第2話 開かずの教室

 入学して約一ヶ月。高校生活にも順応してきた。授業の内容は当然違うけれど、しかしシステム自体は中学と同じだ。僕はそこまで混乱することもなく、高校生活を送っている。

 しいて言えば、オカルト好きの邪魔者に困っているけれど、しかし彼女との対決も日常となってきた。

「失礼します」

 放課後、僕は職員室を訪れた。別に呼び出されたわけではない。これも日常。部室の鍵を借りに来たのだ。

 僕は鍵の保管庫へと向かう。保管庫は職員室の奥の壁に備え付けられており、前に立つと左側に壁があって少し窮屈だ。

 右開きに扉を開ける。するとそこには学校中の鍵が並んでいた。上から、一階、二階、三階、四階と、列ごとにきちんと分けられている。

 僕は文芸部。そして文芸部の部室は二階にある。上から二番目の列から鍵を取った。部室として使用される教室は、主に二階と三階の特別教室だ。そのため放課後の今、二列目と三列目の鍵は多く貸し出されていた。

 反面、四階の鍵は綺麗に全て残っている。四階の特別教室は進路指導室や資料室ばかりで、部活動に使用できる教室ではないのだ。

 僕は保管庫の扉を閉め、職員室を出た。文芸部の部室を目指し、二階に上がる。

 そこで

「あ」

 一人の少女と出会った。オカルト好きの、少女。彼女は僕に微笑んで

「やっほ、石澤くん」

 と言った。

 一柳瞳。僕と同じ高校一年生。オカルトマニアで、全ての謎を幽霊の仕業と考えている。僕が必死に謎を解こうとしている時に、横から必ず「それは幽霊の仕業よ」と口を出してくる、僕とはまるで正反対の人間だ。

 そんな彼女もまた、僕と同じ文芸部。そして現在、文芸部は僕と一柳さんの二人だけだった。

 いわば商売敵である彼女と、どうして二人で文芸部に入っているのか、というと、これには深い理由がある。

 正直、僕は探偵部に入りたかった。教室の一つを探偵事務所として構え、学校の難事件を解決するのだ! ……とはいえ、そんな部活が学校に存在するはずもなく、仕方無く文芸部で妥協したのだ。推理小説は好きだし、何より文芸部は去年三年生が卒業してしまい、部員がゼロ。つまり部員は僕一人だけで、文芸部を実質的に探偵部に変更してしまうことだって可能なのだ。この部室は最早、僕の探偵事務所である! そう思っていた。

 しかし、全く同じ考えの人間がもう一人。

「あれ、きみも文芸部なの? 残念。ここを霊能事務所にできると思ったのに」

 これが一柳瞳との出会いだった。以後、文芸部部室は探偵事務所でもなく、霊能事務所でもなく、ただの読書スペースと化していた。……いや、本来それで正しいのだけれど。

「ねえ、石澤くん。幽霊はどうやって誕生すると思う?」

 部室に向かう途中、突然一柳さんはそう訊ねた。僕はさあ、と適当に返事をした。

「あのね、まずは感情を残すこと。当然かもしれないけれど、元となる怨念が存在しないことには、幽霊は生まれない。だから強い恨みや、激しい後悔が必要なの」

「ふうん」

 まあ、この世に未練が無いのなら、幽霊になる必要もない。もっともな話だ。僕は彼女に続きを促した。

「うん、じゃあ次。負の感情が幽霊の元となる。……けれど、それだけじゃ駄目。直ぐに消えてしまう。重要なのはその次なの。いい? 発生した幽霊は噂されなきゃいけないの」

「噂?」

「そう、噂。その幽霊の話は広まらなきゃいけない。噂として、怪談として、多くの人に語り継がれて、多くの人の恐怖を煽る必要があるの。そうしてみんなを恐怖させて、その恐怖が幽霊の力を強くする。……負の感情が、ただの怨念に実体を与えるの」

 その結果、幽霊が誕生する、と。確かに、「神が死ぬのは、人々に忘れられてしまった時」と何かで読んだ気もする。まあ神と幽霊だから、多少違うのかもしれないけれど。

「怨念の発生と、噂の普及。どちらも欠けてはいけないの。どんなに強い恨みがあっても、噂にならなければ消えてしまう。どんなに噂が広まっても、元の怨念が無ければ霧散してしまう」

