第3話 その剣を抜け!

 僕は探偵を自称しているし、他人から呼ばれもする。久瀬高校の探偵と言ったら僕だし、僕といったら探偵だ。

 僕は探偵になるために努力をしてきたつもりだし、正しい勉強方法かはわからないけれど、それなりに探偵小説を読んできた。ただ読むだけではない。解答編が始まる前に、何度も小説を読み直して伏線を完全に拾い集める。トリックを見破るまで、僕がページを進めることはなかった。

 そんな僕を見て、一柳さんは呆れた様に言ったのだ。

「謎に対するその執着心が、君を探偵たらしめているのね。きみは謎がある限り、決して解くことを止めない。解ける保証もないのに必ず解けると信じ……そして、最後には解いてしまう」

 その評価は、正確とは言えない。僕にだって解けない謎はあるし、闇に紛れることに徹した犯人を追求することは難しい。

 だが、思い当たる節もあるのだ。確かに僕は、人と比べて謎に対する執着心が深い。だからこそ探偵でいることができる。みんなが謎に飽きてしまったその時も、僕だけが追い続けるから、僕が探偵役なのだ。

 だけれども、言ってしまえば僕の探偵としての特徴はそれだけだった。僕は頭が良いわけでも、ひらめきに秀でているわけでもない。天才は、推理小説を一度読むだけで伏線を拾い集め、ページをめくるその僅かな時間で真相に辿り着くのだろう。

 僕は時々不安になる。謎に対する熱意なんて、それは助手が持つべき素質だ。探偵が持つべき素質は、探さずとも手がかりに目を付け、最小限の情報で真実を明らかにする力だ。別に安楽椅子探偵を目指してはいないけれど、僕はもっとスマートになりたい。

 僕は悩む。果たして僕は探偵の才能があるのだろうか。小説やアニメの中のような名探偵に、僕はこの三年でどこまで近づけるのだろうか。


「あのね、別に探偵の才能がないと言ったわけではないのよ」

 呆れたように一柳さんは僕を慰めた。

「ただ、謎に対する熱意が目立つってだけ」

「それが問題なんだ。熱意じゃだめなんだ。探偵の力はそうじゃない」

 泣き言を漏らす僕を見て、彼女は面倒くさそうな顔をしている。

 例の一件。開かずの教室の件は解決した。解決したけれど、時間を経て僕の中で沸々と後悔が湧いて出た。僕は不用心にも教室の電気をつけてしまったのだ。その結果、僕と彼女は先生に叱られている。被害者を出してしまった。

「僕にもっと、探偵の力があれば……」

 彼女はもう返事すら返してくれない。あくまで僕達は対立関係。彼女に慰めて貰おうというのも変な話なので、無視されるのは当然だ。

 だけれども、弱さを曝け出せるのもまた、対立関係にある彼女の前だけなのだ。探偵は依頼主に不安を与えてはいけないからね。

「そういえば、霊能力者に必要な力ってあるの?」

 ふと気になって訊ねてみる。

 一柳瞳。彼女はオカルト好きにして、霊の存在を至極真面目に信じている同級生。そして、僕達の文芸部を霊能事務所として乗っ取ってしまおうと考えている大悪党だ。まあ、探偵事務所に改造する計画を立てている僕も僕なのだが。

 そういうわけで現在、文芸部にはオカルトとミステリー、二種類の謎が持ち込まれ、それぞれが対応している。一柳さんへの依頼は幽霊退治と占いが主で、彼女は魔方陣を描いたり、塩を送ったり、タロットカードで運命を決定したりしている。

 探偵の僕から言わせて貰えば、そんなものは全部ほら吹きで、特に何か才能が必要であるようには見えないけれど、心の底から霊を信じている彼女にしてみれば違うのだろう。だからこそ、彼女にとって霊能力者の資質とは一体何だろうと気になる。

 彼女は少し考え、言った。

「そうね。心臓の強さかな」

「なるほど。確かに霊能力者が霊を怖がっていたら、仕方が無いからね」

 僕はそう納得したのだが、彼女はそれを否定した。

「ううん、少し違う。私は幽霊がとっても怖いよ」

「え?」

「だって、霊は強い感情の塊。それはもう、恐ろしいよ。でもね、恐ろしくて、ドキドキするからこそ、楽しいの。そうね、ホラー映画だとわかりやすいかな。お化けが全く怖くない人が映画を見たって、退屈でしょ?」

 彼女の言葉に、はっとする。確かにそうだ。霊を全く信じていない人はホラー映画を「所詮作り話」と斬って捨てるだろう。恐怖を感じるからこそ楽しく、信じているからこそ、恐ろしい。

「でも、怖がるだけじゃ駄目。怖いけど、きちんと霊に向き合う覚悟が必要なの。だから、心臓の強さ。恐怖を感じてなお、前に進める力が大切」

 今度こそ、彼女の言葉を理解した。確かに心臓の強さが一番必要なのかもしれない。一柳さんはあまり感情を表に出さないからわからなかったけれど、彼女はいつも恐怖に震えながらオカルトと向き合って来たのだろう。

