一日目

N県M市に向かう特急列車に揺られながら、怜は祖父の事を思い出していた。

祖父は怜が小学四年生の頃に他界した。

無口で気難しい人だったが、怜の能力に気付くと沢山の事を教えてくれた。

霊にもあまり害のない霊とそうでない霊が居ること、生前の未練が強いほどなかなか成仏できずに現世に縛り付けられてしまうこと。

そういった霊たちを仏尊の力を借りて祓う真言や、その言葉の持つ意味などだ。

その祖父が鬼籍に入ると、怜は独学で仏典を読み知識を深めていった。

その間にもさまざまな霊障に悩まされたが、真言を身につけてからは、さほど邪念の強くない霊であれば怜にも祓う事ができるようになった。怜の能力が周囲の人々に知れ渡るようになると、友人や知人からの霊障相談も受けるようになった。

ここまでは順当に霊能者としての修行を重ねて来たという自負がある。

しかし、今度の依頼は───どこか胸騒ぎがする。



午前9時に新宿を出発して、およそ昼前にM駅に到着した。改札口を出たところで依頼人である高橋裕太が怜を出迎えた。


「神崎さんですね。僕は高橋裕太です。本日はよろしくお願いします。お忙しい中、こんな遠方まで来てもらってすみません。」


怜のほうが歳下であるにも関わらず丁寧な敬語で話しかける裕太は、礼儀正しく柔和な印象を受ける好青年だった。


「はじめまして、神崎怜です。本日はどうぞよろしくお願いします。」


ちょうどお昼時ということもあり、駅ビルのテナントの蕎麦屋で昼食を取りながら、裕太にこれまでの経緯を詳しく尋ねることにした。

さすが蕎麦処、チェーン店でもちゃんと美味しい……などと思いつつ本題に入る。


「霊の気配を感じるようになった経緯について、詳しく教えていただけますか?」


「はい。初めて感じたのは入居した日の夜です。引っ越しの準備を終えて、疲れ果てて爆睡していたんですが、ふと深夜に目が覚めて。そうしたら、耳元で子供の笑い声が聞こえたんです。めちゃくちゃビックリして飛び起きようとしたら、金縛りっていうんでしょうか、身体に力が入らなくて。」


「ふんふん」


「怖いからそのまま目を瞑って寝たふりをしていたんです。そうしたら、今度は誰かが僕の顔を覗き込んでいるような、しかも、何故かは分からないけれど僕に対して強い恨みを抱いているような……ただならぬ気配がして。あまりに怖くて未だに目を開けたことはないんですが、たぶん女性かな……と。それが三月末から七月に入った今日までずっと続いているんです。自分の家では眠れないので、最近では友人の家に泊めてもらうようになりました。それでも眠れなくて、結局徹夜したり、という感じです。」


「なるほど……。それはお辛いでしょうね。」


連日の睡眠不足のせいだろう、裕太の目の下には隈ができている。毎日のように怪異が起こるとなると、誰しも憔悴せざるを得ないだろう。この青年がまだ正気を保っていられるのは、恐らく彼を霊障から護る存在があるのだ。

怜の注意は裕太の左肩の後ろに視える男性の姿に向かっていた。白髪交じりの中年男性だ。心なしか裕太の事を酷く心配しているように思われる。悪い霊ではなさそうだ。

……たぶん、この人が彼の守護霊だろう。

その男性の表情を見ながら、怜はそんなことを考えていた。

蕎麦を食べ終わると二人は店を出た。


駅前のロータリーからバスに乗り込み、市街の外れにある裕太の家に移動する。

外装はごく普通の二階建ての単身者用アパートという風情だった。築浅物件なのかあるいはリノベーション済みか、さほど古びた様子もない。裕太の部屋は二階に続く階段を登ってすぐの所にある201号室だ。

