情報体

 リリエの指先が、淡く光る板の表面に浮かんだ「再生」の文字に触れた。

 次の瞬間、画面が数秒暗くなったかと思うと、再び文字が浮かび上がった。

「ふ~ん、何だか映画の題名みたいな形の文字じゃないか」

 ラカニが言うように、画面には「逢引き」と飾り文字のような意匠で書かれている。

 と、ゆったりとした調子の音楽が流れ始めた。

「今の音楽って、この『板』から流れてるのか?」

 ナタンは驚愕した。

 彼の知る「音声を聴く機械」は、金属の粉を吹きつけた帯状の人工樹脂テープや、やはり人工樹脂でできた円盤レコードに溝を彫る形で音声を記録した媒体を専用の機械で再生するもの、あるいは無線通信機ラジオといったものだ。

 いずれも、それなりに嵩張かさばるものであって、目の前にある「板」のどこからどうやって音声が流れてくるのか、まるで想像がつかなかった。

 やがて、画面には、薄暗い部屋の中、長椅子ソファに寄り添って座る二人の若い男女の姿が映し出された。

「動いてる……って、この中に『映像』が入ってるのか?! 帝国時代の技術ってのは、とんでもないな……」

 ラカニも、驚いた様子で食い入るように画面を見つめている。

 現代の技術では、動く絵――「映像」を残そうとするなら、人工樹脂でできた帯フィルムにコマ送りの画像を焼きつけたものが主流である。

「こんな小さな『情報体』に、映像と音楽の両方が記録されているということですね。すごい……!」

 リリエも、頬を紅潮させている。

 ナタンたちが再生されている映像に釘付けになっていると、画面の中の男女は抱き合い、口づけを交わし始めた。

「そういえば、題名が『逢引き』でしたね」

 頬を染めながらセレスティアが頷いた次の瞬間、画面は数秒暗くなり、再び光が戻った。

 そこに映し出されていたのは、一糸まとわぬ姿でむつみ合う、先刻の男女だった。

 音楽と共に、二人のなまめかしい声や吐息も再生されている。

 想定外の事態に、ナタンたちは時が止まったかの如く固まっていた。

 数分経って、ようやく我に返った様子のフェリクスが手を伸ばし、画面の隅に浮かび上がっている「停止」の文字に触れた。

 すぐに映像は消え、画面には最初と同じく「再生」「停止」「取り出し」という文字だけが浮かんでいる。

「……び、びっくりしたなぁ、もう……」

 ナタンは動悸を覚えつつ、額に浮かんだ冷や汗か何か分からないものを手の甲で拭った。

 彼も学生時代に、わるぶった同級生が「父の書斎から拝借してきた」という、いわゆる艶本えんぽんに載っている画像を見たことはあった。しかし、動きのある映像は、そんなものと比較にならない迫力があった。

「でもさ、昔の人も考えることは同じってことか。色っぽい内容の映像記録なんて、国によっては持っているだけで犯罪になるけど、見えないところでは流通してるからな」

 ラカニが、照れたように笑って言った。

「ラカニは、そういうやつ、見たことあるの?」

「俺も話に聞いただけで、実物は見たことないよ」

 ナタンに問われ、ラカニは首を横に振った。

「今のって……何なんでしょうか」

 首を傾げるリリエを見て、何故かナタンは焦りを感じた。

 ――もしかして、彼女は勉強ばかりしてきたから、「こういうこと」には疎いんじゃないだろうか……?!

「――生殖行為だな」

 少しの沈黙の後、フェリクスが、ぼそりと無表情に言った。その隣で、セレスティアは気まずそうに顔を赤らめている。

「生殖行為……生物の授業で習いました。この『情報体』には人間の生殖行為が記録されていたということですね」

 リリエが納得した様子で頷いた。

 彼女が深く追求してこないことに安堵して、息をついたナタンだったが、一方で別の可能性に気付いた。

 ――子供の頃から飛び級して大学まで行くような子だし、同い年くらいの友達と「そういう話」もしたことがないのでは……さっきの映像を見ても何も感じないくらいに疎いのかも?!

 一人あたふたしているナタンをよそに、リリエは残りの「板」にも「マナ」を注入して、それらが起動するか調べている。

 長期間放置された為か、「マナ」を注入しても起動しないものが大半だったが、幾つかは「生きている」ものが見付かった。

 映像が収められていると思しき「情報体」は全て集めると結構な数があり、内容は街に戻ってから確認することになった。

「これ、もしかしたら凄い発見なんじゃないか? 『板』も『情報体』も売りに出せば相当な値が付きそうだな。……あ、リリエは研究に使うんだから、売りに出したりしないか」

「そうですね。でも、今回の発見はラカニさんの協力もあってのことですし、幾つかは差し上げますよ」

 ラカニの言葉に、リリエが微笑みながら答えた。

「まじか……こんな太っ腹な依頼人、そうそういないぜ」

 驚きながらも喜ぶラカニを眺めながら、ナタンも嬉しい気持ちになっていた。

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