勇者の道

第20話 新たな目的地(改稿)

 祈るような声が最初に聞こえた。

 それに重なって聞こえたのは、雨の音。

 柔らかい雨音が、子守歌のように思える。

 ただそう考えた直後に、自分の状況が気になり始め、急激に意識が浮上した。


(俺は――どうなっ――くあ!?)


 カイは意識が戻ってくると同時に、全身の痛みで思わず悲鳴をあげそうになった。

 かろうじて情けない声は出さずにすんだものの、それでもうめき声のような、ともするとカエルを絞めた時のような声が漏れ――。


「お兄ちゃん!!」

「ぐじょえ!?」


 胸部に飛び込んできた小さい影の激突に、痛みがさらに襲い掛かり、カイはまたも悲鳴をあげるのを我慢しようとして、もっと妙な声を出すことになる。

 ただ、その痛みの中、自分にしがみついている金色の髪に、ようやく状況が少し理解出来てきた。


「リア……か?」

「お兄ちゃん、生きてる? 大丈夫だよね?」

「あ、ああ……」


 周囲を見渡すと、粗末な小屋のようだ。

 それも朽ちかけているような場所であるが、それでも雨風くらいはしのげるというところか。

 寝かされているというのは分かったが、背中に感じる感触は意外に柔らかい。わずかに首を動かすと、どうやら毛布を敷いてその下には飼い葉などを敷き詰めてあるようだ。


 あらためて自分の状態を確認する。

 左腕の下腕部骨折。

 右腕、肩に激痛。多分骨にヒビが入っている。

 右足首は酷く腫れあがっているが、折れてる感じではない。ただ、左脚は折れてはいないがおそらく骨にヒビが入っているだろう。


 加えて全身に擦過傷。

 傷のほとんどはあのラングディールの魔術を避けた時、盛大に吹き飛んで地面に転がった時のものだろう。あの魔法を直撃していたら、こんなものでは済まない。

 何とか自分を保護する障壁を張ったつもりだが、完全ではなかったようだ。

 ただどれもそれなりに治療され、包帯が巻かれている。放置していれば化膿して腐っていた可能性も低くない。


「リアが……助けてくれたのか?」

「うん……ごめんなさい、言いつけ守らなくて。でも私、とても嫌な予感がしたから」


 宿で待っていろと言ったのを出てきたことを言ってるのだろう。

 だがこれを責める理由は、カイにはない。

 レフィーリアが見つけてくれなければ、おそらく自分は死んでいる。


「とんでもない。助けてくれてありがとう、リア。えっと……ここは?」

「お兄ちゃんが倒れていた場所の近く。誰もいないから、とにかく、と思って」


 レフィーリアが外を示すと、暗い中に雨の音が聞こえる。

 どうやらあの後に雨まで降り始めていたようだ。放置されていたらさぞ酷い腐乱死体が出来上がっていただろう。

 小柄なレフィーリアが成人男性としては標準的なカイを引っ張って良くここまで来れたと感心する。


「そうか。本当にありがとう。……といっても、いつまでもここにいるわけにはいかんな……」

「お兄ちゃん、無理しちゃダメ。酷い大怪我だったんだから。必死に治そうとしたけど、上手くいかなくて」


 その言葉に、カイはわずかに違和感を覚えて、自分の手を見た。

 包帯に包まれたそれは、確か手の甲の皮がなくなるほどに大きな傷があったはずだが――。


 包帯を解くと、そこにはわずかに赤くなってるとはいえ、ほとんど元通りの皮膚があった。


「リア。お前が……まさか、魔法で?」


 レフィーリアが小さく頷く。


「驚いた……治癒魔法は教えていなかったのに」

「お兄ちゃんが前にナイフの扱いミスした時に使ってるのを見て覚えてたの。とにかく治さなきゃって思って……それで。でもあまり上手にできなかったし、大きな怪我は全然治ってくれなくて」


