第18話 戦争の気配

 カイとレフィーリアは、タウビルから商船に乗せてもらった。

 本当はのんびり陸路を行くつもりだったのだが、あんな噂を聞いては、さすがにカイも気になってしまう。


 沿岸を行く航路は海賊などが出るリスクも低くはないが、それに関しては陸路も同じだ。

 最悪、カイは海賊船ごと沈めることすらできるので、用心棒としても働くということで無料タダで船に乗せてもらうことができた。

 護衛の給金の代わりにレフィーリアと馬の船賃というわけだ。食事も出してもらえる条件なので、カイとしては大助かりだ。


 この世界の船は一応帆船ではあるが、基本的に喫水が浅い。

 つまり外洋を航行するのには不向きで、陸が見える程度の距離、沖合せいぜい三キロ五キロ程度を航行する。

 動力は基本的に風。

 東海岸は基本的に北東または東から風が吹いていることが多く、陸に近い場所であれば波もあまり高くないので、比較的安定した船旅ができる。


 ちなみに波が荒いことで知られるのは実は南部、タスニア島との間の海峡だ。

 バース海峡と呼ばれる約五十キロほどの広さの海峡なのだが、異様なほど波が高い。

 そのため、昔は大陸に渡るのすら命がけだったという。

 魔王ルドリアがしばらくの間タスニア島を放置したのも、その波の影響だとされる。

 ちなみに島の南側の海はさらに波が高く、とてもではないが船が航行するのが不可能なレベルである。

 命知らずが南に出て行った逸話はいくつかあるが、帰ってきた話は皆無なのだ。


 二人が乗せてもらった船は全長が十五メートルほど。マストは二本。それに補助として櫂を持つが、通常はあまり使わず、どちらかというと出港時と入港時に使うためのものらしい。

 カイとしてはレフィーリアが船酔いしないかが少しだけ心配だったが、それは大丈夫だったらしい。ちなみにカイは何ともない。


 幸いにも海賊などの襲撃もなく風も順調だったため非常に順調に航行できて、タウビルを出てから半月ほどで、二人は大陸東岸でもシドニスと並ぶ大都市、ブリスタに到着した。

 このアウスリア大陸東側にある大都市の一つでもあり、人口はおよそ三十万人。この文明レベルとしては驚異的なほど巨大都市だ。

 セント・ルシア王国の王都でもある。


 街の中心を流れるブリスタ河のほとりに広がる街だが、海側に大きな島がと小さな島がいくつも点在し、それらが街を守るように配置している。

 そのため、街の前の海は常に穏やかで、漁業も盛んな街だ。


 ここから目的地のシドニスまでは、およそ九百キロ。

 この辺りになると道もかなりいい上に、ブリスタとシドニスの間を行き来する商隊はそれなりにいるはずで、治安も必然的に良くなる。

 つまり移動もかなり楽になるはずだ。

 今日のところはこの街で休んで、明日、あらためてシドニスに向かう船がないか探す予定だ。ブリスタとシドニスを行き来する船は、そこそこあるはずである。

 それに、この街ならリーグ王国方面の情報があることも期待できるだろう。


 だが。


 そのブリスタの街に入ったカイとレフィーリアは、その街の雰囲気が剣呑なものになっているのに、すぐ気付いた。


「なんだ……なんか妙な緊張感があるというか」


 理由は分からないが、こういう時は情報を集めるに限る。

 ブリスタの街はさすがに巨大なだけあって、宿などもある。

 そしてたいていの場合は食事処や酒場を併設しているので、そこならある程度の情報は聞けるはずだ。


 二人は街の目抜き通りを歩いて、一件の食事処に入った。

 お昼過ぎということもあり客はそれなりにいるようだが、その雰囲気はやはりどことなく重苦しい。


「いらっしゃい。なんにする?」

「水と食事を適当に。ところで俺たちは北から船で来たばかりなんだが、なにかあったのかい?」


 注文を取りに来てくれた女性給仕は、それを聞くと意外そうな顔になる。


「知らないのかい。ああ、でも北からしかも船で来たばかりじゃ仕方ないか……」


 そういうと、給仕は少しかがみこんだ。

 自然、カイとレフィーリアが顔を寄せる。


「戦争になるかも知れないって話なんだよ」

戦争War?」


 あまりに馴染みのない単語なので思わず聞き返してしまった。

 この大陸では、戦争などここ数百年は起きたことがない。

 これは別に、この大陸の人々が理性的で協調路線を歩むから、というわけではない。


 魔王バルビッツが討たれたのが八百年前。

 その後、ようやく魔王の圧政から解放され、大陸各地に散った人々はあちこちで街を造り、国を建てた。

 ただ、その距離がお互いに非常に遠いのである。

 このブリスタのあるセント・ルシア王国は、北にハルプト王国、南にリーグ王国があるが、その国の間には、国に属さない緩衝地帯や都市国家が多数ある。

 そしてその分布も非常にまばらだ。

 それこそ、百キロから場合によっては三百キロ以上離れている。


 支配するとなるとそこへの街道を整えたり、あるいは連絡手段を都と寝たりというコストがかかる。大陸が広いため、その統治のためのコストが、その地域を支配することによるリターンに見合わないので、どちらも支配の手を伸ばさないのだ。


