第30話 一筋の可能性

「負のエーテルが、ランディに……実際のところ、負のエーテルの影響というのはどういうものなんだ?」

『正確なところは分かりません。ですが、魔王となった者はただ一人の例外もなく、本来の性向に反して残虐性、暴力性等の傾向が著しく強くなります。元々負のエーテルというのは人間の負の感情によって歪んだエーテルであり、その集積を受け入れていますから、その感情の影響を受けてしまうのだと思われます』


 頭の中で常に憎悪や怨念、嫉妬、嫌悪などの感情が渦巻いているような状態で、さらにその衝動が常に強くなる。

 そんな状態で抵抗するというのは本当に至難なのだろう。

 むしろその点では、三十年もわずかに抵抗を続けていたルドリアが凄いと言える。


 いずれにせよ、負のエーテルを受け入れた時点で魔王となる、言い換えるなら圧倒的な魔力を持った暴力的な存在と化すのは不可避という事か。


 神秘が実在する世界なら、奇跡にすがりたいところだ。

 命を懸けて魔王を倒した勇者が報われてハッピーエンド。そんな努力が報われる世界であってほしかった。

 だがここは地球であり、冷厳なまでの物理法則が支配する世界だ。

 幻想世界ではない。

 超越者など存在せず、幸福な未来など誰も約束してくれない。努力が報われるとは限らず、理不尽なことはいくらでも起きうる。

 奇跡などない世界。

 この、残酷なまでの現実が、あらゆる解決策を封殺する。


 負のエーテルを放置すれば、この大陸は未曽有の大災害に襲われる。

 だから魔王による、定期的な浄化が必要。

 そして魔王は、浄化を終える頃に『勇者』に討たれて退場する。

 そして人間は平穏を取り戻し、数百年後に再び魔王が誕生してエーテルの浄化を開始し――また討たれるまで数百年。

 理不尽この上ないループだ。

 しかしこれが一番被害が少ないというIecsイークスの言葉は、おそらく事実なのだろう。


 別にこのループをどうにかしたいというところまでは考えていない。

 ただ、このループに囚われたラングディールを助けたいだけだ。


 このままではラングディールは完全に魔王になる。

 そうなれば二百年、長ければ三百年は魔王であり続けるだろう。

 その長い、おそらく本人の望まぬ生の果てに待っている運命は、死だ。


 魔王になった人間にどれだけ元の人格が残っているのかはわからないが、少なくとも先に対峙した時には、ラングディールの人格は確実に残っていた。

 だが、残っていてもなおあのようにしか振る舞えなかったところに、負のエーテルの恐ろしさも感じる。

 ラングディールにもこの先意思が残ったままになるとすれば――それは文字通り地獄だ。そしていつか心が死に、数百年後に次の勇者によって生命を終える。


 他にもシャーラはどうなったのかとか、気になることはあるが、多分今それはどうにもならない。

 さすがに殺してはいないと信じたいが。


 そして、ラングディールから負のエーテルを引きはがしても意味はない。

 負のエーテルを放置できない以上、次の魔王を誕生させるしかない。

 おそらくそれを拘束することはIecsイークスにも不可能なのだろう。出来たらとっくにやっているに違いない。


「……待てよ」


 ふと、一年半前にシドニスを発った時のことを思い出した。

 あの時、カイとラングディールはいつものように挨拶を交わし、そして別れた。

 少なくともあの時のラングディールは、魔王ではない。

 だがあの時点で、ラングディールの中には負のエーテルがあったはずだ。


「女神イークス。二つ聞きたい。」

『何でしょうか』

「負のエーテルを取り込んでから、魔王になるまで、言い換えれば負のエーテルの影響が表れるまでには時間がかかる。これは合っているか?」

『肯定します。個人差はありますが、およそ半年から二年程度は猶予があります。おそらく取り込まれた負のエーテルが本人に馴染むまでに時間がかかるのでしょう』


 つまり取り込んだからと言って、すぐ変わるわけではないということだ。

 これは、ルドリアの話からも推測は出来た。

 カイが出奔する時のラングディールがそれまでと変わらなかったのも、これで説明がつく。

 つまり、魔王化には時間的猶予があるということだ。


「もう一つだ。一時的でもいい、ランディから負のエーテルを引きはがす手段はあるのか?」

『引きはがしても、またすぐにラングディールに負のエーテルが宿るだけです。現在のアウスリア大陸で、彼以上の適性者はいません。そして彼はすでに影響を受けているので、引きはがした負のエーテルが再び宿れば、その影響はすぐに表れます。先ほどの問いのような猶予はありません』

