第32話 ローベルニア王国

 二カ月後。

 カイとレフィーリアは、真っ青な海を見ていた。

 東の海とはまた色が違う。

 鮮やかな青が、太陽の光を受けて輝いて見えた。


「すごい。東側の海もきれいだったけど、こっちは真っ青で素敵」

「そうだな。あっちはグレートバリアリーフがあったからエメラルドグリーンだったが、こっちは見事なコバルトブルーの海だな」

「グレートバリアリーフって、何?」

「西にあった、あのきれいなサンゴ礁のことだ。そういう名前で呼ばれていたことがあるんだよ、あれは」


 自分の『前世の記憶』の正体を知ったカイだったが、この二カ月の旅の中で、それがどういうものかわかってから、急速に記憶が『馴染んだ』様に思えていた。

 これまでは意識してその記憶を想起しなければ知識含めて思い出せない、いわば自分の中に別の記憶ののようなものがあるイメージだったのだが、それが自分のものになったような感じだ。


 同時に、特に『新条司』の人格なども意識しなくなった。

 少なくとも今の自分はこの時代に生まれたカイ・バルテスであり、二十一歳――先日誕生日を迎えた――の魔法使い。五十歳の新条司とは違う。

 無論考え方とかの影響がないとは言わないが、幸い、少なくともカイの中にある新条司とカイ本来の人格や考え方は、混ざり合ってすでにどちらがどちらなのか全くわからないくらいになっている。

 これまでは二重人格とまでいかないまでも、どこか格子越しという風な感じだったのが、全部自分の記憶ものになったという感じがした。


(違和感がなくなったという感じだよな)


 新条司の記憶も、もちろんカイ・バルテスとしての記憶も、どちらも違和感なく思い出せる。もっとも、新条司の記憶はやはり欠けている部分が少なくない。

 かなり知識系に偏っていたのだとあらためて思わされた。あるいは、新条司以外の知識もやはり混じっているのだろう。


「それにしても……すっごい大きな街だね」


 レフィーリアが見たことがある最大の都市はブリスタ。

 だが海の手前、巨大な河口に作られたその街は、明らかにそれよりはるかに大きい。間違いなく、シドニス以上だろう。


「そうだな……あれがパルスか」


 アウスリア大陸西岸最大の都市。

 そしてなんと魔王バルビッツの時代にも、バルビッツが東側に集中していたため滅ぼされることなく残った街。

 いわば、千年以上魔王の脅威を受けていない街だ。

 そしてそのパルスの南約百キロに、目指す場所――アーカイブがあるのである。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 この二カ月の旅程は順調だった。

 行く先々で、どこに行くべきかを常に神の刻報機ディバインクロックが教えてくれるのである。

 さらに非常に大きかったのが、東側の情報だった。

 女神イークス――統合環境制御機構Iecsはどうやらかなり協力的なようで、カイが頼んだところ適切にまとめて、カイが神の刻報機ディバインクロックの前に来た時に教えてくれるようになったのだ。

 ちなみにレフィーリアにはまだ見せてはいない。


 それによると、セント・ルシア王国との戦端はまだ開いていないらしい。

 あれからすでに四カ月以上経っていてそれは予想外だったが、女神によるとラングディールの中でまだ本来の人格が抵抗しているのではないかとのことだ。

 とはいえ、もはや時間の問題だろうとのこと。

 すでに魔軍と化したリーグ王国群はセント・ルシア王国の国境間近まで迫っているらしい。


 さすがに、もうあまり時間はない。

 女神の予想では、十日以内には戦端が開くとみているらしい。

 正直に言えば、一日も早く駆け付けたい。

 本来であれば、まっすぐアーカイブを目指すべきだったが、カイはどうしてもこの街に寄る必要があった。

 それはレフィーリアのためだ。


 正直に言えば、急ぐ旅でなければ、カイもこの地でゆっくりしたいところである。

 この地なら、カイも持っていない多くの知見が得られる可能性は高い。


 道中神の刻報機ディバインクロックから教えてもらったことによると、この地域は千七百年もの発展を遂げた。

 魔王誕生のシステムは、人類の技術はもちろんだが、思想などすら初期化する役割を持つ。

 女神が神の刻報機ディバインクロックでもたらす啓示は人間が生きていく上で最低限のものだけで、それ以外は全く含まれない。

 最初、製鉄技術や製紙技術などは女神の恩恵かと思っていたのだが、どうやらこれらは魔王に征服されている間も何とか継承してたり、あるいは記録から復元したりをずっと繰り返してここまで継承されていたという。


