に振った。
「でもね、残っている文集で一番古いのは、この文集なの」
「え?」
「確かに、文集は六十年前から作成されている。でも、どんなに探しても、八十三号よりも前の文集も見つからなかった」
「そっか……」
まあ、仕方無い。六十年前の文集など紛失してしまっていても不思議ではないだろう。
「ううん。そういうわけでもないの」
しかし、一柳さんはそれを否定した。
「ここ、読んで」
僕は久瀬文集を覗き込んだ。
「今年の久瀬文集作成にあたり、今回は少し手を加えてみました! 七不思議は伝統的に受け継がれているものなのですが、その内容をちょっぴり変えてしまいました。近々起こる、とある事件を元にした案を、なんと一年生が出してくれたのです! 頼もしい一年生ですね。私も精進していきますよ!
さて、今回のアレンジに際して、私達は少し悪戯を思いつきました。それは、今までのバックナンバーを隠してしまおう、というものです! はてさて、これからの後輩達は私達の悪戯に気づくのでしょうか。そして、過去のバックナンバーを見つけることはできるのでしょうか! 未来の後輩達よ。この謎に果敢に挑んでくれたまえ!」
「……い、悪戯?」
呆れたものだ。悪戯で隠してしまった? 過去のバックナンバーを? 一柳さんも小さく首を振っている。
「だから、まだどこかにはあると思うの。探せばあると思うけど……」
しかし、久瀬高校だって広い。その敷地のどこかに隠された文集を見つけ出すことなど可能なのだろうか。
不安になっていると、追い打ちを掛けるように、一柳さんがため息を吐いた。
「それに、二十二年前といえば、まだ旧校舎の時代だった筈。どこかに隠したまま忘れて、新校舎への立て替えの時に、処分されてしまったかもしれないの」
「厄介なことをしてくれたね」
思わず苦笑いを浮かべた。僕は今、七不思議の意図に興味が出てきたところなのだ。過去のバックナンバーを漁れば、奇妙な七不思議を制作した理由がわかるかもしれないのに!
「……一柳さん。バックナンバーを探そう」
僕は久瀬文集を睨み付けるように見つめ、強く言った。
「え?」
一柳さんは驚いたように僕を見た。
「何を驚いているの。僕は探偵だよ。謎があれば解かずにはいられない。七不思議の謎も、バックナンバーの隠し場所だって、僕は解きたくてうずうずしているんだ。それに、この挑発。『未来の後輩達よ。この謎に果敢に挑んでくれたまえ』だってさ。ここで挑戦しないヤツは探偵じゃない」
人の行動には必ず理由がある。愉快犯にだって、愉快犯なりの理由が存在している筈だ。だからこそ文芸部に残された謎は必ず解ける。
僕は久瀬高校の探偵。全ての謎を解き明かし、真相を明らかにする者だ。
「全ての謎は僕が解くよ」
「……そうね。私も七不思議の謎が気になっていたの。一緒に、解こう」
一柳さんも、じっと久瀬文集を見つめた。久瀬文集に残された怖くない七不思議の謎。ミステリーとオカルトが入り交じるこの謎こそ、我ら文芸部が立ち向かうべき謎だろう。
とは言ったものの、七不思議の謎に関しては全く手がかりが無い状態だ。過去の久瀬文集がどうしても必要だろう。つまり
「優先するべきは、二十二年前の悪戯からだね」
バックナンバーを隠してしまったという悪戯。その謎を解かなければならない。そして幸い、悪戯の謎には手がかりが存在している。
「七不思議は伝統的に受け継がれているものなのですが、その内容をちょっぴり変えてしまいました。近々起こる、とある事件を元にした案を、なんと一年生が出してくれたのです!」
久瀬文集中の文章だ。受け継がれてきた七不思議を勝手に変えてしまったらしい。七不思議の何処を変えたかはわからないが、しかし「近々起こる、とある事件を元にした案」である。
「じゃあ、二十年くらい前に起きた事件を調べれば、七不思議の何を変えたのかがわかるってことね」
一柳さんがそう言った。僕は頷く。
「そしてその変更を受けて、悪戯をした。文集を隠したんだ」
事件の内容がわかれば、何故文集を隠したのか、その理由だってわかる筈だろう。文集の隠し場所だってわかるかもしれない。
一柳さんは意気込むように、両手をぐっと握って、
「じゃあ、早速調べましょう。二十年前のことなら、学内の資料を見ればわかると思うの」
「うん。でも、待った。それよりも良い方法があるよ」
「良い方法? 約二十年前の事件だよ。調べずにどうするの?」
「調べるけど、資料を漁らなくてもいいんだよ」
僕は文集を見つめた。「悪戯」のことが記載された文集は二十二年前に発行されたものだ。
「当時、高校生だった彼等は、今は三十代後半ってところかな」
「そうね」
当時文芸部に所属しており、現在、三十代後半の人物。その人から直接話を聞くことが可能であれば、調査はずっと楽になるだろう。そして、僕には一人、心当たりがあるのだ。
「あ」
一柳さんも、その人のことを知っていたようで、はっとした顔を見せた。僕は一柳さんと顔を合わせ、言った。
「そう。現代文担当の稲垣先生! 先生なら、何かしらの事情を知っているんじゃないかな」
困ったことがあったら何でも言って、とは言われたが、まさかこんなに早く世話になるとは。僕達は早速、職員室へと向かった。
こうして、文芸部改め、霊能・探偵事務所の代理戦争は一時休戦。ミステリーオタクの僕と、オカルトマニアの一柳さんはついに手を取り合った。
しかし、七不思議を……過去の遺志を漁ることの意味を、僕達はなにも理解していなかった。これは遊びなどではないということを、この時の僕達は知る由もなかったのである。
「稲垣先生」
職員室に行き、早速稲垣先生の元へと向かった。
「あら、石澤くん……と一柳さん。どうしたの?」
「はい、文芸部のことで少し訊きたいことがありまして」
文芸部、という単語を聞き、稲垣先生の表情は明るくなった。
「私でよければなんでも訊いて! といっても、顧問でもないし、卒業したのも二十年以上も前だから、お役に立てるかはわからないけど」
「いえ、僕達が知りたいのは、その二十年前のことなんです」
「二十年前? 私が文芸部だった頃の話?」
そう言って、稲垣先生は少し考えると、
「あ、そういうことね」
先生は悪戯な笑顔を浮かべた。
「貴方達、久瀬文集を読んだのね」
この口ぶり、そしてこの表情。おそらくビンゴだ。稲垣先生は「悪戯」の当事者、或いは事情を知っているに違いない!