「つまり、短時間なら引きはがす手段があるということだよな」


 女神は沈黙した。

 だがそれは、方法がなくはないことを意味している。


「あるなら、教えてほしい」

『引きはがせたとしても、ほんのわずかです。時間にすれば、五分程度です』


 五分。つまり三百秒。

 一瞬というほど短くはないが長いとは言えない。


「どのくらい離れれば、負のエーテルから逃れられる? 他の適性者がより近くにいたと仮定してだが」

『………………距離にして五百キロ以上。それだけ離れれば、さすがに他に適性者が近くにいるなら、そちらが優先されるでしょう』


 返答が遅かったのは、答えを計算していたからか。

 それを聞いて、カイは素早く計算を巡らせた。

 思いついたアイデアから、可能な距離を計算する。

 結論は――不可能では、ない。


「ランディから五分間、負のエーテルを引きはがす方法を教えてくれ」

『たった五分ですよ。その間に範囲外に行く方法などありません。仮にできたとしても、近くに適性者がいれば、やはりそちらが魔王になる。結果は変わりません』


 言いたいことは分かる。

 ラングディールほどの魔王にはならないかもしれないが、それでもルドリアに匹敵する魔王が誕生する。当然、ラングディールは再びその魔王を討伐しようとするだろう。そうなれば再びラングディールが魔王になるか、あるいは破れて殺されるか。

 かといってもし近くに適性者がいなければ、集積された負のエーテルがその場で暴発する。過去、集積した状態の負のエーテルが暴発した実例はないそうなので、そうなった場合の被害は、想定が出来ないという。


「それは何とかする。ただ、五分だけランディから負のエーテルを引きはがすことさえ出来れば、あいつを助けることが出来るし、災害も起きない。そして少なくとも、次のサイクルまで魔王が地上に現れないように、多分出来る」


 計算上、おそらく五分もあれば十分過ぎる。

 何もかも上手くいけばという話ではあるが、難易度自体はそこまで高いとは言えない。何より、ラングディールを助けられるなら、やる価値はあるだろう。

 カイは思いついたプランについて女神に話す。

 半信半疑で聞いていた女神だが、やがて驚いたような顔になった。


『……いいでしょう。あなたがそれでいいなら、確かにその方法ならばラングディールは救われるし、災害は起きません。そして魔王も地上には出現しないでしょう。ですがそれに必要な力は、ここにはありません』

「ない?」

『プロトタイプ・エクスカリバーが必要です』

「プロトタイプ……つまり、試作品ってことか?」

『肯定します。現在のエクスカリバーが作られる前に作られた、最初のエクスカリバーにして欠陥品です』

「どういうことだ?」


 カイの質問に、女神は少し悩むような素振りを見せながらも、詳しく説明してくれる。

 その力は、カイが求めているまさにそれそのものだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 一時間後。

 カイは女神の祭壇の入口付近に出てきていた。

 すぐ後ろに女神イークスの姿――立体映像――がいる。


 カイは、外の光を確認すると、女神の方に振り返った。


「色々ありがとう。女神がこんなのだったのは……まあ驚くが、別に吹聴するつもりはないよ」

『そうしていただけると助かります。私自身はともかく、この大陸の人々にとって、私への信仰がその支えになっていると分析はされているので、やはり外聞は保ちたいです』


 神としての体面を保ちたいので、と続けてきた。

 こういうところは、いい意味で妙に人間臭いと思ってしまう。 


「そういえばちゃんと聞いてなかったが、現在の地球環境は結局どうなってるんだ? 負のエーテルの影響で大変なことになったのは分かったが、新条司の時代にもかなり色々ヤバかったらしいが」