裕太は部屋の鍵を開けると怜を部屋の中に案内した。


「失礼します。」


玄関に足を踏み入れると同時に、怜は通路の奥に見える部屋から流れ出す強烈な霊気を感じ取った。ただならぬ気配に圧倒される。

これだけ強ければ、多少霊感の鈍い人でも否が応でもその存在に気付くはずだ。

肌が粟立つのを感じながら奥の部屋に向う。雑然とした八畳の部屋の窓際に置かれたベッド。その傍らに、例の女が俯向いて佇んでいる。こちらに気づく気配はない。

男の子の方は部屋の入口に背を向けた姿勢で部屋の隅に蹲っている。

ひとまず、男の子の方を除霊しよう。


「オン・アミリティ・ウン・ハッタ!」


印を結びながら真言を唱える。怜が好んで使うのは軍荼利明王の力を借りる真言だ。

男の子は怜の声に驚いたように振り向き、そまま虚空に消えていった。

これでひとつは片付いた。

さて、女の方はどうしようか……。

少し話しかけてみるか……?


───わたしの声が聞こえますか。あなたは何故そこにいるの?


女に意識を集中させて、頭の中で語りかける。対話に応じられる霊ならば、話しかけることでこの世への未練や執着が弱まる場合もある。しかし、女は何の反応も示さなかった。

……駄目か。これは時間をかけるしかない。


「高橋さん、お願いがあります。今日から五日間、コップにお酒を入れて窓際に置いてください。コップの中のお酒は毎日取り替えて。それを盛り塩と一緒に御供えしてください。」 


「お酒ですか。どんなのがいいのかな。」


「安物のワンカップで構いませんから、できれば日本酒をお願いします。」


「分かりました。忘れずにやります。今日は本当にありがとうございました。」


ひとまず、今日はこれで帰ろう。

別れの挨拶を済ませて、怜は裕太のアパートを後にした。


バス停までの道をGoogle Mapsで調べていると、裕太の家から程近い場所に神社があることに気付いた。

……そういえば霊視した時に稲荷神社が視えたな。少し寄って見てみよう。

そちらの方向に歩を進めるうちに、周囲が見覚えのある町並みに変わっていた。

細い道の両端に二階建ての古めかしい木造家屋が並ぶ。窓らしい窓はなく、二階には全面に木の格子が掛かっていて、中の様子を窺い知ることはできない。何の店なのか分かるような看板は何もなく、ただ源氏名のような表札が大きく掲げられている。

その通りの先に赤い鳥居が見えた。

霊視したとおりの景色だ。

稲荷神社の鳥居をくぐる。さほど大きくもない神社だが、狐の石像の様子を見る限り氏子らによってきちんと管理されているようだ。

神社の由来の書かれた立て看板を読むと、どうやら元は遊郭で働く遊女を慰霊するために建てられた神社であることが窺えた。

遊郭か……。あの独特な雰囲気を湛えた町並みは、遊郭の名残なのかもしれない。

そんな事をつらつらと考えながら、怜はバスに乗り込むと駅に向かった。


帰宅するなり、怜はベッドの上に身を投げだした。遠出した事もあり、酷く疲れていたのだ。夕食を用意してくれていた母に謝らなくては……と思いつつ、うつらうつらとし始める。意識が落ちかかった瞬間、怜は自分が金縛りにかかっていることに気付いた。

疲れいるのだから無理もない。そのうちに解けるだろう。そう思い、特に抵抗することもなく身を投げだした。唐突に太腿を撫でられるようなぞわりとする感触に襲われた。


──な、何……!?気持ち悪い!


節くれだった太い指が怜の脚を撫で回している。そうとしか思われない、得も言われぬ気色の悪い感覚に見舞われ、全身の産毛が逆立つ。右耳のすぐ横に男の荒々しい息づかいを感じ、怜は思わず顔を背けた。


きゃははははは……

あっははははは……


どこからともなく、けたたましい女たちの嬌声が聞こえてくる。甲高い笑い声が渦を巻くように頭の中に響き渡る。


『やめて!!』


全身全霊の力を振り絞り金縛りを解くと、怜は真言を唱えた。


「オン・キリキリ・バザラ・ウン・ハッタ!!」


声とともに霊の気配は霧散した。胸の動悸が治まらない。乱れた呼吸を落ち着けようと唾を飲み、怜は絞り出すような声で呟いた。


「やっぱり、わたしにはまだ早かったのかもしれない……。」


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