二日目
一
とはいえ、一度引き受けた仕事を途中で放り出すわけにもいかない。
昨夜の霊障は結局あれきりだったが、まんじりともせずに一夜を明かした怜は、ともすれば眠りに落ちそうな自分に喝を入れ、再び霊視を試みることにした。
裕太の家に意識を集中させると、ベッドの横に佇む女の姿が視えた。
肩上まで伸びた髪は、どことなくレトロなパーマがかかっている。服装は昭和初期を思わせるワンピースだ。
──あなたは誰ですか?なぜそこに居るのですか?
頭の中で語りかける。
女は相変わらず俯向いたまま微動だにしない。が、今度は微かな反応があった。
──……ミ、ス、テ、ナ、イ、デ
女の声が怜の頭の中に響く。
──……ア、カ……。
そう言うなり、女の下腹部があたかも経血に汚れるかのように真っ赤に染まっていく。
経血ではないと分かるのはその血の量だ。
いつの間にか女のワンピースの裾からひた、ひた、と滴るほどに、鮮血の染みが広がっていた。
震えを抑えながら、怜は再び呼びかけた。
──“アカ”って何?あなたに一体何があったの?
女は徐ろに手を挙げると虚空を指差した。
女の指差す方向に視線を移す。そこには複雑な形に切り抜かれた白い紙切れのようなものが右に左に揺れ動いていた。
あれは──!!
見覚えのあるその形に怜は戦慄を覚えた。
霊視を終えるやいなや、裕太の携帯番号に電話を入れる。
「はい、もしもし。あ、神崎さんですか、昨日はどうも。」
穏やかな裕太の声に少し安堵する。
「お忙しいところすみません。実は今すぐに確認して頂きたい事があり、お電話させていただきました。裕太さんか、あるいは裕太さんのご家族、ご先祖さまに、K県M市に縁のある方はいらっしゃいませんか?」
「K県M市ですか?ぱっとは思いつきませんが、ちょっと家族に当たってみます。」
「よろしくお願いします。」
電話を切ると、怜は今後の策をどうすべきか思案した。
あれは一般の人が普通に生きていてそうそう目にするものではない。四国地方のごく一部の地域にのみ伝わる呪術に用いる御幣だ。
──それも、あの御幣の形は……呪詛。
誰かを呪い殺すための
つまり、あの女は明確に特定の誰かの命を狙っているか、そうでなくとも何らかの形で呪詛に関わっているということだ。
あのアパートに引っ越してから霊障が始まったという裕太の話を聞いた時は、あの部屋に因われた地縛霊だろうかと考えていたが、呪詛となると話は違ってくる。
──どうしたものか……。
ひとまずあの女の素性を確かめることはできないだろうか。何らかの形で高橋一家に関わりがあるかもしれないのならば、彼女がどのような人物であるかを掴めないことには、雲を掴むような検証になってしまう。
特徴的なのはどこか昭和を思わせるあの装いだ。そして、昨夜の霊障もあの女と無関係ではないだろう。最初に霊視をしたときにあの稲荷神社が視えたのも恐らく偶然ではない……遊郭に関わりのある女性だ。怜はそう確信した。
二
アカ、というのは何を指しているのだろう。血液の赤、赤子の赤……。
すぐに思いつくのはこの辺りだろうか。あの女は恐らく遊郭に関わりがあるのだろうという推測はできるものの、伊邪那美流とどう結びつくのか……。
彼女がK県M市の人間であるとするならば、K県のどこかで夜の仕事をしていた女性だったのかもしれない。「遊郭」という言葉から思い浮かぶ艶やかな遊女の姿に比べると、彼女の装いは随分近代的で質素に思われた。怜は裕太のアパートを訪れた際に見かけた、あの独特な町並みを思い出した。
ひとまず、K県の遊郭を調べてみよう。
〈K県 遊郭〉
PCのブラウザを立ち上げ検索ワードを入力すると、すぐに関連記事が列挙された。検索結果のトップに上がったページタイトルに目を落とす。
『現代に残る遊郭、水田新地を訪ねて』
誰かの書いたブログのようだ。ハイパーリンクをクリックし、内容に目を通す。「新地」というのは高校生の怜には耳慣れない言葉に思われた。記事の中に散りばめられた写真には、色街特有のうら寂しい風景が収められている。「遊郭」と聞くと江戸幕府公認の遊郭である吉原がまず思い浮かぶが、明治から昭和初期にかけては日本各地に遊郭が作られていたようだ。そういった遊郭のひとつがこの水田新地であるらしい。急速な近代化に伴い新しく拓かれた土地が栄えると、そこに繁華街や色街が作られるのは人間の性だろうか。明治政府は公娼制度を廃止しようとしたものの、実効力はあまり無かったようだ。検索にヒットしたページを読み漁る怜の目に「赤線」という言葉が飛び込んできた。
───……ア、カ
これか……。
水田新地のような遊郭は、敗戦後GHQの指導により昭和21年に施行された公娼廃止令、それに続く昭和31年の売春防止法までの間に、半ば政府公認で売春が行われていた赤線地帯であったようだ。あの装いから考えても、彼女は恐らく戦後にK県の赤線地帯で働く娼婦であったに違いない。となると、この頃に彼女と接触を持った人物が裕太の先祖の中に居たのではないだろうか。ともかく裕太からの連絡待ちだ。
三
昨夜の寝不足も祟り、怜はいつもより早くベッドに入った。あたかもそれを待っていたかのように金縛りが身体の自由を奪う。
──またか……。いい加減にして。
怜は心の中で悪態をついた。
……あっはははは
……うふふふふふ
またしても女の笑い声が響き渡る。しかし、今日のそれは昨夜のそれとはどことなく印象が違った。仄かな愉悦を伴った含み笑いと言おうか。と、怜の身体が熱を帯び始めた。
──何だろう、すごく、妙な気分……。
頬を紅潮させながら、怜はこれまで感じたことのない感覚に戸惑いを覚えていた。昨夜とは違った意味で呼吸が乱れる。
──なにこれ。ちょっと、やめてよ……。
──……タ、ケ、シ、タ、サ、ン
女の声と同時に、怜の眼の前に男性の顔が浮かび上がった。年の頃は20代半ばほどの、整った顔立ちの男性。その顔立ちには見覚えがあった。裕太の守護霊だ。M市で視たときの雰囲気より随分若いが、確かにあの時に霊視した男性だった。
──そうか、これは彼女の目から見た映像なんだ。
彼女はあの男性に恋慕の情を抱いていたに違いない、と怜は思った。記憶しているのはそこまでだ。いつの間にか怜は深い眠りに落ちていた。
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