四日目

アパートに着くなり、裕太は部屋の隅に雑然と置かれた段ボールを漁り始めた。引っ越してこの方連日の霊障に悩まされ続けたため、荷解きもそこそこに放置したままになっていたのだ。

女は先日視た時と変わらずベッドの脇に俯いている。今のところ大きな動きを見せることもなさそうだ。女の放つ妖気に鳥肌を立てながら、怜も裕太とともに壷を探す。程なく


「あった、これじゃないですか?」


という裕太の声がした。そちらを見ると手に湯呑みほどの大きさの壷を持っている。


「それそれ、それです!」


怜は裕太から壷を受け取るとしげしげと眺めた。

白い陶器でできた、何と言うこともない壷だ。ただし、その口には能力者が印したであろう呪文の書かれた札が貼られている。伊邪那美流のものとはやや異なるようだが、陰陽道の形式に則った呪法のようだ。その呪符が、引っ越しの際に手荒く扱われたのか破れてしまっていた。

そのために、これまで封じられていた彼女の呪詛が再び力を持ってしてしまったのだと考えれば筋が通る。

怜は壷の蓋を開け、中身を確認しようと覗き込んだ。が、壷の口が小さくて何が入っているのかよく分からない。壷を逆さまにして一振り二振りすると、中から何か小さなものが転がり出た。

よくよく観察すると、どうやらそれは人間の爪──それも、指から直に剥がしたと思しき、肉片のこびりついた生爪──の干乾びたもののようだった。


「うわっ……なんだこりゃ。」

それを見ていた裕太が思わず声を上げる。


「……そういうことか、やっと分かった。竹下さんがどうやって彼女の呪詛を防いだのか。」

一方の怜は腑に落ちた様子で独り言ちた。


「どういう事ですか?」

裕太が尋ねる。


「ずっと気になっていたんです。実は竹下さん、裕太さんの守護霊として今もあなたの隣に“居る”んです。」

「……は!?マジですか?」

「はい。でも、彼が彼女の呪詛のターゲットだとすれば、あなたの守護霊になって今そこに居る事はできないはずなんです。呪詛を掛けられた人間は地獄を彷徨うか、さもなければ強い負の念で悪霊になるかのどちらかですから……。」

「そ、そうなんですか……。」

「恐らく竹下さんは彼女の呪詛に気付き、力のある霊能者に依頼して、呪詛をこの壷に封じて貰ったのだと思います。自身の身体の一部を形代かたしろにして。」

「はぁ〜、なるほどぉ。そんな壷を食器棚に置いておいたのか、婆ちゃんは!」

「あはっ。」


笑っている場合ではないが、呪詛を返すことは出来なくても封じることはできるという事だ。ならば怜にもできるかもしれない。

ひとまず、一歩前進した。



節子

十一

「く、うううぅ……。」

激しい陣痛に耐えかねて、節子の表情が苦痛に歪んだ。


──……わたしの分身が、子宮から今まさに生まれ出んとしているのを感じる。自らに課された使命を遂行するために。


……あと少し。


腹の中の塊が、波打つような強い痛みに押されながら、少しずつ産道へと降りてくるのを感じ取り、節子は力を込めていきんだ。

股の間から、血液の混ざった羊水とともに、ずるり、と生暖かいものが頭を覗かせた。

再び三度みたびいきんでそれを出し切ると、節子はまだ臍の緒で繋がったままのそれを手に取り、頬を擦り寄せた。


「生まれてきてくれて、ありがとう……。」


後産を終え、用意しておいた鋏で臍の緒を切ると、節子は赤ん坊を産湯につけて血の穢れを洗い落とした。赤ん坊は逞しい産声を上げている。

流石に体力の消耗が激しい。暫く休憩しよう。

節子は無造作に赤ん坊を自らの胸に引き寄せると、深い眠りに落ちた。


どれほどの時が経ったのか、節子は赤ん坊の泣き声で目を覚ました。

そうだ、わたしはこの子──“わたし”──を生んだのだった。これでようやくわたしの成すべきことを始める準備が整った。まずは一人目……勇にかける呪詛の用意を整えなくてはならない。