僕は先生の瞳を見つめて、言った。
「稲垣先生。八十三号より前の久瀬文集のバックナンバーが見当たらないんです。紛失してしまったのかと思ったのですが、どうやらそうでもないみたいで」
僕は久瀬文集八十三号を広げた。
「先生、見てください。『私達は少し悪戯を思いつきました。それは、今までのバックナンバーを隠してしまおう、というものです!』と記載されています。久瀬文集は紛失したんじゃないんです。悪戯で隠されたんです。
稲垣先生。この文集が書かれたのは二十二年前です。丁度、先生が文芸部に所属していた頃だと思うのですが、何か知りませんか?」
しばらくの間、稲垣先生と目が合う。そして
「ふふ、懐かしいわね」
稲垣先生は笑顔になった。
「この年に私は入部したの。七不思議を変えようって提案したのは私達の代なのよ」
「そうだったんですか」
まさか本当に当事者だったとは。凄い偶然があったものだ。
少し驚いていると、一柳さんが背後から身を乗り出すようにして、稲垣先生に訊ねた。
「では、先生。七不思議を変更した理由も、変更の原因となった事件も、バックナンバーを隠した理由も、その場所も、全部知っているんですか?」
「ええ」
一柳さんの表情がぱっと明るくなった。
「じゃあ……」
「でも、私がそう簡単に教えると思う?」
にこり、と先生が笑った。
「この謎を仕組んだのは、私達なのよ。ただ訊かれたから答える、っていうのは、少し面白くないわ」
「え、えー……」
しかし、考えてみれば当然か。久瀬文集にも「この謎に挑みたまえ」なんて書いてあった。それを当事者が易々と種明かしする筈もない。
「あ、でも」
稲垣先生は、子供のような表情から、大人の顔になった。
「もしもバックナンバーが今すぐに必要なら、教えてあげるけど……」
所詮は悪戯。それで僕達の活動を邪魔する気はないのだろう。そして僕達には今、「七不思議の謎を明かす」という目標がある。つまり、バックナンバーが必要なのだ。
一柳さんが少し申し訳なさそうに口を開いた。
「そうですね。なるべく早く必要なので……」
教えてください。と言うつもりだろう。しかし
「いえ、先生。この謎は、僕が解きます!」
それを僕が遮った。
「は、はあ?」
一柳さんが信じられないようなものを見る目で、僕を見た。
「ちょっと。七不思議の謎を調べるには、バックナンバーが必要なの。わざわざ教えてくれるって言っているのに、自分で解くことないでしょ?」
「何言ってるの。むしろ、折角謎があるのに、答えをただ聞くなんて面白くないよ。僕達は別に急いでいるわけじゃないんだから、いいじゃないか」
それに、僕達の最終的な目標は、一柳さんの言う通り「七不思議の謎全てを解く」だ。たかだか二十年前の「悪戯」程度の謎に手こずっているようでは、七不思議の謎など到底解ける筈もない。
そしてなにより。
「バックナンバーが今でも隠されているってことは、『悪戯』の謎を解いた者はまだいないってことですよね?」
「ええ、私の知る限り」
稲垣先生に尋ねると、先生は頷いた。
「だとすると、やっぱり解くべきだよ。二十年間も眠っていた謎なんだ。たとえ悪戯だったとしても、先輩達の思いが籠もっている筈でしょ。それを無視してしまうなんて、少し寂しいじゃないか」
僕は思いに応えたい。挑戦して、答えたい。解くことが、最大の敬意ではないだろうか。
「……ほんと、君って」
一柳さんは呆れたように、けれど、優しい笑みを浮かべた。
「わかった。解きましょう。ま、石澤くんならすぐに解けるでしょ?」
「うん。なんたって、探偵だからね」
僕は少し大袈裟に胸を張った。
「ふふ、決まりね」
そんな僕達を嬉しそうに眺め、稲垣先生が微笑んだ。
「なんだか、楽しいわね。まるで、昔みたい」
「昔、ですか」
「ええ。私が文芸部だった頃も、色々なことで競ったわ。勿論、小説の出来もそうだし、今回みたいに、謎を出し合ったこともあったの」
稲垣先生は懐かしむように言った。
「でも、駄目ね。私はもう大人なのに。ねえ、石澤くん」
「はい」
「石澤くんの言う通り、この謎が放置されていることが、私の心残りだった。だから、依頼していいかしら」
……僕は、探偵として依頼を引き受けているが、大人から依頼されることは好きではなかった。大抵の大人は、「探偵」に、少しの揶揄を含むのだ。
しかし、目の前の女性は嘲笑していない。純然たる依頼者であった。ならば、探偵としてそれに応えるのみだ。
「任せてください。謎は、全て解きます」
僕が宣言すると、先生は微笑んだ。
「ありがとう。石澤くん。じゃあ、改めて」
先生はこほん、と咳払いをした。その目は、少し子供のようだった。
「私達が用意した謎は二つ。七不思議の何を変えたのか。何故バックナンバーを隠したのか。もし解けたら、もう一度来てちょうだい。正解したら、バックナンバーの隠し場所を教えるわ」
「ええ、望む所です」
僕は真っ直ぐ先生の目を覗いた。先生の思い出。二十年間眠り続けた謎を解き明かす時が来たのだ。
僕と一柳さんは軽く礼をして、先生に背を向けた。その瞬間であった。
「もしかしたら、石澤くんなら『きたる時』を導いてくれるかもしれないわね」
「……?」
聞き間違いかと疑うほど小さな声で、先生はそう呟いたのだった。
職員室から出て、僕達はまず資料室に向かった。先生が出題した謎の一つ目には、手がかりがある。「七不思議の変更」は、とある事件を元に行われたのだ。その事件が何か特定すれば、七不思議の変更点も判明する筈だ。
だから資料室に行き、二十二年前付近の事件を調べることにしたのだった。
……しかし。
「ねえ、石澤くん。これ全部調べるの?」
「ううむ」
久瀬文集の記述は「近々起こる、とある事件」だ。久瀬文集八十三号が発行された以降の事件、という情報しかわからない。
近々、という言葉も曖昧だ。一週間以内と解釈することも可能だろうし、場合によっては数年後を指すこともあるだろう。
というわけで、久瀬市での出来事をまとめた「久瀬の歴史」を五年分用意したのだが。
「全然、頭に入って来ない」
一柳さんはページを開いたまま机に突っ伏した。
「どうして興味の無い文って、こんなにも理解できないのかしら」
「もう少し頑張ろうよ」
「ううん……」
一柳さんは元々細い目を一層細め、「久瀬の歴史」を睨み付けた。
しかし、頑張ろうよと口にしたものの、僕もすでに限界を感じていた。そもそも、「とある事件」が生徒の間で発生する、内輪の事件だった場合、「久瀬の歴史」には記載されないだろう。
そしてなにより、このお堅い文章といったら! 手がかりを見つけようにも、まず文章を読むことが億劫だ。もしかすると、「近々起こる、とある事件」に関する文章を、すでに読んでいるのかもしれないが、全く頭に入っていない。この先読んだとしても、目が滑ってしまうだろう。
「……ううむ。やっぱり止めようか」
僕は「久瀬の歴史」を閉じた。これ以上読んだところで、手がかりを得ることは難しいだろう。とはいえ、「とある事件」という鍵を手放すわけにもいかない。では次に何を調べるべきだろうか。
「次は新聞とか調べてみる?」
言って、僕は自分に呆れてしまった。新聞は毎日発行されている。地域新聞でも一ヶ月に一部。それを調べることは「久瀬の歴史」を読むことより困難だろう。
「思ったより、難しいね」
僕は苦笑した。これまでの事件は、証拠や手がかりが限定されていたため、情報の取捨選択が容易だった。しかし今回の謎は違う。歴史という無限に広がる砂浜の中から、小石を見つけ出さなければならない。
「でも、これしか手がかりが無いのよね」
一柳さんはちらり、と「久瀬の歴史」を見つめた。
……果たして、本当にそうだろうか。何か見落としてないだろうか。調査ではなく、推理で真実に辿り着くことは不可能なのだろうか。
「……少し、考えてみようか」
僕は考え込むように指を組んだ。