 結果、この大陸――特に東岸地域――は、大きな国はリーグ王国、セント・ルシア王国、ハルプト王国、アデレード王国の四つしかない。もう一つあったアルヴィン王国はルドリアに滅ぼされたままだ。

 あとはレンブレス自由都市群のような緩い都市国家連合か、あとは単独の都市国家が独立して存在しているだけだ。

 そして、お互いに争うこともあまりないのである。


 ブリスタの街も外周を一応柵で囲ってはあるが、中世の欧州や中国の都市の様に城壁というほどのものではない。

 その点ではどちらかというとアメリカの開拓時代のような感じだろう。

 建築様式それ自体はヨーロッパ風ではあるが、街の設計思想は違うのである。


 もちろんセント・ルシア王国にも軍はいるが、それらはあくまで治安維持のための存在で、外敵のことはあまり考慮されていない。

 もちろん街の中心にある王城には城壁を持った城があるが、それもあまり防御に適した形をしているわけではない。

 軍事拠点としての砦は郊外にあることはあるが、使われたことはほとんどないらしい。


 これは、ルドリアが現れるまで八百年もの間平和が続いたこともあり、外敵に備える必要はなかったからというのもある。

 この辺りはシドニスなども同じだ。

 あまり街を戦場にするということは、どの国もやろうとはしない。


 このような事情ため、基本的に国家間の戦争などが起きることは、滅多にない。

 無論、国内での争いなどに軍が出動することはあるが、その場合は『戦争War』とは言わない。通常、『紛争Conflict』という。


 その唯一の例外が、魔王ルドリアによって起こされた戦争だ。

 ただ、このセント・ルシア王国は頑強に抵抗しつつも一年にわたる抗戦の末敗れ、魔王の軍門に下った。

 ただその際に、彼らはその一年の間に街の人々のほとんどを避難させていたという。王家についても、王国の貴族たちが身を挺して逃がしていたという。この辺り、王家を差し出して自分たちの保身を優先したリーグ王国の貴族たちとのあまりの違いに呆れるばかりだ。

 魔王ルドリアは逃げた彼らは追わず、また、ブリスタの街を破壊することもしなかったという。軍事拠点はさすがに破壊されたが。

 ルドリアはそのまま進軍、リーグ王国を攻め滅ぼし、その後はシドニスを拠点とし、ブリスタをはじめとしたセント・ルシア王国は放置された。

 そのシドニスは魔王の支配によってかなり荒廃してしまうことになるが。もしあの支配が数百年続いていたら、街として滅んでいただろうと思う。


 その後魔王が滅んですぐ、セント・ルシア王国は人々を集め、再びブリスタを復興したのである。三十年前に勇戦した貴族たちの子弟も王家に協力し、互いに復興に尽力している。

 何もせずに地位の安泰だけを求め、挙句に復興の足を引っ張ってくれたリーグ王国の貴族たちとは雲泥の差だ。

 そのためか、北に行く際にも通ったが、ほんの一年あまりでセント・ルシア王国は驚異的なほどに復興していて驚いたものである。

 まだリーグ王国にいた時から、セント・ルシア王国の隆盛ぶりはむしろ旧貴族たちには脅威に映っていたらしいが、その原因が自分達にあることは理解してないんじゃないかと思う。


 いずれにせよ、戦争などというのは穏やかではない。

 そもそも、どこがセント・ルシア王国と戦争できるほどの国力があるというのか。

 あるとすれば――。


「そうさ。リーグ王国が戦争を仕掛けてくるって噂があるんだよ。なんでも、魔王がまた出現したって噂があるくらいでね」

「……は?」


 カイは思わず耳を疑った。

 魔王が、リーグ王国に出現した?


「馬鹿な……あそこは勇者ラングディールのいる国だぞ」

「だよねぇ。だから噂なんだろうけど、でもリーグ王国が戦争をしようと軍備を整えてるのは事実らしくてね。で、リーグ王国が戦争を仕掛けるなら、セント・ルシア王国くらいしかないだろう?」


 それはその通りだ。

 リーグ王国の西にアデレード王国があるが、勢力はそこまではないし、旨味も少ない。セント・ルシア王国の方が単純な利得だけ考えるならあり得る話だ。

 それにセント・ルシア王国が警戒しているということは、リーグ王国の軍備は北に向けた準備をしているという事だろう。


「そんなわけで街の雰囲気もこれなんだよ。まあ、そういう噂が出たのはもう三カ月も前で、準備とかは非常にゆっくりらしいけどね。でも最近、本格的な編成が始まって話もある。魔王がやっと倒れて、まだ二年しかたってないにねぇ」


 給仕はそう言ってから、厨房に向けて注文を大声で繰り返しつつ、去って行った。


「お兄ちゃん……」


 レフィーリアが不安そうな顔をカイに向ける。

 それを見て、カイはレフィーリアの頭に手を置いて少しだけ撫でてあげた。


「大丈夫だ。あのランディがそんなことをするはずがない。俺は、あいつを誰よりも知ってるからな」

「……うん」


 不安そうに頷くレフィーリアを安心させるように、頭に置いた手をさらに動かす。

 だがそういうカイ自身が、誰よりも不安を感じていた。


(ランディ……。一体今、何をしているんだ――)

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