 ……その事実はその事実でまあまあ面白い、なんて口にしたら本格的に呪われかねないので黙っておく。

「まあ、幽霊をあまりおもしろがってはいけないけどね。人の残した感情だから、敬意を払う必要があると思うの」

「違いない。面白半分に心霊ポットに立ち入って呪われる、なんてホラー映画のお約束だ」

「だけど、ドキドキが楽しいのも、ホント」

 彼女は悪戯に微笑んだ。……彼女が呪われませんように。というよりとばっちりで僕が呪われませんように。まあ、呪いなんて信じてなんていないけど。全然信じていないけど。

「あの、すみません」

 その時、部室の扉が開き、男子生徒が顔を覗かせた。それを見て、一柳さんが対応する。

「はい。霊能探偵事務所です。オカルトですか? ミステリーですか?」

 ……そんな119番みたいな訊き方しなくても。

「って、ちょっと待って。いつからここは霊能探偵事務所になったんだ」

 彼女はきょとんとして、僕を見つめる。

「だって、霊能と探偵の事務所でしょ? だから霊能探偵事務所」

「それじゃあ霊能の力で探偵する事務所だ。オカルトがメインになっちゃうよ」

 危ない危ない。語感の良さで聞き流してしまうところだった。本当にいつか、霊能事務所に乗っ取られてしまうかもしれない。

「はいはい。じゃあ霊能・探偵事務所ね」

 ……どうせなら探偵・霊能事務所の方が、誤解が少ないと思うけれど。まあ、区切ってくれるのならば細かく言うことでもないだろう。

「あ、あの……」

 依頼人をほったらかしにしてしまった。

「オカルトですか? ミステリーですか?」

「あ、ミステリーで」

「じゃあ、僕の出番だ。じゃあね、オカルトマニアさん」

 わざとらしく一柳さんを挑発し、僕は依頼人を机へと案内する。一柳さんに睨まれたような気もするが気にしない。今から僕は探偵だ。堂々と、そしてスマートに。

「さあ、話をきかせたまえ!」


 我らが久瀬高校はL字型だと以前紹介したけれど、実は、本校はそれだけではない。L字の長い棒線に平行となるように、もう一つの建物が存在している。そこは通称文化棟。美術室、音楽室……等々、芸術系の教室が並ぶ校舎だ。メイン校舎と比べると小さく、そして古い。文化棟は旧校舎のまま、新築も改築もされていないのだった。

 文化棟にもそれなりに教室があるが、その古さからあまり授業では使用されていない。それこそ美術と音楽の時以外で使うことなど滅多に無い。その代わり、文化系の部室として多くが使われている。

「事件があったのは今日のお昼だよ」

 依頼人は久瀬高校二年、橋本先輩。美術部所属で、事件は美術部の部室で起こったのだという。

 そうしてその部室へと案内されたのだが。

「なんというか、狭いですね」

 おまけに付け加えるなら汚い。旧校舎だからというわけでもなく、カンバスが積み重なり、イーゼルが雑に放られている。床には絵の具がこびりついており、簡単には落ちなさそうだ。さすがにここで作品を作っているわけではないだろう。僕の反応を見て、先輩は苦笑した。

「普段は美術室で活動しているんだ。でも、だからといって、授業でも使う美術室に僕達の荷物を置いたままにはできないだろ? だから一応部室を貰って、物置や作品の保管庫にしているんだ」

 ご覧の通りに、と手を広げてみせた。物置と言われれば納得だ。それにしても汚いけれど。

「で、問題がこの作品なんだ」

 先輩が指で示したその先に、それは存在していた。

「……なんですか、これ」

 僕は芸術に明るいわけではないけれど、全く疎いというわけでもない。写実主義に対して「写真で充分」なんて思わないし、印象派の作品だって、素人なりに情緒を感じることだってある。要は、寄り添う姿勢だけはある。あるけれど、それにしても目の前の作品には、首を傾げずにはいられなかった。

 それは油絵でもなく、水彩画でもなく、そもそも絵画ではなかった。立体的なアート作品、つまりオブジェだ。

 まずは学校の机と椅子を思い浮かべて欲しい。金属のパイプで木の板を支えている、恐らくオーソドックスな勉強机と椅子。地面には木の板があり、机と椅子がその木の板に接着されている。変な設置ではなく、椅子を手前に引けばそのまま座れそうな、そんな配置。まあ実際には接着されているから椅子は動かせないが。

 妙なのはここからだ。見慣れた机に椅子。日常の象徴とも言えるそのオブジェクトに、非日常が突き刺さっていた。

 一本の日本刀。侍などとうの昔に滅びた現代、その業物が机と椅子を真上から貫いている。

「えっと、一応訊きますけど、机と椅子に日本刀が刺さっていた、というのが事件ではないですよね?」

 もしそうなら、銃刀法違反。大犯罪だ。だけど、先輩は笑って否定した。

「違うよ。これは元々こういう作品だった。去年卒業した先輩の作品なんだ。わかっていると思うけど、刀は模造刀。当然何も斬れないよ」

 ぎゅっと刃を握ってみせた。当然レプリカなので無傷だ。作品のタイトルは、「鉛刀」というらしい。なまくら刀という意味だ。斬れない刀にはぴったりの名前かもしれない。

 通常、卒業生の作品は生徒が持ち帰るか、廃棄するらしい。しかし「鉛刀」は大きい上に模造刀が突き刺さっている。処分の仕方がわからず、ほったらかしにしていたようだ。

「で、おかしいのはこれなんだ」

 先輩が手招きし、その作品へと僕を呼んだ。僕は近づいて覗き込む。先輩は机の上を指した。

「これは、昨日までなかったんだ。恐らく、今日のお昼にこうなった」

「……なるほど、確かに、これは奇妙ですね」

 日本刀が刺さっている机の上。そこにはカンバスが三枚積み重ねられ、そしてそれらもまた日本刀に貫かれていた。

 もしこれが今まで存在していなかったとすると、奇妙だ。日本刀は真上から貫かれている。つまり持ち手が上を向いており、当然そこには鍔(持ち手と刀身を隔てる円盤状の金具)も存在している。

 貫かれたカンバスには大きな穴は開いておらず、刃で刺した分の傷に、ぴったり刃が通っているだけ。つまり、元から刺さっていた日本刀の上からカンバスを通して机に置くことは不可能なのだ。