とはいえ、「近々起こる事件」を推測することは困難、というより不可能だろう。目の前の資料が示す通り、事件なんて日々起こっている。この無数の事件の中から、該当の事件一つを探しあてる必要があるが、しかしそれに至る情報が何もない。
では、何を推理するか。それは「事件」ではなく、「悪戯」の方だ。
「ねえ一柳さん、どうして先生達は久瀬文集を隠したのかな」
「え? 悪戯でしょ?」
「うん。そうだね。でも、隠して、何がしたかったんだろう」
バックナンバーを隠す。その行為自体が悪戯と呼べるだろう。だが、しかし本当にそれだけだろうか。隠して、後輩の僕達が混乱して、それで終わりだろうか。
「僕が思うに、隠すこと自体を悪戯と呼んだわけじゃないと思うんだ。隠して、その結果何かが起こって、悪戯が成立するんじゃないかな」
「そうね。でも、それでも簡単じゃない?」
一柳さんはあっさりと言った。
「だって、先生達が隠したのは、七不思議を変更する前の久瀬文集でしょ? そして残っているのは、変更後の久瀬文集。だとしたら、意図は明白だと思うけど」
彼女は手元に残る、一番古い久瀬文集を持ち上げた。
「つまり、変更した部分を悟られないようにした、ってことだと思うの」
「そうだね」
僕は頷く。彼女の言う通り、変更前の久瀬文集は隠されてしまった。お陰で、僕達は七不思議の変更点がわからず、資料を漁っている。
「だから、困ったって話でしょ?」
「うん。そうだ。そうだね。……でも、そこなんじゃないかな」
「ん?」
「そこにこそ、手がかりがあると思うんだ」
僕はもう一度考えた。先生が久瀬文集を隠した意図。それは一柳さんの言うとおり、既に明白だ。
しかし。
「……そもそも、どうして変更を悟られないようにしたのかな」
僕は呟いた。
「どうしてって、隠さなかったら、それはただの変更になっちゃうからでしょ? これは悪戯なんだから、隠さないと」
一理はある。だがしかし、少し違和感が残る。変更前の久瀬文集を隠してしまったら、変更したという事実さえ忘却されてしまう。そうなれば、変更後の七不思議も、ただの七不思議として受け入れられてしまうだろう。
何故、久瀬文集を隠したのか。もっと、明確な理由がある筈だ。
その時、頭を悩ませている僕に向かって、一柳さんは少し飽きた様子で言った。
「それより、本当にバックナンバーは存在しているの? 紛失してないの?」
「ああ、それは大丈夫だと思うよ。ほら、稲垣先生が言ってたでしょ? 『謎が解けたらバックナンバーの隠し場所を教えてあげる』ってさ。稲垣先生は隠し場所を知っているんだよ」
そう言いかけて。
「あれ?」
僕は首を捻った。
「それって、おかしくない?」
「何が?」
「どうして、稲垣先生がバックナンバーの隠し場所を知っているんだろ?」
「なんでって、稲垣先生が文芸部だったからでしょ?」
一柳さんが首を傾げながら言うが、違う。僕が言いたいのはそうではない。
稲垣先生が文芸部に入部したのは二十二年前。そして、当時の部員の人数に対し、現在の部室では狭過ぎる。だから、二十二年前はまだ旧校舎だった筈なのだ。
稲垣先生は当然、旧校舎での隠し場所を知っているだろう。しかし、新校舎での隠し場所を知っているのは妙ではないか。
それを一柳さんに伝えると、
「確かに」
彼女も考え始めた。
そもそも、何故文集は処分を免れたのだろうか。悪戯で隠された文集だ。新校舎へと改築された際、紛失してしまう可能性は高い筈だ。
しかし、この校舎にバックナンバーは確かに存在しており、そして稲垣先生は隠し場所を知っている。それは何故だろう。
「……一柳さん、新校舎へと改築されたのって、正確にはいつ?」
「え? えっと」
一柳さんは「久瀬の歴史」を開いた。無数の出来事の中から「近々起こる事件」と特定することは困難だが、特定の出来事に関するページを探すことは、それ程時間を要さない。
「あった」
一柳さんは、とあるページを開き、僕に見せた。
「ここ見て。十八年前。校舎が改築されたのは、十八年前よ」
十八年前。僕はその答えに満足し、微笑んだ。
「十八年前ってことは、稲垣先生が入部してから四年後だね」
「そうね。じゃあ、やっぱり、稲垣先生が新校舎の隠し場所を知っているのは不思議ね」
一柳さんが首を捻った。しかし。
「いや、四年なら、不思議じゃないかもしれない」
「え? だって、新校舎になったのは先生が入学してから四年後よ。その頃には、先生はもう卒業している筈でしょ?」
「別に卒業したからと言って、隠し場所を知らないとは限らないよ。例えば、後輩に託した、とかね」
僕は「久瀬の歴史」の新校舎設立の計画に関するページを開いた。
〇学校施設の建設計画
学校施設の建設事業を次のように計画する。
・事業名
高等学校建設事業
・施設名
久瀬高等学校
・事業内容
校舎改築:鉄筋コンクリート造4階建 2,800平方メートル
・事業費(千円)
945,600
・一年目
外構設計
・二年目
外構工事
新校舎設計
仮設校舎建設
・三年目
旧校舎解体
・四年目
新校舎建設
「ほら、ここ見て」
僕はページの後半を指した。
「新校舎建設の計画は四年に及んでいる。つまり、少なくとも施工の四年前には、新校舎設立の話が周知されていたんじゃないかな」
正確に言えば、この計画書が書かれたのが施工の五年前だから、新校舎設立の噂自体はずっと以前に出回っていたのかもしれない。
「とにかく、稲垣先生たち文芸部は、新校舎建設の話を知っていたと考えられるね。だから後輩達に頼んで、新校舎に隠して貰うことだって可能だったんだ」
「なるほどね」
一柳さんは納得したように頷いた。しかしすぐに不思議そうな顔になり、
「でも、どうして旧校舎が取り壊されてしまう時期に、文集を隠そうと思ったのかな」
「そう! それなんだ!」
僕は思わず、声を上げた。そこに、事件の全貌が隠れている気がしてならないのだ。
「旧校舎に隠した所で、直ぐに取り壊されてしまう。なのに、わざわざ旧校舎時代に滑り込むように七不思議を変更して、バックナンバーを隠した。ここに、何かの意図を感じるんだ」
一体、先生は何がしたかったのか。旧校舎時代、七不思議の変更、新校舎……。
「あ、そうか」
僕は声を漏らした。
「つまり、校舎が改築されることが前提で七不思議に手を加えたんだ! 七不思議の変更は、明らかに新校舎を意識しているってことだ!」
だとするならば。
「あ」
一柳さんも気づいたように、小さく声を漏らした。
僕は彼女と顔を見合わせて、言った。
「つまり、『近々起こる、とある事件』は、新校舎建築のことだったんだ!」
「先生、謎が解けました」
僕は資料室からそのまま、職員室へと向かった。
「あら、もう? 早いわね」
稲垣先生は驚いたように目を見開いた。
先生の残した謎、「悪戯」の正体は、あの後すぐに思い至った。「近々起こる、とある事件」を特定してしまえば、変更した七不思議も、バックナンバーを隠した意図も、そう難しい謎ではなかった。
「じゃあ、聞かせてもらおうかしら。あなたの推理を」
先生は悪戯な笑顔を浮かべ、僕の瞳を覗き込んだ。
「はい」
僕は頷いた。この謎は、先生の青春時代に残された置き土産。学生時代の先生との対決だ。だからこそ、丁寧に、そして紳士に立ち向かうべきだ。
「まず、僕が注目したのは『悪戯』という言葉です」
ずっと疑問に思っていた。先生達は、隠すことで一体何がしたかったのか。単なる隠蔽のことを「悪戯」と読んだのだろうか。変更した部分を隠すことが「悪戯」なのだろうか。
恐らく、そのどちらでもない。間違っている、というより、その二つだけでは足りないだろう。
「先生達は七不思議を変更しました。そして、その変更した部分を悟られないように過去の久瀬文集を隠したんです。でも、それだけでは悪戯とはいえません。悪戯ですから、何か、僕達を困らせるような仕掛けがあった筈です」
