第37話 魔王の葛藤

「何事だ!?」


 セント・ルシア王国軍の将軍、ギスティル・アダムスの怒号が響く。


 セント・ルシア王国軍はパニックになった。

 よくわからない丸い何かが河の上流からやってきたかと思えば、その上に人が立っていて、それが高度を上げた直後、その者が魔法を発動し、火の雨が降ってきたのだ。

 これで混乱しない方が難しい。


「リーグ王国軍の魔法使いメイジか?! 被害は!!」

「ひ、被害は軽微のようです。見た目の派手さの割には、肌に直撃しても軽い火傷が起きる程度の熱量しかないようで……」

「なんだと。つまりこけおどしか?」


 とはいえ、効果は絶大だ。

 前線は混乱し、事態の収拾に指揮官は躍起になっている。


「ええい! とにかく兵を落ち着かせろ! 今リーグ王国軍が渡河を開始したら、なす術がないぞ!!」

「はっ!!」


 前線へ慌てて伝令兵が走る。


「一体あれは何者だ……いや、あれほどの魔法を使える者など限られる……」


 威力は低いとはいえ、見た目だけでもあれだけの魔法を使える人間は、ほとんどいない。

 魔王を名乗っているラングディールではない。彼の動きは常に見張っている。

 聖女とも称されるその妻、シャーラではない。彼女はシドニスの王宮から動いていない。

 だとすれば。


「一年半前に出奔したとされる、カイ・バルテスが帰ってきてた……?」


 大賢者とも謳われる、勇者ラングディールの仲間の一人。

 一年半前にリーグ王国を出奔し、その後行方が分からなくなっていた男が、ここでリーグ王国軍に手を貸すというのか。

 だとすると、相当にまずいことになる。

 魔王となったラングディールですら手に余るというのに、ここで大賢者まで出てこられては、勝ち目はほとんどない。

 だが、まさか指揮官たる自分がそんなことをいうわけにもいかず――。


 とにかく推測で判断するのではなく、正確な情報が必要だ。

 ギスティルはとにかく正確な情報を得るため、自らも最前線に近い位置まで馬を進めるのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おー。さすがに見た目派手なだけでも効果はあるな。よしよし。じゃ、行ってくる。あとは頼む、Iecsイークス

『承りました。ご武運を、カイ・バルテス』

「ありがとよ」


 そういうと、カイはそのまま機体から飛び降りた。

 ちなみに火の雨は今も降り続けている。

 この魔法は持続的に火の雨を降らせ続けられるように設定してある魔法だ。

 これでしばらくは、セント・ルシア王国軍は混乱して動けない。


 そして自分はすぐに飛行魔法を発動させると、そのまま魔軍の真ん中に降りる。

 すると、魔軍兵士はいずれも剣を抜いて、遠巻きにカイを囲んだ後――斬りかかってきた。


「あ、やっぱりさすがに陣地に入ったら攻撃はされるか」


 そのカイは平然とそれを見て――。

 直後、魔法を発動させた。

 それは、巨大な魔力の天蓋。

 それが河の南岸にいる魔軍全体を包み込み――直後、魔軍の動きが止まった。


「やはりな。魔軍といえど、魔力によって強引に動かされているなら、魔力を『麻痺』させてしまえばいいわけだ」


 使った魔法は、停滞の魔法。

 魔力の正体が分かった今、カイは魔力そのものに対する作用すら可能になっている。

 それで、魔力それ自体を停滞させ、魔軍の動きそれ自体を完全に止めてしまったのである。


 だが。


 突然地響きが響き渡った。


「お、おお? ……おお……すげえな、実際見ると」


 見えたのは、灰色の巨大な影。

 お伽噺に出てくるドラゴンそのものの外見は、ちょっと迫力が違った。

 全長は五十メートル近くありそうだ。


「これも魔力で作りだしてるってことか。魔王ってのはホントに何でもありだな」


 だが、所詮は魔力――エーテルによる効果だ。

 つまり、今のカイにはそれは何の意味もなく――。


「無駄だよ、ランディ」


 カイが手をかざし、そこから発せられた魔力が竜にまとわりつく。

 直後、竜はガラガラと崩れ――ただの土くれに変わっていた。


「さ、前座は終わりだ。こいよランディ。リベンジマッチだ」


 動かなくなった魔軍、そして崩れ去った竜だった土くれの方を見る。

 そこに、五カ月近く前に対峙した時と全く変わらない、ラングディールが立っていた。


「カイ……また来たのか。君では俺に勝てないというのに」

「どうかな。子供の時から、お前に連敗したことはほとんどなかったはずだぜ」

「そんな昔のことは……もう忘れたな」

「シャーラはどうしたんだ?」


 それは、カイにとっては念のための確認程度の質問だった。

 だが、その言葉を聞いた瞬間、ラングディールの顔が歪む。


「あいつら……あいつらが!! あいつらがシャーラに有形無形の嫌がらせをしやがった!! それで彼女は、心を病んで……それでも子を産むのだと、頑張ったのに!! それなのに!!」

