第14話:なんでライトノベルを下にみるの?②

 もう時効? だと思うので、過去に私が没にした記事を公開することにしました。最初は私、例の文庫応援してたんですけどね、でも、今はね、って感じですので、私が思ったことを素直に書いておきます。


 ごめんなさい。最初に言っておきますが、今回はとあるエッセイに対する反論? というか非難めいたものになっています。そういうのが苦手な人はブラバ推奨です。私も聖人君主じゃないので、腹がたつことは腹が立つのです。


 とある出版社がライトノベルについてコラムを出しているのですが、その中で読者から結構批判があったのが、


 ・『ライトノベル』のとは何か?

 ・『ライトノベル』の未来とは?


 の2つの説明文です。私もこれを読んでちょっとイラっときましたから、かなり多くの人がイラっと来たんじゃないかなと思います。それが証拠にネットの海をさまようと、結構このコラムに反論している投稿がありました。


 そりゃそうですよ。いつもは、まぁそういう意見もあるんだ、多様な意見があってもいいじゃない。という私がイラっとするんですからすごいことだと思います。 


 なんというかなぁ。行間からにじみ出るライトノベルを下にみているような考え方。そして自分の考えを肯定するためにもってくるのが国の指針とかいう権威主義。私が最も嫌いな論説です。自分の頭で考えることはせず、安易に権威に頼るってカッコ悪いですよ。


 そして、持ってきたのは文部科学省の子供の読書の必要性の指針。これをベースに『ライトノベル』では教育にならないみたいな論調で『ライトノベル』をこき下ろしている雰囲気を行間に滲ますんですよね。いやいや教育にいい本を出版したいなら、教科書だけ作ってろよと正直思っちゃいました。


 で色々気に入らないことがあったんですが、それを説明するポイントを箇条書きにするとこんな感じです。


①辞書から引用したラノベを定義を「会話文が多く、イラストがあり、文体が軽めで読みやすい、若者向けの娯楽小説」としている


②ラノベのカテゴリーとして『狼と香辛料』をあげ、そこから経済の複雑さと面白さと教えてもらいましたと書いている


③『ライトノベル』が特定の層にしか波及できていないことを問題視し、それが読解力の低下の原因だとしている


④少子化が進む日本では、青少年向けの出版業界の生き残りは厳しい。だから海外展開が必須。しかし『ライトノベル』のキャラ語みたいな表現は多様な表現ができる日本語だから可能であり外国語には反映されづらい。だから『ライトノベル』海外展開ができないと結論づけている。


 なんというか、①と②が矛盾していることさえ気がつかないんですよね。「狼と香辛料」のどこが会話文が多くて文体が軽いのかと。いや、ごめんなさい。私もラノベあんまり読まないので偉そうなことは言えないですが、私は「狼と香辛料」を読んで「会話文」が多いとはあまり感じなかったです。ちなみにこのエッセイでは十二国記もラノベとして扱ってましたけど、私は全部読んでないので偉そうに言えませんが、会話文が多いとも感じなかったし、文体が軽いとも感じなかったですね。ま、それは主観だからいいとして問題は③です。


 でも、読解力の低下がライトノベルのせいは言いすぎですよ。OECD(経済協力開発機構)によると日本の読解力の順位は、2015年の7位から2018年で15位に下がりました。しかし、2015年のライトノベルの売り上げは351億円、2018年のライトノベルの売り上げは280億円で減っていますよ? というかライトノベル市場は縮小してますよ? その読解力の低下をライトノベルの影響だとするならば、ライトノベル市場が減っている状況においては、読解力が上がっていないとおかしいですよね?


 あと④です。これこそ日本人のおごりだと思うんですよ。私の周りにも時々いるんですよ。日本人がノーベル文学賞を取れないのは日本語が多様な言語であって翻訳したらよさが伝わらないって言う人。これって本当にナチュラルに他言語を下に見ているとしか思えないんですよね。そしてライトノベルって軽く調べただけで、結構海外展開されてるんですよね。台湾と韓国が結構多いみたいですけど。


 あんまりいいたくないですが、ライトノベル以外の日本の文学がそんなに海外に展開されているんですかね? 私は村上春樹先生くらいしか海外展開されているイメージをもってないし、そこらへんあんまり知らないので偉そうに言えませんが、こういう論調ってあまりいい気分はしないですね。


 ちなみに私はもともと「文芸」よりの小説を書いていて、そこで心がおれて「ライトノベル」を書こうと思った「web作家w」なんですが、アマチュアの私が感じたことは、文芸とライトノベルでは狙っている客層が違うということです。ライトノベルは今まで本を読まなかった人をターゲットにした小説で、文芸は本が好きな人をターゲットにした小説っていうイメージがあります。そこにどっちが偉いとかはないと思うんですよ。


 ちょっと脱線しますが、私は、今は「文芸」よりの作家です。「ライトノベル」は難しくて私には書けませんでした。いや、ほんとライトノベルを書ける人すごいと思います。正直尊敬しています。


 話を元に戻して、文芸寄りの作家とか文芸を読んでいる読者は、ライトノベルを下に見る傾向があると思います。なぜか文芸の方が偉いと思っている節があります。ちなみに私もそうでした。でも今は悔い改めています。今はちゃんとターゲットにするマーケットに特化した文学だと考えています。


 で、みんながみんなそうではないんですが、文芸好きをこじらせている人って、難解な本の方が素晴らしいと思っている傾向があります。それで話をしていると、今、流行っている文芸小説ばっかりあげてくるんです。それも特定の作者ばかり。そこで、私、聞いたことあるんですよ。あなたはドストエフスキーを読んだことがありますか?って。そしたらほとんどの人がNoなんです。いやいや、そんなに難解な小説が好きなら、ドストエフスキーくらい読んどけよと思うんですよ。賭博者なんか中編だし、読もうと思えばすぐ読めるんだから。


 結局、私がこの件から思うのは、人と言うものは自分の属しているカテゴリー、つまり国とか、自分の好きなプロ野球チームとか、自分の読んでいる本の種類とかに愛着を持つんだと思います。そこで終わればいいんですが、自分が属していないものに対して排斥をする傾向もあるんですよね。これってどうなんですかね? 私は、それはもったいないと思うんですよ。


 たとえばですよ? ハンバーガー。あんなアメリカンな食べ物に和風の照り焼きソースをかけただけで、めちゃくちゃ美味しい「てりやきバーガー」ができるじゃないですか? それと同じですよ。自分の可能性を広げたいのなら、否定ではなく肯定から入るべきだと思うんですよね。間違っていますかね?


 あ、ちなみにここの出版社、コラムでやたら「指輪物語」を推してますが、原文は「文章が幼稚で酷い」って酷評されてること知っているんですかね? それで「ライトノベル」の文章を否定して読解力が低下しているって結論づけてしまうんですから。なんというか調査もせずに思い込みで発言するって恐ろしいことですね。


https://www.theguardian.com/books/2012/jan/05/jrr-tolkien-nobel-prize

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る