第7話 エピローグ
七不思議の謎を解き明かしてから、数日が経った。七月に入って気温は日毎に増し、今も額に汗が浮かんでいる。もう夕暮れだというのに。
六月の時点で充分暑かったが、しかし序の口だったと思い知る。突き刺すような日差しが、僕の肌を焼いている。
「幽霊を歓迎する、ね」
僕は数日前の発言を思い出し、苦笑する。僕は探偵。だというのに、一体いつからオカルトに寄り添うようになったのか。
正直な話をしてしまえば、幽霊なんて非科学的で、空想の産物だと今でも考えている。人の念が実体を持って、時も空間も超えるなんて……まあ、冷静に考えればあり得ないだろう。
そもそも僕は探偵。霊など認める訳にはいかないのだ。
……しかし。
この世界にはまだまだ不思議が残っている。解明されていない未知の現象なんて数知れない。幽霊の存在を完全に否定することなど、誰にもできないのだ。
ならば……霊が存在する可能性が僅かでもあるのなら、僕達の行動には意味があったのだろう。
……いや、たとえ霊の存在が完全に否定されてしまっても、それでも、この久瀬高校には七十年の歴史と、ここに通っていた生徒達の感情が確かに存在している。目に見えなくとも、実体などなくても、その事実は揺るがない。
僕は文芸部の部室を見回した。
普段通りの部室。謎を解いたからといって、七不思議を書き換えたからといって、何か大きな変化がある筈もない。
しかし、これでいいのだろう。この文芸部で、僕達の日常は続いていく。
「……それにしても、暑いね」
僕は思わず汗を拭う。
加えて蝉がうるさい。彼等の声を聞くと夏の風情を感じるが、こうも毎日鳴かれると、流石にウンザリしてしまう。
「そう? 私、蝉好きだよ」
しかし、目の前に座っている一柳さんは涼しい顔で言った。
「蝉の鳴き声を聞くだけで、夏の匂いが胸いっぱいに広がるでしょ? その景色の中にいると、この暑さもなんだか心地良いの」
「そうかなあ」
扇風機しか存在していない文芸部の部室。風情を感じるには少々過酷な環境だ。
「こんな暑さじゃ勉強なんてできないよ」
先ほどから垂れる汗がノートを濡らし、その度に僕の意欲は薄れていった。
僕達が文芸部で勉強している理由。それは察しの通り、期末試験である。少し前に中間テストがあったばかりだと思ったが、もう二度目の試験が迫っている。前回、理系科目が芳しくなかったため、今回こそは。
と意気込んだもの束の間、その熱意は汗と共に流れ落ちる。
僕はふと外を眺めた。天気は快晴。地平線を彷徨う雲が、赤く染められている。それ以外には何も浮かんでいない。どこまでも深い青と、太陽の残した真っ赤な残光が、グラデーションを作っている。
「夏だね」
一柳さんに話し掛ける。
「夏ね」
一柳さんも窓を見て言った。
僕はその横顔を見て、少し嬉しくなった。
菊子さんが残した願い。それはやつねさんの卒業だった。僕達はまだ一年生。卒業はまだまだだけれど、それでも少し意識する。
僕達は一体、この学校でどんな思い出を作るのだろう。どんなことを学び、どんな人間に成長して、この学校を卒業するのだろう。
入学して間もない僕達は、まだ学校の行事をほとんど体験できていない。これから体験する行事……文化祭に体育祭。そして修学旅行。楽しいイベントが目白押しだ。
想像しただけで笑顔になる。今は面倒に思う授業も、定期試験も、いつかは良い思い出になるのだろうか。いや、試験はやっぱり苦しい記憶だろうか。
それでも、その記憶を含めて懐かしいと思う日がきっと来るのだろう。
だって、
「一柳さん、今回も勝負しようよ」
彼女の横顔に語りかける。一柳さんは目線だけ僕に向け、不敵に微笑んだ。
「ええ、望むところよ。今度は勝つから」
僕も微笑む。
……だって、隣には彼女がいるから。探偵にとってのお邪魔虫。そして、文芸部のかけがえのない仲間。
僕は残された三年で、どんな謎に出会うのだろう。どんな議論を彼女と交すのだろう。きっと僕達はミステリーとオカルトの代理戦争を、これから幾度となく繰り広げる。
その時間は、この放課後は、僕達の中でいつまでも仄かな光を与えるのだ。卒業してから、何年経っても。
「ねえ、石澤くん」
ふと、一柳さんが言った。
「何?」
「やつねさんは、今年度で卒業するのよね」
「うん。そうだね」
「だったら、新・七不思議も今年度が最後ってことよね」
「確かに、そうだね。やつねさんが卒業するための七不思議だからね」
「じゃあ、新・七不思議に代わる、新しい七不思議が必要だと思わない?」
「まあ、確かに」
「だからね、久瀬高校の怪談を、もう一度七個集める必要があると思うの」
一柳さんの言う通りだ。やつねさんの登場する七不思議は今年で終わりにする。そして、全く新しい七不思議を作ることが、僕達の使命だろう。それこそが、やつねさんが卒業した証になるのではないか。
「それでね、私、怪談を集めたの。この久瀬高校が舞台のね」
それを聞いて、僕はにやりと笑った。
「へえ、聞かせてよ」
一柳さんは、友達から聞いたという怪談を話した。なんでも、理科室の人体模型が勝手に動いたのだとか。
一柳さんは前のめりになって言った。
「ね、模型が勝手に動くなんて普通じゃないでしょ? それに、目撃者は三人もいるの。これは人の仕業とは思えない」
彼女の横顔は真夏の夕日に照らされ、輝いている。その眩い光の中、彼女は笑った。
「きっと、幽霊の仕業ね!」
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