第12話 少女とカイ(改稿)

「ん……あ、れ……?」

「お、気付いたか。どうだ、気分は。水は飲めるか?」


 少女が目覚めたのは、村のベッドだった。

 粗末な、寝心地がいいとはとても言えないものだが、それでも枕があって温もりもあるので少しは休まる。

 そしてそのベッドのすぐ横にいたのは、先ほど助けてくれた男性だ。

 その男性は、水差しからコップに水を注いで、出してくれた。

 それを見て、どうしようもなく喉が渇いていると気付いた少女は、必死にそれを飲む。

 身体に水がしみわたるようで、ようやく人心地着いた気がした。


「大丈夫か。二日も目を覚まさなかったから心配したが」


 そんなに眠っていたのかと思うと驚いた。

 しかしその割に、身体はとても楽になっている。

 ややあって、それが足にあった鉄の足かせが外れているためだと気付いた。


「あ、りがと、う……えっと……」

「おお。そういえば名乗ってないな。俺はカイ。カイ・バルテスという。君は……エルフ、か?」

「……はい。私は、エルフ、のレフィーリア、です」


 するとカイと名乗った人は、とても優しく微笑んでくれた。


「レフィーリアか。いい名前だ。食事を用意したが、食べられそうか?」


 そう言われて視線を動かすと、食欲をそそるおいしそうな匂いが、レフィーリアの鼻腔を刺激した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 少女を助けたカイは、すぐ彼女を手当てようとして――驚いた。

 耳の形が、わずかに、だが明確に人と異なる。

 それがエルフの特徴だということは、リーグ王国にいた時に書物で知っていた。


 エルフ。

 人間とほぼ同じ姿を持つ、極めて稀少な存在。

 小柄で細身、かつ容姿に優れていることが多いらしい。

 外見的に目立つ特徴は、その耳が人間のそれより長く、先端が尖ってるかのように細くなっていること。新条司の記憶だと、エルフといえばそういうものらしいが。

 人間の近親種とされるが、実質ほぼ人間と同じと言っていい。


 そして見た目ではわからない大きな特徴が、二つある。

 一つが非常に魔力マナとの親和性が高く、高い魔法能力を持っていることが多い点。

 そしてもう一つが、人間の大体二倍から三倍、場合によっては四倍以上の寿命を持つことだ。成長速度は人間よりやや遅く、肉体の全盛期が長いという。寿命の幅が大きいが、かなり個人差もあるらしい。

 そして、なぜかエルフは女性しかいないらしい。

 エルフはエルフからしか生まれないが、そもそもエルフが生まれる確率もだいぶ低いという。


 この世界の人類における地球との一番の違いが、魔力が存在することと並んでこのエルフの存在である。

 あるいは、この稀少種族の血が、人間に混じって魔法を扱えるようになったのか、逆に人間の魔法を扱う力が凝集したのがエルフなのか。

 地球における進化論のような生物学的な進化の過程をこの世界が辿ったかは分からないが、魔法を除けばほとんどが地球と同じである以上、やはり人間とエルフは何かしらの進化の中で分岐した存在の可能性は高い気がする。

 その割にはエルフの数はあまりにも少ないが。


 カイはもちろんエルフなんて初めて見たが、とりあえず手当は人と同じで問題ないだろうと思って、魔法で怪我を治癒し、あとは時折口に水を含ませて水分補給をさせた。あとは少女の回復を祈るしかない。