 面白いでしょう、と彼女は僕に微笑んだ。

「うん、まあ、面白いとは思うよ。作り話として」

 少し含みのある言い方をした。一柳さんもそれに気づいたようで、拗ねたようにそっぽを向いた。そこで部室に到着し、鍵を開ける。

 ミステリーオタクの僕と、オカルトマニアの一柳さん。僕は、全ての事件には犯人がいて、全ての謎は解けると信じている。しかし一柳さんは違う。オカルトを信じ、謎を謎として楽しんでいる。

 そんな僕達の話が噛み合う筈もない。僕と彼女は事件の真相を巡り、ミステリーとオカルトの代理戦争に身を投じているのだった。


 文芸部の活動内容。それは今のところ「読書」しかない。運動部が汗水垂らして走っている今、こんなに怠けていいのかと思うけれど、他にすることなんてない。

 というわけで、今日も僕達は静かに本を読んでいる。

 その時、一柳さんが顔を上げた。

「そういえば、石澤くん。久瀬高校の七不思議って知ってる?」

「さあ。知らない」

 知るわけがない。僕はオカルトに興味なんてないのだ。

 やっぱり、と言うと彼女は手物の本を僕に見せた。それをよく見ると、本というより古い冊子だった。一柳さんは微笑んで、

「これは久瀬文集。文芸部が出してる文集だよ。バックナンバーがそこの段ボールの中に入ってたの」

 そんなものがあったのか。知らなかった。文芸部が出している、ということはいずれ僕達も出すのだろうか。面倒だな。

「それでね、これ見て」

 彼女は冊子を回転させて、僕に見せる。そこには「久瀬高校・七不思議」なるものが書かれていた。

「ふうん。これがどうしたの?」

「うん。七不思議の、その一見て」

「その一?」

 僕は冊子に目を落とす。


 久瀬高校・七不思議:その一 端の教室

 久瀬高校の最果てに存在する教室をご存じだろうか。最上階の一番奥に存在するその教室には、幽霊が出るという噂がある。その霊の正体とは、「やつねちゃん」なのである!


 読み終わって、僕は思わず呟く。

「……なんというか、芸の無い怪談だね」

 学校の怪談なのだから、もっと学校特有の要素が欲しい。それに「霊が出た」だけなんて単純過ぎないだろうか。まあ、学校の怪談なんてこんなものか。そう思っていたのだが。

「単純ってところに、寧ろリアリティを感じない?」

 彼女はそう笑った。

「感じないよ。七不思議なんて作り話でしょ?」

「それが、そうでもないかもよ。四階の教室、知らない?」

「四階の?」

 我らが久瀬高校は四階建て。つまりは最上階にある教室のことを指しているのだろうが……。

「ああ」

 そこで僕は思い当たった。我らが久瀬高校の校舎はL字型。一般教室は長い棒の方に、特別教室は短い棒の方に配置されている。四階の、特別教室が集まった校舎の突き当たりにある小さい部屋。

「あの部屋がどうかしたの?」

 僕は少し緊張して彼女に尋ねた。

「あの部屋は、『開かずの教室』って呼ばれていてね。誰も中に入れないの」

 開かずの教室、ね。

 僕はすぐに、

「そもそも、四階の特別教室はどこも鍵が掛かっているじゃないか」

 と反論した。職員室でも見たが、四階の鍵は一つも貸し出されていない。彼女は頷いて、

「そう、鍵が掛かっているのは普通。妙なのはここからなの」

 彼女は少し前のめりに、「開かずの教室」について語り始めた。纏めると次のような話である。

 つい最近、悪戯で「開かずの教室」に入った生徒が叱られたらしい。鍵の無断借用、勝手な侵入だったため、叱られるのは仕方がないだろう。

 しかし、教師陣は必要以上に叱ったようなのだ。それは生徒指導室の外から聞いても、明らかに異常だと感じる程に。

 さらに、とある部活動が部室として使用したい、と教師に申請した時も、断固として使用許可を出さなかったらしい。その教室は空き部屋。断る理由もないはずだ。それなのに、どの先生に尋ねても、ばつの悪そうな顔をして首を横に振るのだった……。

「理由を聞き出そうとした生徒もいたそうだけど、それすら教えてくれないそうよ」

 ね、不思議でしょ? と彼女は僕に言った。

「どうかな」

 けれど、僕には不思議には思えなかった。

「だって無断で侵入したら、そりゃあ叱られるよ。過剰に叱られたっていうのは、『こんなに怒らなくてもいいのに』っていう、生徒側の嘆きじゃない?」

「……じゃあ、部室の使用許可が出ないのは?」

「そもそも部室の貸し出しは断られることも多いよ。それに、あの部屋は部室にするには少し狭い。だから断ったんだと思うよ」

 しかし、彼女は納得していない様子だった。

「でも、あの部屋では幽霊の目撃情報だって多いの。やっぱり、七不思議の通り『やつね』の幽霊が出るんじゃない? だから使用許可が出ない、とかね」

 それを聞いて、

「幽霊の、目撃情報……」

 僕は小さく呟く。

「石澤くん?」

 彼女は不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。いつもなら霊の存在を即座に否定するので奇妙に思ったのだろう。僕は肩をすくめて言った。