『そうですね――エーテル工学が確立する前の時代は、色々大変だったようです。エーテル工学であっという間に環境問題は解決しましたが――』


 その後に負のエーテルの影響で結局文明自体が崩壊したわけだ。


「実は地軸が歪んでいたりしないか? 大陸北側に住んでいた時期があるが、あのあたりが昼と夜の長さが季節でほとんど変わらなかった。しかしあのあたりが赤道付近のはずはない。あまり暑くはなかったし……」


 タスニア島にいた頃は夏が日が長く、冬が短かったはずだ。

 しかしレフィーリアと住んでいた大陸北方では、半年余り住んでいたが日の長さにはほとんど変化がなかったように思う。あの集落には神の刻報機ディバインクロックはなかったから、正確なことは言えないが。

 季節によって日の長さがほとんど変わらないのは赤道付近の特徴だが、オーストラリア大陸の北部が赤道直下だった記憶はないので、地軸が歪んだりしているのかと思えるが。


『ああ、それは簡単です。あなたの記憶より、このアウスリア大陸……オーストラリア大陸はかなり北にあるんですよ』

「それは……大災害の影響か?」

『いいえ。プレートテクトニクスによる移動です。あなたが知るそれより、大体一千キロほど北に移動してますから。むしろ今は魔王出現の影響で氷河期に近いほどに地球全体の気温は下がってます』

「あ」


 忘れていた――というか思い出せていなかった。さすがに自分の記憶ではないので、そういうところにはすぐ考えが行かない。だがそういえば、この地球は大陸がわずかに移動するという現象があるのだ。

 その動く速度はわずかだが、百万年も経てばさすがにそれほどになるらしい。

 となれば、レフィーリアと過ごしていた大陸北方は、ほぼ赤道直下。それであの気温なら、確かに寒冷化が進んでいると言えるだろう。


 それに考えてみたら、星の配置も全然違う。

 見える星の数が非常に多い上に、南半球の星空など過去の記憶にもなかったので、わからなかった。さすがに百万年も経つと変わってしまうものだ。


『ついでに申し上げると、地球の歳差運動によって、季節も少しずれています。そのあたりは、夏至や冬至がずれているので、あなたも気付いているでしょうが』


 確かに、夏至は二月頃、冬至は八月頃。

 むしろそのあたりが違うから、地球ではないと思っていた。

 しかし百万年も経てば、当然同じであるはずはないのだ。


「なるほどな。それに色々形も変わっているんだろうな。しまったな、それくらい見ておくんだったか」

「それは次の機会にでもよろしいのでは?」


 カイは軽く手を振ると、「そうだな」と言って女神の祭壇を出た。

 それに対して女神は最後に、『ご武運を』とわざわざ日本語で言ってくれて、驚いて振り返る。

 しかしすでに、女神の姿はなかった。


「意外にお茶目だな」


 カイは苦笑しつつ、来た道を歩いて戻っていく。

 そして森の手前まで来たところで、振り返った。


「まさかここが女神の聖地だったとはね……まあ確かに、かつても聖地だったらしいが、百万年後に本当に聖地になってるとは思わんだろうな」


 振り返った先に見えるのは巨大な一枚岩。

 高さは八百メートル余り。幅は軽く二キロ以上。

 巨大な赤茶けたその岩のあるこの地の名前は、現在では聖地ウーリュ。

 だが、過去の記憶には、違う名で記録されている。


 聖地ウルル。

 またはエアーズロックとも呼ばれたその大岩は、新条司が知るその巨大な姿を、百万年経った今もほとんど変えずに、その地に横たえていたのである。


――――――――――――――

 というわけで謎解きは大体おわり。

 後は装備手に入れてラストまで駆け抜けます。

 ところでアウスリア大陸がオーストラリア大陸だと気付いた人はいらっしゃるでしょうか ⇒ 確定で一人いらっしゃった……

 街の名前とかは実は、実在の街をちょっと変えたり、あるいはそのままだったりします。めっちゃ序盤で推測されてビビりました(笑)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る