では、どうしたら僕達は困るだろう。隠して、どんな仕掛けがあったら僕達は困るだろうか。それは、推理するまでもない。何故なら、僕達はもう、その悪戯の被害にあっているのだから。
「先生。貴方達は、変更点を隠したかったわけではないんです。それ以前の話なんです」
僕は、言った。
「そもそも、変更したという事実を隠蔽したかったんですよ」
その言葉を聞いて、先生は薄く笑った。
「変更点の隠蔽と、変更それ自体の隠蔽。何が違うのかしら」
「全く違いますよ。僕達は変更にすら気づかず、件の七不思議がずっと昔から存在したと勘違いしてしまったんですから」
そして、それこそが「悪戯」なのだ。その変更に気づかないあまり、僕達は愚かに踊ってしまった。
「先生が変更した七不思議は、これですね」
僕は久瀬文集を広げ、その文を指で示した。
「……ふふ、正解」
先生は笑った。僕が示したのは……
久瀬高校・七不思議:その七 存在しない最上階
放課後に一人で三階へ行くと奇妙なことが起こる。三階は最上階の筈なのに、登りの階段がそこにあるのだ。階段には「やつねちゃん」という少女が立っており、「上に行こう」と誘われる。その階段は随分長く、終わりが見えない。それでも「やつねちゃん」に手を引かれるまま上っていくと、階段の終わりが見え、存在しないはずの四階へと到着する。……そして振り返ると階段はなく、そしてそこは……冥界なのだ。
久瀬高校七不思議その七。存在しない最上階。これこそが変更点。恐らく、先生達は七不思議その七の全体を大きく変えてしまったのだろう。
「この七不思議は今から見ると奇妙なんです。現在の校舎は四階建なのに、七不思議の中で四階は存在しないことになっているんです。でも、これは旧校舎のことを考えれば、当然ですね」
旧校舎は三階建。そしてこの七不思議は旧校舎時代に制作された。だからこそ、四階は存在していないことになっているのだ。これは先日、解いた謎だ。
「でも、ここに『悪戯』があるんですね」
僕は先生の顔を見た。全く、面倒な悪戯を仕掛けたものだ。先生は少し照れたように笑った。
「どんな『悪戯』かしら」
「さっき言った通りですよ。七不思議その七は新しく作られたのに、まるで昔から存在していたかのように偽ったんです」
先生は旧校舎が解体され、新校舎が建築されることを知っていた。四階建てになることを知っていた筈なのに七不思議その七を作った。
「僕の推理はこうです。先生達は旧校舎が取り壊され、校舎が新しくなることを知った。最上階が三階から四階となることを知ったんです。その時、『悪戯』を思いついたのでしょう。つまり、最上階を三階として、四階を幻の階数とした七不思議を制作すれば、新校舎の生徒は困惑する、という悪戯です」
そして僕達はその思惑通り、まんまと悪戯にひっかかり、最上階の食い違いの謎に頭を悩ませた。
僕達は旧校舎の存在に気づき、謎を解いたわけだが、しかし、全ては仕組まれていたのだ。
旧校舎の時代に七不思議が制作されたから、新校舎との階数に齟齬が「生じてしまった」のではないのだ。二十二年前の文芸部員達が意図的に「生じさせた」のだ。
故に悪戯。
「これが先生の残した『悪戯』の全貌です」
全て言い終わる。先生はじっと黙り込み、そしておもむろに口を開けた。
「少ないヒントで、よくここまで辿りついたわね」
「いえ、ヒントはありました」
ヒント、というより答え。先生は「悪戯」と言った。つまり、僕達が頭を抱えた七不思議こそが、「悪戯」の対象だろう。
だからこそ、その七なのだ。
「なるほどね。貴方達も、『悪戯』の餌食になっていのね」
稲垣先生は楽しそうに笑った。
「おめでとう。全て正解よ」
「そうですか。よかったです」
ほっと胸をなで下ろした。推理はしたが、確証はなかったのだ。そんな僕を見て、先生は優しく、そして少し寂しそうな目をした。
「本当に、ありがとうね」
「え?」
「私達の残した謎を解いてくれて。ずっと放置されてしまった、私達の『悪戯』を暴いてくれてありがとう」
そういうと、先生は鍵を取り出した。
「四階の第二資料室に、鍵の掛かった棚があるの。その中にバックナンバーが入っているわ」
「稲垣先生……」
「これで、本当に文芸部からは卒業ね。なんだか、少し寂しいわ」
先生は僕に鍵を渡し、そして僕の手を強く握った。
「私達は謎を残し、そして今、石澤くんが探偵として謎を解いた。……もう、貴方達の時代なのね。少し、寂しいけれど、それでも、やっぱり嬉しいわ」
「嬉しい、ですか?」
「ええ。私達を超えていく生徒達。これからが楽しみよ」
そして先生は手を離した。
「これで、私の未練は無くなったわ。正真正銘、文芸部からは卒業。だから、今度は大人として、文芸部を見守らせて。文芸部のことで……いいえ、学校生活のことでも、困ったことがあったら頼ってちょうだいね」
先生は柔らかく笑った。そこには、もう子供の面影は、微かにも残っていなかった。けれどもそれは、悲しいことではないだろう。
「はい。ありがとうございます!」
先生の笑顔は、こんなにも嬉しそうだ。卒業する頃、僕もこんな風に笑っていたい。そう思った。
「じゃあ、文集作り頑張ってね。ちゃんと書いてる?」
「え、え、まあ」
嘘である。全く手を着けていない。これはまた直ぐにお世話になるかもしれない。とはいえ、内容は決まっている。
「今、七不思議の謎を追っているんです。ほら、うちの七不思議って妙な点が多いじゃないですか。その謎を解いて、文集に書こうと思っているんです」
七不思議には謎が多い。怪談のくせに怖くない。そして何故か「やつね」という少女が全ての七不思議に登場しているのだ。
「……そう、七不思議を」
しかし、それを伝えると、稲垣先生は少し顔を伏せた。
「先生?」
「……そうね。石澤くん。頑張ってね」
「はい?」
「私達は、『悪戯』として、七不思議に謎を残したわ。でもね、もっと奇妙な謎が、久瀬高校七不思議には眠っているの」
「え? もっと奇妙な謎、ですか?」
「ええ。それは、私達には解けなかった謎よ」
その謎がバックナンバーに隠されているのだろうか。
「でも、石澤くんなら……」
先生はじっと僕の目を見た。
「『きたる時』を導くのは、きっと貴方なのね」
先ほども言われた言葉だ。稲垣先生がバックナンバーを隠してから約二十年。それにも関わらず、先生は二度も「きたる時」と口にした。それほど強烈に、先生の記憶に刻まれているのだろう。
一体、過去の久瀬文集には何が書かれているのだろう。「きたる時」とはなんだろう。
僕にはまだわからない。わからないけれど。
「先生、僕は探偵ですよ」
僕は胸を張った。探偵ならば、堂々と。
「どんな謎だって、解いてみせます!」
そこに謎があるのなら、必ず解いてみせようじゃないか。
「うん、そうね。頑張って。きっと、石澤くんなら解けるわ」
先生は静かに微笑んだ。
七不思議に残された謎。僕はある種のときめきを胸に抱いた。
……しかし。
その謎は、嬉々として踏み入って良い謎ではなかった。稲垣先生の静かな笑顔を背に、何も知らない僕は職員室を後にした。
稲垣先生から鍵を預かった時、下校時刻が迫っていた。そのため、バックナンバーを取りに第二資料室へ向かったのは、翌日になってしまった。
その日は天気が大きく崩れた。鉛のような雲が、重く空を押しつぶしている。昼頃からぽつぽつと雨粒が溢れ始め、徐々に勢いを増した。風に煽られた雨粒が窓に激しく叩きつけられている。
雨に濡れ、雨が流れるその窓から外を覗いても、景色が歪められてしまう。しかし、久瀬高校に薄暗い影を落とす灰色は、どの窓からも目に映り、僕を少し憂鬱にさせた。
「あ、おかえりなさい、石澤くん」
部室で待機していた一柳さんが顔を上げた。僕の手には久瀬文集のバックナンバー。謎を解いて手に入れた戦利品だ。
「これで、七不思議の謎が解明できるかもしれないね」