「そう、これは人間には不可能」

 その時、聞き覚えのある声が、後ろから聞こえてきた。嫌な予感がして振り返る。

 そこにはまるで幽霊のような、見慣れた少女が立っていた。僕はため息を吐く。その少女は、嬉しそうに宣言した。

「きっと、幽霊の仕業ね」


「どうして一柳さんがここにいるの」

「私も、依頼されたの」

 彼女は涼しい顔で言った。よく見ると一柳さんの後ろに女子生徒が立っていた。この子もおそらく美術部員なのだろう。

 確かにこの事件は奇妙だ。オカルト専門の一柳さんに相談しても不思議じゃない。

「そうね。やっぱりこの事件は幽霊の仕業に違いないわ」

「やっぱり! 怖~!」

 女子二人は盛り上がっている。やりにくいなあ。と、そのとき

「いや、犯人はわかっているんだ。もちろん幽霊じゃないよ」

 と橋本先輩は言った。

「どういうことですか?」

「状況を考えたらアイツしかいない。……でも」

 先輩はちらり、と「鉛刀」を見た。なるほど。犯人はわかっているけれど、責め立てようにも証拠が無い。残っているのは不可解な謎だけ。だから僕が呼ばれたのだろう。

「とにかく、事件の流れを教えてください」

 犯人が幽霊とは思えないけれど、先輩の言う「アイツ」だと決めつけるのも尚早だ。僕は橋本先輩から事件の詳細を聞いた。

 まずは昨日。昨日も美術部は活動があり、夏休み後に開催されるコンテストへの出展のため、各々作品作りに励んでいたという。

「『鉛刀』に刺さっている絵画は、僕が描いた絵なんだ」

 橋本先輩は肩を落としながら言った。橋本先輩は依頼人にして被害者だったのだ。

「一枚は去年出展した絵、もう一枚は今年のコンテストに出す作品だ。まあ、出展が終わった作品と、描き始めたばかりの作品だから、壊されても大丈夫といえば大丈夫なんだ。コンテストまで時間もあるからね」

 刺さったカンバスを見てみると、一番上に重ねられた物は、確かに完成品とは程遠いものだった。

「昨日も僕は完成に向けて絵を描いていた。だから少なくとも、昨日の放課後までは無事だったんだ」

「ほう」

 去年出展した作品の無事は確認していなかったようだが、片方が無傷だったのだ。恐らく昨日の時点で二つとも異常は無かったのだろう。僕は続きを促した。先輩は頷いて、

「今日は四限に美術の授業があったんだ。そして授業が終わった後、僕はそこのラウンジでご飯を食べていた。文化棟から校舎までは遠いからね。授業前にお弁当を持ち込んで、文化棟で昼食を食べる人も多いんだ」

 橋本先輩は扉の外を指した。ラウンジは今いる部室の近くにあり、扉についた小窓越しにも確認できる。ラウンジは広く、多くの生徒が座れる筈だ。現在も何人か座っており、もの珍しそうにこちらを見ている。恐らく他の美術部員だろう。

「それで、昼食を食べていた時、阿久津ってヤツが、鍵を開けてこの部室に入っていくのを見たんだ」

 橋本先輩はその阿久津という男について語り始めた。阿久津は橋本先輩と同じ二年生で、美術部の同期だという。入部当初、二人は仲が良かったらしいが、段々と亀裂が入っていったらしい。きっかけは去年のコンテスト。橋本先輩の作品は小さな賞を貰い、阿久津先輩は落選。それで嫉妬を買ったようだ。その後も二人の実力は開く一方で、二年になる頃にはほとんど口をきかなくなったようだ。

 橋本先輩はため息を吐いて、「鉛刀」を見つめた。

「昼休みは不思議に思ったくらいで、そのまま教室に戻ったんだ。それで放課後になって、部室に来たら……ご覧の通りさ」

 先輩は肩をすくめ、「これが事件のあらましだ」と言った。

 話を聞き終え、「なるほど」と相槌を打つ。概要はわかった。しかし、橋本先輩の話で気になる点がいくつか。

「まず、橋本先輩は犯人を阿久津先輩だと断言しましたが、今の話だけでは確定できないんじゃないですか?」

 昼休み、この部室に入っていたのは確かに怪しいが、別に他の人だって犯行は可能だろう。

 だが、橋本先輩はそれを否定した。

「いいや。阿久津で間違いない。この部室は通常、鍵が掛かっているんだ。だからこの部室に入るには、職員室に行って鍵を借りなくてはならない。そして先生に確認したところ、今日の昼に鍵を借りに来た生徒は一人、阿久津だけだったんだ。そして昼休みが終わる前には鍵を返却しに来たらしい」

 それが確かならば、なるほど犯人は阿久津で間違いないだろう。しかし、職員室の保管庫といえば、開かずの教室の鍵を勝手に借りても、しばらくは感づかれない杜撰さだ。

 と、考えたところで気づいた。開かずの教室の件は、放課後だったからバレなかったのだ。部活動のない日中に鍵を借りに来る生徒など、滅多にいない。鍵を借りようとすれば、先生に注目され、理由を訊かれることだろう。だからこそ、放課後になるまでに鍵を借りた生徒は阿久津先輩だけだと言い切れるのだ。

 橋本先輩は更に情報を付け加えた。

「一応言っておくと阿久津の次に借りたのは僕で、それは部活動を始めるため。そしてその時、絵が刺されているのを発見したんだ。まあ、厳密に言ってしまえば、放課後になった後、僕が鍵を借りる前に誰かが借りていた可能性もあるけど……。でも、僕は放課後すぐに鍵を借りたから、やっぱり犯人が阿久津の他にいるとは考えられない」

「なるほど、確かに阿久津先輩が怪しいですね」

 では、次に気になった点。

「その最有力候補、阿久津先輩は今どこに? 何か話はしましたか?」

「それが、阿久津は用事があると言って、今日は部活休みなんだ」

「そうですか」

「あ、でも、この部室に入っていた理由が気になって、阿久津が帰る前に少し話を聞いたんだ。まあ、『忘れ物をした』としか言ってなかったけど」

 それで「絵を破壊しました」と言うはずもないか。とはいえ阿久津先輩がいないのは少し困る。犯人の言葉は大きな情報を含んでいるからだ。

 だが、いないものは仕方が無い。

「では最後にもう一つ。先ほど先輩は『二枚の絵が刺された』と言いましたよね。ですが、『鉛刀』に刺さっているカンバスは三枚あります。残りの一枚は、一体何ですか?」

 これが最後の疑問。先輩は「去年出展した絵と、今年出展する絵が刺された」と言った。つまり先輩の話では二枚の絵しか刺されていない。しかし実際に重なっているカンバスは三枚。これでは計算が合わない。