「呆れて何も言えなかったんだよ」

「そう」

 彼女は少し残念そうに言って、そのまま手元の本に視線を落とした。さらりと流れた長い黒髪を、そっと耳に掛けている。

 こうして黙って本を読んでいる様は、悔しいけれど画になる。一柳さんの髪は美しい黒色で、長く伸びている。それにも関わらず艶やかで、乱れた髪は一本も見当たらない。よく手入れされているのだろう。

 そして顔は小さく、目は細く、唇は薄い。派手さはないけれど、端正な顔立ちと言えるだろう。まさに和風のお姫様や、日本人形のようである。

 ……と、素直に褒められたら良かったのだけれど、オカルト好きという特徴の所為で、幽霊みたい、という感想が先行してしまうのが、非常に残念だった。


「鍵と言えば」

 一柳さんは突然思い出したように言った。

「奇妙なことがあったの」

「奇妙なこと?」

 僕は少しウンザリした。またオカルト話だろうか。議論は少し疲れるので勘弁してほしいのだが。と思ったが、しかし今回は違うようだ。

 彼女はオカルトを語るとき、何かを秘めた妙に威圧感のある目をする。だが今はそれを感じない。純粋な悩みなのだろう。僕は素直に彼女の話を聞いた。

「少し前の話なんだけど……。ねえ、鍵を借りたのに、使わないことってあると思う?」

「借りたのに使わない? 普通じゃ考えられないね」

 僕は彼女の話を詳しく聞いた。

 僕と彼女は文芸部。今日のように、放課後、職員室へと鍵を借りに行く。相談して決めたわけではないが、鍵を借りに行くのは一日交替の当番制となっていた。

「それで一ヶ月くらい前、入学して部活が始まった頃かな。その日は私が鍵を借りに行ったんだけど」

 職員室の奥にある壁に備え付けられた保管庫。その扉を開けて文芸部の鍵を借りた時、彼女は違和感を覚えたという。

「文芸部の隣に掛けられている筈の、生物準備室の鍵も借りられていたの」

「ほう」

 不思議、という程でもないが、確かに少し妙だ。生物準備室は部室として使用されていない。放課後に貸し出されているのは珍しい。

「でも、その時はあまり気にしなかったの。異常事態って程でもないし、放課後に貸し出されることだってあるかもしれないでしょ? でも、本当に奇妙なのはここからなの」

 文芸部の部室は二階。そして生物準備室も二階にある。文芸部へと向かう際、生物準備室の前を通るのだが。

「その時、生物準備室は鍵が掛かっていたの。そして、中には誰もいなかった」

 貸し出された筈の鍵。しかし、生物準備室には鍵が掛かったまま。確かに少し奇妙だ。僕は少し考えて、

「入れ違いになった、とかは? 例えば、生物準備室に忘れ物をした生徒が鍵を借りて、一分もしない内にまた鍵を閉めた。一柳さんが部室へと向かう時には既に用事が終わっていたんだ」

 しかし、彼女はそれを否定した。

「私も初めはそう思っていたんだけど、でも、数日後にまた生物準備室の鍵が借りられていたの。そして……」

「そして、また生物準備室には鍵が掛かったままだった、と」

 彼女は頷いた。

「それだけじゃないの。その日から少し、鍵の保管庫を注意深く見るようになったんだけど、借りられていた鍵は生物準備室だけじゃなかったの」

 ある日は生物準備室。またある日は技術室。そのまた別の日は視聴覚室……と、様々な特別教室の鍵が借りられていたという。いずれも二階か三階の教室だが、しかし部室として利用されていない教室だ。放課後に貸し出されていること自体が珍しい。