怖くない怪談。「やつね」という少女の正体。久瀬高校に伝わる七不思議の謎を解明する時が来たのだ。
「思えば、『その七』だけ異質だったのも、変更された七不思議だったからなんだね」
「その七」だけは怪談として成立していた。それは稲垣先生達が後に追加した七不思議だったからだ。他の七不思議とは雰囲気が違っていたのも当然だろう。
僕が思うに、本来の「その七」は怖くない怪談だったのだろう。久瀬高校七不思議は、意図的に怖くない物語を集めたと考えられないだろうか。
そんなことを考えていると、一柳さんが僕の隣に座って、文集を覗き込んだ。
「ねえ、早く見よう?」
「うん。まずは変更前の『その七』を確認しようか」
僕は、二十三年前の久瀬文集・夏号を開いた。その七が改変される直前の久瀬文集だ。
「えっと……あ、あった」
夏号ということもあり、怪談特集として久瀬高校七不思議が紹介されていた。
さて、元々の「その七」は一体どんな七不思議だったのだろうか。まあ、一から六までのように、全く怖くない怪談なんだろうけれど。
「……って、え?」
「なにこれ……」
思わず、声を漏らす。一柳さんも同様にして固まってしまった。
そのページには、間違い無く久瀬高校七不思議が記載されていた。そして「その一」から「その六」までは、僕達の知っている七不思議と一字一句違わなかった。
問題は、「その七」だ。僕はもう一度、ゆっくりとその文字列を目で追った。
久瀬高校七不思議:その七 不明。
不明。
そこにはただ、その二文字が記されていた。
「え、不明?」
自分の目が信じられず、何度も目を通してしまう。しかし何度読み返しても、「不明」の文字ははっきりと刻まれている。
「これは……」
稲垣先生は「バックナンバーに謎がある」と言っていたが、まさか、こんなにも早く謎に衝突するとは。
一柳さんが頭を捻った。
「どうして、不明なのかしら。はじめから用意されてなかった、とか?」
「どうだろう。七不思議って言っているのに、最後の一つだけ作らない、なんてありえるのかな」
「じゃあ、引き継ぎが上手にいかなくて、途中で消えちゃったとか? 伝言ゲームみたいに」
「『その七』だけが?」
「……たしかに、少し変ね」
しかし、ここで頭を使う必要もないだろう。ここには過去の久瀬文集が全て揃っているのだ。遡っていけば、謎は解けるかもしれない。
「一柳さん。手分けして久瀬文集を調査していかない?」
「そうね。七不思議が制作された年の久瀬文集に、何か書かれているかもしれないし」
こうして僕達は久瀬文集を読むことにした。一柳さんは二十三年前から一年ずつ遡っていくように、そして僕は最古の久瀬文集から一年ずつ辿っていくように。つまり挟み撃ちの形だ。
僕は古びた冊子を手に取り、ページをめくった。大体六十年前だろうか。ガリ版で印刷された手書きの文字に時代を感じる。
しかし、久瀬高校七不思議はまだ制作されていないようで、どのページにも見当たらなかった。
僕は次の年、その次の年……に作成された文集に手を伸ばしたが、しかし七不思議は現れなかった。
その時
「見て、石澤くん」
一柳さんが僕の制服の裾を引っ張った。
「どうしたの? その七が見つかった?」
「いえ、まだだけど、でも、見て」
僕は彼女の手元の久瀬文集を覗き込んだ。約三十年前の文集だ。そこには、僕達のよく知る七不思議が記されていた。そして「その七」は不明のままだ。
しかし、その後に気になることが記されていた。
〇解説
こんにちは。文芸部二年、北岡です。いやはや、七不思議の項目で解説、というのも些か気取っているかもしれませんが、書かせてください(笑)
皆様は、我が久瀬高校の七不思議について、どのようにお考えでしょうか。それ程興味が無い、という生徒諸君も、是非前ページに記された七不思議に目を通し、じっくりと考えていただきたい。
さて、早速ですが、私の考えを記しましょう。私としては奇妙、と言わざるを得ません。皆様も、この異変を感じているものと思います。
そもそも、七不思議にはある程度の枠組みが存在します。「トイレの花子さん」や「動く金次郎」などは、一度は耳にしたことがあるでしょう。
当然、これらの七不思議が必須、というわけではありません。しかし、大抵の七不思議には、これらの定型が一つは含まれているものです。
しかし久瀬高校七不思議はどうでしょう。有名な怪談が一つも含まれていないのです。
そればかりか、舞台までが奇妙です。怪談の舞台として相応しい舞台といえば、トイレ、踊り場の鏡、生物室、音楽室。適当に挙げると、こうでしょうか。
しかし本校の七不思議では、これらの場所が舞台となっていないのです。全く怪談らしい、とは言えません。
そして「やつね」という少女の存在、「その七」の不明は、挙げるまでもなく奇妙でしょう。
その上、この奇妙な七不思議。さらに奇妙な点がございます。
なんと、この七不思議は新しく作られたものなのです。
実はこの七不思議の前に、別の七不思議が存在していました。それが、ある年を境に突然、現在の七不思議に作り変えられてしまったのです。
そして今回、私は旧・七不思議を調査して参りました! それをご紹介いたします! 現在とは全く異なる七不思議を、ご覧ください。
久瀬高校七不思議:その一 文芸部
最上階の一番奥に存在する教室。沢山の本棚に囲まれたその教室に、「やつね」の霊は現れる。「やつね」は文芸資料室で自殺した少女の霊である。その部室にある本を、全部読むことが夢だったが、それは叶わない。心残りを残した彼女は、死後も部室で本を読み続ける。
久瀬高校七不思議:その二 凍り付く女子トイレ
二階の女子トイレの一番奥。その個室を利用した生徒は確実に死に至る。一度閉じた扉は決して開かず、瞬く間に気温は下がっていく。頭上からは氷水が降り注ぎ、貴方の体温を奪っていくだろう。そして孤独に身を震わせたまま、凍り付いて死ぬ。
久瀬高校七不思議:その三 ヘドロプール
水泳の授業が始まる前のプールはヘドロが浮かび、非常に汚らしく臭い。もし貴方達がプールへと赴けば、そのヘドロが目を、口を、鼻を……身体中の穴という穴を侵すだろう。その不快な滑りと悪臭の中、貴方は絶望に溺れ死ぬ。
久瀬高校七不思議:その四 体育館の暴行
授業時間外や部活動時間外の体育館は、薄暗く人気が少ない。幽霊の活動場所として絶好だ! この体育館へと迷い込んだ貴方は、突然の痛みに驚くだろう。顔をぶたれ、腹を蹴られ、髪を引き抜かれるのだ。そして次第に暴行は激化し、目を潰され、鼻を引きちぎられ、歯を折られる。そして何が起きたのか理解できないまま、首をねじ切られ、貴方は死ぬ。
久瀬高校七不思議:その五 校舎裏の蟲
久瀬高校の校舎裏は木が生い茂り、鬱蒼としている。そしてジメッと湿気たその場所は、蟲たちの住処なのだ。昼食時、貴方がそこを訪れるなら愉快なことが起こるだろう。貴方が食べていた物は、気づくと蟲の姿をしているのだ。気づいた時にはもう遅い。蟲たちは既に貴方の体内へと潜り込んでいる。そして蟲たちは貴方の腹を食い破り、外へと出てくるだろう。貴方は腑と蟲をぶちまけ、死ぬ。
久瀬高校七不思議:その六 沈黙の職員室
夕暮れで紅く染まった職員室。そこで叫んでも、教師たちは貴方に気づかない。誰に話し掛けても、誰も反応しないだろう。その不気味な職員室で教師たちを殺してみよう。教師たちは尚、貴方に気づかないまま、無残に白目を向いて息絶えるだろう。そして貴方もそのまま存在を無くし、死ぬ。
久瀬高校七不思議:その七 呪われた久瀬高校
久瀬高校は呪われてしまった。貴方は死ぬ。ヤツ等も死ぬ。教員も死ぬ。後輩も死ぬ。先輩も死ぬ。そして、初めに、私が死ぬ。
……どうですか。これが旧・久瀬高校七不思議です! 不気味でしょう! まさに怪談! 少し過激なくらいが丁度いいですよね。