「え……どういう、ことだ」

「カイが……お前がいてくれたら、きっとシャーラは元気な子を産めた!! でも、お前はいなかった!! シャーラは今も王宮で泣いてるよ。だからもう、俺はより強い王になって、彼女を傷つける全てを消し去るしかないんだ!!」


 話が見えないなりに――それでもカイは理解できてしまった。

 元々、シャーラを王妃とする時にも、旧貴族との間には相当な衝突があったのだ。

 彼らは八百年続いた正しいリーグ王国の伝統を守るためだとして、正妃には旧貴族の誰かから――もちろん適齢期の者がいれば自分の娘を――迎えるようにラングディールに迫ったのである。

 だがラングディールはシャーラを誰よりも愛していたし、彼女以外を妻とする気など、全くなかった。


 だから、彼はそれを強引に押し通したがゆえに、逆に旧貴族に借りを作ってしまった格好になったのだ。

 後にカイが旧貴族たちの嫌がらせを受けても、ラングディールが一方的にカイの味方をできなかったのは、そういう理由もあったのである。

 もっともカイはこれ幸いとばかりにさっさと出奔してしまったが。


 だがその後も、旧貴族たちの嫌がらせは続いたのだろう。

 正妃であるシャーラが後継者たる王子を産めば、その地位は盤石となる。

 だがもし、王子が生まれなければ、ラングディールは後継者を設けるために、他の娘との間にも子を作らなければならない。

 それが王族の務めだ。


 だから、旧貴族たちにとっては、シャーラが子を産むことは到底歓迎せざる事だったのだろう。


 さすがにまさか直接手をかけたとは思いたくないが、その可能性すら捨てきれない。

 カイに対しての旧貴族の嫌がらせは、相当なものだったのだ。

 あれに関しては、カイが平民であるということもあったし、そしてその提案した政策内容が彼にらには到底受け入れられないものだったというのもあるだろうが。


 そして――おそらくラングディールは、それゆえに悩んだ。シャーラを愛している彼は、彼女を守れなかった自分を責めたのだろう。そしてその心の間隙に、負のエーテルの影響が滑り込んだ。

 結果、ラングディールは魔王になってしまった。


 これは結果の問題だ。

 仮にカイがリーグ王国に残っていたとしても、遠からずラングディールは魔王になっていた。それは絶対的に不可避の未来だ。

 ただその場合、もう少し違った形で解決策を探すことができたかもしれない。


 多分ラングディールは、魔王化が進行する中で、誰にも相談できなかったに違いない。あのルドリアと同じように。

 無論、子を死産してしまったシャーラにも相談できなかった。


 だが、カイがもし側にいたら、あるいは相談して、あるいは二人で解決策を探していたかもしれない。少なくとも、魔王化はもう少し後にできた可能性はあるだろう。


(……いや、これは言い訳、だな)


 勇者と魔王の真実を知った今では、もうそれには意味がないことが分かっている。

 あのルドリアをラングディールが倒してしまった時点で、ラングディールが魔王になることは、確定したのだ。


 ふと、もし最初から自分が全部知っていたらどうだろうと考えると――多分ラングディールとはケンカになっていた気がする。

 カイは多分魔王を倒すこと自体を止めるように言うだろうが、ラングディールは目の前で困ってる人を見捨てられないタイプだ。

 人のことはあまり言えないが、それでもカイにとってはラングディールとシャーラ以上に大切なものは、当時なかったのである。

 その二人の為なら、他の全てを切り捨てられる。

 そしてその気持ちは、今も変わらない。

 すべてを犠牲にしたとしても、ラングディールとシャーラのためなら、なんだってできる。

 それがカイ・バルテスという人間だ。

 あえて言うなら――それがもう一人増えているのも、カイは自覚していた。


(過去を変えることは出来ないからな。だがそれでも、まだ全て手遅れじゃない)


 カイは静かにプロトタイプ・エクスカリバーを抜き放った。


「……それは」

「俺の聖剣だ。ただ、俺は勇者じゃない」

「何?」

「さあ、その魔力を返してもらおう。その力は、この我、カイ・バルテスのものだ――」


 聖剣の切っ先をラングディールに向け、朗々と宣言した。

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