第15話 レフィーリアの行先

 さらに半年ほどが過ぎた。


 と言っても、この村には神の刻報機ディバインクロックがないので、あまり月日も意識しない。

 最近は村の中でほぼ事足りてしまうため、ミスリバーの街に行くのも稀なのだ。


 もう年は明けているはずなのだが、特に新年で何かをしたりもしなかった。

 さらにこの辺りは昼と夜の長さがいつもほぼ同じらしく、季節感も皆無だ。

 気温も、体感だが日中は三十度以上はあるようだが、空気は乾いていてそこまで過ごしづらいということはない。夜は二十度程度まで下がってるため、寝苦しいということもなく、全体として過ごしやすい。

 下手をすると、冬はかなり冷える――最低気温が氷点下程度まで下がる――タスニア島より過ごやすい気がする。一年中この気候というのは悪くない。


 レフィーリアはすっかり回復していて、年相応かそれ以上に体力がついてきていた。夜にうなされることもほとんどなくなっている。

 細身であるのは相変わらずではあるが、肌の色も病的とも思えるような白さではなく、健康的な肌になっていて、わずかだが女性らしい丸みも帯びてきたように思う。


 そこまで回復してくると、カイとしては今後のことを考えざるを得ない。

 いつまでもレフィーリアをこんな場所で育てるというわけにはいかないのだ。

 カイ自身の目的もある。


 ただ、いくら元気になってきたとはいえ、レフィーリアは見た目はまだせいぜい十二歳くらいの少女だ。実際の年齢は二十歳とカイと同じ年齢ではあるが、それには意味がない。


 そしてエルフというのは、往々にして奴隷として扱われることが多いと聞く。

 ましてレフィーリアのように若く健康的で、その上美しい少女だと、その扱いがどうなるかなど、考えるまでもない。

 この世界は、かつての地球の様に子供に人権があるとか、そんな世界ではない。

 そもそもある程度の都市部を除けば、文字通り暴力が支配する世界だ。ラングディールがリーグ王国を復活させた時も、その治安を回復するだけでも一苦労したものである。


 子供を守るのは、親や大人がやるしかないのだ。


 当然身寄りのないレフィーリアは、カイが守るしかないだろう。

 ただ、カイとていつまでもここに留まっているわけにはいかない。

 カイがあえて街に住まず、少し離れたこの場所に住んでいるのは、獣などであれば十分対処できるというのもあるし、街で起きる厄介ごとに巻き込まれたくなかったというのと、何よりレフィーリアの安全を考えての事だった。

 実際、数回ミスリバーの街に一緒に行ったことはあるが、胡乱な目でレフィーリアを見ている男が稀にいたのは事実だ。


 カイとしては、できるなら信頼できる人間にレフィーリアを預けて、ちゃんとした教育を受けさせてあげたい。レフィーリアには確実に高い魔法の才能があるし、正しく伸ばせばそれは彼女自身にとっても、そして世界にとってもいいことだと思う。

 ただ、現状最も近い街であるミスリバーの街では、レフィーリアが一人で暮らすとなると不安がある。


 ミスリバーの街は複数の河口が重なり、湾の様になっている場所のほとりにある街だ。

 人口は二千人ほど。

 大きいとは言えないまでも、この辺りでは最も人が集まっている場所ではある。

 主な産業は漁業と農作物の交易。教育という面でも期待できないだろう。

 それよりさらに南は、大きな街はしばらくない。

 かなり行けば人口五千人程度の街がいくつかあるが、そこまで行けばケーズに行った方がいい。


 それに魔王ルドリアの脅威が去ってからまだ一年半。

 ミスリバーの街は相当な辺境のはずだが、それでも影響は小さくなかった。

 さすがに直接の影響はなかったらしいが、南の地域がことごとく影響を受け、事実上孤立してしまい、深刻な物資不足になったらしい。周辺の村はいくつも廃村となったという。今住むこの村も、元はそういう村の一つだろう。その後犯罪者の巣窟になったようだが。


 魔王ルドリアが君臨していたのは三十年程度と、かつての魔王バルビッツ――二百年以上と云われる――に比べればそこまで長くはなかったが、それまでの社会機構が機能不全になるには十分すぎる時間だったのだ。


 ある意味ではこの三十年というのはかなりタチが悪い。

 なまじ魔王が現れる前の平和だった時代を知っている者がいる一方、魔王によって、いわば『暴力の世界』になった時代が当たり前の者もいる。

 一定以上の年齢の者には統治機構を自分達で構築するという考えがない一方、魔王によって抑圧されてきた者達は、魔王という脅威がなくなったことでその解放感が悪い方向に向かう者も多い。