「私、まさかと思って、貸し出された鍵の教室を調べたの。でもね、やっぱり全ての教室には誰もいなくて鍵は掛かっていた」

 貸し出された鍵に、使用されていない教室。しかもたった一度や二度の話ではない。忘れ物、という可能性も低いだろう。

「ね、不思議でしょ? こんなこと、一体……」

 一体どうして、と言おうとしていたのだろうか。しかし彼女は自分の立場を思い出したかのようにハッとして、急いで妖しい眼光をとり戻した。

「……幽霊の仕業ね」

「いや、無理無理」

 僕は思わず吹き出した。しかし、確かに奇妙な話だ。

「一柳さんは、どうしてだと思う?」

 漫然と彼女に尋ねる。すると彼女は嬉しそうな顔で身を乗り出した。なので

「オカルト以外で」

 と釘を刺す。彼女は唇を尖らせて、渋々答えた。

「そうね、鍵は使用されなかった。つまり、別の目的で持ち出されたの。つまり」

 彼女は少し考え、

「わかった。複製を作ろうとした、とか。学校から持ち出して、鍵屋さんに依頼していたの」

 どう? と彼女は得意げに言った。しかし恐らく違うだろう。

「一柳さん。鍵の複製って、どのくらい時間が掛かると思う?」

「え? さあ。どのくらい掛かるの?」

「五分」

「わお」

 一柳さんは驚いたように目を見開いた。

「一柳さん。生物準備室の鍵は少なくとも二回貸し出されているんだよね? それはおかしいんだ。鍵の複製は五分で終わる。一回目の貸し出しで複製は終わるから、二回目に借りる必要はなくなってしまう」

 それに複製を作る意味も不明だ。先生に言えば、自由に借りることができるのだから。

「じゃあ、石澤くんはわかったの?」

 彼女は不満そうに訊ねた。

「ううむ」

 僕は彼女の話を思い出す。鍵は鍵として使用されなかった。では、何に使われたのだろう。解錠の他に、どのような使い道が考えられるだろう。

 しかし、どうにも思いつかない。唯の鉄の塊に、他の用途など見当たらない。

 だとすれば。

「ねえ、奇妙な鍵の貸し出しは、今も行われているの?」

 彼女は首を横に振った。

「ううん。どういうわけか、ちょっと前にぱたりと止んだの」

 ふむ。僕は再度、情報を頭で確認し、そして推理を組み立てていく。

「……なるほど」

 思わず、呟く。

「まさか」

 彼女はつまらなそうに言った。僕が謎を解く時、彼女は決まってこんな顔をする。反対に僕は笑顔になる。

「うん、そのまさかだ」

 僕は胸を張って、堂々と決め台詞を口にした。

「明日、関係者を集めたまえ! 全ての謎を解明してみせよう!」

「……他に誰を呼べっていうのよ」


 翌日の放課後、僕達は教室の前で待ち合わせた。僕は一年五組、一柳さんは一年三組所属でクラスが異なるのだ。

「じゃあ行こうか」

 部屋の鍵を開けるため、僕達は職員室へ鍵を借りに向かった。

「一柳さん、職員室の前で少し待ってて。ちょっと時間がかかるかも」

 彼女はわかったと短く返事をした。彼女を待たせ、僕は職員室の扉をノックする。

「失礼します」

 僕は職員室の奥へ進み、鍵の保管庫を開けて鍵を手に取る。僕は少しほくそ笑んだ。

 では次。僕は少し訊ねたいことがあった。「使われない鍵」の謎には関係がないが、別の謎に関係した話だ。

「あの、すみません」

 教員の机に座る、年老いた教師に声をかける。僕はとある質問をした。そして、

「そうですか、ありがとうございます」

 返ってきた答えに満足し、僕は職員室を出た。

「おまたせ、一柳さん」

「うん、じゃあ、行こう」

 職員室は一階。僕達は階段を上る。

「でも、どうしてわざわざ職員室に一緒に来たの? 二人で鍵を借りに来ることないのに」

 階段で一柳さんが僕に尋ねた。

「だって、どこで会えばいいかわからなくなっちゃうじゃないか」

「え? いつも通り部室で会えばいいのに」

 彼女は不思議そうな顔をした。そして、文芸部のある二階まで上ったところで、一柳さんは階段から離れようとした。

「あ、一柳さん。今日は部室に行かないよ」

 彼女を引き留めると、彼女は目を瞬かせた。

「どういうこと?」

 僕は職員室で借りた鍵を彼女の前で揺らした。

「使用されない鍵の謎を解くんだよ」

 部室の鍵を借りた筈の僕。けれど、文芸部には行かない。一柳さんが体験した状況と同じだ。一柳さんは納得したように、階段へと戻った。

「それで、どこに向かうの?」

「それは行ってからのお楽しみ」

 僕達は階段を上っていく。目的地まで暇なので、僕は彼女に推理を聞かせることにした。

「状況を整理しようか。まず、二階と三階にある特別教室の鍵が一日に一つ借りられていた。でも、借りた鍵は使用されることなく、または使用されたとしても一瞬で、一柳さんが見た時には教室に鍵が掛かっていた」