 すると先輩は、しまった、という顔をして、手で謝罪の意を示しながら言った。

「ごめんよ。言うのを忘れていた。残り一枚は最初から刺さっていた、『鉛刀』の一部なんだ」

「作品の一部?」

 僕は思わず聞き返した。そして改めて「鉛刀」を見る。机に置かれたカンバスを貫く日本刀。枚数は違うものの、現在の「鉛刀」は元の作品に極めて近いということだ。ますます奇妙な作品になってしまった。そうなると奇妙というより不気味、何かしらの怨恨を感じる。一柳さんが食いつくわけだ。

 そして、ここぞとばかりに一柳さんは身を乗り出してきて、僕を見つめた。

「その件については私から話すよ」

「いいよ。オカルトの観点なんて」

「少しは役に立つと思うけど?」

 ……美術部の生徒から聞いた方が正確な情報が得られるだろうけど、まあ、一柳さんの説明に不備があれば訂正してくれるだろう。

 なにより、こうも楽しそうな彼女の言葉を遮ってしまう程、僕は冷酷にはなれない。僕が彼女に説明を求めると、彼女は嬉しそうな目をして、語り始めた。


「この『鉛刀』の作者は、去年の卒業生の福浦光秀先輩。この作品が作られたのは福浦先輩が三年の時で、引退前最後の制作だったの」

 最後の作品で、「鉛刀」。僕には理解できないけれど、やはり何かしらの意図をもって制作したのだろう。

「石澤くん。刺さっている一番下の絵を見て」

「? まあ、いいけど」

 言われて渋々、上の二枚を持ち上げて一番下の絵を覗き見る。

「あれ、この絵……」

 そこには、どこかで見たような絵があった。一体、どこで見たのだったか……。

「あ、美術室」

 はっと思い出した。この絵は美術室の壁に飾られているものに似ている。

「これ、有名な絵なの?」

「そうね、久瀬高校では有名。これは福浦先輩の同期、上高地先輩が作った作品にして、コンクールで最優秀賞を取った作品なの」

「へえ!」

 僕は思わず感心の声を漏らした。久瀬高校にそんな天才がいたなんて。

 一柳さんは「もちろん、美術室に飾られているのが本物。『鉛刀』に刺さっているのは福浦先輩が描いた偽物だよ」と補足した。確かによく見ると、素人目にもなんだか美術室の作品よりも劣って見える。

「それにしても『福浦先輩が描いた』、ね」

 つまり「鉛刀」に突き刺すために、わざわざ複製したのだ。上高地先輩の、最優秀賞の絵を……。

 一柳さんは不気味な笑みを浮かべた。

「これでわかったでしょ? この作品には怨念が籠もっているの。天才の絵に対する嫉妬という怨念がね」

 上高地先輩に嫉妬した福浦先輩が「鉛刀」を制作した。そしてその一年後……今回の事件は、その「鉛刀」を用いて橋本先輩の作品が狙われている。犯人は恐らく、賞を逃した阿久津先輩。動機は嫉妬の可能性が高い。

 話を聞いて青ざめた美術部員の女子が、恐る恐る一柳さんに問い掛ける。

「つまり、今回の事件は……?」

「そう。やっぱり霊だよ。嫉妬がいつの間にか怨念となり、生き霊となったの」

 きゃあ、と小さく悲鳴が上がる。楽しそうだ。

 呆れながら彼女達を眺めていると、「一応言っておくけど」と橋本先輩が僕に話し掛けた。

「今回は事件だけど、『鉛刀』を作ったこと自体は別に事件じゃないんだ。もちろん福浦先輩は上高地先輩に許可を取った上で複製して、そして突き刺している。まあ、不気味なことには変わりないけどね」

「許可取っていたんですか?」

「うん。別に二人は不仲じゃないからね。福浦先輩は確かに上高地先輩を羨んでいたけれど、でもなんて言うのかな、良きライバルって感じだったね」

「そうですか」

 そして作品の名前は『鉛刀』。事件には関係ないだろうけど、この作品に込められた思いを、僕は少しだけ理解したような気がした。

「あ、そういえば」

 思い出したように橋本先輩が言う。

「この『鉛刀』が完成した時に、福浦先輩が妙なことを言っていたな」

 橋本先輩は「鉛刀」が完成した、去年の夏を思い出していた。

 コンクールの締め切りは夏の終わりで、福浦先輩が作品作りを始めたのは夏休みに入る直前からだという。模造刀を片手に、廃棄予定の机と椅子を探し回り、美術室に籠もり始めたらしい。

 締め切りが夏の終わりといっても、ほとんどの生徒は夏休み前に作品を完成させているのが普通、というより久瀬高校美術部の伝統のようだ。夏休みにわざわざ学校に来るのは面倒なので、早めに終わらせてしまうらしい。天才上高地先輩は夏休み最終日まで加筆修正を繰り返していたらしいが、彼はカンバスを前にすると過集中を発揮し、周りが見えなくなる。

 つまり、福浦先輩の制作過程を見た者はほとんどいないというわけだ。

 橋本先輩は「でも、僕は一度だけ見たんだ」と言った。

「夏休み中、僕は野暮用で美術室に来たことがあるんだよ。そのときに『鉛刀』を見せてもらったんだけど、その時点では机と椅子を日本刀が貫いているだけで、絵は無かったんだ」