 実際、レンブレス自由都市群の中には、無法都市と化したものもあったらしい。


 そして往々にして、単純な暴力というのは大抵のものより強いのである。

 ゆえに、現時点でレフィーリアを一人にするという選択肢は、カイにはない。


「まあ、別に急ぐ旅じゃないし、リアが独り立ちできるようになってから旅を再開するでもいいのかもだが……」


 カイが旅を再開するにしても、レフィーリアが十分独り立ちできるようになってからというのは普通なら考慮に入る。

 いつまでもここにいるわけにはいかないとしても、街に一緒に住んで、カイがそばにいればいいという話はあることはあるが――。

 問題はエルフであるレフィーリアが成長するのにどのくらいかかるのかというと、全く分からない。

 下手をするとあと二十年や三十年くらい必要という可能性もある。そうなると、さすがにカイも厳しくなる。


「……やっぱ、ランディ達に預けるのがベストか」


 あのケーズならあるいはと思わなくもないが、確実ではない。

 それよりはラングディールやシャーラに預けた方がいいだろう。彼らなら誰よりも信頼できるし、引き受けてくれるという確信もある。

 旅立って一年程度で帰ってくるというのもとても間抜けだが、理由は納得してもらえるだろう。

 むしろ変な誤解をされる可能性もある気がするが、そこはちゃんと説明するしかない。


「……ランディ辺りは隠し子とか言い出しそうだな……」


 どうやっても計算が合うはずはないが、言いそうだ。

 それに考えてみたら、もうあの二人の子供が生まれているはずだ。

 レフィーリアなら、その子供の世話係としてもちょうどいい気はする。

 一度方向性がきまると、それが最善だと思えた。


「リア、ちょっと話があるんだが」

「どうしたの、お兄ちゃん」

「そろそろ、旅を再開しようと思ってな」


 その夜、そう切り出したカイの言葉に、レフィーリアの顔が曇る。

 それを見て、カイはレフィーリアの頭を撫でた。


「何を勘違いしている。こんなんとこに女の子一人置いていくほど、俺は酷い人間になったつもりはないぞ」

「え……いいの?」

「もちろんだ。まあ、俺の旅の目的もあることはあるんだが……とりあえずリアが健やかに成長できる環境を作りたいしな」

「お兄ちゃんの旅の目的?」


 レフィーリアが首を傾げる。

 そういえば、彼女とはそういう話はしたことがなかった。


「俺の目的は、この世界がどういう場所で、どういう世界か知ることなんだ」

「なんかすっごいね。それって世界の全てを知るってこと?」


 そこまで言われるとは思わなくて、カイは思わず目を丸くする。


「いや、そこまでは言わないんだが。ただ、魔王とか勇者なんて存在がいるなら、実際どういう理屈で現れるのかと思ってな」

「……お兄ちゃん、凄いね。私、そんなこと考えたこともなかったよ」


 それはそうだろう。

 これは、カイ・バルテスの考えではない。新条司の考えだ。

 この世界が、新条司の知る世界に極めて似ているにも関わらず、決定的なところで魔法の存在、そして勇者と魔王という特殊な存在が、まるで例外の様に存在している。

 魔法はともかく、魔王や勇者に関しては何かしら法則があるはずというのが新条司の記憶からくる感覚であり、カイもそれには納得しているのだ。


 勇者というのは、女神イークスに認められる存在だから、女神イークスが管理していると考えられる。

 だが、特にルドリアのことを知ってからは、魔王というのが本当にただ邪悪な存在かといえば、違う気がするのだ。

 子供の頃は漠然と当たり前にあると思っていたものだが、どこか奇妙なのは否定できない。


 魔王が存在するから、対抗者として勇者が女神によって選ばれ、世界の平和を取り戻す。

 この世界の人間が疑いもしない当たり前の図式だが、本当にそれが正しいのか。

 そもそもで、勇者と魔王というのはどういう存在なのか。 


 魔王であるルドリアはすでに死んでいないが、勇者であるラングディールは生きている。

 ルドリアのことを知った今、改めて勇者がどういう存在なのかについて、ラングディールに聞いてみるつもりだ。

 彼が勇者になった時のことは一度聞いたことがあるが、女神によって口止めされているからとほとんど教えてくれなかった。女神がきれいな女性だったといってシャーラがむくれたくらいである。それはそれで、あの時は大変だったが。

 今度はもう少し食い下がってみようと思う。そもそも女神本人にも会っているわけだから、そちらももっと詳しく聞きたい。

 それがリーグ王国に行くもう一つの目的でもある。


 ただ、おそらくそれだけでは足りないだろう。

 だからそのために、多くの記録を探したい。

 かつて存在したという魔王バルビッツの時代。

 もしかしたらその前の時代の記録も。

 この広い大陸のどこかには記録があるかも知れないのだ。

 それを探したい。


 するとそれを聞いたレフィーリアは目を輝かせていた。


「すごいよ、お兄ちゃん。それ、私もお手伝いしたい」

「……そうだな。いつかはリアにも手伝ってもらいたいが……」


 カイはレフィーリアの頭をぽんぽん、と叩く。


「でもお前はまだ子供だ。学ぶべきことの方が多い」

「む。私、お兄ちゃんと同い年だよね?」

「自分でも無理があると分かってるだろう?」

「う……」

「だから、俺が信頼する人間がいるところで、勉強してほしいんだ」


 そういって、カイはレフィーリアにこの先のことを説明した。

 レフィーリアは、カイがリーグ王国に自分を預けるのだと聞くと、下を向いて、悔しそうに小さな拳を握っている。

 その悔しさは、カイにも少しわかる。

 自分が無力であると突きつけられているようなものだ。

 だが実際、現時点では足手まといであるのは事実だろう。


 魔王軍がシャーラを魔王軍に召し上げると宣言して村に来た時。

 大人たちは諦めて、シャーラを差し出すと決定した。

 納得できなかったカイとラングディールが、その魔王軍の指揮官を倒したのが、勇者と大賢者の初陣だ。あれはもう五年以上前か。


 ただ、あの時点で自分達には力があった。だからあんな無茶ができた。

 だから――。


「そうだな。リアが十分に成長して、俺を手伝えるほどになったら、今度は是非ついてきてもらいたい」

「……わかった。私、頑張る」


 レフィーリアは悔しそうに、だがそれでも強い決意を込めた目でカイを見つめると、大きく頷いたのだった。

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