 彼女は頷いた。僕達は三階を通過し、さらに上っていく。

「だから僕は、鍵が鍵としての用途以外で使われたと思ったんだ。じゃあ、解錠以外の用途とは何だろう。何か思いつく?」

 一柳さんは少し考えたが、「わかんない」と言った。

「実は、僕も思いつかなかったんだ」

「そうなの?」

「うん。やっぱり、鍵の役割は解錠だけだ」

 何かあるとしても、わざわざ職員室の鍵を無断で借りるリスクを負う必要はない筈だ。

「だから、僕は前提から見直したんだ。もしかしたら、鍵は鍵としてその使命を全うしたんじゃないかってね」

 階段を上り、僕達は四階に着いた。

「だったら、なんで四階に来たの」

 一柳さんは最上階から階段を見下ろした。

「行けばわかるさ」

 僕は四階を進んで行く。四階に部室は無い。放課後になると随分静かになる。

「どこまでいくの?」

 階下の喧噪から離れるように、長い廊下を進む。目的地は階段からも、エレベーターからも離れている。そして、進むまで進み、

「ここ……」

 一柳さんが声を漏らした。ここは四階の一番奥。そう、

「開かずの教室」

 久瀬高校の最果ての教室だ。七不思議に登場するだけあり、薄暗いその教室はとても不気味に見える。

「でも、どうして『開かずの教室』に来たの?」

 彼女は少し戸惑ったように言った。僕達が追っていた謎は「使用されない鍵」だった筈。「開かずの教室」ではない。

 だが、その二つの謎が一つの事件だったら、どうだろう。

「決まっているじゃないか」

 僕は、ポケットから金属の物体を取り出す。

「鍵を、鍵として使うためだ」

「……!」

 鍵は鍵穴にしっかり収まり、パチンという小気味良い音が鳴る。

「彼等が借りていたのは、『開かずの教室』の鍵だったんだ」


「ちょっとまって。借りられていたのは、間違いなく二階と三階の鍵。四階の『開かずの教室』の鍵じゃないよ」

 一柳さんはそう言った。しかし。

「職員室の保管庫を思い出してみてよ」

 保管庫の前に立つと左に壁がある。そして保管庫の扉は右開き。

「つまり、左右からの視線は全て防がれてしまう。保管庫で何か細工をしていても、先生は簡単には気づかない」

「細工って?」

「簡単なトリックだよ。まず『開かずの教室』の鍵を取る。そして次に二階、または三階の、部室に使用されていない特別教室の鍵を適当に選び、そして元々『開かずの教室』の鍵が掛けられていたフックに吊すだけ」

 この手順で「開かずの教室」の鍵を借りたのだ。これで二階や三階の教室の鍵を借りたように偽装ができる。

「でも、なんでわざわざそんなことを?」

「そりゃあ、四階の鍵は誰も借りないからね。四階の鍵は大抵全て揃っている。一つでも欠けていたら目立つでしょ。でも、二階と三階の鍵は、部室として多くが貸し出されている。一つ無断で借りたとしても、詳しく見ない限りバレないんだ」

 なるほど、と一柳さんは頷いた。

「でも、一回や二回ならまだしも、何度もやったら流石にバレない?」

「うん。バレるね。だから叱られたんじゃないか」

「あ」

 彼女は小さく声を漏らした。そう、一柳さんが言っていたのだ。つい最近、「開かずの教室」に侵入して叱られた生徒がいたと。恐らく、その叱られた生徒と、鍵の偽装を行った生徒は同じだろう。