 そして橋本先輩が次に「鉛刀」を見たのは、数週間後の夏休み終盤の登校日。その時に、福浦先輩は不気味な笑みを浮かべながら、次のような奇妙なことを言ったという。

「これは、前回君に見せた時から、たった一日で完成したんだ。いや、なんだったら五分もあればこの形になったんだぜ」

 その話を、橋本先輩はあまり気に留めなかったという。どうせ一日というのは嘘なのだろうと思ったからだ。どうせ、何日もかけて分解した後、また組み直したのだと、そう思ったのだ。

 数週間ぶりに見た「鉛刀」は、上高地先輩の絵を模したカンバスを貫通していたという……。


「ふむ」

 僕はまじまじと「鉛刀」を観察した。やはり、綺麗に貫通している。

 橋本先輩の話を聞き終え、僕は調査を開始したのだった。

 後ろで橋本先輩が青ざめ

「もし、福浦先輩の言っていたことが本当だとしたら……」

 と言っている。まさか、本当に生き霊が原因だとでも思っているのだろうか。

 とんでもない。福浦先輩の言っていたことが本当だとしたら、むしろ喜ばしいことだ。つまり、福浦先輩は、この「鉛刀」に何らかの仕掛けを残したのだ!

 そして今回の事件でも、短い時間で日本刀がカンバスに貫通している。阿久津先輩が「鉛刀」の仕掛けを見破り、トリックに用いた。それだけの話だ。

 だとすれば、やはり探偵の領分だろう。

「ふむ」

 だというのに、隣でまじまじと調査している少女が一人。

「やっぱり、生き霊ね」

 満足気に呟く。全く、僕はこんなに真面目に検証しているのに、何の根拠も無く霊の仕業にされてはたまったもんじゃない。

「どうしてそんなに霊に拘るの?」

 僕は小声で訊ねた。彼女が霊に頼るのはいつものことだけど、今回は特に熱が入っているように思える。

「聞きたい?」

 そういうと彼女は、どこに隠し持っていたのか、見覚えのある冊子を取り出した。

「それは、久瀬文集」

 こくり、と彼女は頷いた。

「それでね、ここ見て」

 そこはやはり見覚えのある頁で、見覚えのある七不思議が示されていた。僕は彼女の指が示している文章を拾う。


 久瀬高校・七不思議:その六 文化棟

 校舎の向かいに聳える文化棟。その文化棟には「やつねちゃん」の幽霊が出るのだ。彼女は朝夕問わずに、歌を歌ってピアノを弾いて絵を描いている。その霊は度々目撃されている。


 ……やっぱり、雑だなあ。出来が悪い。久瀬高校には怪談の巧い生徒はいなかったのだろうか。絵の天才がいる一方で、なんだか所詮高校生という気分になった。

 というか、やつねちゃん再登場じゃないか。まさか、久瀬高校七不思議はやつねちゃんフル出演なのだろうか。まあ、どうでもいいけれど。

「ね? ね? ほら、やっぱり出るの。ここ」

「……さっきは福浦先輩の生き霊とか言っていたのに」

 そんな反論には耳も貸さず、一柳さんは美術部部員と怪談で盛り上がっていた。

 まあ、いい。とにかく「鉛刀」に仕掛けがあるはず。それを見つけるのが先だ。僕は振り返って、

「あの、そもそも、この日本刀は抜けないんですか?」

 まず、その前提から疑った。もしもこの刀が簡単に抜けて簡単に刺し直せるのならば、全く謎ではなくなる。橋本先輩は「やってみろ」と手振りで示した。

「じゃあ、遠慮なく」

 僕は柄を握り、軽く持ち上げてみる。

 チャキ、という刀特有の金属音が鳴った。……が、それだけだった。力を込めても机からは抜くことはできない。このまま無理に引き抜こうとすれば刀が折れてしまいそうだ。

「ほう」

 やはり、刀と机は接着されている。可能性があるとすれば、一度接着剤を剥がして抜いた後に、もう一度刺し直した、というものだ。

 しかし、犯行時間は昼休みという短い時間。そして福浦先輩の話が本当だとするならば五分で全ての工程を済まさなければならない。それは流石に無理だろう。

 僕はカンバスに目を移した。前述の通り、カンバスに開いている穴には、刃がぴったりと収まっている。強引にカンバスの裏側も覗き込んだが、繋ぎ目のようなものも見当たらない。柄の上からカンバスを通すことは不可能だ。

 僕は机、いや、椅子の裏側を覗き込む。そこには貫通した刀の切っ先が見える。模造刀の割に、切っ先は尖っている。見掛けだけかもしれないが、人を刺し殺すことも或いは可能かもしれない。布を張ったカンバスなど容易く貫くだろう。

「でも、切っ先から貫けたとしても意味ないんだよなあ」

 カンバスが置いてあるのは机の上なのだ。そして机を貫く日本刀は接着されて抜けない。

 むむむ、と頭を捻っていると、

「降参?」

 嬉しそうに一柳さんが僕に尋ねた。僕は肯定とも否定ともいえない呻き声で応える。

「第一、日本刀なんてどこで手に入れるんだ」

 僕の愚痴に、橋本先輩が真面目に答えてくれた。

「福浦先輩は通販で買ったって言ってたよ。一万円もせずに買えたらしい」

 なんでも売ってるな、通販。しかし思ったよりも安い。相場など知らないが、十万は下らないと思っていた。どんなものにも安物は存在しているようだ。実際、一年前に購入したという目の前の模造刀は、既に古びている。柄巻きの布など、もう解けそうだ。

 福浦先輩は武道を志す者ではない。この模造刀だって単なるモチーフに過ぎないのだ。だから玩具のような刀で充分だったのだろう。

 「それにしても」と一柳さんは不思議そうな顔で模造刀を眺め、

「模造刀なんて、誰が買うのかな」

 と呟いた。福浦先輩の様な人。と答えようと思ったが、それは恐らく正しくない。丹精込めて打った日本刀がこんな形ばかりで用いられたのなら職人は泣くだろう。

 ……そうだ。買う人なら他にいる。僕は小学生の頃を思い出す。

「多分、居合の剣士が買うんだ」

「居合?」

 僕は頷く。居合道。剣道が剣術を競技とした武道であるように、居合道は居合を競技とした武道だ。居合とは鞘に収めた状態から抜刀し、相手を討つ武術。現代においては、流派の型を披露する演武として競技が行われる。