 ただ、それでも千七百年も魔王によっていわば『リセット』が起きないでいた地域は、技術という点ではかなり進んでいた。


 そしてそれは思想教育の面でも東側よりは進んでいて――。


「なに? お兄ちゃん」


 レフィーリアのようなエルフでも、人間と扱う思想が生まれているのである。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「東側にエルフがいたのは知ってましたが……ここまで来ていただけるとは」

「えっと……お兄ちゃん?」


 パルスの街の一角。

 そこにある、ある種教会のようにも見える建物が『エルフの森』という施設だった。

 基本構成員がエルフで占められている施設で、エルフを保護する役割を持つ。


 この西側でも、かつてはエルフは迫害の対象だった。

 奴隷として扱われていた時代も長い。

 それが変わったのは意外に最近で、二百年前。ローベルニア王国建国王の母がエルフだったからだという。

 ローベルニア王国の建国王、ラグゼル・ローベルニアは、当時この地にあった小国の王子だったが、その母親は当時奴隷としてその父親に仕えていたエルフだったのである。


 その後、ラグゼルは他の兄弟らを押しのけて国王となり、そしてそのままアウスリア西岸地域を統一した。

 そのラグゼルは母親がエルフであることを隠さず、そしてエルフといえど人と変わらぬ存在であると宣言、エルフを迫害することを禁じたのである。

 この時代に、西岸地域では人権という考え方が芽生えつつあったのも大きかったという。


 そしてその監視のために作られたのが、このエルフの森という組織だ。

 建国から二百年ほどが経過し、国母であるティステリアという名のエルフは死んだが、今の組織の長はティステリアの娘でただ一人エルフだったメルトリスという女性――つまり初代国王の妹――だ。現在は百六十歳だという。

 エルフの森に属するエルフは現在十三人。このパルスに住む人の数が約五十万人とのことなので、本当にごく少数ではあるが、エルフは今ではパルスの人々からは、女神イークスの使いとまで言われるほど、ある意味では憧憬の対象となっているらしい。


 時代や場所が違えば変わるものである。


「リア。これから君は、ここで過ごしてほしい。ここなら、安全に過ごせると思うから」

「……私はお兄ちゃんと一緒に行けないの? ランディさん、助けるんでしょ?」

「そうなんだが、さすがに危険すぎる。リアを一緒に連れてはいけない」


 カイは少しかがんで目線の高さを合わせると、諭すようにレフィーリアに言う。

 だが、レフィーリアはすんなりとは納得してくれなかった。

 すると、先ほどこの組織の概要を説明してくれたエルフであるリルザが、やはり同じようにレフィーリアと目線の高さを合わせるようにかがみこんだ。


「レフィーリアちゃん。この場所は、嫌?」

「……ううん。多分、ここはすごく優しいんだと思う。でも、私はお兄ちゃんと一緒にいたくて……」

「今日この場というわけではないんだ。ただ、この先にお前を一緒に連れて行くのは難しいんだ。大丈夫。会えなくなるわけじゃない」


 レフィーリアはなおも納得はしていないようだった。

 あるいはそれは、カイの考えていることを見抜いているのか――それはさすがにないはずだが。


「じゃあ、せめてお兄ちゃんが旅立つまでは一緒にいる。まだここでの用事、終わってないんでしょ?」

「ああ、それはもちろんだ」


 カイはそういうと立ち上がった。


「リルザさん。まだしばらくリアとは一緒にいます。教えるべきこともあるので。でも私は遠からず旅に出なければならないので、それ以後のリアのことをお願いしたい」

「もちろんです。ご安心ください」


 カイはそれに頷くと、レフィーリアの方を見て、その手をさしだす。


「じゃあ行くか、リア」

「うん、お兄ちゃん」


 そういうと、二人は共に施設を出た。

 それを、施設のエルフ二人が見送る。


「仲の良い兄妹でしたね、あの二人。東側は今でもエルフに対する迫害が酷いと聞いていましたが、あのような方もいるとは」

「多分ですが……あの二人、兄妹ではないですよ」

「え?」


 そういうと、リルザは同僚のエルフに向き直る。


「カイという人はレフィーリアちゃんを妹のように見てましたが、レフィーリアちゃんは違いました。きっと、心から慕っている。ただ……」

「ただ?」

「いいえ、何でもありません」


 リルザはそれで言葉を切った。


(あの人は、多分嘘を言っている。彼はおそらく、もう――)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る