 そしてここで新たな疑問。

「じゃあ、どうして彼等はそんな偽装をしてまで『開かずの教室』の鍵を借りたのか。この部屋に何があるのか。その答えを今から調べよう」

「『使われない鍵』と『開かずの教室』。やっぱり、この事件はオカルトと繋がっていた。……全ては、幽霊の仕業ね」

 一柳さんは少し楽しそうに言った。「開かずの教室」は久瀬高校七不思議の一つ。確かにオカルトに関係はしているが……しかしその正体はどうだろう。

 僕は教室の扉を開ける。実際に入ってみるとやはり狭い。教室というより物置ではないだろうか。カーテンは開いているが、日も落ちてきて少し暗い。僕は電気を付けた。

 一柳さんは教室を見回して、

「ここに来る理由、ね。肝試しかな?」

 と尋ねた。

「多分違う。肝試しだったら、何回も訪れているのはおかしい」

「そう? 何度だって行きたいけど」

 そんなの一柳さんだけだ。

「それと、ここに幽霊は出ないよ」

「え?」

 僕は断言した。根拠はきちんとある。

「職員室に行った時、大河原先生に訊いたんだ」

「大河原先生に?」

 大河原先生は、我らが文芸部の顧問教師。穏やかで優しい先生だ。大河原先生は教員生活三十五年、定年の近いおじいちゃん先生だった。その上、久瀬高校出身。つまりこの久瀬高校の事情に詳しい筈だ。

 当然、教員には異動がある上に、我が高校は七十年以上の歴史を持つため、全てを知っているわけではないだろう。

 しかし三十五年も十分な年月である。そして異動するとはいえ、同じ県の教員同士には交流がある。もし何か事件でもあれば確実に耳に入っているだろう。母校の情報ともなれば尚更だ。その大河原先生に、「開かずの教室」のことを訊いたのだ。

「まずは使用禁止の理由。大河原先生に訊ねてみたよ。そしたら、やっぱり教えてくれなかった。困ったように口籠もっていたよ」

「不思議ね。やっぱり幽霊が出るからじゃない?」

「だから違うって」

 僕は苦笑してかぶりを振った。

「その後、僕は訊いたんだ。『開かずの教室で何か事件がありましたか?』って。そしたら大河原先生は断言したよ。この教室では何も起こってないってね」

「……」

 昨日、一柳さんは言っていた。幽霊が発生するためには二つ条件がある、と。一応、彼女に確認する。

「確か、元となる怨念の存在が、霊の発生条件だったね」

「覚えていたんだ。これからも覚えておくといいよ」

 彼女はそっぽを向いて言った。

「とにかく、この教室には何の曰くも無い。つまり、七不思議は作り話だよ」

 はいはい、と彼女は諦めたように返事をした。

 ……ただ、これは彼女にわざわざ言わないけど、しかし疑問もある。

 大河原先生は教員生活三十五年。しかし久瀬高校は七十年の歴史がある。だとすれば、断言できたのは妙ではないだろうか。

「あの物置では何も起こってないよ。うん、絶対」

 こんな具合に、大河原先生は強く断言した。そのことには少し違和感を覚えた。

 だが、新聞や文献を漁れば簡単に調査できることでもある。大河原先生が久瀬高校の歴史全てに精通していても変ではない。

「まあ、この部屋に霊はいないってことだ」

 だから僕はこう結論づけた。この教室じゃなくても霊なんて存在してないけどね。

「じゃあ、どうして使用禁止になっているの? 鍵を借りた人は何故この部屋に侵入したの?」

 彼女は呟いた。この件がオカルトに関係ないと判明しても、謎は謎。一柳さんも不思議に思っているようだ。

 僕は教室を見渡す。狭いという点以外に、何も特筆すべきものはない。しいて言えば、使用禁止されている割に壁が汚い。勿論、血しぶきなどではなく、ただの黄ばみと黒ずみだ。あとは落書きがちらほら。相合い傘などの定番なものだ。

「幽霊の正体もこれかもね」

 汚れを指して、僕は言った。

「幽霊の正体って?」

「この教室で霊を見たって人が沢山いるって言ってたでしょ? 多分、この汚れが幽霊に見えたんだよ」

「それはさすがに強引だと思う」

 そうだろうか。

「どの時間帯に幽霊を目撃した人が多い?」

「それは夕方かな。放課後に一人でここに来た時、教室の窓から幽霊を見たって報告が多いの」

 やっぱり。僕は満足して頷く。人の視力は黄昏時、にわかに衰える。要因は様々で、一日の眼精疲労、明暗の急激な変化などが挙げられる。実際に薄暮時間帯は交通事故が多い傾向にあるのだ。