 鉄の足枷はすぐ外したのだが、その下の皮膚が赤く膿んでいたのが痛々しかった。それも治癒したのだが、その後から急に回復魔法の効きが良くなった。

 人間とはやはりどこか違うのだろうか。


 一方、少女の側に倒れていた女性も、やはりエルフだった。

 こちらはもう完全に息絶えていたため、助けることはできず、身体を綺麗にして服を着せ、とりあえず極低温状態で別の家に置いている。

 見た目からも、ほぼ間違いなく少女の母親か姉だと思えたので、勝手に埋葬するのはさすがに気が引けたのだ。


 この少女が、探していた人物であるかどうかの確証はない。

 ただ、あのように特殊な隔離をしていたのなら――その可能性はあると思う。


 エルフというのはその容姿と、非常に寿命が長いこともあって奴隷として扱われることが多い。

 リーグ王国でも、滅ぶ前にエルフの奴隷を持っていた貴族がいたことは分かっている。

 ただそれは、ルドリアがリーグ王国を攻め滅ぼした後、ことごとくルドリアに接収されたらしい。

 ルドリア打倒後にその貴族たちは自分達の財産として、それらの返還を求めたが、ラングディールはそもそもそういうのを最も嫌う。

 それが理由で貴族たちと揉めたわけだが、それに関してはもう終わったことだろう。


 そして二日後。

 ようやく少女が気付いてくれたのである。

 とりあえず水を与えた後、消化の良いスープを食べさせてあげると、またすぐに眠ってしまった。

 ただ今度は一時間ほどで目を覚ました。

 顔色も幾分良くなったように思える。

 そしてカイの顔を確認すると、おずおずと口を開いた。


「あの、私の隣に倒れてた人は」

「ああ……その、君のお母さん、かな。その、彼女は……」

「わかって、ます。もう……」

「実はまだ埋葬はしていない。最後にお別れをするかい?」


 カイがそういうと、レフィーリアは驚いたように顔を上げ、それから小さく頷いた。それを受けて、カイは少女を抱きかかえると――驚くほど軽かった――隣の家屋に行く。


「寒い……」

「すまないな。こうしないとすぐ腐りかねないからね……立てるかい?」

「……はい」


 ゆっくりと下ろすと、レフィーリアは意外なほどしっかりとした足取りで立つ。

 彼女の母親の遺体は、ベッドの上に横たえてあった。

 カイは低温状態を維持している魔法を解除すると、レフィーリアの肩を少しだけ押す。

 それを受けて、レフィーリアがゆっくりと母親のに近づき、その横に座り込んだ。


「お母さん……今まで、ありがとう」

「……君たち母娘おやこは……ずっと、この村に?」


 レフィーリアは小さく頷いた。


「お母さん、ずっと……私を守って、一人で頑張ってたの。でも、あいつらは私が子供ができる年齢になったからって……だから、お母さんが逃げなさいって……」

「外道どもが……」


 もう一人も生きてはいないが、あんな一瞬で殺してやるのではなかったと後悔しそうになるほどだ。


「お母さん、ちゃんと眠らせてあげたい」

「ああ、そうだな。君の望む通りにしたらいい」

「……いいの?」

「もちろんだ」


 そして一時間後、レフィーリアの母――セレイアという名だったらしい――の遺体は、五十センチほどの深さに掘られた穴の中に横たえられていた。


「じゃあ、いいか?」

「……はい」


 この方法は、カイの知る正式な葬儀方法だ。

 レフィーリアがカイの知る正式な方法で弔ってほしいと希望したのである。

 手順は簡単で、このように人を穴の中に寝かせてから火をつけ、燃料をくべ続けて焼いて、やがて骨だけになったら、全てを土に埋める。

 普通はそこまで強い炎を維持するだけの燃料はあまり調達できないので、このような葬儀は身分の高い者が死んだ時に行うものだが――。


 カイは静かに意識を集めると、やがて墓穴の上に小さな火種が生まれる。

 そしてそれがゆっくりと降りて――穴の底、眠るセレイアの遺体に達すると、穴全体が燃え盛った。

 その勢いは、文字通り天を焼くほどの炎。

 その炎が、人々のこの世界での罪を焼き尽くし、天の、女神イークスが治める世界へと導いてくれると信じられている。


「お母さん……ありがとう、私を守ってくれて」


 炎の勢いはすさまじく、一時間足らずで消え――あとには骨だけが残されていた。

 熱が冷めるのを待って、二人はその上から土を被せていく。

 日が暮れる前にはすっかり埋まっていて、その上に心ばかりの墓標が立てられた。


「ありがとう、カイさん。助けてくれただけじゃなくて、お母さんのことも」

「礼を言われることじゃない……同じ人間として、ああいうのが許せなかっただけだ。それより、君はこの先どうする?」

「街で、なんとか……なる、でしょうか。あるいは、ここでしばらく暮らす、か」


 カイはしばらく黙ってしまった。

 エルフは極めて稀少な存在だ。カイですら初めて見る。

 だが同時に、その容姿ゆえに、奴隷として扱われやすいと聞いている。

 もちろん、現在奴隷の扱いは禁止されている。

 だがエルフは人間ではないからと、その例外にされていることが多いのだ。

 実際、リーグ王国でも魔王ルドリアに滅ぼされる前に、王宮にエルフの奴隷がいたという記録を見たことがあるし、貴族もエルフの奴隷を所有している者がいたらしい。


 ラングディールがそんなものは解放すべきだと言って探したが、魔王ルドリアによってエルフの奴隷はいずこかに連れ去られた後だったようだ。

 あるいは、セレイアはその一人だったのかもしれない。


「君は……いくつなんだ?」

「えっと……確か、二十歳です。一応、子供ができるようになったばかり……です」


 知ってはいたが、成長がやや遅いというのは事実らしい。

 栄養状態の問題もあるかも知れないが、どう見てもせいぜい十歳から十二歳くらいだ。

 しかしこのような少女が一人で生きていくとなれば、どういうことになるかは想像に難くない。

 この村よりは気持ちマシ、という程度の事態になるだろう。

 こういうまだ小さい子にをする男など、いくらでもいる。まして、すでに子供ができるほどには成長しているのだ。

 カイはそういうのは断じて許しがたいと思っているので、カイもそんなことをするつもりは全くないし、そしてこのまま彼女を街に送り出すという選択肢も、あり得なかった。


「行く当てがないなら、しばらく一緒にいてもいいか? 俺も特に明確に目的がある道行ではないんだ」


 これは嘘ではある。

 だが別に、急ぐ旅でもない。

 このレフィーリアという少女が暮らしていける目途が立つまでは、一緒にいたっていいだろう。少なくとも今、ここで放り出すというのはあり得ない。


「……いいんですか?」

「ああ。別の場所に行ってもいい。この村だと、嫌な思い出もあるんじゃないか?」

「でも、お母さん、ここにいます、し」


 言われてみればその通りだ。

 それに男たちの死体は、すでに全てまとめて村のはずれに埋めてある。

 数百メートル吹き飛ばした男は探すのも面倒なので放置しているが、今頃獣のエサにでもなってるだろう。


「分かった。じゃあ、生活環境を何とかしないとな」

「生活……環境?」

「過ごしやすくするってことだ。まあ色々やることはあるがな。レフィーリアにも手伝ってもらうぞ」

「……うん。私、カイ、手伝う」


 そういうと、レフィーリアは少しだけ笑った。

 その微笑みがあまりに可愛くて、思わずカイは、絶対間違いを起こさないようにと、改めて心に誓うのだった。

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