混迷する事態
第16話 再び南へ
四月ごろ、カイとレフィーリアはついに村を出発した。
結局九カ月あまり過ごした村ではあるが、別に持っていかなければならない物はほとんどない。
家畜はさすがに放置はもったいないので、南のミスリバーの街に連れて行くことにした。
乳牛や卵を産める雌鶏は重宝される。
カイとしては馬が欲しいところなので、交換してもらう予定だ。すでに事前交渉は済んでいる。
畑は荒れ放題になるだろうが、元々そんな大規模にやっていたものではない。
最後に一応種をまいていくので、運が良ければ育つだろう、という程度だ。
「ずっと……この村から逃げたいって思ってたの」
村の出口で、レフィーリアが最後に村を振り返って、ぽつりと呟いた。
「でも、この村の記憶はお兄ちゃんとの思い出でいっぱいになっちゃった。だから、ちょっと寂しいって気持ちの方が、今は強いの」
「そうか。まあ、いつか戻ってくることだってできるさ」
人里離れた不便な土地ではあったが、山からの水は豊富で、しかも周囲の森には獣もたくさんいた。土地も肥沃で、暮らしていく分には不自由しない場所だ。
カイたちには用はなかったが、少し離れたところには畑を開墾するのに良さそうな平原もあった。気候が安定しているから、様々な作物を作れるだろう。
北の辺境ではあっても、その気になれば百人どころか千人程度は暮らすことができる街は作れるのではという気がする。
「リアが勉強して、この地に素敵な街を作ればいい。それだって、立派な目標だ」
「うん。でも先に、お兄ちゃんと一緒に色々なことを知りたい。でもそのためには、まず私が知らないことをたくさん知らないとダメなんだね」
レフィーリアには、シドニスで勉強してもらうことになっている。
本当は先んじて手紙を送りたいところだが、そういった通信網の復旧はまだ行われていない。
各国の国内で、わずかに再開しているくらいだった。
あとは商人に預ける手があるが、それなら自分たちが移動した方が早い。
二人はミスリバーの街に行くと、そこから体力がありそうな頑丈な馬と、乳牛と雌鶏を交換した。
乳牛や雌鶏は状態も良かったため、馬に加えていくつかの旅装具もおまけしてくれたほどだ。実際、かなり健康状態に気を使っていたので、今後も重宝されてくれるだろう。
そしてミスリバーで一泊――家畜商が部屋を貸してくれた――してから、二人はさらに南へ旅立った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うわぁ……すっごい綺麗……」
それが、レフィーリアがそのエメラルドグリーンの海を見た、最初の感想だった。
ミスリバーを出てから一月近く、とりあえず東海岸を目指しつつ南東に進んで、二人はタウビルまでやってきた。
タウビルは先にカイが立ち寄ったケーズよりさらに南に三百キロほど行ったところにある海岸沿いの街で、レンブレス自由都市群の中心地だ。
そして魔王ルドリアによって、最初に制圧された街でもある。
「それにすっごい大きな街だね……ミスリバーの何倍あるんだろう?」
「人口だけで三十倍近かったはずだ。まあ、ここなら久しぶりにまともに休めるな」
タウビルの街の人口は五万五千と云われている。ミスリバーが二千人。その差は本当に三十倍近い。
これまでの道中はほとんど野宿だった。
この世界は、魔法があるとはいえ魔獣や魔物などの類はいない。
伝説だと魔王の部下にそういうのがいたという記録があることはあるのだが、カイは実物を見たことがないし、実際、ルドリアの配下にはいなかった。
少なくとも原野にいるのはカイのよく知る動物くらいだ。
ただ、安全かというとそういうわけではない。
知られてる範囲で、毒を持つ生物は多い。
ただ、人間を襲うことは非常に稀なので、火を焚いていれば大抵は安全だ。
むしろ最も危険なのは意外な動物で――昨夜それとやり合ったが、どうにか撃退できた。
「昨日狩ったカンガルーのお肉も売れるかな」
「そうだな。まだ新鮮だし、魔法で保存しているからな」
なぜかこの大陸には、地球のオーストラリア大陸にいたカンガルーに酷似した動物がいて、しかも同じようにカンガルーと呼ばれているのである。
このカンガルー、確かに凶暴なのだが肉がとても美味しいことでも知られる。