「元々、七不思議のせいで『ここには幽霊が出るかも』って思い込みがある状態だ。目の疲れが溜まった夕暮れ時に、壁の汚れを幽霊だと錯覚しても不思議じゃない」

「そうかな」

 彼女は納得していないようだったが、僕は強引に結論づけた。

「とにかく、やっぱりこの事件はオカルトじゃない。じゃあ、封鎖されている理由はなんだろう。どうして隠れて侵入する生徒がいたんだろう」

「石澤くんはわかったの?」

「まあね」

 彼女は僕の言葉を聞いて、少し頬を膨らませた。

「私、真相をもったいぶる探偵って嫌い」

「わかったよ」

 僕は苦笑した。もったいぶったつもりはないが、少々余計な話が多かった。僕は推理を彼女に説明した。

「僕が始めに疑問を持ったのは、一柳さんの話だ」

「私の?」

「そう。『開かずの教室』に勝手に入って、叱られた生徒がいたって話したでしょ? その時、外から聞いてる人間からしても、先生は過剰に叱っていたって言ってたよね?」

 彼女はこくり、と頷く。

「でも、それは叱られた側の意見だって、石澤くんが否定してたじゃない」

 そう。そもそも、無断の侵入は叱られて当然。過剰も何もないだろう。

「でも、その言葉の意味が違うんじゃないか、って考えたんだ。過剰だと感じた理由に、正当性があったと仮定したら?」

「どういうこと?」

 過剰に叱った。それはどういう意味だろう。強く叱った、と普通は考えるだろう。しかし、もう一つの考え方もできる。「強く」ではなく「多く」だとすれば。つまり、

「厳しさが過剰だったんじゃなくて、罪状が過剰だったんだ」

 外から聞いている人間は、「勝手に侵入した」から叱られていると思っていた筈。だが、聞き耳を立ててみると、どうやら侵入だけではなく、それ以外のことで教師は怒っていた。

「だから、異常だと感じたんだ。つまり、生徒が叱られていた本当の理由は『侵入』じゃないんだよ」

「じゃあ、本当の理由って?」

 僕は教室を見渡す。

「この教室は四階の一番奥。三階からの階段もエレベーターも近くになくて、そもそも四階の特別教室は部室に使用されていない。放課後は誰も来ないんだ。さて、そんな人の気配が無い教室で何をしていたのか」

 僕は壁を指し示す。そこには落書きされた、剛くんと結奈ちゃんの相合い傘。

「見て。ラブラブのカップルがここに来ていたようだね」

 続いて、壁の少し上、黄ばみと黒ずみを指す。

「これは、煙が汚れとして付着しているね。ヤニ汚れって言うんだけど」

 そこまで言って、一柳さんは察したようだ。

「なるほど、呆れたものね」

「全くだ」

 僕は苦笑して、言った。

「つまり、不良行為だね」


 この教室には目が届きにくい。だからこそ使用が禁止されているのだ。先生が理由を教えないのも当然だろう。理由を話すということは、「『開かずの教室』は不良行為に最適です。どうぞお使いください」と言ってしまうようなものだ。

「七不思議も、不良行為の防止で作られたのかもね。幽霊が出る不気味な教室で、誰も不良行為を働こうなんて思わない。それどころか四階に近づく人すら減る。そう思って生徒会か風紀委員が広めたのかも」