節子は徐ろに身を起こし服を着替えると、泣き叫ぶ赤ん坊をお包くるみに包んで左手に抱え、右手にスコップを持ち自宅を後にした。


✻ ✻ ✻


K県K市の路上で二十代と見られる男性の変死体が発見されたのは、それから一週間ほど後の事だった。

同日、K市のアパートの一室で二十代と見られる女性が腹部から血を流し死亡しているのが発見された。

県警は事件と事故の両面から捜査を始めたようだが、さほど珍しくもない小さな事件は暫くの間地元の新聞を賑わすと、やがて紙面から消え去った。

地元の住民も滅多に足を踏み入れない山林で、生まれて間もない乳児と思しき白骨が発見されたのは、それから更に二年の時が経過してからであった。



四日目

ひとまず裕太から壷を預かり受けると、怜はホテルに戻った。あのまま裕太が持っているよりは怜の手元にある方がまだ安全だろうという判断だ。

再び呪詛を封印するための新しい札を用意しなければならない。怜はバッグから和紙と筆を取り出し、高校生らしからぬ達筆な文字で呪文を綴った。

続いて「高橋 裕太」の名を記した人形ひとがたを作り、裕太の髪を包む。竹下の人形ひとがたで爪を包み、ともに壷に入れる。この呪符で壷を封印すれば呪詛を封じられるはずだ。

怜は書き上げた札を慎重に壷の口に巻き付けた。


その晩、怜はまたも寝入り際の金縛りに見舞われた。


──……ほぎゃあ、ほんぎゃあ、ほんぎゃあ……


耳を塞ぎたくなるほどの大音声で、赤ん坊の泣き声が響き渡った。固く閉ざした怜の瞼の奥には、まだ生まれたばかりと思しき新生児が視えていた。赤ん坊の身体は、首のみを出して地中に埋められている。その首を目掛けて女が牛刀を振り下ろすと、赤ん坊の首から鮮血が吹き出した。


『…………ッ!』


怜は思わず固く拳を握りしめた。眼の前で繰り広げられる惨劇から目を逸らしたくとも、視えてしまう。次に視えたのは御弊を振る女の姿だった。祭文を唱える声が聞こえる。


──……ちりぢん 熄滅そくめつ ちりんやそはか ちりぢんそはか ちりちりそはか ちらちらそはか と打って放す……


女が一頻り唱え終えると、いつの間にかその手に握られていた御幣は牛刀に変わっていた。女は手にした牛刀を自らの腹に向け、暫しの躊躇いを見せた後、勢いを付けて突き立てた。女の服がみるみる血の色に染まっていく。


──……我が身を以て 式と為す……


「オン・キリキリ・バザラ・ウン・ハッタ!」


怜の真言とともに、女の気配が掻き消えた。漸く金縛りから解放されると、怜は自らの肩を掻き抱いた。

身体の震えが止まらない。

夏だと言うのに全身に冷や汗をかいている。


──あの女は赤ん坊を使って狗神を作り、呪詛を掛けたのか……。そうして自らの霊魂を賭して自分自身を式神と化したのだ。

……なんという執念だろう。


怜の背筋に冷たいものが走った。彼女の身に何があったのか、その全貌は知る由もない。しかし……並みの呪詛ではない。

不甲斐ないことに、どうやら自分の力では彼女の強い怨念を封じ切るには至らなかったようだ。 


──けれど、どうしたものだろう……。


次の一手を怜は考えあぐねていた。

ひとまず気力を維持しなくては……。

とても安眠できるような気分ではないが、今はとにかく眠ろう。

怜は無理やり目を瞑ると布団に潜り込んだ。

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