何故、この七不思議が変更され、温厚なものになってしまったのか。その理由はわかりませんが、怪談好きな私としては変更が残念でなりません。
もしかしたら、現・七不思議の「その七」は、「突然変更された七不思議」かもしれませんね。
さて、この七不思議について更に調査を進めていきたいところですが……すみません! 締め切りがもう直ぐそこに迫っているのです(笑)
追加の調査で判明したことがありましたら、また書きますね。ではまた。(北岡弘庸)
「……うわあ」
僕の第一声だ。
まさか、現在の七不思議の前に旧版が存在していたとは驚きだが、しかしその内容だ。
一柳さんも顔を顰めた。
「私、この七不思議あまり好きじゃないかな。ホラーとグロテスクを勘違いしている気がする。ある程度の相関関係があるのは認めるけれど、でも、過激にすればいいって考えは好きじゃ無いの」
僕も同感だ。これは少し、過激な描写に頼りすぎている。まあ、七不思議の好みなどどうでもいい。
「それで、北岡さんの調査は載ってた?」
この号では「締め切りが原因で調査を打ち切った」とあったが、その後の調査が次の文集に載っている筈だ。そこに、全ての謎の答えが載っているかもしれない。
一柳さんは現在の文集から遡るように調査していたため、次号は既に読んでいる筈だが、見落としということもあるだろう。
「そうね、ちょっと待って」
そう言って、一柳さんは次号を手に取った。しかし
「……あれ?」
一柳さんは二、三度、目次を読み直し、
「どこにも載ってないわ」
「本当?」
僕はさらに次の号を確認した。しかし、北岡なる人物の調査は載っていなかった。僕は首を捻って、呟く。
「調査を止めちゃったのかな」
「妙ね。北岡さんは七不思議に興味を持っていた筈なのに」
とはいえ学生の調査だ。途中で飽きてしまったのかもしれない。
「まあ、仕方無い。それに、答えは久瀬文集に載っているんだから、僕達が調べ直せばいいよ」
それにしても、謎を追っている内に新たな謎が湧き出る。稲垣先生の言う通り、これは厄介な謎かもしれない。
僕達は確認作業に戻った。一柳さんは旧版から新版に移り変わるその号を探す。そして僕は旧版が初めて載った号を探した。
「ふむ」
しかし、確認しても確認しても、中々七不思議が登場しない。そして、成果が出ないのは一柳さんも同じようで、どれほど遡ろうとも、新版制作の号に巡り合えないようだった。
僕は確認作業を行いながら、少し七不思議について考えた。
旧・七不思議。その存在が今明らかになった。そして、旧・七不思議には重要な情報が含まれていた。それは「やつね」の存在だ。
現在のように、全ての七不思議に登場しているわけではなかったが、しかし「その一」に登場している。それどころか、「その一」の舞台も、新版と同じ文芸部の部室(現在は開かずの教室だが)だ。
つまり、「やつね」という少女は、やはり七不思議において重要な役割を担っているのだろう。
よもや、「やつね」という少女が文芸部で自殺した、というのは事実なのではないだろうか……。
「あれ?」
隣で小さく一柳さんが呟いた。
「どうしたの? 一柳さん」
「この久瀬文集、七不思議が載ってない」
「載ってない?」
一柳さんは一冊の冊子を僕に見せた。第四十五号。四十一年前の久瀬文集だ。一柳さんは現在の文集から遡るように調査していた。四十五号に載っていない、ということは。
「じゃあ、四十六号で新・七不思議は作られたってこと?」
「いえ、多分四十七号ね。偶数号は冬の出版だから、そもそも七不思議が載っていないの」
そう言いつつ、一柳さんは一応の確認のため、四十六号に手を伸ばした。
それにしても、載っていない、というのは少し不思議だ。新・七不思議の前には旧・七不思議が存在していた筈。旧・七不思議が消えた後、数年のブランクを経て新・七不思議が制作されたのだろうか。それとも、北岡先輩の記事は、嘘なのだろうか。
「……」
ふと一柳さんを見ると、彼女は冊子を見つめたまま黙っていた。
「一柳さん?」
「訂正するわ。第四十六号……つまり四十一年前の冬号ね。そこに新・七不思議は載っていたわ。これが初出。第四十六号で新・七不思議は作られたの」
「おお、やっと見つけたね」
様々な謎を残す新・七不思議。その制作に至る裏話が、久瀬文集四十六号に載っているかもしれない。
「それにしても、冬号で七不思議が作られたんだね」
「そうね。怪談と言えば夏だけど、まあ、冬にだって幽霊は出るでしょ」
そう言いながら、一柳さんは四十六号を開き、七不思議に関する記事を探した。
しかし。
「あれ」
一柳さんは首を捻った。
「……何も書いてないわ」
「え?」
「新・七不思議の制作に至る話は、何も書いてないの。ずっと前から存在していたかのように、あたりまえみたいに七不思議が書いてあるだけ。編集後記でも、触れられてすらいない」
「本当に?」
僕は一柳さんから冊子を受け取った。しかし、いくら探しても七不思議の意図はおろか、制作者の名前すら書いていなかった。
「……これは、困ったね」
新・七不思議に関する手がかりが無くなってしまった。
「もしかしたら、四十五号に偶然載っていなかっただけで、制作されたのはもっと前なのかもしれないね」
一柳さんはそう言って冊子に手を伸ばした。確かに、その可能性を見落としていた。一柳さんは冬号も含め、久瀬文集をパラパラと捲った。一冊、一冊と確認していく。
「……駄目。七不思議は載ってないわ。やっぱり、四十六号で新・七不思議は初めて載ったみたい」
ぱたん、と久瀬文集を閉じ、一柳さんは小さくため息を吐いた。これで、新・七不思議に関する手がかりは無くなってしまった。
「でも、まだ諦めるのは早いよ」
僕は言った。
「新・七不思議に関する記述は無かったけど、まだ旧・七不思議が残ってる」
僕はまだ、旧・七不思議が制作された年の久瀬文集を見ていない。そこには旧・七不思議制作の裏話が載っているかもしれないし、それが新・七不思議の謎を解明する手がかりになる可能性だって充分にあるだろう。
僕は次の文集を確認しようと、手に取ろうとして
「……嘘でしょ」
唖然とした。既に異変に気づいていた一柳さんと目があう。
「これ、妙よね」
「そうだね。とっても妙だ」
僕達は互いに肩をすくめた。
僕達は挟み撃ちの形で文集を確認していた。一柳さんは現在の文集から遡るように、そして僕は過去から辿るように。
そう調査すれば、僕はいずれ旧・七不思議が制作された年の文集にぶつかる筈だし、一柳さんは旧・七不思議が消えた文集に巡り会う筈だ。しかし。
「でももう、調査していない久瀬文集は、あと一冊だけだよ」
目の前に残されたのは、たった一冊。第三十九号の久瀬文集。つまり、この年で初めて旧・七不思議は登場し、そして次の年には消えてしまったのだ。
たった一号で変更されてしまった七不思議。一体、何のために。
「じゃあ、確認するよ」
僕はその一冊を手に取った。発行年を確認すると、四十四年前のものだった。表紙をおもむろに捲る。表紙の裏に目次が載っており、そこから七不思議のページを確認した。
「七不思議を作りました」
説明は、たった一文だけだった。
その一文の後に、北岡先輩の調査通り、過激な七不思議が記されている。
「北岡先輩の調査は嘘じゃなかったね」
しかし、信じがたい。一年。たった一年でこの七不思議は変更されてしまったのだ。確かに、旧・七不思議は過激な描写がある。今だったら掲載の許可すら下りないだろう。
しかしこれは四十四年前。規制などほぼない時代だ。それどころか、グロテスクなホラー映画が流行していた時代と一致する。たった一年で規制されるだろうか。
一柳さんは苦笑した。
「どんどん謎が増えていくね」
「そうだね」
「その七」不明の謎も、「やつね」の謎も解けないままだ。結局、まだ一つも手がかりを得られていない。