 とはいえ、現代日本で帯刀は銃刀法違反。そこで必要となるのが刃のついていない模造刀だ。

「僕が小学生の時、友達の親戚が居合道をやっていてね。それで一回だけ試合を見に行ったことがあるんだ」

 静寂な会場で刀を携えた剣士が二人、音も立てずに審判の前へと歩み、礼。無駄の無い所作で正座し、刀を前に置き、また礼。そして帯刀し、鯉口を切り、柄に手を掛け……そして静かに、須臾の間に、空を斬っている。

 しかしそれで終わりではない。居合は武道なのだ。剣士達は残心で心を途切れさせない。気を抜いてはいけないのだ。

 残心、血振り、納刀。そして、礼……。

 その所作の悉くが美しく、小学生ながらに魅入ってしまったのを今でも覚えている。一切の雑音が鳴らない緊張の中で行われる試合の空気に気圧されて、普段は喧しい同級生も、その時ばかりはただ固唾を呑んで見届けることしかできなかったようだった。

「あれは凄まじい経験だった」

 僕は武道はからきしだけど、それでも「道」とはなんたるか、その片鱗を確かに見たのだ。その居合道で、模造刀は使われる。

「まあ、居合道に使うのはもっと上等な模造刀だろうけど」

 一万円以下という「鉛刀」の模造刀は玩具だろう。こんなにもボロボロな刀を武道で用いるはずがない。柄巻きもボロボロで、それに……。

「あれ?」

 その時、僕は違和感に気づいた。そしてもう一度、居合道の試合を思い出す。

「そうだ、そうだよ。『鉛刀』はもう、刀として機能できないじゃないか」

 何を当たり前のことを、とみんなが僕を見るが、違う。そうではないのだ。そもそも、この「鉛刀」に用いられた模造刀には、重大な欠陥がある!

「なるほどね」

 僕は笑みを浮かべる。それを見て一柳さんが苦い顔をした。

「まさかとは思うけど……」

 そう、そのまさかだ。僕は高らかに宣言する。

「この仕掛けは見破った! 関係者を集めたまえ!」

 それを聞いて一柳さんは呆れた様に言った。

「もうみんな集まっているけれど」

 続いて橋本先輩。

「えっと、阿久津も呼んだ方がいいのかな」

「あ、いえ、結構です……」


「それで、どうやって絵を刺したの?」

 そう尋ねる一柳さんに、「ちょっと『鉛刀』を持ち上げてごらん」と促す。

「私、ミステリーのまどろっこしい解決編って好きじゃないの」

 そう言いながらも渋々従ってくれた。が、

「やっぱり抜けないよ」

 刀は金属音を鳴らすだけで、机から一向に離れようとしない。

「そこが、変なんだ」

「変って、何が?」

「何がって」

 今度は僕が柄を握り、そして持ち上げる。

「この音が、だよ」

 チャキ、と音が鳴る。

「一柳さんって、誰かが刀を使っているところ見たことある?」

「え? 実際にはないかも。ドラマとか、アニメとかなら見るかな」

「そう、それだ。それこそが僕達の認知を歪めているんだよ」

「どういうこと?」

「いいかい、一柳さん。本当の日本刀は、こんな音鳴らないんだ」

 そしてもう一度チャキ、と鳴らす。

 それは僕達にとって寧ろ聞き覚えのある音だ。テレビに映る侍は、「チャキ」「じゃきん」と金属音を立てて刀を握る。それはきっと演出で、装飾なのだ。

 僕達は日本刀など普段目にしない。だから、テレビから聞こえるその音を、本物だと思ってしまう。

 だけど、実際は違う。居合道の試合を見た僕は知っている。鯉口を切る時も、柄を握る時も、刀を振り切ったその時でさえ、風を切る音の他には、一切の音は鳴らなかった。

「まあ、当然といえば当然だよね。だって、刀から金属音が鳴っているってことは、どこかが緩んで、金属と金属がぶつかり合っている証拠だから。そんな緩んだ刀、斬り合いで使う筈がない」

 だから、日本刀からは音は鳴らないのだ。

「でも現に今、『鉛刀』からは鳴っているじゃないか」

 反論するように橋本先輩が僕に言う。それこそがトリックの肝なのだ。

「そう、鳴っているんです。つまり、どこかが緩み、金属同士がぶつかり合っているってことです」

 この刀は安物。一年で激しく劣化している。緩みもするだろう。では、どこが緩んだのか、どこがぶつかり合っているのか。

「この金属音は『鍔なり』というんです。見てください。鍔が固定されていません」

 刃と柄を隔てている円盤状の鍔を掴んで少し揺らすと、金属音が鳴る。それを聞いて橋本先輩が尋ねた。

「じゃあ、鍔に開いた穴が緩んでいたってことか?」

「それもあると思います。でも、もっと大きな原因があるはずです」

 鍔なりの原因。鍔自体の緩みと、

「日本刀の構造をご存じですか?」

「いや、詳しくは知らない」

 僕は記憶を漁りながら説明していく。僕自身それほど詳しくはないので簡略化してしまうが、概ねは合っているだろう。

「日本刀は大きく分けて、刀身、鍔、柄に分けることができます。刀身は刀の本体、刃のついた金属です。鍔は円盤状の金属板で、刀身と柄を隔てます。柄は持ち手ですね。そして当然これらは別々のパーツで構成されています。

 そして刀身には、柄に収まる部分があるんです。組み立てる時はその部分を柄に差し込むのですが、ただ差し込んだだけでは外れてしまう。そこで、刀身には小さな穴が開いているんです。そして柄にも小さな穴が開いています。刀身を柄に差し込んだとき、ぴったりと穴が重なる位置に、です。