 そうはいっても、多分かなり回復してくれている気がする。

 治癒魔法は結構難しい魔法の一つで、少なくとも単純な火をおこしたりするものとは難易度が違う。

 だがそれを、見様見真似で出来たというのは驚くばかりだ。

 エルフが魔力の扱いに長けた種族であるとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。

 多分これがなければ、どちらにせよ死んでいたと思う。

 本当にギリギリで、命を拾ったと思えた。


「十分だ、リア。これなら……」


 カイは意識を集中して魔法を発動させる。

 自分の身体のことだ。特にカイにとっては、治癒魔法は他者を治すより自分を治癒する方が、遥かに簡単で効率もいい。


 しばらくすると、身体の痛みはだいぶ和らいだ。

 完全に治癒するのは難しいが、自己治癒力を大幅に加速させている。明日には歩くくらいのことはできるだろう。


「ちなみに俺は、どのくらい眠っていたんだ?」

「丸一日弱ってところ。お兄ちゃんがニスルに向かった日の夜だよ、今」

「そうか……」


 カイがあの最後の攻撃を回避したのは、ラングディールには見えていただろう。

 そしてあそこからそう離れていないのに、兵が探し回っている様子がないということは、おそらくラングディールはカイを障害だとすら思っていない。


「お兄ちゃん。一体何があったの?」

「信じがたいことなんだけどな……ランディが、魔王になっていた」

「へ?」


 レフィーリアも意味が分からず呆然としていた。

 それはそうだろう。

 これまで、ラングディールの勇者としての武勇伝を――少し面白可笑しくアレンジしつつ――レフィーリアに語っていたのは他ならぬカイだ。

 その勇者が魔王になるなど、考えるはずもない。


 だが、あれは間違いなく魔王の魔力だった。

 魔王復活の噂も、あながち嘘ではなかったということになる。

 あの禍々しく歪んだ、それでいて他の全てを圧するほどに強大なあれは、まさに魔王ルドリアのそれとほぼ同じだ。

 むしろ、ラングディールの魔力も重なっていたから、下手をしなくてもルドリアより強いとすらいえるかもしれない。しかも聖剣まで持っている。


「勇者が魔王になっちゃうなんてこと、あるの?」

「分からん。俺も初めて聞いた……というか、先代の魔王なんて、八百年以上前の話だからな……」


 記録などほとんど残っていない。

 カイはかつての伝説に興味を持ってリーグ王国にいた頃に、魔王について過去の記録を色々調べていたが、正直それよりもケーズに行った時のルドリアの話の方がより確かで、かつ実のある情報だった。

 考えてみれば、勇者が残した悪逆の魔王の記録だ。どう誇張されてるかなど分かったものではない。


 だが、過去のあやふやな伝承も含めて、勇者が魔王になったという記録はなかったと思う。そもそも、お伽噺レベルのものも含めて、基本的に長い魔王の支配を勇者が打ち倒して平和な時代を築いたというのが、勇者の物語の定番だ。

