第11話:尊敬する作家はいますか?①

 尊敬する作家は誰ですか?と尋ねられたら、それに対する私の答えは高村光太郎です。尊敬する芸術家は誰ですか?と尋ねられても、それに対する答えも高村光太郎です。私はそれだけ高村光太郎の生き方が好きなのです。


 今回は創作論とはズレますが、高村光太郎の話をさせてください。ただ私の知識もあいまいな部分があるので間違っているかもしれませんが、その時は笑って許してくれると助かります。


 えっと、まず高村光太郎の人生を①でやります。途中まで読んでつまらないと思った人は是非②から先に読んでください。②は間違いなく泣けます。あ、いや、泣けると思います。多分、泣けるんじゃないかな? ま、それくらいの話でして、①を先に読むと感動が深まる程度の話です。


 でも②は人間、高村光太郎の愛の物語というか、本当に人として生きるということはなにか? 人を愛するということはなにか? そんな疑問の答えが詰まっていると私は感じています。そう、だからこそ、私は高村光太郎が好きなのです。


 って、煽りすぎましたね。ま、それはおいておいて、じゃあ高村光太郎の人生を振り返ってみましょうか?


 高村光太郎は、1883 年(明治16 年)に彫刻家の高村光雲の長男として生を受けます。高村光雲を知らない人がいるかもしれませんが、日本を代表する超一流の彫刻家でして、代表作として有名なものに上野公園の西郷隆盛像があります。そう、高村光太郎は、超一流のサラブレットだったんですよね。


 そんな、高村光太郎が芸術の道を志したのは、1897 年(明治30 年)9 月、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)彫刻科に入学してからのことです。ここで高村光太郎は、彫刻家としてメキメキと実力をつけ、一流の彫刻家としての下地を作り上げます。高村光太郎の有名な彫刻として、音楽の指揮者をモデルにした「手」という作品がありますね。wikipediaに写真がありましたので張っておきますね!


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%85%89%E5%A4%AA%E9%83%8E#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Takamura-Hand.jpg


 じつは高村光太郎、文学の才能もありまして、在学中に与謝野鉄幹(与謝野晶子の夫)の新詩社の同人となり『明星』に寄稿し、作家としてのデビューを果たします。ちなみに高村光太郎の有名な詩には「道程(https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/59185_75168.html)」がありますね。私、この詩めちゃくちゃ好きです。私が大学で悩んでいた時、この詩になんど励まされたことか「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出來る」ですからね。私の人生そのものです。


 あっと脱線しちゃいましたが、そんな高村光太郎は、1902 年(明治35 年)に彫刻科を卒業し研究科に進みますが、1905 年(明治38 年)に西洋画科に移ると、父・高村光雲から留学資金2000 円を得て、1906 年(明治39 年)3 月よりニューヨークに1 年2ヶ月、ロンドンに1 年1ヶ月、パリに1 年留学して、1909 年(明治42 年)6 月に帰国します。


 しかしこの留学にも関わらず、高村光太郎は「絵画の世界」ではぱっとせず、業績を残せていません。レオナルド・ダ・ヴィンチが、彫刻が苦手だったように、高村光太郎には画才がなかったのかもしれませんね。


 なんだ、結局海外留学は無駄だったのではないか? とか、外国で遊んでたのではないか? と思ったあなた。そんな事はありませんよ。高村光太郎の留学時代についてこんなエピソードがあります。


 アメリカ留学中、ニューヨークの生活の中で「どう食を求めて、どう勉強したらいいのか、まるで解らなかった」と不安で悩んでいる時に、メトロポリタン美術館で彫刻家ガットソン・ボーグラムの作品に出会います。彼の作品に感動した高村光太郎は熱心に手紙を書き、薄給ではあったものの彼の助手にしてもらい、昼は働き、夜はアート・スチューデンツ・リーグの夜学に通って学ぶという美術にどっぷりと使った毎日を送っていたのです。


 このことからわかるように高村光太郎の留学は、一事が万事そんな感じで「世界の芸術」をしっかり学んで、日本に帰ってきたのです。しかし、日本に帰ってきた高村光太郎は不幸でした。なぜなら、世界の美術界はドラスティックに変化しているのに、日本の美術界は「一部の大御所」が権力を握る旧態依然の体制だったからです。そのため、高村光太郎は日本美術界の大御所である父にことごとく反抗し、父から紹