 その穴に目釘という木の棒を差し込みます。この目釘によって刀身と柄は完全に固定されるというわけです」

 僕は手招きでみんなを呼び寄せ、柄に注目させた。安物の模造刀とはいえ作りは同じ。柄には目釘が存在していた。

「恐らく、鍔なりが発生していた原因は、これです。本来、しっかり柄と刀身を固定しているはずの目釘が緩み、刀身が不安定になって鍔とぶつかっていたのでしょう」

 つまり、と僕は目釘を軽く押した。予想通り、少し力を加えただけで目釘は外れてしまった。目釘がしっかり機能していたのなら、あり得ないことだ。それこそ試合で用いるような刀であれば、目釘を外すだけで時間が掛かるだろう。

「『鉛刀』の目釘は外れました。つまり、今、柄と刀身を固定しているものは何もありません。柄が外れれば、鍔だって外れます」

 つまりこれで、カンバスの穴を貫通できない物は、全て取り除くことができるのだ。僕は柄を握る。

「ちょっと待ってよ」

 しかしそこで橋本先輩が止めた。

「刀身だけにしてからカンバスを突き刺したっていうのは面白いけど、でも、よく見てくれよ。カンバスの穴は刃の大きさぴったりに開いている。柄と鍔を外したら確かに細くはなるけど、それじゃあまだ不十分だ。柄に隠れている部分は、刃より倍は太いんだから」

 ごもっともだ。

「でも、だったら」

 僕は柄を持ち上げる。

「研いでしまえばいい」

「これは……!」

 柄を外し、露わになったその刀身。それは研がれており、細く鋭い刃になっていた。

「福浦先輩は刀身の両側……柄で隠れるその部分すら刃にしてしまったんです」

 当然刃といっても波紋もついていない不格好なものだ。だけど、見た目など関係ない。刀の本質は凶器。突き刺せるのならば、それでいい。どうせ柄で隠れてしまうのだから。

 目釘を外し、柄と鍔を取り除く。刀身だけになった刀にカンバスを貫通させ、また元に戻す。五分で充分可能だ。

「これが、五分の間にカンバスを突き刺したトリックです」


「それにしても、福浦先輩はどうしてこんな作品を残したんだろう」

 橋本先輩は不思議そうに見つめた。

「刀身の裏側に刃をつけるなんて大変だろうに。なんでわざわざこんなことを……」

 疑問はもっともだろう。「鉛刀」を作った福浦先輩は、態々こんなトリックを用意する必要などないのだ。机に置かれたカンバスを突き刺したいのならば、普通に突き刺せば良い。

 だが、

「でも、やっぱり『鉛刀』にはトリックが必要だったんです」

 なぜなら、この作品はトリックを含めて一つだから。

「まさか、福浦先輩の意図もわかったの?」

 一柳さんが僕に尋ねる。

「まあ、こればっかりは推測になっちゃうけど」

 僕は「鉛刀」を見つめる。机に刺さった日本刀。接着され、固定された剣。

「一柳さん、『刺さったまま抜けない剣』って、聞き覚えない?」

「抜けない剣?」

 彼女は少し考え、はっとしたように呟いた。

「エクスカリバー……」

 僕は頷く。エクスカリバー。アーサー王伝説に登場する、選ばれし者にしか抜けない剣。厳密に言えば選定の剣はエクスカリバーではないらしいが、そんなことはどうでも良い。

「相応しい者を選定する伝説の聖剣。きっと福浦先輩は、その伝説を参考にしたんじゃないかな。上高地先輩とは違って、福浦先輩は才能を発揮できなかった。だから『自分には抜けない』という自虐を込めて、決して抜けない剣を作ったんだ」

 だから抜けない。抜けてはいけない。机に接着された刀の完成だ。

「……でも、ならどうして上高地先輩の作品を刺したの? やっぱり、嫉妬?」

 僕はかぶりを振る。恐らく、これは嫉妬などではない。

「多分、『鉛刀』ってタイトルにその謎は隠されているよ」

「『鉛刀』?」

 鉛刀と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。僕は真っ先に、とある四字熟語を思い出す。

「鉛刀一割って知ってる?」

「鉛刀、一割?」

「そう。鉛の刀で一度割く、で鉛刀一割。切れ味の悪い刀でも、一度なら物を断ち切ることができる、って意味だ。つまり凡人でも才能を発揮できることの例えだね。福浦先輩は、この四字熟語も込めて、『鉛刀』を作ったんだと思うよ。

 自分は刀を抜けるような逸材ではない。だけど……確かに抜けはしないけど、それでもお前の絵を断ち切ることができるんだぞ、お前の才能に一太刀浴びせることはできるんだ、っていうメッセージだと思う」

 それが小細工だとしても、回り道だとしても。それでも確かに「鉛刀」は上高地先輩の作品を貫いた。そして今日に至るまで、その謎は秘められたままであったのだ。福浦先輩は確かにその凡才で、上高地先輩の才能を突き刺した。

 だからこそ、あの仕掛けは必要なのだ。普通に突き刺しては駄目なのだ。抜けない剣を、それでも使ってこそ、「鉛刀」の価値がある。

「そうか……それで『鉛刀』」

 橋本先輩はまじまじと見つめる。

「でも、どうして阿久津はこの仕掛けを知っていたんだろう」

 それについても、推測ができる。

「もちろん、偶然知ったとか、自力で辿り着いた可能性もありますが、恐らく、福浦先輩から直接教えてもらったんだと思います」

「福浦先輩が直接? 他の誰にも教えなかったのに……」

 どうして、と言いかけ、橋本先輩は言葉に詰まる。そうだ、その理由は誰より橋本先輩が知っているはずだろう。

 上高地先輩の才能に敗北した福浦先輩。そして、阿久津先輩もまた、橋本先輩の才能に敗北した人間だ。

 「鉛刀」は福浦先輩の自虐と野心が込められているけれど、それだけではないだろう。この世界の、全ての平凡なる人間へと向けた、慰めと励まし。それが「鉛刀」であるはずだ。