僕は、旧・七不思議の掲載された久瀬文集を眺めた。ここに、何か情報がないだろうか。僕はじっくりと七不思議を読み込んだ。
「……!」
その時、僕はとある文字を見つけてしまった。
「あ……」
思わず声が漏れる。
「どうしたの?」
一柳さんは僕の顔を覗き込んだ。しかし、僕は彼女に答えることもできず、その五文字から目を離せなかった。
「ねえったら」
「……」
これは、ずっとわかっていたことだけれども、新旧、どちらの七不思議にも、「やつね」という少女が登場していた。そして、旧七不思議には「『やつね』は自殺した」と書かれていた。
その一文が真実であれ、虚構であれ、しかし「人の死」が関係していることに変わりない。
それなのに、僕は面白がってはいなかっただろうか。
探偵だ、謎だとはしゃぎ、死に対して無神経ではなかっただろうか。
確かに、七不思議が初めて制作されたのはもう四十四年も昔だ。その年月は、現実から遠ざけ、七不思議を創作の中に閉じ込めてしまった。
しかし、その中には事実もあったかもしれない。作り手の意図が存在していたかもしれない。それを僕は忘れ、人の死すら創作として楽しんでしまった。
「……一柳さん。ここ」
僕はその文字を指し示した。七不思議の直後に書かれた、とある文字。それを見て、一柳さんの顔も青ざめた。
【著・沢渡やつね】
旧・七不思議は、やつね本人が制作したものだった。
後書き【著・沢渡やつね】
はじめまして。沢渡やつねです。
そしてさようなら、になるでしょう。
私はこの久瀬高校に良い思い出がございません。それどころか、悪い記憶ばかりです。毎日が苦しく、耐えがたいものでした。
逃げることもできず、ただ、じっと救済を待っていました。思えば、自分で行動を起こさなかったことが、何よりの間違いなのかもしれません。しかし、この苦痛の中「自ら動け」というのはあまりに非道ではありませんか。私は、そんな世でこれ以上生きたいとは思えません。
そしてついぞ、救いの糸が垂れ下がることは、ありませんでした。
暗い思い出はもう振り返りたくありません。ここからは、僅かに残った未練について書きましょう。
まず、文芸部について。私は久瀬高校のことが大嫌いですが、しかし唯一、文芸部は好きでした。私の所為で一人、また一人と部員が減ってしまいましたが、それでも私はあの文芸資料室が好きです。本に囲まれたあの空間だけは、私の心を癒やしてくれました。どうもありがとう。
次に、妹について。私には妹がおり、きっと来年には久瀬高校に入学して来るでしょう。私は心配です。私の所為で、妹も生きづらさを感じてしまうのではないか、と考えてしまいます。どうか、あの子には魔の手が掛かりませんように。久瀬高校を呪っておいて、なのですが、私はあの子の幸福を願っております。どうか、あの子だけは幸せにしてください。
そして、もしも貴方がこれを読んだのなら、私のことなど忘れてください。貴方まで誰かを呪わないでください。ただ、当たり前の日常を、ありのまま受け取ってください。それが、私の唯一の願いです。
貴方の楽しい学校生活を願っています。
では、さようなら。
後書きを読み終え、僕は顔を上げた。
やつね。珍しい名前だと思う。時代によって名前の流行にも変化があるだろうが、四十年前だったとしても、その名前は稀だろう。
ならば、七不思議に登場する「やつね」と、著者「やつね」は、やはり同一人物だと考えるのが自然である。
そして、同一人物だとするならば……。
あの後、僕達は下校時間の前に、学校を後にした。文芸部に留まることが気まずくなったのだ。
夏の訪れも近づき、日も長くなった。しかし今日は雨が降っているため、どこか薄暗い。自室でカーテンを締めてしまうと、本を読むことさえ困難だ。
家に帰ってから、更に雨は強まった。ざあざあと激しく窓に叩きつけられる雨の音が、やけにうるさく響いた。
僕はため息を吐いて、もう一度旧・七不思議に目を通した。
その一からその七。過激な七不思議。
これを「やつね」が残したのだ。
僕にはもう、旧・七不思議の意図がわかる。沢渡やつねは、決して過激でグロテスクな話を残したかったわけではない。
「これは、呪いだ」
僕は誰も居ない部屋でぽつりと呟いた。
呪いであり、遺書でもある。この七不思議で、彼女は自殺を宣言している。文芸部で「やつね」は自殺するのだと記し、そして彼女は霊として「その一」に登場しているのだ。
では、彼女を追い詰めたのは何であったのか。何故、自ら命を終わらせなければいけなかったのか。
そんなもの、言うまでもない。
冷水が降ってくるトイレ。ヘドロに溺れるプール。体育館での暴行。昆虫を食べさせられる校舎裏。叫びを無視する職員室の教師達……。
これらは創作ではないのだろう。気色悪いと僕が断じたこれらの行為。その虐めは、沢渡やつねが実際に受けていた行為そのものだ。
だからこそ、呪いなのだ。
彼女は久瀬高校で虐めを受け、その人生を滅茶苦茶にされた。その結果、彼女はこの学校を激しく呪ったのだ。七不思議という怪談に乗せて。
そう考えれば、幾つかの謎は解ける。
旧・七不思議はたった一年で変更されてしまった。僕達はそれを不思議に思ったが、今考えてみれば当然だろう。沢渡やつねが残したものは呪いだ。学校全体に向けた呪い。これほど悍ましい感情もない。こんな七不思議、残すわけにはいかないだろう。
そして、北岡という生徒が調査を途中で止めてしまった理由も、考えるまでもない。彼は旧・七不思議の正体を知ってしまったのだ。この恐ろしい呪いに、嬉々として踏み入った自分を恥じたことだろう。
最後に、現在の七不思議について。現在の七不思議は恐ろしい描写が無い。それも当然かもしれない。沢渡やつねが残した呪いに代わって、新しい七不思議を考えなければならなかったのだ。とても普通の怪談を書く気にはならなかっただろう。柔らかい七不思議になっても不思議じゃない。
こうして、謎は解けた。まだ判明していない謎もあるけれど、もう充分だろう。僕は久瀬文集を手にしたまま、ベッドに寝転んだ。
僕はもう、七不思議に関わりたいとは思わなかった。
これは、呪いだ。好奇心で首を突っ込んでいい謎ではなかった。ここで、七不思議の調査はお終いだ。
僕は目をつぶった。
ざあ、と風に吹かれた雨が、窓を激しく叩いた。
旧・七不思議の真相を知ったのは金曜のことだった。その週末、僕は努めて七不思議のことを忘れた。
午前は、出色の出来と名高い推理小説を読んだ。午後は再放送のドラマを眺め、それに飽きたらテレビゲームに切り換えた。それにも飽きたらニュースを聞き流し、夕方のアニメまで待った。そうするとあっという間に一日は過ぎていく。
日曜も同じような時間を過ごした。しいて言えば、日曜の夜は課題に追われて大変だった。
平坦で、虚無な休日が終わっていく。毎週休日を無駄にし、毎週後悔に明け暮れている。しかし、今週に限っては後悔などなかった。
荒んだ心には平穏こそ最良の薬だ。何も無い休日は、僕の心を落ち着かせた。
そして、月曜からは普段通りだ。学校に行き、授業を受け、放課後になったら部室に行く。いつも通りの、かけがえのない日常。僕は日常を送るのだ。月曜の朝、家を出る前にそう決意した。
外に出ると、金曜から変わらず雨が降っている。分厚い雲が太陽を隠し、四方から雨音が聞こえる。僕は傘を差した。
もう六月。梅雨だ。これから雨の日が続くだろう。
それはつまり、夏の訪れが近いことを示していた。
高校生になって、初めての夏。夏は毎年やって来るけれど、それでも高校生の夏というものは特別だ、と感じてしまう。
寝ぼけ眼をこすり、半袖のワイシャツを着て、スクールバックを背負う。朝に登るには気怠い坂を、欠伸を漏らしながら歩く。
こんな朝も、三年間しか続かない。高校生だけの特別な時間。……今は当たり前に経験できる、この朝。僕は、残り三年。
けれど、沢渡やつねさんは……。
「いや、やめよう」