介された東京美術学校の教職も断ってしまいます。


 それどころか、パンの会(日本の文学界を近代化しようとした組織、北原白秋などが属する)に参加し、『スバル』などに美術批評を寄せ美術界に徹底抗戦しました。特に、芸術の自由を宣言した「緑色の太陽」(1910 年)の評論が有名ですね。そして、貴族階級が独占していた芸術を大衆にもという思いをこめて、1910 年、神田淡路町に日本初の画廊を開店したりもしています。


 その後、1912 年(明治45 年)駒込にアトリエを建て、岸田劉生らと結成した第一回ヒュウザン会展に油絵を出品。しかし、これは前述の通り、岸田劉生の絵の前では、高村光太郎の絵は霞んでしまいました。まぁ、相手が岸田劉生だから仕方がないきもしますが、高村光太郎の絵に興味がある人は調べてみてはどうでしょうか?


 そして、1914 年(大正3 年)10 月15 日に詩集『道程』を出版。同年、長沼智恵子と結婚します(彼女との馴れ初めとその後の人生は、次の回で目一杯やります。多分泣けます。私はこれを知った時号泣しました)。この結婚を機にしたかどうかはわかりませんが、これ以降、高村光太郎は彫刻に傾注していくことになります。


 1916 年(大正5 年)、塑像「今井邦子像」制作(未完成)、ブロンズ塑像「裸婦裸像」制作。1918 年(大正7 年)、ブロンズ塑像「手」を制作。1926 年(大正15 年)、木彫「鯰(なまず)」を制作します。まさに、この頃が高村光太郎が乗りに乗っていた芸術家としての絶頂期といっていいかもしれません。


 しかし、1929 年(昭和4 年)に智恵子の実家が破産し、この頃から智恵子の健康状態が悪くなり、のちに統合失調症を発病します。そして、1938 年(昭和13 年)に最愛の妻、智恵子と死別。1941 年(昭和16 年)8 月20 日に詩集『智恵子抄』を出版します(ココも次回で目一杯掘り下げます)。


 1942 年(昭和17 年)4 月に詩「道程」で第1 回帝国芸術院賞を受賞。しかし、この時代は第二次世界大戦の真っ最中。1945 年(昭和20年)4 月の空襲によりアトリエとともに多くの彫刻やデッサンが焼失してしまいます。そして、なにより妻との思い出の多くも焼失してしまいます。


 そして、第二次世界大戦終戦の2 日後、1945 年8 月17 日に「一億の号泣」を発表すると、終戦のショックを引きずった高村光太郎は、岩手県花巻市に粗末な小屋を建てて移り住み、7 年間独居自炊の生活に引き籠る事になります。


 これは戦争中に多くの戦争協力詩を作ったことへの自省の念から出た行動でした、実は高村光太郎も多くの日本人と同じく、国を信じ、天皇陛下を信じ戦争の勝利のために全力を尽くした国士であったのです。


 しかし、戦争で失ったものは大きかったのです。自分の大切な作品だけではなく、自分以上に大切にしていた妻との思い出も奪われてしまい、なにより自分が賛美した戦争で多くの人の命を奪ってしまったのですから。実は、この小屋は現在も「高村山荘」として保存され公開されていまして、近隣には「高村記念館」がありますので、是非足を運んでみてください。


 その後、精神的に立ち直った高村光太郎は、1950 年(昭和25 年)、戦後に書かれた詩を収録した詩集『典型』を出版し、第2 回読売文学賞を受賞。1952 年(昭和27 年)、青森県より十和田湖畔に建立する記念碑の作成を委嘱され、1953 年に「乙女の像」として完成させます。


 そして、1956 年(昭和31 年)4 月2 日3 時40 分、自宅アトリエにて肺結核で73 歳の生涯を終えるのです。さて、高村光太郎の人生をざっと振り返ってみましたがどうでしたか? 芸術家としてすごいのはわかるけど、特に感動するところはないのでは? と思った人が大半ではないでしょうか?


 さにあらず、さにあらず、ここに高村千恵子が絡んでくると、この芸術家としての業績なんか吹き飛ばすくらいの「人間」高村光太郎が見えてくるんです。一人の人間として、こんなに素晴らしい生き方があるのか、というのが見えてくるのです。ということで、次回に期待してください><。

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