 だから、同じ苦痛を持つ阿久津先輩にだけは打ち明けたのだろう。「お前だって一矢報いることはできる」と、そう慰めたのだ。

 それに気づいたようで、橋本先輩は何も言わず、ただ軽く拳を握っていた。

 ……ところで、鉛刀一割という四字熟語には、実はもう一つの意味がある。

 鉛の刀でも、一度ならば物を切ることができる。だが、それは言い換えてしまえば、なまくら刀はたった一度しか役に立たない、ということだ。凡庸な才能は、たった一度しか通じない。これが鉛刀一割の二つ目の意味である。

 「鉛刀」は確かに天才達に一太刀浴びせた。一度は謎を秘めたままカンバスを貫いたのだ。だがそれだけだ。二度目は、僕が謎を解いた。

 その名の通り、「鉛刀」はたった一度で折れてしまうのだ。


 美術部の事件から数日。探偵の役割は謎を解くところまで。その後美術部がどうなったのか、橋本先輩と阿久津先輩の間で何があったのか、僕は知らない。

 ただ、阿久津先輩が美術部を退部したと、風の噂で耳にした。橋本先輩が責め立てて追い出したのか、阿久津先輩が自ら辞めたのかはわからない。

 だが、真相解明の後で美術部に関与したことが一つだけあった。橋本先輩から「この事件のことは黙っていてくれないか」と頼まれたのだ。

 理由は「鉛刀」という作品が犯行に用いられたからだろう。柄に隠れた刀身は研がれており、それはもう立派な凶器だ。もしもこの事件が教師に知られてしまったら、作品を作る際、模造刀をモチーフにした作品の禁止は勿論、他にも様々な制限を課されてしまうかもしれない。

「作品に罪は無い。僕たち美術部は、これからも自由に作品を作りたいんだ」

 そう言って橋本先輩は頭を下げた。確かに制限下で作る作品ほど退屈なものもないだろう。僕にも橋本先輩の気持ちは少しわかる。そして、僕は探偵ではあるが、手柄を自慢して回るような趣味はない。僕は橋本先輩の頼みを受け入れたのだった。

 とはいえ、カンバス貫通事件の噂は既に、自然と校内に広まりつつあった。誰が漏らしたのかわからないが、奇妙な事件だった故に広まってしまうのは仕方がない。

 そう思った時だった。

「後は私に任せて」

 と、一柳さんが名乗り出た。彼女は得意の怪談話として、少しずつ内容を変化させて事件を伝えていった。その奇妙な話は関心を引き、噂として伝えられていく。その途中、盛られ、削られ、捻れてしまう。

 その結果、美術室の事件は「カンバスを貫いたトリックの謎」から、「美術室に住まう、武士の怨霊」という怪談話へと変貌してしまった。その様子を見て、一柳さんは「目論見通り」と笑っていた。おそるべし。

 事件は解決。僕は探偵として、謎をまた一つ解決したのだった。

 そう、解決はしたのだけど。

「……もっと、早く解けたはずだったのに」

 僕は文芸部の部室で愚痴を溢した。また? と一柳さんが呆れた目で僕を見る。

「だって、僕は居合道の試合を見ていたんだ。始めに『鉛刀』を握って音を鳴らした時、気づけたはずなんだ」

「でも、最後には解けたよ」

「そんなことを言ったら、あんな謎、いずれ解けたよ。詳しく日本刀を調べれば、誰でもたどり着けた真相だ」

 名探偵であれば「鉛刀」を握らずとも、「ああ、分解したんだな」と察することだって可能だろう。それに比べ、僕の鈍さといったら。

 それにしても、選ばれし者にしか抜けない剣か。もしも、名探偵にしか抜けない剣があったとして、果たして僕にそれを抜くことができるだろうか。

 ちなみに、「鉛刀」は流石に危ないので橋本先輩が分解して処分したようだ。模造刀の接着も剥がし、抜けないはずの剣を抜いたらしい。僕はその話を思い出し、苦笑する。

「あの伝説の剣を抜いたのは、結局才能溢れる橋本先輩だった。伝説の通りだ」

 だけど、僕の話を聞いて、一柳さんはいたずらに笑った。

「あの剣を抜いたのは才能溢れる人、というのには賛成だけど、それが橋本先輩だとは限らないと思うの」

「? どういう意味?」

 一柳さんは僕をじっと見つめて笑った。

「『鉛刀』が分解されたのは……あの剣を抜いたのは、謎が解けたからでしょ? だから、きみが抜いたんだよ。きみが、伝説の剣を抜いたの」

 でしょ? と彼女は僕に問い掛ける。

「石澤くんは、謎に対する情熱なんて意味ないって言っていたけど、私はそうは思わない。どんな記憶力より、どんな洞察力より、どんなひらめきより、私は謎に対する熱意こそ、探偵に一番必要だと思う」

 ……探偵に一番必要な才能。僕はまだ、それが何か確信を持てない。けれど、確かに謎への執着だって必要かもしれない。

 だって、僕の周りに僕よりも頭の良いヤツなんて沢山いて、彼らが本気で謎を解こうとしたら敵わないかもしれないけれど、それでも、今この学校における探偵は僕なんだ。紛れもなく、僕だけが探偵なんだ。

「きみは、探偵の才能をもっているよ」

「……そういうことにしておくよ」

 僕は彼女の言葉を素直に受け取ることにした。僕の一番の宿敵が言うのなら、間違いないだろう。

 僕は探偵。誰も解かないなら、僕が解く。たった一つ僕が持つ才能で、いつか伝説の剣すら抜いてみせようじゃないか。

「そう。きみには、最高の探偵でいて欲しいの。きみを倒して、幽霊の存在を証明するんだから」

 バカを言え。僕は探偵らしく、自信に満ちた顔で彼女に言う。

「それは無理だね。僕が真相を解明してしまうから!」

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