 それが、魔王が倒れて僅か二年で再び魔王が出現する話など、聞いたことがない。

 ましてそれが元勇者となると、これがお伽噺なら三流以下だ。


 だがそれが現実として起きてしまっている。

 もはや伝承を頼りに探している場合ではない。

 当事者に話を聞ければ一番いいが、あのラングディールと会話ができるとは到底思えなかった。

 となれば――。


「女神の聖域に行くのが一番かな……」

「女神の聖域?」


 独り言のつもりが、声に出ていた。

 思わずカイはしまった、と口をふさぐ。


「お兄ちゃん。今度は私、どんなところでもついていくよ。もう、一人は嫌。今回でそれがよくわかったから」

「だが、今度はより危険な旅になるし……」

「私がいなかったら命も危なかったのは、どこのお兄ちゃん?」

「ぐっ……」


 それを言われると反論しづらい。

 確かに、レフィーリアの魔法の才能は、下手をすると自分と同等かそれ以上かもしれない。

 それに、おそらく遠からず東海岸は戦乱の渦が巻き起こる。

 安全な場所などなくなっていくだろう。

 となれば、一緒にいた方がまだマシだ。


「分かった。ただし条件がある」

「条件?」

「魔法を覚えてもらう。リアには、もしかしたら俺以上に才能があるかも知れない。せめて、自分の身はある程度守れるくらいにはなってもらいたい」


 するとレフィーリアは迷わずに大きく頷いた。


「もちろん。私からお願いしたいくらいだったし。いつかお兄ちゃんも助けられるくらいになってみせるね」

「はは……そうだな、期待してる」

「それで、女神の聖域って?」

「……ああ。それは――」


 カイは、雨音が響く外を一度見て、少し目を閉じた。


「ランディが女神イークスに認められ、勇者となった場所だ」

「勇者に……なる? 勇者って、最初から勇者じゃないの?」

「それはどこの話だ……」

「えっと……お伽噺とか。ほら、勇者の血筋とかっていうし」


 確かにお伽噺ではそういうことは良く言われる。

 だが少なくとも、この大陸のおける勇者はそういう存在かというと、カイはそれには懐疑的だ。


 確かに、ラングディールの先祖は勇者だとされている。

 かつての魔王バルビッツを倒した勇者ルーベックが、リーグ王国の祖とされているのだ。


 ただ、それではそのルーベックはかつての勇者のすえかというと、それはとても怪しい。

 そもそもルドリアとは異なり、バルビッツの暴威は三百年も続いたとされており、そんな血筋が維持できたのかという疑問がある。


 ただ、勇者の定義について、確実に答えられる『存在』はいる。

 それが、女神イークスだ。

 少なくともラングディールは女神に会って、そこで聖剣を授けられて勇者になったのは間違いない。

 その聖剣を授けられる場面は見ていないが、聖剣そのものならカイは見ている。


「女神さまが聖剣を勇者様に授けるって話は聞いたことがあったけど……」

「事実だ。少なくとも俺はその聖剣を見ているからな」

「じゃあ、そのラングディールさんは、女神さまに直接会ったことが?」

「あるはずだ。本人からもそう聞いた。ただ、詳しくは教えてくれなかったが」


 後にリーグ王国を復興後、残っていた書庫――ルドリアは特にこれらを破壊することはしなかった――で見たかつての記録でも、女神に関する記述は驚くほど少なかった。

 何より――。


「女神の聖域とされる場所で女神に会って聖剣を授かるんだが、後にリーグ王国で記録を探しても、それに関する記述はほとんどなかったんだ」

「記録……前の勇者様の記録も?」

「ああ」

「あれ。でもお兄ちゃんって、勇者の仲間だったんだよね? じゃあ、女神さまに一緒に会わなかったの?」

「ああ。聖地とされるその場所に入ったのは勇者になるランディ一人だけだった」


 正しくは、女神の聖域とされる聖地ウーリュの場所を示された『女神の試練』でその試練を越えた証である『女神の証明』というのを享けたのがラングディール一人だったからだ。

 三人の中でラングディールが最も勇者に相応しいというのは三人の共通認識だったし、彼が勇者となるのにカイもシャーラも何の疑念も抱かなかった。


 だが。


 確かにラングディールは破格と言える魔力の強さがあるが、それが勇者の証なのかと言えば、違う気がする。


 この世界に魔王という存在がいるのは確かで、それを打倒する勇者が女神に認められて誕生するのも間違いな事実だ。

 この魔王と勇者の戦いは、名前こそ伝わっていないが、幾度となく繰り返されてきたと伝承は語る。

 この伝説は連綿と語り継がれ、ルドリアが君臨している間も、人々の希望となっていた。

 この世界の人は、その伝説に疑問を持たない。


 しかし魔王が元人間であったというなら、それを打倒する使命を帯びた勇者とは何者なのか。

 かつての旅では全く疑問に思わなかったが、今にして思えば、その根拠はあやふやな伝承の中にしかないのだ。


 魔王ルドリアに、勇者ラングディール。

 さらに八百年前には、魔王バルビッツに勇者ルーベック。

 女神イークスに、その加護を受けた聖剣エクスカリバー。

 八百年前の話はともかく、魔王ルドリアや勇者ラングディール、それに聖剣エクスカリバーはカイ自身も見ているから、実在を疑うことはない。


 だが。


「勇者とか魔王って都合のいい存在があるなら、何かルールがあるはずだ」


 カイは一人呟くと、まだ暗い雨の空を見上げていた。

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