僕は邪念を振り払うように首を振った。考えないと決めたのだ。彼女の自殺は四十四年前。今さら何を考えたところで、どんなに感傷に浸ったところで、何もかもが遅い。ただの自己満足にしかならない。
僕は雨で張り付くワイシャツを鬱陶しく感じながら、学校へと続く坂を登った。太陽が隠れて気温が低く、冷たい雨が体温を奪っていく。半袖のままでは少し肌寒く、長袖を着れば良かったと、僕は少し身震いした。
その日の授業は平穏なものだった。高校の授業は進行が速く、余計なことを考える暇がない。僕は板書を取ることに夢中だった。
部活も極めて平穏だった。僕と一柳さんは長机に向かい、それぞれ本を読んだ。それに疲れたら、どうでもいい会話に花を咲かせた。事件の依頼も、除霊の依頼もない。
そんな日常は、次の日も、その次の日も同じように続いた。高校生活はじめての初夏は、とても穏やかに過ぎていく。
しかし一週間後、その平穏は崩れた。
梅雨の切れ間、大きな雲の隙間から太陽が顔を覗かせ、気温が上がった日のことだ。
「石澤くん。ちょっといい?」
下校時刻間際。もう太陽も沈みかけている夕暮れに、一柳さんは僕に言った。その日、一柳さんは妙に落ち着きがなかった。それを僕は疑問に思っていたが、なるほど、言い辛いことでもあるのだろう。
「なに?」
訊ねても、彼女は顔を伏せるばかりだった。嫌な予感がした。
ややあって、
「少し、真面目な話」
一柳さんは意を決したように僕の目を真っ直ぐ見た。
「反対されることはわかっているし、私だって、不謹慎だとは思う。でも、とりあえず聞いて欲しいの」
「まあ、聞くだけなら」
頬を汗が伝う。もう太陽も沈みかけているというのに、纏わり付くような熱気が鬱陶しい。一柳さんの額にも汗が浮かんでいる。
一柳さんはタオルで汗を拭うと、おもむろに口を開けた。
「私、七不思議の謎を解くべきだと思う」
「……」
七不思議の謎。「やつね」という少女が残した、学校への呪い。この一週間、僕は七不思議のことを忘れようとした。彼女もそうだったのだろう。
……しかし、あの謎は陰惨過ぎた。忘れようとしても、簡単には忘れられない。
「……僕は、嫌だ」
小さく、言った。
「あれは叫びだよ。それが真相だ。それ以上、何を調べるっていうの。たとえ調べることがあったとして、単なる好奇心で踏み入っていい領域じゃない」
一柳さんは少し目を伏せた。
「好奇心じゃ、ない」
「……え?」
「私、オカルトが好き。当然、ホラーの緊張感だとか、未確認現象のロマンに惹かれている部分もある。……でも、それだけじゃないよ」
彼女は微かに笑った。
「オカルトは目に見えないからこそ、人の支えになるの。人々がどうしようもない現実に潰された時、最後まで寄り添ってくれるものなの。……私は、そんなオカルトが好き。オカルトが生まれた時、そこには必ず祈りがあるから」
一柳さんはオカルトマニア。僕なんかより、よっぽどオカルトに詳しく、オカルトを愛している。だからこそ「オカルトに特別な力がある」と彼女が考えるのは自然だし、僕もオカルトの持つ力を否定するわけではない。
しかし、今回に限った話……「やつね」の七不思議に関しては、祈りではないだろう。そこにあるものは呪いだ。
僕が黙っていると、一柳さんは続けて言った。
「それに、まだ解けてない謎があるでしょ?」
「謎?」
「そう、新・久瀬高校七不思議『その七』。まだ、あれだけが判明してないよ」
そういえば、そんな謎もあった。だが、僕にはその謎が重要には思えなかった。
「新・七不思議は、陰惨な七不思議を書き換えるために、急遽制作された七不思議だよ。『その七』に大きな意味が隠されているとは思えない。ほら、稲垣先生と同じで単なるイタズラ、とかじゃない?」
「その七」が存在しないこと自体が七不思議、とかね。と僕は適当な推測を述べた。それを聞いて、一柳さんは怪訝な目で僕を見た。
「……それ、本気で言っている?」
「え? いや、イタズラかどうかはわからないけどさ。まあ、単に思いつかなかったとか?」
そう言おうとして、一柳さんの声に遮られた。
「そうじゃなくて、新・七不思議が過去の七不思議を書き換えるためだけに急遽作られた、って、本当にそう思っているの?」
「え?」
それは、そうだろう。「やつね」の呪いは残してはおけない。だから新しくなったのだ。それ以外の理由など、ある筈がない。
しかし、一柳さんはかぶりを振った。
「もちろん、それもあると思う。でも、それだけじゃないよ。そんな筈ない。だって、だったらどうして、新・七不思議に『やつね』の名前が出てくるの!」
「あ……」
思わず声を漏らす。確かにそうだ。「やつね」の残した七不思議を消したいのなら、新・七不思議に「やつね」を登場させるのはおかしい。
それこそ、「トイレの花子さん」や「動く二宮金次郎像」などの有名な怪談で、お茶を濁した方が良いに決まっている。
それなのに、わざわざ「やつね」を登場させた新・七不思議。確かに、何かの意図を感じる。一柳さんの言う通りかもしれない。旧・七不思議は確かに呪いによって生まれたものだ。しかし、新・七不思議はどうだろう……。
一柳さんは前のめりに、僕に迫った。
「その新・七不思議の最後が『不明』だよ。絶対、悪戯じゃないよ。絶対、何か意味があるよ! もし誰かが意味をもって『新・七不思議』を作ったのなら、私はそれを受け取りたい。謎に気づいておきながら、無視なんてしたくない!」
「……」
確かに、見落としていた。旧・七不思議に残された感情に気圧されて、考えることをやめてしまった。
もし、ここで調査を止めてしまったら、誰が七不思議の謎を解くのだろう。誰が、七不思議に隠された意図を受け取るのだろう。或いは、永久に誰も受け取らないままになってしまうのではないだろうか。
「それに……」
一柳さんは口籠もった。
「それに?」
一柳さんは僕を真っ直ぐ見つめ、言った。
「この事件は、まだ終わっていないと思うの」
「……終わっていない?」
僕は思わず聞き返した。「やつね」がいじめを受けていたのは約四十年前。亡くなったのも四十年前。七不思議が制作されたのも四十年前だ。何もかもが遙か過去であり、全ては手遅れだ。これで、一体何が終わっていないというのか。
「……わからない。わからないけど、私達が『その七』を見つけないと、この事件は終わらない気がするの!」
一柳さんは前のめりに訴えた。オカルト的直感というやつだろうか。だが、何を考えたところで、やはり「やつね」の事件は終わっている。
仮に新・七不思議に、「やつね」へのメッセージや祈りが含まれていたとしよう。だが、それを僕達が明らかにしたところで、できることなど一つもない。「やつね」はもう亡くなっているのだから。
……しかし。
「わかった。解こう」
僕は頷いた。一柳さんにとって、七不思議に託された意思は重要なのだろう。なんとしても解き明かしたい筈だ。
それに、一柳さんはこれまでずっとオカルトに向き合ってきた。その一柳さんが「まだ終わっていない」と言うのだ。ならば、終わっていないのかもしれない。さっぱり想像もできないけれど、「やつね」の事件はまだ続いているのかもしれない。
終わっていないなら、未解決ならば、探偵は無視なんてできない。全ての謎は僕が解き明かすのだから。
「……ありがとう」
一柳さんは短く言った。
一体、新・七不思議にはどんな思いが込められているのだろう。「その七」はなんだろう。どうしたら「やつね」の事件は終わるのだろう。
考えてもわからない。けれど、必ず明らかにしてみせよう。その真相がどんなものであっても……。
窓の外を見ると、太陽は山奥に隠れていた。その残光が、空を赤く染めている。姿の見えない太陽が、それでも僕達を温かく包んでいる。
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