野生動物なのに臭みがほとんどなく、さっぱりとした食感で肉質が非常に柔らかい。しかも色々な香辛料や調味料になじみやすく、本当に多種多様な食べ方が出来るため、食肉として非常に人気が高い。
ただ、その生息域は基本的に人里から遠く離れた場所なので、専門に狩る職業の者達がいるという話だが、カイたちはこれに運良くか悪くか遭遇し、敵とみなされたのか攻撃されてしまったのである。
おかげで丸一頭分の肉を獲得できたわけだが。
街に入ると、想像以上の賑わいがあった。
かなり復興しているという事だろう。
ケーズに向かう際にもここは通ったが、その時よりさらに活気があるように思う。
時刻は昼過ぎ。
とりあえず二人は街の中心街の市が立っている場所に行った。
この手の街は、たいてい時間帯によって市が立つ。
時間や場所、あるいは曜日によって色々異なるが、お昼時であれば食事をさせるような屋台が多く出てることが多い。
あとは夕食や明日のための食材を扱う店だ。
「お兄ちゃん、どうする?」
「ともかく肉を売りさばこう。そのあとに食事だ」
ちなみにこの世界は食品保存技術は様々にあるが、最も信頼度が高いのは魔法によるものだ。
特に魔法による冷蔵冷凍技術は広く知れわたっている。
もっとも、術者の技量によってその保存状態は大きく異なり、これを専門に扱う術者集団もいるという。
ただ、大賢者とまで呼ばれたカイは、専門術者と同等かそれ以上の精度で保存させることができる。
そもそも、ものが腐るプロセスが分かっているので、腐らないようにさえすればむしろ熟成が進んで美味しくすることすらできるのだ。
見た目で明らかに状態がいいとわかるカンガルー肉は、うまい具合に高値で売れた。
この辺りはレンブレス自由都市群の通貨が今も流通しており、それらは基本的にリーグ王国の
とりあえず銀貨であればどこでも使えるのでそれで対価を受け取った。
その後二人は、オープンテラスのような席がある屋台で食事をすることにする。
ほどなく、注文したものが運ばれてきた。
「美味しそうだね、お兄ちゃん」
少しだけ手元に残しておいたカンガルー肉を焼いてもらったものに、ジャガイモと豆の炒め物。それに魚の干物とパンというメニューだ。
カイ――というより新条司――的には白いご飯が欲しいところだが、この辺りは稲作がない。
小麦はどこでも作っているが、やはり水が必要な稲作は産地が限られるらしい。
具体的にはリーグ王国の南部では作っていて、タスニア島もその恩恵で米食が一般的だった。
「確かに、一年前よりさらに色々作物も増えてる感じだな」
魔王ルドリアが倒れてから、あと数ヶ月で二年になる。
物流も復活しつつあるのだろう。
このタウビルの街はアウスリア大陸北東部の中心都市でもあるので、多くのいろいろなものが集まっているため、市場の商品はかなり豊富なのが見て取れた。
カイとしては、魔王を倒したことでこの風景が見られているのだと思うと、少しだけ誇らしくはある。
「おや、可愛らしい女の子連れてるね。妹さん、かい?」
最後の注文――デザートのフルーツ盛り合わせ――を持ってきてくれた給仕が声をかけてきた。
ちなみに、今レフィーリアは耳を隠すためにフードのような帽子をかぶっている。
陽射しが強いので、このような帽子をかぶるのは珍しくない。
食事中に外さなくても不審に思われないために、屋外のテーブルを選んだというのもあるのだ。
「まあそんなところだ」
「初めて見る気がするけど、商人かい?」
「いや、ちょっと違う。事情があってリーグ王国に向かっているんだ」
この時代、商人以外で旅をする人はまずいない。
旅をするのはよほど奇特な人間だ。
新条司の記憶だと、中世のヨーロッパなどでは巡礼者や騎士が自らの士官のために各地を巡るといったことはあったらしい。
しかしこの大陸はそもそも広すぎて、個人で移動するのはかなり難しい。
街と街の間はかなり距離があり、場所によっては三百キロほど人里がないということも珍しくないほどだ。
そのため、商人が行き交うルート以外は基本的に移動には不向きな上、当然だが盗賊などのリスクは小さくない。
そんな場所を個人で行く人はまずいないし、そもそも必要がないのである。
「そういえば、リーグ王国の情報とかないかな?」
軽い気持ちでそう聞いたカイだったが、聞かれた側の給仕は、なぜかやや顔を雲らせたのだった。
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