 あの七不思議は出来が悪かった。不慣れな人間が作ったからかもしれない。

 まあ実際は、怪談の人避け虚しく不良行為が行われてしまったわけだが。恐るべし、怖い物知らずの高校生。

 隣で、一柳さんがため息を吐いた。

「もう、出よう。こんな面白くない教室」

 オカルトではないと判明し、一柳さんはこの教室への興味を完全に失ったようだ。

「ああ、そうだね」

 悪事を働く気はないけれど、この教室で男女二人きり、というのもなんだか居心地が悪い。僕は最後に教室を見渡した。

「……!」

 その時、視線を感じた。

「どうしたの?」

 一柳さんがその細い目を、更に細めて僕の顔を覗き込む。

 でも、僕は答えることができない。僕は「あるもの」を見てしまった。そして、僕は恐怖した。膝が震える。

 その瞬間、教室の外から、異常な速さで、足音が近づいて来る……。

 ……といっても、心霊的な何かに対する恐怖ではない。もっと、現実的な、身に迫った恐怖。

 僕が目撃したのは、校舎だ。我らが久瀬高校の校舎はL字型。開かずの教室は、短い棒の一番端に存在している。そして長棒の方に、人通りの多い一般教室が配置されている。

 つまりこの教室からは、L字の長い棒……一般教室の集まった校舎が、斜め前に見える。それは、また逆も然り。つまり、向こう側からこの教室は丸見えだ。

 一柳さん曰く、つい最近この教室に侵入した生徒が叱られたという。教師はこの教室を意識しているだろう。

 その上、僕は調査の為に電気を付けてしまった。鍵の閉まっている筈の教室に、灯る明かり。それはもう、目立つ目立つ。

 僕は一柳さんに短く告げる。

「一柳さん。多分、バレた」

「え?」

 そして意味を理解した彼女が、僕に何か言おうとしたが、それは叶わなかった。そして僕は、自分の推理が完璧だったことをその怒号で知る。

「またこの物置で不純異性交遊ですか! 破廉恥な!」


「私、傷物にされたの」

「へえ」

「きみに、傷物にされたの」

 恨みがましく、目の前に座る一柳さんが僕を睨み付けた。彼女の見た目で凄まれると、本当に呪われるんじゃないかと、ぞくりとする。

 当然だけど、僕は彼女を傷物になどしてはいない。彼女は「開かずの教室」事件のことを言っているのだろう。僕と彼女が不純に交遊したとして、お叱りを受けたのだ。

「先生も誤解だってわかってくれたじゃないか」

 実際僕達は教室に入って調査をしていただけだ。不純でも交遊でもない。

 だけど、立ち入り禁止を無視したことについては何の反論もできないわけで

「まさか、文芸部に入って初めての作文が反省文だとは思わなかった」

 彼女は深くため息を吐いた。原稿用紙一枚。初犯、そして普段の態度を鑑みて、一枚。多いのか少ないのか分からない原稿用紙を、ありふれた反省文句で埋めていく。

 彼女はシャープペンシルを机に転がして遊んでいる。書くことが無くなってしまったのか、彼女は僕の原稿用紙を覗き込んだ。

「ねえ、なんて書いたの?」

「ちょっと。見るのはいいけど、写さないでよ」

「わかってる。……わ、経緯とか事細かに書いてる。きみって案外セコいんだ」

「うるさいなあ」

「でも、いい案。貰っちゃお」

 彼女は残りの半分を埋める作業に入り、集中して作業に取り組み始めた。丁度そのタイミングで、僕の何一つ反省せずにしたためた反省文は完成した。

「やっと終わった」

 集中すればすぐなのだろうけど、彼女と適当に駄弁っていたら、一時間近くかかってしまった。

 と、その時

「今度はオカルトだと思っていたのに、残念」

 ぽつり、と彼女はそう言った。

「だけど、まだあの教室で霊が出ないと決まったわけじゃないと思うの。閉鎖の原因が不良行為だったとして、誰かの怨念が無いとも言い切れないでしょ?」

 彼女は、その細い目で僕を挑発するように、僅かに笑った。

「……ああ。そうだね」

 僕は、彼女に同意した。すると、彼女は少し驚き、目を瞬かせた。しかしすぐに普段の表情に戻り、原稿用紙に目を落とす。彼女は、僕が「真相を解明したのにオカルトにこじつけるな」と反論すると思っていたのだろう。

 僕は、大河原先生が「開かずの教室では何も起きていない」と断言したことに小さな違和感を覚えた。先生が何かを隠している可能性だってあるだろう。彼女の言う通り、あの教室には本当に霊がいるのかもしれないのだ。それに、なにより……

 僕は窓から空を見る。不気味なほどに空が赤く染まっている。あの日、「僕が幽霊を目撃した日」も、こんな風に空は赤かった。

 入学して間もない頃だった。探偵にとって、教室配置の把握は必須である。僕は校内地図を頭に叩き込むため、校内探索に勤しんでいた。そして四階の奥、「開かずの教室」の前に辿り着いた時だった。

 青白い顔をしたセーラー服の少女が、僕をじいっと見つめていた。

 僕はあの逢魔ヶ時の出来事を、眼精疲労による幻覚と推理した。筋は通っている。物理で説明できるなら、オカルトにこじつけてはいけない。だから僕は自分の推理に納得するべきだ。

 でも。だけれども。他でもない僕の記憶が、その推理は間違っていると叫んでいる。だって、あれは確かに人の形をしていた……。

 推理オタクの僕が一柳さんと議論している理由もここにある。もし、僕が本当に幽霊の存在を信じていないのなら、「ふん、霊なんて非科学的な。高等学校に身を置いているにも関わらず、そんな妄想にかまけているなんて、なんて愚かなんだろう」、と一笑に付せばいい。

 しかし、そうもいかない。他でもないこの僕が、幽霊を目撃してしまったのだ。勿論、見間違いだと思う。人の目や脳みそなんて案外当てにならないのだ。

 だけど、もし……。

 想像するだけでゾッとする。

「負けないよ、僕は」

 僕は一柳さんに語りかける。彼女は突然のことに、きょとんとしている。

 長い髪、白い肌、細身の体。まるで幽霊みたいな一柳さん。オカルト好きの、彼女との対決はまだまだ続く。

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